赤の星見草【2】
工藤機械工業所に特殊鋼の在庫が奇跡的にあり、今回の短納期の仕事の納品日がやってきた。工場に着くと、兄がトラックを誘導してくれる。
「オーライオーライ!ストップ!」
「工藤さん、お世話になります。どうですか?製品の方は?」
「秋津さん、お世話になります。こちらへどうぞ」
私が製品を確認し、小春が図面と製品を見比べる。
「……工藤さん」
「はい」
「……はい、OKです。一度持ち帰り、検品させます。お疲れ様でした」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
「小春、製品をトラックに積んでちょうだい」
「分かりました、専務」
小春がフォークリフトで製品をトラックに積んでいく。小春は器用に何でもこなしてくれるので本当に助かる。
「工藤さんとは取引が初めてでしたわね?取引条件なのですが――」
「秋津さん、その事で折入ってお願いがありまして」
「お願いですか?」
「はい……非常に申し上げにくいのですが、現金で取引願えませんでしょうか?出来れば最短で……」
「……わかりました。母……いえ、社長に確認はしますが、検品が全て終わり次第、現金でお支払い致します」
「本当ですか!助かります!」
「ふふっ、こんなに頑張ってくれたのですもの。こちらも誠意を持ってお答え致します。それでは後日、またご連絡致します。行きますよ、小春」
製品は見事な仕上がりだった。全商品これであれば社長も首を縦に振るだろう。
帰りのトラックの中で小春が私に尋ねる。
「専務、製品は基準をクリアしていますが、今後の取引の方はいかがなさいますか?」
「せやね。報告書では、既に父親も祖父母も他界してはったんやろ?」
「はい。工藤さんの事務室にある書類で確認しました。それと専務に言われた通り、片付けも一通りバレない様に行いました」
「おおきに。仕事は片付けと整理整頓が一番大変な仕事なんよ。少しでも兄さんの力になれたのならそれでえぇわ」
「それなら直接、私達が手伝った方が早かったのでは?」
「ちゃうちゃう!分かってへんなぁ。影で支えとるっちゅうんがえぇんよ」
「は、はぁ……」
「さて、これで社長も納得しはるやろ?追い出された家とは言え、もう兄さんしかいないのやったら取引しても問題無いはずや。それに例の件もあるしな……」
――1年後の2017年8月13日早朝。
「あの……旅行の下見ですけど、本当に私も同行しなくて良いのですか?」
「平気やって!小春もしつこいなぁ!それとも兄妹の初めての旅行に水を差す気なん?」
「いえ、専務が情に流され暴走しなければ良いと思ってるだけです」
「それはその……だ、大丈夫……やと思う……た、たぶん」
「た、たぶんですか!それならやっぱり私もご一緒して――!」
「もうっ!小春はえぇの!兄さんと2人で旅行に行・く・ん・や!」
こうして私は兄さんと2人で、機械工業会の旅行先の下見にと、島根県松江市にある車云生町へと向かった。
宿はわざと一部屋しか取らず、兄の様子を窺う。やはりまだ兄妹だという事に気付いてはいない様だ。私はお酒の勢いも相まって、兄を宿から連れ出した。
深夜の防波堤は何とも美しかった。間隔を開けて立っている外灯だけが足元を照らす。防波堤の先端まで歩き、小さな赤い灯台に着くと、私は灯台の土台にある小さな段差に腰を下ろした。兄もその横に座る。
「ねぇ……工藤さん」
「はい?」
私は兄の首に手を回し……そしてキスをした。
「んんっ!?」
「はぁ……静かに……」
ボゥゥゥと遠くで船の汽笛が聞こえ、何度か目を合わせながら、しばらくの間抱き合う。
「えっと!陽子しゃん!い、いけませんにょ!あの!えっと!」
「ふふ……冗談はこれくらいにしておきましょうか……」
「え?冗談?え?秋津さん?」
「ふぅ……。見せたい物があります」
「見せたい物?」
私は一通の封筒をバッグから取り出し、兄に渡す。
「秋津さんの戸籍謄本……?秋津さん……これがどうしたんですか?」
「にぶいわね。……兄さん」
「え?は?兄さん?」
「あなたの母親は亡くなってはいないわ。あなたが生まれて間もなくして離婚、私の父と再婚し……私が生まれたの」
「嘘……や……ろ……」
「本当よ。あなたと私は同じ母親から生まれたのよ……」
――『秋津音璃水』そこに記載された名前は、私の母親、つまり社長の名前が記載されている。兄からしてみたら、亡くなったと思っていた母と同じ名前でかなり驚いた事だろう。
彼は書類を持ったまま立ち上がり、呆然とした様子で固まってしまった。
「私の母親はね?あなたの祖父と祖母に殺されかけたの。兄さんは知らないでしょうけど、母さんが言ってたわ」
「……そんな馬鹿な」
「全部本当の話。そして、兄さんもこれを見たら信じてくれると思うの……」
私は着ていた浴衣を脱ぎ、月明かりのもとで生まれたままの姿になる。
「ちょ!ちょっと!秋津さん!こんな所で……所で……え?」
月明かりに照らされ、私は妖狐へと姿を変えた。尾っぽが生え、耳が尖り、口は耳まで裂ける。
「ね?兄さん……この姿を知ってるんじゃない……」
「あっ……あぁ……あっ……!!」
彼は私の言葉にたじろぎ、そして断念したかの様に、顔を上げた。
「そう言う事かいな……それなら信じないわけにはいかへんな……」
「ふふ……分かってもらえて嬉しいわ」
私が彼の胸の中に飛び込むと、毛むくじゃらの腕で体を抱きしめられる。彼もまた、月明かりを浴びて妖狐の姿になっていた。
「せやったか……なんや。父さんにこの姿には二度となるな!って言われてたけどそう言う事やったんやな……」
「母の事もあり、狐族が心底嫌いだったのかもしれませんね……」
それから今までの経緯を説明した。兄に初恋した事も、仕事で無理強いしたのも、今回の旅行のことも……。
「せやったんか。でもどうして今まで黙ってたんや?」
「私が妖狐の姿にならないと信じてもらえないと思って……。もう月明かりがないと、ここまで妖狐の姿が露せないのよ。人間でいる時間が長いせいかしらね。それに今日はもう1人、兄さんと会いたい人がいてね……」
「会いたい人?」
――それから私達は、母親の姉、叔母に挨拶に向かった。車云生町の防波堤から見える山の麓で落ち合い、今までの出来事を夜が明けるまで語り合った。
「もう夜明けぜよ……」
「誰やねん!」
「あははっ!2人なら漫才しても食べていけるけん!」
「叔母さん!兄さんはそれで良くても、私は母さんの跡を継いでゆくゆくは――」
「なんでやねん。俺はもう跡を継いどんねん」
「あははっ!もうやめて!笑い死ぬけん!はぁ……しんど」
「せやけど、叔母さん。母さんに会わなくても大丈夫なん?もうかれこれ会ってないんやろ?」
「そげだねぇ。あの子は小さい頃から気性が荒くて、この町から出ていったきりだけんねぇ……」
「ふぅん……わからんでもないんやけど。伝言あったら伝えとく」
「ありがと、陽子ちゃん」
「ほんなら、そろそろ宿に戻ろうや。陽子さ――陽子」
「あらら、急に兄貴面するん?さっきまで、陽子さん!陽子さん!言うてたのに!きっしょっ!」
「なんやて!それはもとはと言えば――」
「はいはい!2人ともそこまで!」
こうして、晴れて兄に妹と打ち明け、妖狐の家系の話も出来た。これだけでもこの旅行は満点なのではないのだろうか。
叔母と別れ、日が昇り始めた頃ようやく宿に帰って来た。
「ふぅ、疲れたわ。チェックアウトまで少し眠――ぐぅぐぅ……」
「兄さん、ちょっと!床で寝ないでよ!ちょっ――もう!」
兄の寝顔を見て、私はもう一度ほっぺにキスをした。これで最後だろう。もう兄妹と別れを告げたのだから……そして私はあの人とたぶん結婚する。それは種族としての務め……。
「ありがとう、兄さん……」
私は置き手紙をし、大阪までの帰り代を机に置く。宿の受付で支払いを済ませ、兄が起きたら大阪に1人で帰る様に伝言を残した。
私にはもう1つ母親に頼まれた仕事が残っており、宿を出ると荷物をトランクに投げ入れ、車のエンジンをかける。
「さて、もうひと仕事……きばろ!」
ナビで松江市の児童養護施設をセットし、AMラジオを付けて海岸沿いを走って行く。
『音楽の風――♪』
軽快で懐かしいメロディーがスピーカーから聞こえ、リスナーのリクエスト曲が流れる。信号待ちで、兄からの着信とメールを確認し、返信せずにそのままハンドルをまた握る。1時間程走っただろうか。ようやく目的地に近付いた。
「ようやっと着いたわ……もうお昼になるやん……。施設には昼から行くとして、その前に……」
松江児童養護施設と書かれた看板を過ぎ、紙に書かれた地図を頼りに山へと車を走らせる。細い砂利の一本道で、スポーツカーでは少々分が悪い。
「いた!いた!いて!いた!」
でこぼこ道で車がバウンドする度に、お尻が跳ね上がりシートに打ちつけられる。
「もう!こんなん聞いてないで!いて!」
ラジオも入らなくなった山道を15分程進み、ようやく目的の鳥居が見えてきた。
「はぁ、着いた……。お尻、痛い……」
車を鳥居の下に停めると、そこからは歩いて古びた小さな神社へと向かう。
「ごめん下さい!誰かいませんか!ごめんくださ――!?」
私は神社の本殿にあるお社に上ろうと、階段を登ったその時!急に辺りが暗くなり、冷たい風が吹いたかと思うと、目の前にあるお社の扉が、ひとりでに静かに開いた……。
『ギギギギ……』
「え……?」




