第1話「エプロンと制服」
好きな人ができたら、
毎日はもっとわくわくして、キラキラして、楽しくなるものだと思ってた。
でも実際は……
『明日の夕方から、翌日の昼までオフになった』
クリスマス。
セナ君と、キス以上のことをして……
セナ君が歌う『Only』を聴いて、自分の気持ちに気づいた。
だけど、それ以来ずっと心の整理がつかなくて……
『会いたい』
たった一通のLINEを見ただけで、飛び跳ねるほど嬉しくなる自分がいる。
なのに、そんな自分を「なんて都合のいい女なんだろう」って思ってしまう。
クリスマス以降、毎週末のように「会いたい」って言われても、どんな顔で会えばいいのかわからない。
今だって……何をどうすればいいのか、答えは出せないまま。
でも……
明日の0時を過ぎたら、セナ君の22歳の誕生日。
『私も』
やっぱり……顔を見て、お祝いしたい。
『学校から帰ってから行くので、7時くらいになると思います』
去年、セナ君の誕生日に渡したのは、スターライトパレードのシングル全曲をピアノアレンジした音源。
今年も、私にしかできないものを贈りたくて、数日前から準備だけはしていた。
『学校帰り、そのまま来いよ』
少し前なら、その言葉だけで飛んでいけたのに。
2時間早く会えるだけで嬉しくて仕方なかったはずなのに……
“誕生日の前日に会うってことは、当日は別の人と?”
そんな、考えても仕方ないことばかり浮かんできてしまうようになった。
……いつだったか、偶然耳にした、セナ君と元カノさんの会話が蘇る。
「……私、本気だったのに」
「もう、そういうのやめろって」
「本当にもう無理なの?」
「悪いけど、もう興味ない。そういうとこ、ホント無理」
「この前のもさ、あれ何?プレゼントなんてやった覚えねーんだけど」
「でも……食事行ったじゃない……」
「行ったけど?で?」
「ホテルにだって泊まったじゃない……!」
「はーっ……マジ、ダルッ」
あのときはただ、元カノさんが可哀想で。
そんな態度を取るセナ君に対して無性にイライラして、嫌な気持ちをぶつけてしまったけど……
今では……
あれが“私じゃなくて良かった”なんて、そんな風に思ってしまう自分がいて。
……本当に最低だと思う。
そして、明日の私は、あの元カノさんと同じような姿になるのかもしれないのに。
約束の日。
学校帰り、そのままセナ君のマンションへ向かう。
カバンの中には、プレゼント。
色々考えすぎて、軽くテンパってるけど……
やっぱり……好きな人に会えるのは、どうしようもなく嬉しい。
セナ君にもらった合鍵で、マンションのエントランスを抜けていく。
……もう、帰ってきてるかな。
インターフォンを押すと……かすかに足音が聞こえた気がした。
ガチャ。
「いらっしゃい」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!
えっっっっっ!?!?
なんで!?エプロン!?
なんでこの人、エプロンなんかしてるのぉぉぉぉぉ!!!
不意打ちすぎて、その場で思わずしゃがみ込んでしまう。
「どした?体調悪い?」
同じようにしゃがんで、覗き込まれた。
……え、ちょっ、え、え、えっ!?
こ、この人、こんなに格好良かったっけ……?
ずっと前から格好良いとは思ってたけど……なにこれ……しんど……
「あ……エプロンにビックリしちゃって……」
「ふっ。なんだよそれ。入れよ」
案内されたリビングには、たくさんの食材が並んでいた。
「えっ……セナ君、お料理できるの!?」
「いや、ほぼ出来合いのもんだって」
……出来合いにしたって、サラダもメインも、ちゃんとある……!
「温かいもんもあるから、早く食おうぜ」
そう言ってキッチンへ戻っていく背中を、私はぽかんと見つめたまま動けなかった。
さっきまで胸を締めつけていた不安やモヤモヤが、少しだけ……ほんの少しだけ、ほどけていく気がした。
リビングのテーブルには、色とりどりのお皿。
ミニトマトとモッツァレラのカプレーゼ、スモークサーモンのマリネ、ローストビーフ、香ばしい匂いのグラタン。
一つずつ小皿に分けられていて、まるでビュッフェみたいに華やかだった。
「これ、本当に出来合いなの……?」
思わずつぶやくと、セナ君はレンジの前で肩をすくめた。
「いや……一応、盛りつけはした。あと、グラタンだけ自分で焼いた」
「……え、すごい……」
「いや、冷凍のやつだし。チーズ足したくらいだって」
ちょっと照れたように笑うその声が、いつもより少し優しくて。
私の胸の奥に、じんわり温かいものが広がっていく。
「ワインはお前、まだお預けな。……スープあるから。こっち来て」
案内されたキッチンの奥にあった、小さな鍋。
蓋を開けると、湯気と一緒にコンソメの香りがふわっと広がる。
じゃがいも、人参、玉ねぎ……
小さく切られた具が、たっぷり入っていた。
「これ、もしかして……」
「うん。これは作った。レシピ見ながらだけど。……たぶん、食えるとは思う」
なんでだろう。
泣きそうになった。
すごく手の込んだ料理じゃない。
どこかのレストランの特別なメニューでもない。
だけど、あったかくて、優しくて。
ちゃんと“私のため”に用意されたって、それがわかってしまって。
「……いただきます」
スプーンを握る手が震えそうで、気づかれないように指先に力をこめる。
ひとくち、スープを口に運ぶと、やさしい塩気と、野菜の甘さがじんわり染み渡ってきて。
「……美味しい」
ぽろっと、言葉がこぼれた。
その瞬間、涙までこぼれそうになって、慌てて目をそらす。
「ほんとかよ、ちゃんと飲んでから言ったか?」
「ちゃんと飲んだもん……」
笑うように責める声。
笑いながら返す自分の声。
この感じ、懐かしい……
そして、嬉しい。
やっぱり私は、この人が好きなんだ。
……こんなふうに、思わせてくれるのも、あなただけだよ。
仕事で疲れてるはずなのに、こんなに準備してくれて。
「あの……私、セナ君に誕生日プレゼントしか用意してなくて……」
「え、マジ?なになに?」
「今は……まだダメ」
「何それ、いつならいいの?」
ソファの背もたれに寄りかかって、いたずらっぽく笑う。
「えっと、お料理のお礼!片付けは私がするから!!
ほかに、何かしてほしいことある?」
「してほしいこと?」
「なんでもいいよ!」
「……なんでもって言ったな?」
含み笑いの気配に、ぞわっとする。
「わ、私でできることなら!」
「……じゃさ、奏からキスしてよ」
…………は?
私から?
この人、なに言い出すの……
「えっと……もっと他のでも……」
「だーめ」
これ、絶対面白がってる……!
「どうしても……?」
「自分の誕生日なのに、こんなに準備したのにな……」
……ズルい。
その言い方、ズルすぎる。
ていうか、そんな甘えるような言い方するキャラだったっけ、この人……?
そんな顔されたら……もう……
改めて、正面からセナ君の顔を見る。
格好良すぎて……目を合わせ続けられない。
「あの……せめて、目をつぶってほしいかも」
「ん」
あっさり目をつむるの、なんなのこの人……
意を決して、セナ君の前に膝をつく。
改めて見れば見るほど、整いすぎてる顔。
まつ毛長いし、肌も綺麗すぎるし、髪もふわふわしてて……
こんな人と……キスしたりしてるなんて……セナ君は、どうして私なんかと……?
頬に手を添えて、そっと顔を近づける。
……そして。
セナ君の頬に、キスを落とした。
「……これで、いい?」
もうダメ。絶対顔真っ赤。
セナ君の顔なんて見れないし、視線を逸らすしかない。
自分からキスするって……
こんなに恥ずかしいことなんだ……
そ、それをこの人、しょっちゅうしてるって……もう!
「お前さぁ!」
「わっ!」
ぐいっと腰に腕をまわされて、そのままセナ君に抱きしめられる。
「ははははっ」
「むーっ、頑張ったのに……笑うなんて!」
「わりぃわりぃ……」
でもその目が……
熱を宿して、私を見上げてくる。
やばい、キスされちゃう……
そう思ったときにはもう、セナ君の顔が近づいてきて、唇を奪われていた。
髪に触れて、肌に触れて、声を塞いで……
そのキスは、やさしく始まり、ゆっくりと、でも確かに深くなっていく。
頭の中が、真っ白になる。
何も考えられなくなっていく。
ねぇ、セナ君……
私は、セナ君にとって何なんだろう。
「付き合おう」って、言われてない。
だから私は、彼女じゃない。
なのに、セナ君は……彼女じゃない女の子に、こんなふうにキスをするの……?
私は、セナ君が好きで。
求められたら、嬉しくて……
もう、拒めるわけなんてないのに。