紫の星見草【3】
――2016年8月初旬。
日が明け、気が付くと事務室のソファで目が覚めた。
「うぅ……あいたた……」
筋肉痛とも、寝違いとも言えぬ痛みが体のあちこちからする。
「あかん、昨日そのまま寝てしまったんか……」
痛い体を起こし、服部が来るまでに昨日の片付けをしてしまおうと、重い体を起こし事務室を出た。
「あれ……?ん?」
時計は朝6時を過ぎている。窓から差し込む太陽の光で、工場全体がうっすらと見えた。
なぜか、昨日そのままにしていた工具が片付けられている。しかしそれだけでは無かった。ドラムリールも電源を抜かれ、丸めて置いてある。機械も良く見ると、綺麗になっている。
「……なんや?昨日、片付けはしてへんよな?綺麗になっとる……」
不思議に思いながらも、機械の周りを見て回る。泥棒が入ったにしては、何も盗られた様子もない。どころか、いつもより綺麗に整備されている様にすら見えた。
「……なぁ、親父。あんたがやったんか……?」
事務室に飾ってある、父と従業員の写真。それに向かい声をかけるが、返事などあろうはずはない。
しかし整理整頓は父の口癖だった。
「おおきにな、ほんま助かるで……」
工場の入り口を開け、朝日をいっぱいに取り入れ、全身で伸びをする。工場の入り口には数本の紫の菊の花が自生している。
「あぁ、この花か。神棚に置いてあったんわ……んんっ!いてて……。体中バキバキやな。ふぅ、服部が来るまでに少しでも作っておくか」
――それから丸1日、夜遅くまで休憩もほどほどに出来る限りの作業をしていく。そして月曜日を迎え、一人で朝から作業を始める。
月曜日のお昼には何とか、納品数の部品が出来上がった。
「もしもし?工藤機械工業の工藤です。いつもお世話になっています。秋津専務さんはおられ――はい、そうです。はい――」
夕方、事務室でうとうととしていると工場の入り口からトラックがバックで入って来るのが見えた。慌てて飛び起き、事務室から出るとトラックを誘導する。
「オーライオーライ!ストップ!」
「工藤さん、お世話になります。どうですか?製品の方は?」
「秋津さん、お世話になります。こちらへどうぞ」
トラックの助手席から降りて来たのは、南家工業所の秋津陽子だった。ツナギ服姿の彼女の美しさに一瞬目を奪われる。
彼女が製品を確認し、部下らしき人と話をする。その目はするどく、一片のミスも見逃さない様に思えた。
「……工藤さん」
「はい……(ごくり)」
「……はい、OKです。一度持ち帰り、検品させます。お疲れ様でした」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
彼女は部下に指示し、フォークリフトで製品をトラックに積んでいく。
「工藤機械工業さんとは取引が初めてでしたわね?取引条件なのですが――」
「その事で折入ってお願いがありまして」
「お願いですか?」
「はい……非常に申し上げにくいのですが……」
俺は今の会社の経営状態があまりよくなく、最短で現金での取引を持ちかけた。もう今更プライドなどない。今日、明日の話なのだ。
「……わかりました。母……いえ、社長に確認はしますが、検品が全て終わり次第、現金でお支払い致します」
「本当ですか!助かります!」
「ふふ、こんなに頑張ってくれたのですもの。こちらも誠意を持ってお答え致します」
そう言いながら笑う彼女は夕日のせいもあってか、まるで天使の様だった。服部が惚れ込むのも無理はない。この油臭い部品工場には似つかない美人なのだ。
彼女達が製品を積み終わり、トラックで引き上げて行く時、エンジンの匂いの中に甘い香水の香りが残る。
「惚れてまうやろ……」
それから幾日か経ち、会社登録や取引条件などの書類を送り、月末には現金で全て振り込まれた。携帯代や電気代、家賃の一部を支払い、ギリギリの生活費が残る。
「危なかったなぁ……ふぅ」
新しい煙草の箱を開け、工場の入り口で煙草に火をつける。電気も再開し、ようやくいつもの見慣れた工場になった。
服部達には島根へ行く高速代、ガソリン代と宿代を気持ちばかり渡した。最初は賃金を受け取らないと言っていた服部だったが、釣りとなると話は別だった。喜んで受け取ってくれ、早速、宿屋に電話を掛けていた。
それから南家工業所から幾つか仕事をもらい、バイトを募集し、少しずつだが、また会社を経営出来る喜びを噛み締めた。
――それから1年後。
「はい、分かりました。それではまたお迎えに上がりますので。はい、失礼します」
仕事を終えた19時前。携帯に秋津専務から着信があり、予期せぬ事を頼まれた。
来週、組合の会合で行く、旅行の下見に誘われたのだ。社長と行く予定だったのが都合がつかなくなり、急遽、俺に白羽の矢が立ったそうだ。
――2017年8月13日。
あっという間に1週間が過ぎ、俺は秋津専務と島根へと車で向かう事になり、しかも彼女の自家用車だという真っ赤なスポーツカーで出発した……。
大阪から約5時間、主に仕事の話をしたり、工場の成り立ち等をかいつまんで話した。興味深そうに聞いていた彼女だったが、何せ、忙しいご身分だ。話の途中で電話が鳴り、ところどころで話は途切れた。ほとんどの電話が友達からで、お盆休みに入ったタイミングで遊びに行く話ばかりみたいだ。公私共にモテるのだろう。俺は彼女が電話をしている隙に携帯を取り出し、助手席で話題が途切れない様にと、話のネタを探す。
「はぁ……ごめんなさいね。せっかくの旅行やのに、友達からの電話ばかりで――」
「いえ、全然気になりませんよ。それに運転は秋津さんがされているので申し訳ないです。あっ、ナビではもうすぐ着きますね」
米子道を下り、境港から島根県に入り、車云生町を目指す。そう、旅行先というのが予定では車云生町の白蛇神社と出雲大社らしい。宿の料理と道順やタイムスケジュールを確認しに来たのだそうだ。
夕方には無事に宿に着き、荷物を部屋へと運び入れると窓辺で伸びをする。
「ふぅ、なんや疲れたわぁ……気ぃ使うし、なかなかハード……」
「ふぅん。そんなに気を使ってくれてたんですか?」
「うわっ!びっくりした!なんや!」
なぜか彼女が俺の部屋の中に入っている。
「あら?言って無かったかしら?部屋は1つしか取ってないわ」
「えぇぇぇぇ!」
「良いじゃない?節約よ。せ・つ・や・く!」
よりによって、こんな美人……違う、そうじゃない。お得意様のお嬢様と同じ部屋だなんて……。
「さっ、荷物をほどいて休憩しましょ!」
人の気も知らずにさっさと荷物を片付け、夕飯を待つ彼女。
「秋津専務、やっぱり部屋を分けた方――」
「くどい」
キッと睨みつけられ、萎縮してしまう。まるで蛇に睨まれた何とかだ。
しかし、服部には悪い事をした。あの日、タイミングを見計らって彼女に告白をすると言っていた。この旅行の下見は彼に譲るべきだったのかもしれない。
結局、同室で一晩を明かす事になったのだが、夕食時、勢いとヤケクソで酒を煽り、気が付くと既に時計は日付を越えていた。
「……起きたのですか」
「ここは……?うぅ……気分が悪い……。あぁ、確か宿に着いて、酒を……」
「お酒はあまり強くないのですね。そう言えば社長もあまりお酒は飲まれませんね」
「え?どういう意味――」
「工藤さん、少し外の風を吸いませんか?」
「はい……と、ちょっとその前にトイレ……」
「ふふ……」
彼女は先に車を用意すると言い、ホテルの前で待っていてくれた。二人共浴衣姿のまま、彼女の運転で夜の海岸沿いを走る。あれから彼女は口を開かない。気分が悪そうな俺に、気を使ってくれているのだろうか。
助手席から流れる景色を見ていると、海岸沿いにある民家の入り口で女性が何かを叫びながらこっちを見ている。
「えっ?あの人、何してるんでしょうね」
「さぁ……あら!ハイビームのままだったわ。ごめんなさい」
車はそのまま海岸沿いを走り、町の入り口にある防波堤にたどり着いた。彼女がエンジンを止めると、車から降り、防波堤の方へと彼女の後を歩いて行く。
夜の防波堤は不気味だった。間隔を開けた外灯が足元を照らしている。防波堤の先の小さな赤い灯台に着くと、ようやく彼女は腰を下ろす。俺もその横に当たり前の様に座った。
「ねぇ……菊の花の花言葉をご存知?」
「はい?」
「工藤さんの工場の入り口に咲いていた紫の菊の花。あれは恋の勝利、私を信頼して……そして夢が叶う、という意味があるのよ」
「へぇ……そうなんですね。知らなかっ――!?」
そう言ったかと思うと、彼女は唐突に俺の首に手を回して……そしてキスをした。
「んんっ!?」
「はぁ……静かに……」
ボゥゥゥと遠くで船の汽笛が聞こえ、何度か目を合わせながら、しばらくの間抱き合っていた。
「えっと!秋津しゃん!い、いけませんにょ!あの!えっと!」
「ふふ……」
不敵な笑みを浮かべる彼女は月明かりに照らされ、この世の者ではない程の美しさだった。
「冗談はこれくらいにしておきましょうか……」
「え?冗談?え?秋津さん?」
状況がまるで飲み込めない。今、確かにキスをし、抱き合った。しかしそれを彼女は冗談だと言う。
「ふぅ……。見せたい物があります」
「見せたい物?」
彼女は一通の封筒をバッグから取り出す。俺はそれを受け取り、灯台の外灯の下で広げた。
「秋津さんの戸籍謄本……?秋津さん……これがどうしたんですか?」
「鈍いわね。……兄さん」
「え?は?兄さん?」
良く見ると、母親の名前に見覚えがある。『秋津音璃水』そこに記載された名前は亡くなった母と同じ名前だった。全国でも他にはない名前だろう、別人である可能性は極めて低い。
「あなたの母親は亡くなってはいないわ。あなたが生まれて間もなくして離婚、私の父と再婚し……私が生まれたの」
「嘘……や……ろ……」
「本当よ。あなたと私は同じ母親から産まれたのよ……」
その夜は月がとても美しい夜だった。防波堤に打ちつける波音がずっと耳の奥で鳴り続ける。
夢であって欲しい、その時はそう思ったが、彼女の言葉を聞いて……俺は全てを悟った。
―赤の星見草へ続く―




