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Epilogue: Sleeping Eryngiums

 瞼の上からでも伝わる朝日が、私——松笠瑠璃の眠りを妨げる。


 起床には太陽光を使うと良い。なんて聞いたこともあり、一人暮らしをするようになってからは東側の窓に隣接させるようにベッドを置いていた。それに、起床後も、太陽光を浴びるとメラなんとかが分泌されて健康に良いらしい。正直なところ実感はない。


 のそのそと、ベッドから降りる。

 レース生地で出来ているカーテンからは眩しさを減少させた太陽光が見える。

 外からはかすかに鳥のさえずりが聞こえ、本能的に今が朝なのだと感じさせてくる。


 就職してから1年と少し。社会人生活にも慣れが見え始めていた。優雅な朝ごはんなんて幻想で、何かを作る時間なんて存在しない。そう誰かに言い訳をしながら、ベッドから一直線にトースターの前へと進んだ。


 毎日のルーティンをこなすように、淀みなく、無駄のない動きで朝の準備を効率的に進める。

 隙間の時間に洗顔をしていると「チンッ」と音を立て、トーストの完成を告げていた。急いでキッチンへと戻り、熱さをこらえるように、端っこを持ちながらシンクの上で食パンに齧り付く。


 壁に吊らされていたカレンダーには、大きく6の文字とマルで囲われた24の文字が良く見えた。

 本日の予定を明かすように書かれた丸印は何処か楽し気で、力強く何周も描かれている円だった。


「……ごちそうさまでした」


 ものの五分で食パンは胃の中に入り、手に着いたパンかすをシンクにはたき落としておく。いつもならこの後に喫煙タイムがあるのだが、今日はそうも言っていられない。


「…さすがにね」


 つい独り言が出てしまう。

 どんなに取り繕っても、他者からの評価は気になってしまうもので、タバコのにおいを引き連れて今日の予定を遂行することは憚れる。


 喫煙の時間は荷支度の時間へとなり、これ以上ないくらいのメイクをするのだった。




「よし、準備OKかな」


 部屋を一望する。

 事前に準備をしていた小物類や荷物、必須となるお祝い金。すべての準備ができていることへの確認が取れた。

 外からの日差しは、近づいてくる夏の暑さを知らしめている。いつもならこれからその地へと行くと考えると億劫になるが、今日に限ってみればそんなことは無かった。


「おっと」


 時計を見ると、そろそろ行かないと電車に間に合わないような時間だった。

 私は足元に置いていたカバンを持ち、『行ってきます』と独り言を言ってから玄関へと走り出す。

 窓際には、紫のバーベナが身体を揺らしていた。



 白色なんてこの世にないのではないかと疑ってしまうほどの空。

 雲の存在を忘れ去った宙は、その本来の青さを悠々と見せつけている。

 そんな中でも太陽は変わらず人々のことを照らし続け、気温はどんどん上昇していく。見上げることすら億劫と感じるほどのまぶしさを有した天中に浮かぶ焔の星は燃ゆり続けているのだった。


 電車の窓際で、空を見つめながらに思考する。

 いつもの休日なら布団の中でうだうだしている時間帯だが、今日は違う。


 朝早くから起きなくては間に合わないぐらいの遠出だった。そうして乗った、出勤するよりも二、三本早い電車の中は空いていた。

 しかし、座ろうとはしない。なんとなくだけど、外の景色を見ていたかったのだ。


 住宅の横を、ぐんぐん通り過ぎていく。

 一駅、また一駅と徐々に予定地へと近づいてきている。


 私はあそこに行くのがいつ以来か回想にふけていた。だからだろうか、窓の外には住宅が無くなり、代わりに畑が点在し始めているのに気が付かなかった。懐かしくも、所々に記憶違いのモノも存在する風景に寂しさを感じた。

 そろそろかと思っていると電車はトンネルに入る。長い長いトンネルは、目に映っていた景色をふさぎ、代替品をひけらかすように自身の姿形を反射させる。


 顔を見ることはしない。

 (ガラス)に映る自分を避けるために、扉上部を流れる広告へと視線を向けた。少子高齢化を憂いてか、マッチングアプリの広告。性格的相性や90%が満足などの売り文句が占領している広告は心をえぐってくる。

 余計なお世話にもほどがあるだろう。



「まもなく波間駅、波間駅です。」


 広告への不満を頭の中で考えていると、熱中していたのかいつの間にかトンネルを抜け、頭上のスピーカーが目的地の名称を告げていた。

 目の前には、心を移すかの如くあった(ガラス)ではなく、少し高台にある波間駅付近から見える大きな群青の水面が反射する光が広がっている。


 眼下に在る住宅街の隙間から、たまに見えていた海原。

 その広大さは人一人の悩みなんて些末な事だと思わせてくる。しかし、実際問題、アプリに需要があるから仕方がないかとこれまでの思考を放棄し、先に広がる大海へと思いを馳せる。

(もう、すぐそこか…)


 瑠璃は久しぶりに降り立つ場所への懐かしむ感情を胸に抱きつつ、四角い鉄製の箱から浮き立った足を向けた。


 がやがやとした駅前の広場は海開きをしていない閑散期にしてみれば慌ただしく賑わいを見せる。海陸風によって運ばれてくる塩分は僅かで心地いい風になっていた。


「えぇっと。………あっちの方かな」


 スマホにある地図アプリと招待状に記載されている住所を見比べて、合っているのかの確認をする。


 海岸線の近くに行くと、自分と同じような服装をした人たちと同じ目的地へと進む。

 ここには、世界の幸せが集まりつつあった。

 もちろん、こんなことは感覚に過ぎず、実際そんなことはありえない。けれど、そうであると言わせることは容易だった。


 高校を卒業してから、早いことに7年。今年で25歳になるし、30歳が現実味に帯びてくる年頃だ。

 早いと言えば早いが、長いと言えば長い。絶妙な長さの期間を経て、もう一度彼らと対面する。不思議と嫌な感情はなかった。


 それはそうだ。


 なんせ、初恋の人なのだから。



 今日は薊の結婚式だった。



 相手はもちろんアイツだ。

 アレ以来、お付き合いは順調に進み、時には喧嘩やすれ違いもあったらしい。けれど、どんな事でも仲直りは容易なのか、すぐさま元の中の良さになっているらしい。()()()というのも、私は彼らの付き合いに関わっていない。


 彼女との付き合いは細くではあるが続けている。私が地元から逃げるように遠方の大学へ入学しているのだから、仕方がないと言えばそうなのだろう。

 だからこそ、今日呼ばれた時にはおめでたいという感情よりも、驚きが先に来ていた。


 高校の時から付き合いだした二人は今も尚仲良くしているらしい。彼らがどのようにしてあそこまで行ったのか、紆余曲折あったのか、そんなことは具体的な話は知らない。私は彼らではないし、彼らという物語の読者でもない。

 あの時、悔んで嘆いて吐いた弱音は、今の瑠璃を形成する重要な要素になっていた。


「    」


 係員の声が聞こえる。

 自分の思考のうちに入り浸り、現実をおろそかにしていた私を強制的に引き上げる。どうやら私の出番のようだ。


「本日はおめでとうございます」


 一緒に、持ってきていた祝儀を渡す。自宅で練習してきた流れを反復する。思っていたよりも簡単だった。もっと大変なことだと思っていたのだけど…そんな事はないらしい。


「ありがとうございます。お預かりします」


 体裁を保ったまま、受付をするのは彩芽だった。大学生の時は疎遠になっていたが、社会人になってからは職場が近いこともあり、時々交流するようになったのだ。だからこそ、懐かしいという感情は抱かないし、何ならこの服を決めるのにも一緒に買い物に行っている。

 しかし、今は受付と参列者の関係だ。それは彼女もわかっているのか、無駄な話はしない。


「それでは、こちらが本日の席次表でございます」


 簡単で事務的な会話を終え、最近のマイブームすら知っている受付嬢から離れた。結婚式の受付は忙しい。なら、話をするのは後でも遅くはない。

 少し離れたところで座席表を確認すると、どうやらあのメンツで固められた。


「よう、松笠」



 後ろから野太い声で話しかけられる。

 振り向くと、楠がいた。


「おおぉ、久しぶりだね、楠。5、6年ぶりぐらいかな?」


「そうだな。…元気でやってたか?」


 以前よりも、大人な印象を受ける彼は高校生時代以上にガタイが良くなっていた。


「ええ、とても。……それより、楠は一層大男になったね」


「ああ、今は自衛隊として頑張ってる」


「…!そっか、夢叶ったんだ」


 そう言えば、彼は高校時代から自衛隊になると言っていたっけ、と考えながら返答する。


「おかげさまでな」


「お!蓮太郎じゃね?!」


 会話が途切れた一瞬のタイミングにちょうどよく、遠くから楠の名前を呼ぶ声がした。


「おう!…悪い、あっち行ってるわ」


「うん、気にしないで。まだ始まってすらないんだから」


 結婚式はまだ始まってもいない。この後いくらでも話す機会はあるだろう。



 恙無く(つつがなく)、挙式は行われた。

 扉を大きく開けて、「ちょっと待った」などという人もなく。スピーチにて何か悪行が流れるわけでもない。

 多少の緊張が見て取れる龍之介も堂々とバージンロードを歩いてきたし、純白のウェディングドレスを着た薊は美しく、かわいらしい。続く神父の言葉も誓いの言葉、キスだってそれはもう見惚れる程だった。


「きれいだね」


 そう言ったのは彩芽だった。高校時代の仲間たちで隣り合うような座席だったのだ。


「…うん。そうだね」


 小声で相槌を打つ。けれど、視線は一直線だった。外すなんてできはしない。薊のあんな姿を見ることができるのはこれが最後なのだから。

 最期のバージンロードを通る時、薊はこちらにウインクをして見せた。

 隣にいた彩芽はついキャー、と小さく声を上げていた。かく言う私も声を上げそうになったのは言うまでもない。



 鋭い角度から照らされていたあの星は、真上を通り過ぎ、反対側に進んでいた。相も変わらずに晴天を体現しているかのような宙は、絶世の結婚式日和とでも呼ぶべき天気だった。


 本来なら意思のない星にも今日ばかりは意思を持つのか、誰にも代え難い役割を全うしている。焔の星は、煌々と彼らにスポットライトを照らし続け、蒼の星は、そのスポットライトの邪魔をしないように粛々と陰りを排除し続ける。


 もし、世界に感情があるならば、現状にも多少の納得感がある。逆に、感情が無いのなら、それはきっと彼らの役得なのだと考えてしまうのも無理はない。


 物思いに更けているなか、ブーケトスの準備をしている薊を見る。どうやら、薊きってのお願いらしく、祝宴の前にブーケトスをやるらしい。なんとなく思惑は分かった気がした。真珠よりも美しいドレス姿の彼女。そんな彼女は教会の階段の一番上で待機している。


 一瞬、彼女と眼があった気がした。


 きっと気のせいだ。


 薊の姿に妄想でもしたのだろう。

 ———そうしなければ自分の感情を片付けた意味がなくなってしまう。


 誤魔化すためにタバコに手を伸ばす。



「ここは、禁煙だぞ」


「……そういえばそっか。失念していた」


 柊木の言葉に、タバコに近づけていたライターを消してポケットへとしまう。出してしまったタバコはとりあえずで口に咥え続けた。


「松笠も吸うようになったんだな」


「ん?」


「タバコ」


「————ああ、そうだね。……ヤニの匂いでバレると思ったけど、案外そうでもないのかな」


「…そりゃあそうだろ。あいつらの前で俺も吸っているからな」


「なんだ。………そんなことか」


 口に咥えていたタバコを手に持ち、くるくるとペン回ししているペンのように扱う。会話を続けることに困ったときにタバコはちょうどよかった。手でいじるもよし、会話の種にするもよし、その場を離れる理由にするのもよしと3拍子揃っていた。


「……」


「……」


「なあ」


「ん」


「……聞いていいのか分からんけど、———あいつh……」


「言わなくてもいいよ。わざわざそんなこと。こんな場所でする内容じゃない」


「……そうか」


 高校時代の関係性ならもっと会話が盛り上がっていただろう。でも、今はそんな気分ではなかった。成長して落ち着きを覚えたからではないし、彼との関係が気難しい物になったわけでもない。


 私はあの、彼女が持つ花束から———青い、蒼い花束から目を離すことができないのだ。


 エリンジウムの花束を見るのは、高校以来だ。あの時に見た絢爛さに衰えはなく、悠々と自らの美しさを掲げている。

 あの花々を見ると、どうしても思い出してしまう。彼女の雰囲気、話し方、性格、姿、声、そして呼吸(いき)に至るまで、何もかも。


 私の混濁としてきた感情を彼女は知りえない。その証拠に、彼女は大きく腕を振り、エリンジウムの花束を投げる。綺麗な孤を描きながら、宙の青と同化する群青の花束は、それらを包む純白の包み紙とのコントラストを魅せてくる。


 次の幸せ者へとつながっていくそのブーケは、女性の手へとすっぽり収まる。途端に起きるのは歓声と祝声、そして少しばかりの悲しんでいる声が広がる。この声は、ブーケをとった人だけでなく、新郎新婦も含めた祝福なのだろう。


 ブーケの通った道筋に残った情景をもう一回追いかける。その先に見える太陽は一瞬だけ発光を強めた気がする。この光はきっと、彼らへと送られたの品物だ、と考えることにした。


 拍手が鳴り響く会場は、余すことなく今日この時をもって成った幸せ者たちへの最大の慶賀だ。もちろん私も拍手を忘れない。高校生活でかつて得た何物にも変え難い経験は拍手と一緒に、祝福の風に乗って宙へと広がっていく。


 この世のすべてが二人の結婚を認め、その後の人生の幸せを願うだろう。





 その中に、

 私も含まれていると、



 信じている。


これにて完結です。

ご愛読ありがとうございました。

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