第6.5話後編「セナと奏」
その間にも、セナは変わっていった。
あれだけ楽しそうに話していた“ピアノの女の子”の話は、自然としなくなった。
楽屋に女性が訪れることが増えた。
年上の、大人びた雰囲気の女性。
しかも毎回違う相手だった。
スマホも、仕事用、プライベート用、そしてもう一台。
“何か”を分けるように、使い分けていた。
いつの間にか……
手を伸ばすことすら、ためらうようになっていた。
……それから、2年。
ダンス、歌、芝居、バラエティ。
できることをひとつずつ増やし、現場で揉まれながら、
俺たちは少しずつ、“グループ”として形になっていった。
ある日、ついに正式なデビューが告げられた。
グループ名は……「スターライトパレード」。
初めて出会った、あの日からちょうど2年。
あのときの“ちびっ子たち”は、今やセナの真ん中を本気で狙いに行く存在になっていた。
……きっと、ここからが本番だ。
デビューしても、すぐには売れなかった。
個々の活動は順調だった。
舞台、ドラマ、モデル。
ありがたい話は少しずつ増えていった。
でも、“グループ”としては、なかなか芽が出なかった。
音楽番組への出演も、遠いままだった。
セナの夜遊びは、どんどん酷くなっていった。
「お前、そろそろいい加減にしろよ。事務所も庇うの、限界きてるぞ」
何度か翔くんと一緒に釘を刺した。
けれど、セナはそのたびに、ますます何かに渇いていくようだった。
皮肉なことに、その“渇き”と比例するように、セナの人気は上がっていった。
まるで、何もかもを燃やすような色気を纏って。
しばらく経ったある日だった。
「見つけたんだよ!!」
何の前触れもなく、セナがそう言った。
「ずーっと前にさ、めちゃくちゃピアノをキラキラ輝かせて弾いてた子がいて!それが、偶然いたの!!!」
久しぶりに見る、昔のままのセナだった。
はしゃいでいて、目を輝かせていて。
まるで、ガキの頃のあいつが、一瞬だけ戻ってきたみたいだった。
その数日後。
まさか、本当にステージに連れてくるとは思わなかった。
一目で“普通の女の子”だとわかった。
線が細くて、でもどこか育ちの良さを感じさせる雰囲気で、セナの後ろにそっと隠れるように立っていた。
「この子が、セナが言ってた子?」
「レオ!そうそう!オレらに曲作ってくれんだよ!」
最初は、またセナの思いつきかと思った。
けれど……奏の“音”を聴いた瞬間、全身に震えが走った。
これは、グループを変える“音”だ。
セナは、わかっていたんだ。
俺たちが、何を渇望していたのか。
何が足りなくて、何があれば前へ進めるのか。
ずっと黙っていても、全部、見抜いていた。
その日を境に、グループの歯車が動き出した。
音楽番組の出演が決まり、ファンも増えていった。
“誰かの付き添い”ではなく、“グループ”としてステージに立つ時間が、ようやく増え始めた。
セナが昔、ピアノの子の話をしていたのを思い出した。
それが彼女だということは、すぐにわかった。
……たぶん、セナはあれが初恋だったとは気が付いていない。
当時はランドセルを背負っていたような女の子だ。
無理もない。
セナはきっと、彼女を忘れるために“早く”大人になろうとしたんだ。
そして今、ようやく巡り合えた。
セナが奏ちゃんを見る目は、まるで宝物を見つめるようで。
あいつが、そんな顔をすることすら、もう久しく見ていなかった。
それなのに……本人は、自分の気持ちに気づいていないようだった。
……驚いたけど、でも、それがセナらしかった。
彼女を連れてくる少し前、セナには珍しく一年も続いた彼女がいた。
今になって思えば、あの子はどこか……奏ちゃんに似ていた。
きっと、無意識のうちに探していたんだ。
ずっと、あの子を。
最初は、ただ興味だった。
セナが大切にしている“誰か”に、自然と目が向いた。
でも、すぐに気づいた。
この子は、ただの“可愛い”でも“才能ある”でも片づけられない。
本物だった。
それなのに、彼女はその才能をひけらかすこともなく、媚びるわけでもなく、ただ音楽に真っすぐだった。
真っすぐすぎて、見ているこちらが心配になるくらいに。
セナが見つけたのは、“唯一無二の本物”だった。
そして……気づけば、俺も救われていた。
奏ちゃんの曲でステージに立ったとき、心から思った。
……俺たち、まだやれるかもしれない。
……それと同時に、強く思った。
「この子を、誰にも壊されたくない」って。
2人が惹かれ合っていることなんて、俺だけじゃなく、きっとメンバー全員が気づいていた。
それでも。
初めて……本当に初めて、セナの“もの”が欲しいと思った。
それが“恋”なのか、“愛”なのか。
そんな名前をつける前に、もう、彼女に手を伸ばしていた。
「ふーん……ね、時間あるならドライブでも行かない?」
自分でも呆れるほど自然に、そう誘っていた。
セナは遅かれ早かれ、自分の気持ちに気づくだろう。
でも……彼女がまだ気づいていないのなら、ワンチャンあるかもしれない。
そんな、ずるい考えがよぎったのは事実だった。
「疲れたり、寄りかかりたくなったら、頼ってよ」
抱きしめたとき、彼女の身体は思った以上に華奢だった。
けれど、その胸の奥に灯った熱は、自分でも驚くほど強かった。
……何かが、始まってしまう気がした。
それ以降、セナが俺をやたらと警戒するようになった。
……隠せてなかったんだろうな。
こっちの気持ちなんて。
お前が本気を出したら、手に入らないものなんて、ないくせに。
「ナイスアシスト、だろ?」
「だからさーー、お前なんでそんなカッケーんだよ……クソッ」
奏ちゃんのことになると、感情がぐちゃぐちゃになってムキになる。
そんな姿が、どこか懐かしくて、ちょっとだけ嬉しかった。
格好良くなんてない。
お前の前で、余裕なんて持てるわけがない。
それでも、余裕のあるふりだけは続けた。
「……俺、奏ちゃんのことが好きだから」
「俺は……次の曲は、君のことだけを想って歌うよ」
なぜか、不思議と涙が出そうになった。
悔しさとも違う。諦めとも違う。
もっと深くて、どうしようもなく根の張った感情だった。
彼女が作るラブソング。
俺のために作ってくれる、俺がセンターの曲。
コンペがこれからなのはわかってる。
でも、彼女の曲が選ばれないはずがない。
そう信じられるほど、彼女の音楽はいつだって“本物”だった。
初めて彼女のピアノの前で歌ったとき。
その音に包まれながら、どうしようもなく抱きしめたくなった。
それが、曲の力なのか。
彼女自身の力なのか。
……もう、わからなかった。
彼女のために、歌おう。
彼女だけのために。
俺がセナに勝てるものなんて、たぶんもう他にはない。
だからせめて……この歌だけは、譲れなかった。
冬が過ぎる頃。
少しずつ、空気が春めいてくるころ。
セナと奏ちゃんの間に、“変化”が見え始めた。
ふとした視線の交差。
触れ合いそうな手の距離。
名前を呼ぶときの声のトーン。
沈黙の意味。
明らかに、2人の間に流れる空気が変わっていた。
奏ちゃんは、以前より少しだけ大人びた顔をするようになった。
唇の端に浮かぶ、柔らかな笑み。
伏せたまつげの奥に、陰影が差す。
そのどれもが艶やかで、でもきっと……本人は気づいていない。
セナは、以前のように“宝物を見る眼差し”で彼女を見ていた。
けれど今は、そこに“愛しさ”という名の温度が、確かに宿っていた。
……そして、それをもう、隠す気すらなかった。
『Prisoner』の曲と歌詞を見た瞬間、確信した。
……この2人は、もう戻れないところにいる。
とんでもない世界観の曲だった。
誰かの感情を閉じ込めた、檻みたいな曲。
ただの恋愛じゃない。
もっと深くて、痛くて、それでも……
どうしようもなく、美しい想いが詰まっていた。
周囲の絶賛の声に、奏ちゃんはいつも通り、丁寧に頭を下げていた。
でも、その目は……まったく、笑っていなかった。
レコーディングスタジオの片隅で、張りついたような笑顔を浮かべながら、誰にも心を開かずに、黙々と作業をする彼女の背中が、苦しくてたまらなかった。
……あんな顔をさせるのは、セナしかいない。
その確信が、悔しくて、苦しかった。
俺なら、彼女をあんな顔にはさせなかったのに。
それでも、俺は、彼女の気持ちを第一に考えたかった。
待ちたかった。
選ばせたかった。
だから、ずっと黙っていた。
でも、もう……限界だった。
これはきっと、最後のタイミングだ。
「ちょっと様子が気になってさ……たまには気分転換しよっか。
ドライブ、付き合ってくれる?」
ほんの少しでいい。
少しだけでいい。
彼女の時間を、オレにもらいたかった。
でも……
「……ごめ……んなさい……」
たった一言。
それだけで、すべてを悟った。
彼女はもう、自分の気持ちに気づいている。
俺じゃない誰かを、心の奥で選んだということに……
いや、きっと本当は、ずっと前からわかっていた。
本当はずっと前から、間に合ってなんていなかった。
あの二人が再会した、その瞬間から。
俺の“順番”は、もう回ってこなかったんだ。
「私……もう怜央さんの車に乗ることはできないです……」
「……そっか。決めたんだね」
きっと今も、彼女は俺に対して、どこか罪悪感を抱いているんだと思う。
でも、本当はそんな必要なんてない。
何ひとつ、彼女が悪いわけじゃない。
悪いのは……俺だよ。
もっと早く、もっと真っ直ぐに、想いを伝えていれば。
……そんなの、今さらすぎるけど。
もし、俺のほうが先に彼女を見つけていたら……
違う未来があったのかなって、ふと思ってしまう。
……考えても、仕方ないのに。
どうしても、その“もしも”が頭から離れてくれなかった。
でもね、奏ちゃん。
君がくれた『Only』という曲。
あの曲を、俺のセンターで歌わせてくれたこと。
それだけで……
俺が君を好きになった意味が、ちゃんとあったと思えるんだ。
「……ただ、まだ、しばらくは好きなままでいさせて?」
この言葉も、きっとまた君を苦しめるかもしれない。
でも、それでも……
これは俺の、せめてもの“希望”だった。
もし、どうしても辛くなったとき。
迷って、どこかに逃げたくなったとき。
その時は、少しでもいい。
ほんの一瞬でもいい。
俺のことを、頭の片隅で思い出してくれたらいいなって。
そう願わずにはいられなかった。
それから、彼女の隣にいるセナを見るたびに、不思議と胸の奥が、少しあたたかくなるのを感じた。
眩しいライトの下で、何かを守るような表情をするセナ。
以前のように突っ張ることもなく、まっすぐにステージに立ち、堂々としたパフォーマンスを見せる姿。
けれど……
何よりも、奏ちゃんを見つめるその眼差しが。
あまりにも優しくて、あまりにも幸せそうで。
……こんなセナ、見たことなかった。
舞台袖でふと笑った横顔が、まだ幼かった頃と重なる。
レッスン終わり、汗まみれのTシャツのまま話しかけてきたあの日。
初恋を無邪気に語っていた、あの日。
家に帰りたくなくて、夜まで事務所に残っていた、あの頃。
……そうだ。
オレはずっと、セナのことが心配だった。
最初にあいつを見たあの日から、なんとなく放っておけなかった。
弟みたいに思ってた。
でも気づけば、隣に並ばれることが悔しくなっていて。
それでも、本当はただただ、大事に思っていただけだった。
「……奏ちゃんがいたら、セナは大丈夫だな」
口にしなくても、確信めいた気持ちが、胸に静かに広がっていた。
10歳のセナはいつもどこか不安そうで、でも達観していて。
どれだけ周りが気を使っても、どこかで「信じる」ことを避けていたような子だった。
あの頃のセナに、今の表情を見せたら、どう思うだろう。
笑うかな。
戸惑うかな。
それとも……やっぱり羨ましがるのかな。
でも……今はもう、それだけで、充分だった。
そう思った瞬間、ふと気づいた。
オレは、ずっと前から……
ただただ、セナが大切で、心配で。
少し離れた場所から、見守っていたかったんだ。
近くにいても、手を伸ばすことは少なかった。
それはきっと、彼にとっての“特別”が、自分じゃないと、どこかで気づいていたから。
でも、いいんだ。
奏ちゃんがいるなら、きっと大丈夫だ。
セナの人生に、彼女が加わったという事実。
それだけで……
オレはもう、充分すぎるほど報われてる。
ありがとう、奏ちゃん。
出会ってくれて。
俺たちの音楽を、信じてくれて。
そして……セナを、見つけてくれて。




