第20話
「父上。お話がございます」
ティゼルはヴァネッサを連れて、再びアルゼリウスの執務室を訪れた。
「ティゼル。一体何の用だ? 私は忙しい。今日中に捌かねばならぬ書類が山ほどある」
アルゼリウスは羽根ペンを走らせ、机上の書類を次々と片づけている。
先ほどの説教で時間を割いたせいで、今は休む暇もない。
「私は近い将来、ヴァネッサを我が夫人の一人として迎え入れたいと考えております」
その一言で、アルゼリウスの手が止まった。
「……彼女は確か、お前の部隊の副隊長だったな?」
「はい」
アルゼリウスは視線をヴァネッサへ。
つま先から頭の先まで、静かに見定める。
「……なるほど。お前が惚れ込むのも無理はない」
「……」
「しかし、わかっているはずだ。お前はいずれルキウスと共にこの国を背負う身。場合によっては政略婚もあり得る」
「それについては覚悟の上です」
アルゼリウスは改めてヴァネッサを見る。
彼女は視線を逸らさない。
「――――互いに、だな」
「「……」」
「だが政略婚の後の二重生活は、お前たちが思うほど甘くはない。彼女は騎士の称号を持つとはいえ、所詮は下級貴族。――――どちらの生活を優先すべきかは言うまでもない」
アルゼリウスの言は正論だった。
政略結婚は政治のために結ばれる。
結んだ以上、妻を幸せにする責は重い。
「……内縁としてでは駄目なのか?」
アルゼリウスが妥協案を口にした。
王たるが故に、王族としての大義を示さなければならない。
するとティゼルが、口元にわずかに笑みを乗せた。
「それはつまり――――内縁であれば彼女との交際をお認めいただけると解して、よろしいのですね?」
「っ――」
アルゼリウスの目が見開かれる。
「ティゼル、貴様……。この私を嵌めたな?」
「男に二言はなしですよ、父上。私は彼女を内縁として迎え入れます」
ティゼルはそう言って、ヴァネッサの手を取った。
「……最初から、そのつもりだったのか?」
「無論、正式に妻として迎えるのが理想でした。ですが、叶う見込みは薄い。何より彼女自身が、私の立場を危うくする決断を拒んだのです」
「だからこそ、あえて願いを高めに掲げ――――引き下げの余地を作った、か」
「父上は厳しくも慈悲深いお方だと、皆が存じております。遠回しにではありますが、先ほども『王族としての使命を忘れず、生き延びよ』とおっしゃったばかり。私はそのご期待に添えず、周囲の期待も裏切った。今は慎むべき時期です。率直に願っても退けられかねない」
「……」
「しかし、私もこの機を逃したくない。ようやく彼女とわかり合えたのです。欲をかいて過ちを繰り返すより、確実な一歩を選ぶ――――それが、今回の決断です」
しばしアルゼリウスは二人を黙して見つめ、やがて手を動かし始めた。
アルゼリウスは一枚に判を押し、次の書類を引き抜く。
「ティゼル。お前の好きにするがいい」
「「――⁉」」
「先々のことはまだ分からぬ。だが、政略婚の要がなければ、そのときはお前たちの婚姻も認めよう」
それは最も理想に近い、それでいて現実的な王の判断だった。
二人にとって、これ以上の返答はない。
「話は終わりだ。私の気が変わらぬうちに下がれ」
「ありがとうございます、父上」
ティゼルとヴァネッサは同時に頭を下げた。
そして二人は出入り口に向かった。
「副隊長。ひとつ忠告しておく」
アルゼリウスがヴァネッサを呼び止め、彼女が振り返る。
「ティゼルから決して目を離すな。そのうち新しいおなごを連れて来るやもしれん」
「なっ――⁉」
「……」
アルゼリウスが鼻先で短く笑う。
「父上! 誤解を招く言い方はおやめください!」
ヴァネッサがくすりと笑う。
それは〝年上の彼女〟として余裕だった。
「殿下。何をそんなに慌てていらっしゃるのです?」
「私は妙な疑いをかけられたくないだけだ! 私は、そなたにだけは嫌われたくない……」
言ってしまえば簡単な一言を、彼はやっとの思いで口にした。
「ええ、存じております」
そう言ってヴァネッサは、再びアルゼリウスに一礼した。
彼女がティゼルの腕を取り、出入り口に向かう。
「副隊長。一体どこに?」
「無論、殿下のお部屋です」
力が強い。
ティゼルは彼女に逆らえなかった。
そして二人は部屋の外に消えていく。
「……」
一人部屋に残ったアルゼリウスは、扉の方に目をやった。
「……孫の顔を拝む日も近いか」
アルゼリウスは独りごちて、わずかに口元を緩めた。
――――――――――――――――――――
その日の夕刻。
ティゼルの部屋に客が訪れた。
「仕事で疲れているところ呼び立ててすまない。――――よく来てくれた、カマト」
「いつもは店まで来るくせに、わざわざ城に呼ぶなんて……。急ぎの用か?」
鍛冶職人のカマトは、ティゼルにとって数少ない平民の友だちだ。
ティゼルの愛剣、魔刃の剣もカマトの作である。
「大事というほどでもない。作戦行動中に部下の仮面が破損した。新調を頼みたい」
「なら使いを寄越せばよかったろ」
「……」
「どうした? ずいぶんとやつれてるじゃないか」
この二人の会話は――――
ティゼルがヴァネッサに〝こってり絞り尽くされた〟後に行われてる。
「私と副隊長の仲に進展があった。それで私もつい調子に乗ってしまった……」
「へえ……。ティゼルがついにあの副隊長さんと、ねえ……」
「……」
「それで? 二人は何回戦までクリアしたんだ?」
「……五回だ」
「わお……。そりゃまた、ずいぶんと派手にヤッたね……、。――――いや、体力のある軍人の若い男女なら、割と普通なのか……」
カマトが最後に、そうつぶやいた。
「……ただの五回ではない」
「……?」
「一時間に五回だ」
「あれま……」
カマトが指を折っていき、想像する。
「一時間に五回ってことは、十二分ごとに……。いくらお前でもノンストップでそりゃ疲れるわ……」
「……」
忘れてはならないのは、ティゼル自身も乗り気であったことだ。
ティゼルがその場で大きな溜め息を吐く。
「……それで、他にご注文は?」
カマトがたずねた。
「仮面の内側に“心身の昂ぶりを抑える”術式を施してほしい。作戦行動中は任務に集中できるよう――――でなければ、互いに身が持たない」
「部下たちの前でいちゃつくわけにはいかないからな。……隊長の威厳にも関わる」
「……理解が早くて助かる」
「仮面一つなら一晩もかからない。材料は城の在庫を使わせてもらうぞ」
「恩に着る」
「その代わり、時間外の料金はそれなりに色をつけてくれよな」
「無論だ」
カマトが了承し、部屋から出ていく。
入れ替わりでルキウスが入室した。
「話は父上から聞いた。――――うまくやれたようだな」
「……」
「どうした? 浮かない顔して」
「兄上の御前で手放しに喜べるほど、私は子どもではない」
「……彼女の件か? 十六のガキが背伸びするな」
「……」
「あれは互いに話し合って決めたことだ。お前に気を遣われる筋合いはない」
「――――もし私が兄上の立場なら、私はその怒りを他人にぶつけていたかもしれない」
「やれやれ……。お前もまだ若いな……」
「……」
「まずは自分で掴んだ幸せを素直に喜べ。でないと、こっちが気を遣っちまう……」
「兄上、私はただ――――」
ルキウスがティゼルの頭にそっと手を置いた。
「ティゼル。私にとってお前は大切な家族だ。だが、お前が一番に心を配るべき相手は、私ではない」
「……」
「お前は何を選び、何に選ばれた? 副隊長が側にいるのは当たり前のことじゃない。私に気を遣ってくれるなら、それだけは決して忘れるな」
ティゼルは唇を噛み、涙をこらえた。
「兄上。彼女は私にとって、何ものにも代えがたい唯一無二の存在です。だから必ず彼女を幸せにする。私を選んでくれたことを決して後悔させません」
「……それでいい。お前はそれでいいんだ……」
ルキウスはティゼルを強く抱きしめた。
廊下で耳にしたカマトは、二人の兄弟愛に肩をすくめる。
そして彼は鍛冶場へと歩みを早めた。




