要するにこれはハッピーエンド
今日のバーテンダー:リリィ(チーズケーキが好き)
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ゴウンゴウンと音を立て。一隻の巨大な船が空を漂っていた。
悠々と、あるいは我が物顔で。その船は地上を見下ろしている。
「お母さん、あれなーに?」
見下ろされていた有象無象。その中の1人、純朴な少女が、舌ったらずな声を弾ませる。小さな家の窓から顔を出して空を見上げ、ピンと船を指差した。
「あらー、中々最近見てなかったわねー……ほら、危ないわよ」
少女の母親は娘を抱き寄せる。少女はパチクリと目を瞬かせ、満面の笑顔を母に向ける。
「お母さーん、あれなにー?」
「あれはねー、蕩湯屋っていうのよ」
「トウトウヤー?」
母はくすりと笑い、少女の頭を撫でる。
「そう、蕩湯屋。人間もエルフも竜人もドワーフもゴブリンも。誰でも受け入れる安息場。しばらく見てなかったけど……いつ見ても大きいわねー、ふふ」
「へー……お母さん、私あのお船に乗ってみたい!!」
「うーん、もうちょっと大人になったらね? それよりほら、そろそろケーキ焼けるわよ? ママのお手伝い、してくれるかしら? パパが帰ってくる前に完成させなきゃ」
「うん!!」
少女はするりと母の腕から抜け出して、パタパタと台所まで駆けていく。母は微笑み、パタリと窓を閉めた。
空を舞う船はそんな光景を見て、少しは微笑ましいとでも思っただろうか。
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「それでねー? 結構甘さが前面に出てるけど、やっぱりアタシ的にはもう少し酸味があってもいいって思って……あら、リリィちゃん? リリィちゃーん? ちょっと、アタシの話ちゃんと聞いてた?」
「ん……あっ」
ママに野太い声をかけられ、私の意識がピンと張り詰める。
最近こういう事が多い。仕事中に一瞬でも気を抜くなんて、昔の私では考えられない事だったのに。
しっかりしないと。
「ごめん、ママ。少しぼうっとしてたみたい」
「んもう! せっかくアタシが気合入れて作ったレシピなのに……もうすぐ開店よ? 本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「ほんとうー? ほら、折角だしもう一口飲みなさいな。さっきより酸味強くしたから、目が覚めるわよ?」
「ありがとうママ」
私はママが差し出したグラスを取り、小さく傾ける。確かにさっきより酸味が強い。好みは分かれそうだけど、私は好きな味だ。
「美味しい」
「そうでしょー? これが貫禄の味って奴よう」
「このカクテル……今日から提供してもいい? お客さんによっては凄くハマると思う」
「あら、そんなに? いいわよ~……あ、それじゃあこのカクテルの名前を決めなくっちゃ! そうね~……」
ママが野太い声にも負けない野太い腕を組んで唸る。私は嫌な予感がした。
「あの秋の日のメモリアルラブ……とかどうかしら」
やはり正気とは思えない名前が出てきてしまった。
「……頭文字を取ってアモリラにしよう。ありがとうママ、もう開店時間だね」
「いやでもあの秋の日……」
「ありがとうママ、もう開店時間だね」
「んもう! それじゃアタシは裏に引っ込んでるから、何かあったら呼んでちょうだい! 今日はココちゃんもバルドちゃんもいないから、なるべく早めにね! 多分今日はそんなに忙しくないと思うけど!!」
「うん」
ママが若干ぷりぷりしながらバックヤードへと向かい、私はカウンターの隅にあるピカピカのレコードをかける。
「今日も、ここが誰かのサンクチュアリになりますように」
今日も一日頑張ろう。
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開店から程なくして、お客さんがやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそサンクチュアリへ」
「あ、はい……どうも……」
お客さんは男性のゴブリンだった。仕事着だろうか、くたびれた作業服の様なものを着ている。作業服のくたびれ具合に負けない位、本人の顔も大分くたびれている様に見えた。
「お好きな席にどうぞ……と言っても、カウンターしかないですけど」
「あ、はい……恐縮です」
ゴブリンの男性はきょろきょろと辺りを見回しながら若干ぎこちない動きでカウンターに座る。
「えっと、このお店……バーのサンクチュアリ……でいいんですよね……? でも看板には……」
「ああ、えっと……そうですね。確かに正式名称は違うんですが……みんなここをサンクチュアリと呼んでいます。ママ以外は。間違ってないですよ」
「は、はあ……?」
「紛らわしくてごめんなさい、でも看板に載ってる名前は覚えなくていいですよ。性質の悪い酔っぱらいの悪ふざけみたいなものですし」
『誰が性質の悪い酔っぱらいよ!! 私はいつだって大真面目よう!!』
バックヤードからママの抗議が聞こえて来た。ママはそういえば地獄耳だった。
この店は通称サンクチュアリ、ではあるが。さっき言った通り本来の店名は違う。正直思い出したくも無い。
「ご注文は?」
「ああ、えっと、そうですね……は、恥ずかしながらあまりお酒には詳しく無くて……」
「でしたら、簡単でいいので味の好みをお伺いしても? 私がお客さんの口に合ったものを探してみます」
「そ、そうですね……なんでしょう、甘めのが好みで……あ、でも酸っぱいのも好きで……そ、それとこの後帰るのであんまり強くないお酒の方が……、こ、こんな感じで大丈夫でしょうか?」
「ええ、もちろん。少々お待ちください」
私は脳内に叩きこまれたカクテルリストを検索する、が。すぐに思い出す。
「(まさか一発目で作れるなんてね)」
私は、ついさっきママから教えてもらったカクテルのレシピを思い出し、カクテルを作り始める。
「(結構大胆な配合……でもこれならきっと大丈夫)」
そしてお客さんに出来上がったカクテルを提供する。
「お待たせ致しました。当店考案の新カクテル『アモリラ』です」
「あ、ありがとうございます……」
ゴブリンのお客さんはやはり若干緊張を残した手つきでグラスを取り、不思議なものをみるように暫しグラスを眺めた後、繊細な動作でカクテルを口に運んだ。
「ん……!」
お客さんは一瞬目を見開き、再度カクテルを口に流し込む。
「これ……すごくおいしいです、バーテンダーさん……!」
「ありがとうございます、ふふ」
私はほっと胸をなでおろした。誰にも提供した事が無いカクテルを出すのは、やっぱりちょっと緊張する。
「お客さん、この店はどうやってお知りに? 正直名の知れた店でも無いと思うんですが……」
「ああ、えっと、実は……あ、自分タボっていいます」
「あ、ごめんなさい、申し遅れました。私はリリィといいます」
「ああ、あなたがあの……えっと、実は仕事でよく会うお客さんが、この店の常連らしくて。すごくいい店があるから行ってみたらいいと勧められて……そうしたら丁度近くにこの船が来てるっていうじゃないですか。だから折角の機会だし……と」
「それじゃあ、このバーが目当てで蕩湯屋に? ママが聞いたら泣いて喜ぶかもしれませんね」
裏からママのわざとらしい泣き声あるいは鳴き声が聞こえた気がしないでもないが、冷静に無視する事にした。
「ええ、そうなんです……でも、なんていうか……本当にすごいですね、この船。何度か見た事はあったんですが、近くであると一層……」
「そうですね……私も最初に見たときは驚きました。こんなに大きな船が空をゆっくりと飛び回って……」
「はい……」
タボさんがチラリと店の外を見やり、私も思わず店のその外を見る。そこに広がっている煌びやかで、しかしどこか優しさを纏った光が溢れるその光景を。
蕩湯屋。それは世界各地を飛び回る巨大な船。マダムによって取り仕切られる、人々に癒しと安らぎを与える様々なお店の集合体。
このバー、サンクチュアリも蕩湯屋に軒を連ねる店の一つだ。
蕩湯屋は種族、身分を問わず、あらゆる人々を受け入れる。そして受け入れたならばそれは全員等しくお客様。人間の騎士もエルフの賢者も。戦士の竜人もドワーフの鍛冶職人も。そして王も罪人も皆等しく。ここでは全員が唯のお客様なのだ。
とはいえ、決してルールが無いという訳ではない。いや、誰しもが平等であるが故に、むしろ強固な決まりがある。
一つ、蕩湯屋は絶対的中立領域である。外の世界でいがみ合い、敵対し、果てには刃を向けて殺し合う関係性の相手と出会ったとしても。決して刃を、精神的、性的、あるいは物理的な、その他あらゆる暴力を向けてはいけない。これを破ったものには然るべき制裁が与えられ、そして二度と蕩湯屋に足を踏み入れる事は出来ない。これに如何なる例外も存在しない。
一つ、蕩湯屋はお客様に癒しと安息を与える場所である。しかしそれはお客様に絶対的な権力があるという意味ではない。お客様は蕩湯屋の従業員に対して不当な言動、行動を行う事は許されない。精神的、暴力的、性的、あらゆる不当な扱い、要求を従業員に対して向ける事は許されない。これを破ったものには然るべき制裁が与えられ、二度と蕩湯屋に足を踏み入れる事は出来ない。これには如何なる例外も存在しない。
などなど。代表的な決まりは今挙げたものだけど、それ以外にもある。この店には様々な人々が訪れる。そんなお客様に安心して時間を過ごしてもらうには、やはり強固なルールが必要なのだ。
「…………」
タボさんはしばらく蕩湯屋の煌びやかな光を眺めていたが、程なくして視線を戻し、グラスを仰いだ。
「バーテンさん……リリィさんは、この蕩湯屋に勤めて長いんですか?」
「そうですね……それなりに……。ここのママに色々と……助けられて。それからずっとお世話になってるんです」
「そうなんですね……」
タボさんは神妙な面持ちでちびちびとカクテルを飲んでいた。
「私は、見ての通りゴブリンでして……ほとんどのゴブリン同様、ゴブリン運送に勤めているんです。あっちこっちを駆けずり回って荷物や人を運んで……それなりに忙しいですけど、ちゃんとお給料も出て。家族の為、って頑張ってたんですけどね……」
タボさんがぐいっとグラスを飲み干した。
「すいません……もう一杯頂けますか……?」
「もちろん。先程のものと同じでよろしいですか?」
「はい、アモリラ……でしたね。お願いします」
「かしこまりました」
私がカクテルを作っている間も、 タボさんはぽつぽつと話を続けていた。
「つい昨日までやっていた仕事も……結構大規模なものでして。家から遠い場所で働いて、それでひと月は家に帰ってないんです」
心なしか、タボさんが徐々に饒舌になっている気がする。
「なんですけど、その仕事の期間って言うのが丁度娘の誕生日と被ってしまってまして。その事に気づいたのは後の事なんですけど……その仕事の募集の期限がすごく短くて……すぐに埋まってしまいそうで……それで自分、その仕事を深く考えず受けてしまったんです。報酬も結構大きくて、これでしばらく家族も安心して生活できる……って……」
私は出来上がったカクテルを静かにタボさんに差し出した。
「ありがとうございます……」
タボさんはさっきよりも速いペースでカクテルを呑み進める。
「それで……さっきも言った通り受けた後に娘の誕生日と被っている事に気が付いて……でも今更仕事を断る訳にもいかず……どうにか納得してもらおうと頑張ったんですけど……その、娘にわんわん泣かれてしまって……自分が悪いのは分かってるんです、それでも……」
グラスを仰ぎ続けていたタボさんの手が止まる。
「それでも、やっぱり心に来ますね……ほら、よく漫画とかであるじゃないですか……『お父さんなんか大っ嫌い』なんて台詞……いつもは気にした事もない台詞ですけどいざ真正面から言われると……ハア」
溢れる様に零していたタボさんの言葉がぴたりと止まり、再びちびちびとグラスを仰ぎ始める。
「確か……この後家に帰るっていうお話でしたよね」
「ええ、そうなんです……娘にそう言われたっきりで、ひと月顔を合わせて無くて……もちろんどう顔を合わせていいか迷うっていうのはあるんですが、それ以上にその、偶然というか悪魔の悪趣味というか……今日が私の誕生日なんです」
「な、なるほど……」
それは確かに……悪魔的な運命のイタズラだ。
「わんわん泣いている娘に、いついつこの位の時間までには帰れる……って、我ながら必死に説明してしまっていて。やっぱりその日が私の誕生日って気づいたのが後の事で……でも説明した日から遅れて帰るってのはもっと最悪じゃないですか。だからその、より一層気まずさが……」
「娘さんにはお土産とかご用意されてるんですか?」
「ええ、もちろん……というか今から、ですね。蕩湯屋にはお土産にピッタリの美味しいケーキが売ってるって話じゃないですか。それを買って帰ろうかと」
「ああ……確かにあそこのケーキはとても美味しいです。ちょっと値段は張りますが味は保証しますよ」
「そ、そうですか……良かった……少し安心しました……」
ふうっ、と。タボさんが大きく息を吐く。
「す、すいません……いきなり会った人にこんなつまらない話を……」
「いえ、いいんですよ。というよりも私、お客さんの話を聞くのが好きなんです」
「そうなんですか……?」
「はい。このバー……そして蕩湯屋には、本当に色んな場所から色んなお客さんが訪れます。種族や生まれた国だけじゃない、本当に多種多様な……私は人を……いや、自分以外という存在をもっと知りたいんです」
それはずっと私が拒絶し、諦め、知ろうとしていなかった事だから。
「むしろ……私の方も、上手い事言えなくてごめんなさい。家族っていうものにあまり詳しくなくて……あ、でも、娘さんと仲直り出来る事は祈っています。すごく! 上手くいかなかったらその稼いだお金を使って必死に媚びてでもこう、とにかく頑張ってください!」
後半はなんだか支離滅裂で必死な感じになってしまったが、思っている事は本心だ。そんな私の様子を見て、タボさんが初めて笑顔を見せた。
「アハハ……ありがとうございます、リリィさん。少し勇気が出てきました……そうですね、もし今日仲直り出来なくても……そしたらもっと頑張ってみます。お金なら一杯稼ぎましたからね! 人形でも本でも、いっそ買収する位のつもりでやってやりますよ!」
「その意気です」
そう言って私達は互いに少し、笑いあった。
「それじゃ……自分はこれで失礼します。ケーキも買わなきゃいけませんしね」
「ありがとうございました、タボさん。またのお越しをお待ちしております」
会計を済ませたタボさんに一礼する。そのまま店を出ていくタボさんだったが、ピタリと足を止めて振り返る。
「あなたは……なんだか不思議な人ですね。決して言葉数が多いという訳ではないのに……話すつもりじゃなかったことまで話してしまった。でも、決して不快じゃないんです。とても楽しかった」
「私とタボさんは今日であったばかりです。そんな短い関係性の相手だからこそ、遠慮なく話が出来る事もあるんだと思います」
「そう……かもしれませんね、でも……」
「それでもやっぱり、あなたという人の力が、そうさせてもいるんだと思います……また来ますね」
「はい。いつでもお待ちしております、タボさん」
タボさんは小さく手を振って、今度こそ店を出た。
その背が完全に見えなくなった頃、私は小さく息を吐いた。
「娘さんと上手くいきますように」
『リリィちゃーん! そろそろ休憩時間よー! 私が代わるから休んでちょうだ~い!!』
「はーい」
それからしばらくの後。吐きそうになる位緊張しながら、頭の先からつま先まで震える身体で家に帰ったタボを待っていたのは。
仲直りと誕生日のお祝いの為にケーキを焼いて待っていた妻と娘だった。
タボは娘とは比べ物にならない程わんわん泣き、家族で2つのケーキを分け合って食べたのだという。
今日のお客様:タボ(妻と娘が作ったケーキが好き)