第10話「ライブと光」
6月。
期末テスト一週間前。
梅雨のニュースと一緒に、信さんが朝から出演している番組で『Only』が紹介された。
……最近、結婚式のテーマソングとして使われることが増えているという。
TVから、流れる旋律。
Only you Only one
誰よりも 君を愛してる
この先もずっと 君の隣で
永遠を奏でたい
私も、本当は……ずっと隣にいたいんだよ。
……7月。
セナ君はプロモーションで全国をまわってるらしい。
『ホテルの枕、合わねー』
『今日の楽屋寒すぎ』
『あと何日?』
そんな連絡が、数日に一度だけ届く。
私は藝大模試と、実技課題がぜんぜん終わらなくて。
『また連絡するね』って送って、そのまま日が経ってしまう。
……どんどん、言葉が足りなくなっていく。
でも、気持ちはずっと胸の奥にあって……
真夏の夜。
セミの鳴き声が止んで、遠くで花火が上がる音がした。
窓を開けると、風がすっと吹き抜けて。
ふと、セナ君の声が聞きたくなった。
だけど……私は、まだ“会わない”って決めたから。
こんな時は、『夏灯花火』の歌を思い出す。
ねぇ、君のまばたきと 夜が重なった気がした
灯りきれず弾けた "ごめん"はまだ喉の奥
掴めない風のように 君は遠ざかって
それでも今も、胸の奥 火花が舞うよ
セナ君……
私の胸にも、ずっと火花が舞っているよ。
8月の終わり。
ドームの最終日だけは、どうしても行きたい。
その日までに、ちゃんと……全部、終わらせておこう。
それが、私の精一杯の“覚悟”だから。
東京ドーム2日目。
本当はスタッフ用のカードももらえると八神さんに言われたけれど……
どこかでセナ君と顔を合わせるのが怖くて、今回は関係者席だけお願いした。
会場が暗転し、SEが鳴り響いた瞬間、昨日とは違う、明らかな“熱”が空気を貫いた。
ステージに向かって、真っ白な光が落ちる。
客席のペンライトが、7色から一斉に“白”に変わる。
その様子は、まるで東京ドームが純白の宇宙に包まれたみたいだった。
始まったのは『Éternité』。
Bluetoothイヤホンの起動音のようなSEが流れる。
ステージ背面のモニターに、ふわりと各メンバーのシルエットが浮かんだ瞬間、“音声ガイダンス”のようなボイスが順に重なっていく。
「おっはよ♡ ちゃんと起きた?」 遊里君の甘い声が響くと、ペンライトが一斉にピンク色に染まる。
「起きろー!!朝だぞーーー!!」 真央君の元気すぎる声に、会場のあちこちから笑い声が漏れる。
「今日の君も、最高だから」 蓮君の柔らかなトーンには、包み込むような安心感があって。
「行こうぜ。今日も。」 そして最後に響いたセナの一言で、空気が一段階、引き締まった。
「支度、間に合ってる?」 信さんの低音は、朝のテンションに寄り添うように優しい。
「……まだ寝てんの?」 怜央さんの声は、色気のある困り顔が脳内再生された人が多数いたに違いない。
「ほら、立て。今日が待ってるぞ」 椿さんの力強い一言に、全身がしゃんと伸びるような気がした。
……やめて……そういう演出……ずるい……
たったそれだけで、客席のテンションが上がるのが、ここからでもわかる。 スポットライトに浮かぶ7人。
その先頭、センターに立つセナは、まるでステージに立つために生まれてきたみたいな顔をしていて。
椿さんの煽りが炸裂する。
「東京ドーム!!今年の夏、ここが一番熱いぞーーー!!!!!」
その声だけで、客席の歓声が震えるように響いた。
怜央さんは、モニター越しのカメラに流し目を送りながら、センターに立つセナ君に視線を重ねて、ふっと柔らかく笑う。
ズルい……その一瞬がカメラに抜かれるの、わかってやってるでしょ……?
信さんのコーラスは音に芯を与えるように響いて、白い光の中でも、彼の声だけは“色”を持っていた。
真央君は細かいフリのひとつひとつに全力を込めていて、あんなに華奢な体で、どうしてあんな重厚なステップが踏めるんだろうって思うくらい、音に対して鋭かった。
蓮君のダンスは動きが流れるようにしなやかで、体全体が“音楽そのもの”になっているみたい。見ているだけで、自然と体が動いてしまいそうになる。
遊里君は、前列のファンひとりひとりと目を合わせているかのようなファンサで……いや、違う。
えっ、今、こっち……?関係者席……?
一瞬、手を振ったように見えたその仕草に、思わず肩が跳ねた。
……届いてないってわかってるのに。なんで動揺してるの、私……
舞台上では7人が音と光を味方につけて、この空間すべてを支配している。
……なのに。
セナ君だけは、“支配”してるんじゃなくて、この空間そのものになってた。
曲が終わると、スポットライトがひとりの影を浮かび上がらせる。
『Only』。 私が書いた、初めての詞。
それなのに、最初のワンフレーズで、もうセナの歌になっていた。
「Only you, Only one……」
マイク越しに響いた、ささやき。
低く、甘く、呼吸の合間に差し込むようにして紡がれたその言葉に……
「ぎゃああああああああああああ!!!!!」
ドーム全体が爆発したような、悲鳴に近い歓声が響き渡る。
そして、彼は。
マイクを左手に持ち替えながら、汗ばむシャツの裾を右手でそっと捲り上げた。
ほんの数秒。
ちょっと待って……!!!!???
浮かび上がった腹筋と、腰骨のライン。 ……目が、離せなかった。
無理。……無理無理無理。見れない……見たくない……でも……見ちゃう……
どうして。 どうして、そんな顔ができるの。
伏し目がちに笑ったあと、セナはもう一度、マイク越しに静かに言った。
「……目、逸らすなよ」
やめて……それ……無理……ほんとに無理……!
それはまるで、観客全員を“Only you”だと信じさせてしまうような、魔法みたいな囁きだった。
さっきまでの演出が全部、このための布石だったんじゃないかと思うくらいに。 この曲が、“私の詞”だなんて、もう言えなかった。
嬉しいとか、悔しいとかじゃない。 ただ、圧倒されていた。
……この人に、恋したんだ。
やっと、その事実が胸の奥に落ちてきた気がした。
照明が一気に切り替わり、ビートが跳ねる。 空気がまた変わった。
ラストを飾るのは、『Prisoner』。 映画主題歌として話題になった、セナ君主演作のテーマ曲。
センターに立つセナ君が、低く、深く、身体を沈めるようにしてステップを踏む。 その姿は、もう“アイドル”じゃなかった。
主人公でもない。俳優でもない。 ただの、感情そのものだった。
ダンスというより、演技。 歌というより、告白。
「……逃がさねぇよ?」
ウィスパーボイスで囁いたその一言に、またしても、悲鳴のような歓声が起きた。
ああ、今、この東京ドーム全体が、彼に囚われてる。 みんなが、囚われてる……
私も、もうずっと、そうだった。 だけど今夜は、その感情が、恋だってことまで認めてしまいそうで……
だから私は、唇を噛んで、声を殺して、ただ光の中の彼らを、じっと見つめていた。
『遅くなっても大丈夫なので、セナ君の家で待ってます』




