第9話「責任と我慢」
セナ君の家のリビングのソファで、毛布にくるまりながらスマホをいじっていた。
『Prisoner』のMVが、予定より早くYouTubeに公開されていた。
再生ボタンに、自然と指が伸びる。
画面に現れたのは、セナ君……。
強い目で、鋭く。
でも、どこか哀しげにカメラを見据えている。
ステージの照明とは違う、フィルム調の映像が、心を揺さぶった。
……やっぱり、すごい。
静かに曲が進み、ダンスパートのシーンで映像が切り替わる。
モノクロの光の中、7人が一糸乱れぬ動きで魅せていく。
センターは、もちろんセナ君。
小さなカットインで、信さんや椿さん、真央君たちも順に映っていく。
……私が作った曲なのに……
あの頃、感情はぐちゃぐちゃで、投げ出したくなるくらいしんどかったはずなのに。
それが、映像になるとこんなにも美しくなるなんて。
嬉しいのか、悔しいのか、自分でもよくわからなかった。
じわりと、目頭が熱くなる。
「……何観てんだよ」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、お風呂上がりのセナ君がタオルで髪をくしゃっと拭きながら、Tシャツ一枚で立っていた。
湯気の残る体から、石けんの匂いがふわりと漂う。
「……『Prisoner』もう公開されてた」
そう答えると、セナ君は眉をわずかに動かして、黙って近づいてきた。
そのまま、後ろから包み込むように抱きしめられ、同じ画面を覗き込む。
「へぇ……思ったより、ちゃんと仕上がってんじゃん」
画面の中で、セナ君が無音の悲鳴のように踊る。
その鼓動が、隣にいる彼からも伝わってくる気がして、なんだか心が落ち着かない。
「……セナ君の……ビジュ、すごいね」
「だろ?」
腕の力が、ぐっと強まって。
胸元へと引き寄せられる。
「でも……音は、お前のだろ」
その一言に、胸が詰まった。
言葉にならず、ただ画面を見つめる。
MVが終わると、関連動画のサムネイルがずらりと並ぶ。
その中に「Behind the Scenes」「OFF SHOT ver.」の文字を見つけた。
「……こっちも観ていい?」
「いーよ」
無言のまま画面に目を落とす横顔が、近い。
髪から落ちた水滴が、肩をひやりと濡らす。
再生されたメイキング映像には、撮影現場での彼らの素の姿が映っていた。
モニターを覗き込む怜央さん。
スモークの中で立ち位置を確認する信さん。
振り付けに細かく指示を出す椿さん。
真央君と遊里君が、小声で何かを笑い合っている。
『何回踊ったっけ今日……マジで膝終わってるんだけど』
『たぶん……11?12?途中から数えてないけど』
『え、でもラストテイク、ボク表情めっちゃ決まってた気する』
『知らんがな。おれ、途中から記憶ねぇ』
『スモークの時さ、遊里君めっちゃ咳き込んでなかった?』
『だって!あれ吸う用じゃないじゃん!?!?』
『……俺、8回目のカットが良かったな』
『いや、もうプロ意識高すぎるだろ』
『てか、8回目の時だけ音響ズレてたの気づいた人、いた?』
『は?マジ?』
『わかんねーよそんなの。こちとら照明がチカチカする中で必死なんすよ』
『あ、でもボク、カメラさんの足にぶつかったの、たぶんその時かも』
『それ使われるやつじゃん』
『そういうのが意外と抜かれてんだよな〜……』
笑いながら、セナ君がぽつりと漏らす。
「あのシーンさ……3回くらいしか踊ってねぇのに、めっちゃ使われててウケる」
その声に、現実へと引き戻された。
「……でも、しんどそうに見えた。MVも、さっきのも」
「……マジ?」
「うん……なんか、見てて、息止まる感じ」
「ふーん……まぁ、そういう曲だしな」
ぽつりと返して、セナ君は私の頭をぽん、と優しく撫でてくれた。
それきり、ふたりで黙って映像を見続けた。
ダンスの全体撮り、カット撮影、カメラの向こうで真剣な表情を浮かべる彼ら。
スタッフの声が飛び交う中、ラストカットの確認シーンへと切り替わる。
『……これでオッケーです!』
カメラの向こうで、小さく拍手が起こる。
皆が安堵の笑顔を見せる中、セナ君だけが、まだ少し俯いていた。
「……やっぱさ、お前の曲だからかもな。なんか、変に気張ったかも」
そのつぶやきが、胸にやわらかく落ちる。
「……じゃあ、責任とってくれる?」
「ん?なんの?」
「内緒……」
「……は?」
……曖昧なの、もうやめる。
私、ちゃんと、決めるから。
あたたかい体温と、胸の奥のざわめきだけが、そっと残った。
会いたい。
……でも、今は我慢しないと。
“やるべきこと”を終えてからじゃないと、きっとまた、曖昧になってしまうから。
怜央さんに返事をして、セナ君の歌を聴いて、気づいてしまった。
このままじゃ、だめだ。
今の自分では、大切なものも、守りきれない。
だから、決めたの。
この春からは、何よりも“音楽”と“受験”を優先するって。
朝は5時半に起きて、まず音階練習から。
窓の外はまだ暗くて、空気がひんやりしてて、薄く朝日がにじんでいる。
学校では、模試対策と提出課題の山。
白岩先生のところに通う日も増えて、帰宅後はスコア分析と、週末の面談対策。
……忙しさに助けられるように、自分を追い立てていた。
……そんなある日。
LINEに届いたメッセージ。
『お前、今日も家来ないの?』
そっけない文章のあとに、可愛くないスタンプ。
ぶっきらぼうだけど、ちゃんと気にかけてくれているのが伝わる。
「ごめん、ピアノやるから無理」
そう返すと……
『そうですか、がんばってください』
ふざけた顔文字つきの返信が届いた。
少し……怒っているような、拗ねたような温度を感じた。
でも、ここで流されるのは、私の悪い癖。
……それでも、すぐに寂しくなる。
“会いたい”って言えば、きっとすぐ迎えに来てくれる。
けれど、今はそれを口にしちゃいけない気がした。
テレビをつければ、誰かが出ている。
雑誌を開けば、誰かが載っている。
SNSはやっていないけれど、YouTubeのおすすめには勝手に流れてくる。
そこには、セナ君がいて、怜央さんがいて、スターライトパレードのみんながいた。
「……え、この景色……海外?」
街の色も、空の感じも、日本じゃない。
記事の隅に小さく書かれた「in Paris」の文字に、目が釘付けになる。
あの人たちは、ちゃんと進んでる。
私だけ、ここにいる。




