第6話「嫉妬と懺悔」
メールを開いた瞬間、目に飛び込んできたのは……
「採用決定」の文字。
……え?
いや、待って。どれのこと……?
私、そんな大それた曲、出したっけ?
もしかして……
まさか、あの……どこにも出せないと思ってた“アレ”?
……うそ、でしょ。
たしかに、あのとき私は本気だった。
誰かを想って、誰にも見せたくないくらい、全部さらけ出して。
商業音楽になんてなるはずがないって、
自分で、自分に言い聞かせてた。
なのに……
まだ信じきれないまま、メールを何度もスクロールする。
作詞も完成した曲名は『Prisoner』。
びっくりするくらいピッタリで、自分でも……怖くなる。
レコーディングに立ち会うと、いろんな人が『Prisoner』を絶賛してくれた。
「いや〜すごいね、この曲……ゾクッとしたよ」
「詞が入ってくるね。エグいくらい感情乗ってる」
「音羽さん、これ書いたの?本当に?」
笑顔で頷く。
「ありがとうございます」って、ちゃんと声に出す。
ニコリ。
……愛想笑いしか、できなかった。
“すごい”って。
“詞がエグい”って。
“感情が乗ってる”って。
全部、ちゃんと聴こえてた。
でもどれも、表面の“わかりやすい部分”をなぞっているようにしか思えなかった。
わかってない。
きっとこの人たちには、わからない。
どこまでが演技で、どこからが“本物”だったかなんて。
狂気みたいな感情とか、誰かへの執着とか……
そんなものに気づいてる人なんて、たぶん、いない。
「音羽さんの曲って、毎回違う表情してて面白いね」
隣のスタッフが気軽に言ってくる。
……面白い?
これを……面白い、って?
……苦しくて、書いたのに。
「ありがとうございます」
もう一度、笑った。
きっと今の私は、すごく“感じのいい子”に見えてるんだろう。
誰にも本心を見せずにいられるのは、作曲家としては正解なのかもしれない。
でも……
こんな自分が、なんだかとても嫌だった。
「この曲、鳥肌立ったよ……なんか、刺さるっていうか」
「いや〜参った。音羽さんって、こういうのも書けるんだ」
「詞もすごいね。怖いくらい、リアルで……」
みんな口々に誉める。
軽い口調で、明るく、気軽に。
私は、微笑む。
作られた笑顔なんて、もう慣れてる。
でも……
胸の奥は、凍るように冷たかった。
そんなに簡単に、刺さってほしくなかった。
そんなに軽く、口にしてほしくなかった。
“この曲の何を知ってるの”
頭の中で、何度もつぶやいていた。
これは、ただの嫉妬の歌じゃない。
嫉妬、独占欲、執着心。
もしセナ君に知られたら、きっと……軽蔑される。
あの人は、こういう重たい感情を一番嫌いそうだから。
そう思うだけで、胸が苦しくなった。
誰かを奪われたくなくて、傷つけたくなるほど執着して。
でも何も言えなくて、ただ、見てることしかできなかった……
そんな、どうしようもなくみっともない自分を、音にした。
私の弱さとか、怖さとか、誰にも見せたくなかった感情を。
ぜんぶ、さらけ出して、差し出してしまった。
でも、それを聴いて、この人たちは「すごい」「リアル」「面白い」と言う。
……わかってなんか、いない。
わかってほしくも、ない。
“どうせ、あんたたちには届かない”
そう思いながら笑ってる自分が、一番醜い気がした。
「ありがとうございます」
その声は、自分のものじゃないみたいだった。
「奏ちゃん」
レコーディングが終わって、スタジオを出たとき。
怜央さんが待っていた。
「ちょっと様子が気になってさ……
たまには気分転換しよっか。ドライブ、付き合ってくれる?」
その一言で、張りつめていた何かが、ぷつりと切れた。
隠せていたはずだった。
泣く理由なんて、ないはずだった。
むしろ……
泣く資格なんて、私には……
「……ごめ……んなさい……」
言葉より先に、涙がこぼれていた。
「え、ちょっ、奏ちゃん!?どうした、なんで……?」
肩を抱こうとする手を、反射的に避けてしまう。
その瞬間さえも、罪悪感が胸に刺さった。
怜央さんから告白されてから、半年も怜央さんは何も言わずに待ってくれていたのに……
どんなときも優しくて、傷つけるようなことなんて一度もなかった。
なのに私は、ずっと……
他の男性のことで、頭がいっぱいで。
「……俺、奏ちゃんのことが好きだから」
「俺は……次の曲は、君のことだけを想って歌うよ」
「恋愛感情だよ、ちゃんと」
優しい声だった。
まっすぐで、真面目で、嘘偽りのない言葉だった。
でも……
この言葉を、セナ君が言ってくれたら……
そう思ってしまった瞬間、私は、怜央さんを傷つけた。
こんな優しい人を、私は傷つけてしまうんだ。
泣く資格なんか、私にはないのに。
「……私、もう怜央さんの車に乗ることはできないです……」
小さな声で、でも震えないように、絞り出した。
「……そっか。決めたんだね」
怜央さんの声は、静かだった。
そして私は、このときようやく、セナ君への気持ちから目を逸らさずに、真正面から向き合ったのだと思う。
もう逃げない。
もう、ごまかさない。
たとえ、報われなくても。
視線を合わせられなかった。
言葉が出なくて、頷くことしかできない……
でも、怜央さんの声は穏やかだった。
少しだけ、何かを飲み込んだような苦さを含んでいて。
「奏ちゃんが気づく前だったら、ワンチャンあると思ってたんだけどな」
冗談みたいな口ぶり。
でも、きっと怜央さんは……私が気づくよりもずっと前に、気づいてたんだ。
だからこれは、最後の優しさ。
「……ごめんなさい」
何度謝っても、足りない。
どうしたって償えないってわかってるのに、それでも。
「……ただ、まだ、しばらくは好きなままでいさせて?」
……それは、ずるいです。
怜央さんの気持ちには答えられない……
そう思っているのに、言えなかった。
ずるいのは、私のほうだから。
ひとつだけ、はっきり思ったことがある。
この人に好きになってもらえる女性は、きっとすごく幸せだ。
でも私は、そうじゃなかった。
それでも、どうしても手放せない。
わかってるのに、望んでしまう。
……セナ君の手だけを。
駅までの道を歩いているのか、彷徨っているのかもわからなかった。
涙はもう止まってる。
でも、目の奥がずっと痛い。
胸の奥も、重たく沈んだまま。
「……最低だ、私」
誰にも届かないように、小さく呟く。
ほんの数分前、怜央さんを傷つけたばかりなのに。
それなのに、もう私の指先は、スマホに触れていた。
……セナ君。
名前を見るだけで、鼓動が速くなる。
画面を閉じるだけで、少しだけ呼吸が楽になる。
“会いたい”
その言葉が、自分の中でいちばん裏切りに思えた。
でも……
私はきっと、誰かに許されたいんじゃない。
優しくされたいわけでも、抱きしめられたいわけでもない。
“ただ、セナ君に会いたい”
それだけだった。