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Episode 5: The Periwinkle That Never FadesⅠ

 お盆の時期も過ぎ去り、以前ほど日が長くは無くなって来た8月の下旬。9月、二学期の気配を感じ始めた今日この頃。瑠璃はクローゼットを前に頭を悩ませていた。


「何を着ていこう」


 残り数日となった夏休みの最後の大舞台。花火大会の開始が近づいているのにも関わらず、服を決められずにいる。


 明確な答えがあれば楽なのに、と頭の中で思考しながら、後方にある勉強机を見る。海に行ってから、約3週間。中だるみは少しばかりあったが、大きく予定を遅れることは無かった。机の上には先ほどまで勉強していたノートにシャーペンがそれを証明している。


 昨年の内にもっと遊んでおけばよかったと、後悔もしていた。時間の流れが速く感じ、昔ほど明日に焦がれなくなっていた。今は夏休みの終了を願っている。夏休みが終われば学校も始まり、みんなとまた会える。そう思うと、未来には焦がれているみたいだ。


 思考のリセットのために、卓上にあったノートを開く。二か月前までは苦手だった化学のノート。榊原先生に言われ、基礎の基礎から復習をし直してみると案外できるモノで、苦手意識はだいぶ薄まっていた。化学の公式とそれを用いた練習問題、参考書に乗っている共通テストの過去問。ミスも度々していたが、なぜ間違えたのかの理解はできている。


 そうやってこの夏休みの勉強を考えていると、進学先へと思考は移っていく。


 元々、候補の一つでしかなかった。文系である瑠璃にしてみれば理系の科目は難敵である。けれど、夏休みの日々や薊や龍之介、彩芽に朔也に連太郎、みんなそれぞれ努力しているのを見てきたのだ。自分ももっと上を目指せるのではないかと考えてしまう。


 みんなとの思い出に浸っていると、ふと思い至った。


「…そうだよね。やっぱり、こうでなくちゃ」


 手を伸ばしたのはクローゼットの奥に仕舞ってある、大きな箱だった。





 電車のホームには浴衣姿の人が大勢いた。


 ここら辺では最大の祭り。それを悟らせるかのような様子である。

 待ち合わせは学校の最寄り駅。もう一つとなりの駅から行った方が近いが、精々数分しか変わらない。なら、集まりやすい此処でいいんじゃない、という流れで決まっていた。


 集合時間よりは早く着く。いつものことだが、人を待たせるのは気が引けるのだ。電車の窓からは綺麗な夕日が見えた。いつだったかに教室で見た斜陽に似ていて、微笑ましく思えた。


 足元がムズムズする。


 普段の生活では滅多に履くことの無い草履は、じっとしているだけの瑠璃にとっても特別感をもたらせている。決して色あせることの無い思い出になるのだと、感じさせるほどに心も、身体もわくわくしているようだった。





 改札を出ようとした時、遠くに龍之介と連太郎、そして薊の姿が見えた。


 艶やか、という言葉が一番合致していると思う。白を基調にした着物にはいくつもの花々が描かれている。流石は花屋と言うべきか。おそらくこれらの花の一つ一つに意味があるのだろう。帯は黄色かった。その色合いが、髪色との合わせ方が、どうしようもなく私を魅了してくる。まだ、後ろ姿しか見えていないというのに、足取りは重くもなるし、自分の姿が不安にもなる。隣を歩いても問題はないだろうか、と無意味な思考にも至ってしまう。


 先に気づいたのは龍之介だった。


 自分よりも、数分、もしかしたら数十秒なのかもしれないが、彼女の浴衣姿を見ていたと考えると、彼に嫉妬してしまう。なんでこういうときに限って家を出るのが遅くなってしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれない。


 龍之介の反応に気が付いたのか、その彼女がふりかえる。


 長い髪の毛はまとめて、後頭部で小さな団子を作っていた。輝かしく、独占欲がこみあげてくるうなじは見えなくなったが、それに代わっても余りある美しさが視界を覆う。最早、眼が見えなくなってしまっても構わない。水着の時には思わなかった。彼女は着こんでこそ映える。それを今確信した。


「瑠璃ちゃん!」


 にこやかに笑う彼女は元気よく私の名前を呼んだ。

 これほどまでに瑠璃という名前を喜んだことは無い。

 返答に困り、小さく手を挙げることしかできなかった。


「待たせた?」


「んーん。全然。それよりも浴衣!とっても似合ってる!」


 その言葉は数多の感情を絆し、心を開かせる。


「あとは、彩芽と柊木?」


 照れを誤魔化すように、龍之介に話を振る。


「ああ、朔はもうそろ。柳からは連絡は受けていない」





「ごめん。お待たせ!」


 集合時間から3分後、着物を着た彩芽が走ってやってくる。


「大丈夫だが、そっちは平気か。草履で走るのはきつかっただろ」


 雑談を切り上げ、いち早く気づいていた連太郎は声をかける。


「それは大丈夫、ほんとごめん。こんな時に遅刻して!」


「謝罪は良いからさっさと行かないか?そんなんやっていたってしょうがないだろ」


「うぐ」


「そうは言っても朔が一番心配していたぞ。『あいつから連絡ないがいいのか』とな」


「……蓮太郎…言わなくたっていいことだって、あると思うんだ。俺は」


 照れたように言い捨てる朔也は足早に祭りへと行こうとする。

 祭りの主会場は隣の駅だが、十分と言えるほど雰囲気が出ている。少し歩いただけで浴衣姿で歩く人たちが見えてきた。


「そう言えば、似合っているね、着物。薊も瑠璃も」


 いつもの靴であればなることの無い音を鳴らしながら、彩芽は口を開いた。


「そういう彩芽ちゃんもきれいだよ」


「そうそう。顔が良いとやっぱり映えるね」


「ふふん。どうよ」


「「おおぉ」」


 二人で拍手をする。


「……そういう反応を求めてたわけじゃないんだけどな…」


 頬を搔きながら少し苦笑いをする彩芽を見て蓮太郎は噴き出していた。


「あっはは。無駄だぞ柳、二人はどちらかと言えば天然だ」


「薊はともかく、私も?」


 隣で小さくえっ、という声が聞こえたが、瑠璃はスルーする。


「瑠璃に関しては、あれだろ。天然というよりガチで思ってるパターンだな」


 龍之介が話に混ざり、いつもの雰囲気へと浸透していく。

 空は快晴。花火にはうってつけだ。



 夕方を告げる空々(そらぞら)はオレンジ色。

 町の街灯には提灯を付けてライトアップしている。空と同系色のライトは提灯の輪郭を際立たせ、非日常を限りなく演出している。


 屋台には多くの食べ物と遊びがある。打ち上げ場所となる川沿いへと続く道には人々のざわめき。どこからか聞こえる笛の音もまた、祭りを祭りたらしめている。


 焦げたソースの匂いが鼻孔をくすぐって来た。微かだが、ザラメを溶かしたような甘い香りもする。がやがやと誰もが会話をしながらゆっくりと前進を続ける。隣をすれ違った子供は片手にラムネビンを持っていて、カランとビー玉の音が聞こえた。喧噪の中を佇む薊は、物語に出てくる美しい女性がごとく、どこか浮世離れした風格だった。僅かに暗くなってきた黄昏時を、彼女の白い浴衣はコントラストを生む。描かれた色とりどりの花々は瑠璃の胸を焦がらせる。


 その隣には、黒を基調とした大人らしい浴衣に身を包む彩芽がいた。彼女は爛漫と笑い、あらゆる屋台に目を輝かせていた。大人しめの服装とのギャップは留まることを知らず「やっぱ、こういう時こそ、食べなきゃ!」と宣言する。そして、同時に立ち並ぶ屋台の一角、焼きそば屋の前にかけていった。朔也は呆れながら、龍之介と蓮太郎は名案だと言わんばかりに追随していく。


「私達もいこ!」


 そう言って薊は手を引っ張る。力強くではない。そこまで怪力ではないからだ。けれど、その引力には逆らえない。どこまでも、どこへだろうと、連れていかれてしまう。そんな力が彼女にはあった。





「そろそろ、場所取りしないとじゃね?」


 屋台巡りもほどほどに、というよりも充分に、彩芽は両手いっぱいの食べ物と景品を持ちながら歩いていると朔也が言った。


「あ、じゃあ、ちょっとトイレ行ってくる」


「すまん。俺も今のうちに行きたい」


 瑠璃の発言に朔也が乗っかる。


「おっけー。場所取りはしておくね」


「すまん。言い出しっぺが」


「気にするな」


 申し訳なさそうにしている彼を蓮太郎はいつもの調子で笑い飛ばす。


「お願い。薊も」


「うん。任せてよ」


 ふんす、という擬音が合っているかのような表情と仕草、かわいいなと思わない方がおかしい。そんな邪な考えをしながら一時別行動をした。




 お手洗いも終え、周りに目をやると、朔也しかいなかった。


「おまたせ」


 スマホを弄っていた朔也は顔を上げる。

 どこかバツが悪いような表情をしている。

 話しかけたというのに、朔也は返答をしない。


「…なあ、少し、話をしないか」


 なかなか返さなかったが、やっと返って来た。それでも、表情は変わらない。しかし、決意を浮かべているようだった。


「…え、告白?」


「違うから安心しろ。…いや、安心しろ、は何かおかしいか…」


「なにさ」


「……少し、深呼吸させてくれ、緊張する」


「……まじで告白みたいじゃん…え、なに、私のこと好きなん?」


「…精神統一の邪魔をしないでくれ…。結構神経を使う内容なだけだ」


「…わかったよ」


「…」


「…」


「…」


「…ねぇ―――」


「龍之介が紫原に告白しようとしている」


「……」


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている瑠璃を朔也は見る。眼を反らすことが悪いかのように、ただじっと。彼女の思考を邪魔しないように、静かに、視ている。

 遠くからは花火がもうすぐ始まると、駆けている子供たちがいる。


 二人にはそれは聞こえない。

 遠いからとか、周りがうるさいからとかでもない。今の時間はひたすらの静寂が二人の空気を包む。


「ごめん。なんて言った?」


 痛々しい静寂を破ったのは瑠璃だった。

 聞こえていたはずだった。

 鼓膜は振動をしていたはずだった。

 脳へと電気信号は送られていたはずだった。

 それでも、導かれる結論はオウム返しをすることだった。


「だから…」


 聴きたくない。

 知りたくない。

 言ってほしくない。

 そんな感情を朔也は知っている。感じている。

 けれど、取りやめることは出来ない。



「…龍之介が、紫原に告白しようとしてる」



 花火が上がるまで、あと10分もない。

次話は2026/1/4 12:00を予定

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