Episode 4: A Bud of Amaranth Will One Day BloomⅡ
自動販売機の前で、ふと気が付いた。
「―――もう12時過ぎてる」
時計の針はてっぺんを超えてから数分経っていた。旅館にチェックインした後、ディナーと温泉を済ませ、行われていたトランプ大会。何処か子供っぽい遊びではあったが、思いのほか盛り上がっていたらしい。
明日には地元に戻って勉強が待っている。そう考えると憂鬱な気持ちになるが、今回の宿泊はいい息抜きになった。夏になってからすぐ来たこともあり人の数もそこまで多くなく、ナンパもあの一回だけで済んだ。
「あ、何か聞けばよかったかな」
自販機に来るときに何か欲しい物があるか聞いておくべきだった。今から戻ってもしょうがないから、無難にお茶でも買っておこう。
そう思いお茶を四本買う。
冷えに冷えたペットボトルは結露して水滴をたくさん創り出している。ポタポタと垂れそうになっているのを無視しながら男部屋へと戻っていく。
「ただいま~」
ふすまになっている玄関との合間を開けるとそこには薊が一人で勉強しているだけだった。
「おかえり~。みんな寝ちゃった。疲れてたっぽいね」
先ほどまで起きていた朔也や龍之介も眠っている。朔也に関しては寝落ちしたかのように机に突っ伏している。持っているペットボトルのお茶の水滴が足に垂れた。それが瑠璃の犯したミスを際立たせてきた。
「ミスったね、こりゃあ」
「ふふ。そうでもないよ。未開封なら明日に飲んでも大丈夫だもの」
机に開いているスペースが無く、薊の隣に座る。旅館のシャンプーは同じはずなのに、全く違うようなにおいが鼻孔をくすぐる。こんな姿の薊をここまで至近距離で対面するのは初めてだったこともあり動悸が早くなっているのを実感する。
「英語?」
「うん。日課だからね」
「そっか」
短い会話の後、しばらくの沈黙が続く。勉強の邪魔をするつもりはないし、私もやろうとも思わない。今日は遊ぶと決めて昨日までに予定を早めていたのだ。だからこそ、話しかけるのは良くないかと、ペットボトルに入っているお茶を飲む。机の上にはお菓子がいろいろあるのがちょうど良い。
ガサガサと小分けされたお菓子の封を切る音だけがやけに響いている。口の中の水分を持っていくことに特化したお菓子を頬張りながら、沈黙の時間を楽しんだ。なんとなく、彼女と二人で生活したらこういったこともあるのかと、妄想していたからだ。
「そういえば、瑠璃ちゃんは何処に行くか決めた?」
そんな静寂がどれほど続いていたのか、破ったのは薊の方だった。
言われてみれば、進路の話はあまりしてこなかった。就職することを決めて小さなケーキ屋で働くことになった彩芽や実家の花屋を継ぐために経営学を専攻しようとしている薊たちよりは理由は弱い。それもあってあまり話していなかった。
「…具体的に何処に行こうかはまだ決めきれてはいないんだ。でも、図書館司書に就きたいとは思っているからそのための資格が取れる学部で考えているよ」
「それ、いいね」
他の人が言ったら興味のないかのような返事。しかし、薊が言うのではまるで違う。心の底から応援しているのが分かる。
「薊は、経営学部だっけ」
「うん。やっぱり花の事は好きだからね。継ぐためにも知識は持っていないと。お父さんも賛成してくれているしね」
「また行こうかな。Solis」
「いつでも来てよ」
「……」
「……」
「ね」
沈黙は僅かではあった。だからこそ、意外だった。続けざまに彼女が話かけることは少ない。どちらかと言えば、彼女は聞き手になりがちだった。
「…将来の自分って想像することある?」
薊は瑠璃の返答を待たず、質問してくる。
「そりゃあ人並み程度は」
「私ってどうなっていると思う?」
「どう、か。まぁ、きっと幸せにはなるんじゃない?やりたいことも決まっているし、それに対して努力もできている。そもそも、やりたいことが決まっている人のほうが私達の年だと珍しい気もするしね」
「……私はね、そうは思わないの」
「……?」
なぜだろうかとは思ったが、瑠璃の口からは音が発せられない。
好きな花を語るときの薊は目をキラキラ輝かせ、将来への考えも花を基点にしている。将来について、何をすればよいかすら分からない人からしてみれば、薊の現状は羨ましいものだろう。人の幸せは千差万別。彼女にとっての幸せが何なのかは知らなかった。
「……内緒、かな」
聴くに聞けない現状を察したのか、薊は答えを教えてくれた。
「えぇ。気になるじゃん」
「まぁ――いつかね」
会話は短く、途切れた。彼女が会話を終えようとしていることは察せていたこともあり、深掘りはしなかった。
彼女も真面目に学習しているし、どうしたものかと視線を上げた。どうやら、沈黙の時間は長かったらしく、そろそろ日を跨いでから一時間が経とうとしていた。
「………部屋、戻ろっか」
「…あ、もうこんな時間。そうだねそうしよっか」
よっこいせと、重たくなっていた体を起こし、彩芽の方に行く。流石にこのまま、置いていくのは保護者に忍びない。とても幸せそうに寝ている彩芽の頬を軽くたたく。
「起きて、彩芽。部屋戻るよ」
「んぁ、うんうん。分かってるよぅ」
「…分かってないでしょ。ほら、行くよ」
「うう」
うなり声をあげながら、しぶしぶと言ったように身体を起こす。やっと動いてくれたことへの安堵と少しばかりのかわいらしいと思った感情は一先ず龍之介にぶつけることにした。
「おい、起きて」
「いってぇ!……なんだよマジで」
「部屋、戻るから。楠と柊木、布団に誘導しといてよ。今の時期、風邪ひくなんて冗談じゃないから」
「……あぁ、そういう事ね。わかったよ。おやすみ」
「ええ、おやすみ」
「彩芽は起きた?」
「うん。自分で歩ける程度には覚醒しているよ」
「ならよかった。彩芽ぇ、行くよ」
「んー」
204と書かれている部屋の鍵穴へと鍵を通し、静かに戸を開ける。
「…寝よっか」
「明日も早いしね」
彩芽を動かすのには苦労しなかった。返事は曖昧ではあるが、行動はしっかりしている。瑠璃と薊は布団の準備を終え、消灯する。海に近い場所ではあったが、繁華街が近いということはない。それもあってか、窓からの光は少なく、いつもと違う天井ということもあり落ち着かない。
先ほどの薊はどういうことなのだろうか、と瑠璃は考えていた。幸福について考えることは寝るときにしない方が良いと、教訓を得るのは明日の明け方になる。
しっかり閉めていたはずのカーテンからは朝日が漏れている。ちょうど目の位置に掛かった時に嫌でも眼を覚ました。重い体を起こすと見慣れない空間にいる。
「ああ、そっか」
数瞬してから、宿泊していたことを思い出した。
枕もとの置いておいたスマホを見ると、6時8分と表示されている。外泊をすると、普段よりも目覚めが良いのは何か理由でもあるのだろうかと考えながら、静かに布団を出た。
チェックアウトは10時、帰りの迎えは12時頃になるって言っていたっけ。海水浴場に付随して少しの観光地があったはずだからそこを周る感じになるかな。
物音を立てないように着替えながらに思考する。
着替えを終えても二人はまだ夢の中だった。部屋にいて起こすのも悪いかと思って、部屋を出る。
木材を基調とした建物は良い匂いを醸し出す。スリッパのぺたぺたという音のみが僅かに響く廊下を歩き、エントランスにあった小さな休憩スペースを目指す。7時半にみんなで集合しようと決めていた場所だ。
幾つかの丸テーブルと、それを囲むように置いてある深々とした椅子。朝は早くとも、行動する人はいることを表すように数人がスマホを弄っている。
さて、どうしたものかと軽く思案した後、昨日の薊の姿を思い出す。彼女ははっきり言って頭が良い。学校のテストでもすべての教科で平均以上、学年でも上位の成績を取ることだってあるほどだ。
「…私も頑張ろうかな」
静かなエントランス。周りの人には聞こえない程小さくつぶやく。
彼女の頑張りに感化されたのか、自然とポケットに入れていたスマホの英単語用アプリを開く。集合までは意外と時間がある。今の時間を無駄にはしたくない。
「あれ、速いな」
7時まであと15分。まだ早朝と言っても差し支えの無い時間に一人目が来た。
「そっちも早いね、蓮太郎」
「まあな。これでも自衛隊と目指している。6時には起きていたさ。そっちこそ、眠くないのか」
蓮太郎はそう言いながら空いている椅子へと腰を掛ける。
意識の方もはっきりとしているのか、昨日の夜見せていた眠そうな姿は何処にもない。
「自衛隊って朝早いの?」
「ん、そうだな。自分で調べた範囲でしかないが、6時には起床して7時からは稽古があるのだと。早いかもだが、身体の準備はしておこうと思ってな。それに、部活で朝練があるときもこんな感じだったしな」
今回の海水浴に参加している男子三人は全員バレー部だった。うちの学校は強豪校というほどではないにしろ、やっている人からすれば本気だ。県大会の途中で敗退したらしいが、相当悔しがっていた。
「でも、大学行くんでしょ」
「それはそうだな。親の教育方針って奴だ。自衛隊をもしやめることになったとしても充分な選択ができるようにしておきなさいと」
「へぇ」
そんな他愛もない会話をしながらもスマホの画面からは目を離さない。彼もそれを見て嫌な顔一つせず、会話を続ける。英単語をやっていることは承知しているらしい。
エントランスにある大きな時計の音が響く。
どうやら、7時を迎えたらしい。そろそろ誰かしら来るだろうかと思っていると、スリッパのペタペタする音が隣で止まった。
「おはよ」
「よう、龍之介。眠そうだな」
龍之介は眠たそうに瞼をこすりながら短く、おう、と返していた。彼は朝が弱い。まるで、爬虫類とされがちな竜かのように。昔は朝起こすために何度も部屋へと押しかけていたものだ。
「朔は起きたのか」
「…起きてる。…着替えてる」
眼は開いていない。しかし、蓮太郎も動じない。バレー部であった合宿で朝の弱さ知ったらしい。
「……それならいいか。松笠、女子部屋の方はどうだ」
「起きてますよ。ほらこの通り」
やわらかくもハキハキとした声がエントランスに鳴る。振り向くと黒い髪を下げた彩芽が立っていた。
「早いな」
「ええ、ぶっちゃけ瑠璃が出る時に目を覚ましたのよね。けどまぁ、まだ眠くてね。二度寝してた」
「なかなか起きなくて大変だったよ」
「ごめんね。昨日の疲れが出てたみたい。いつもならこんなことにはならないんだけどね」
「それじゃあ、あとは朔だけ、お」
朔だけか、そう言いかけた蓮太郎は口を紡ぐ。早足にこちらの方に来ている彼を見つけたからだ。
「悪い、遅れたか?」
「いや、集合五分前だ」
それならよかったと胸をなでおろす。
このメンバーで遊ぶ時、大抵の場合遅刻する人はいない。さらに言えば、5分前には集まる。全員が待ち合わせには早く行きたいと考えているからだった。
「集まったし、ご飯食べよう?お腹すいちゃった」
薊の発言に、それぞれの返答をする。
意識してみると、遠くから良い匂いがした。
気が付くと、見慣れた風景だった。
眠っていたらしい。
車の窓から外を見ると鮮やかなオレンジ色の空模様が見える。楽しい時間は一瞬なのだと、昨日に感じたというのに、人間はこうも適応できないのか。瑠璃の思考は目覚めたばかりであることを証明するように、落としどころを失う。ふと、バックミラー越しに彩芽の姉と眼があった。
「お。起きたかい。熟睡だったよ。何回か休憩を挟んではいたんだけどね。三人とも一切起きなかった」
「…そうだったんですね。すみません」
「謝らなくていいよ。何なら感謝すらしてる。…彩芽と、仲良くしてくれている、それだけでも私はうれしいんだ」
まっすぐ前を見ながら、話を続ける。
「…と、しんみりした話は向かないな。悪いけど、隣の薊ちゃんを起こしてもらえるかい。そろそろ着きそうだ」
「あ、分かりました」
目覚めてから、初めて彼女を見た。
逆光に照らされて、いつも感じている可愛いという感情よりも、美しいという思いが強くなる。触れることがおこがましいとすら思わせるその少女は短く、静かに呼吸をしていた。
ガタンと、車が揺れる。それに合わせて彼女も揺れた。自意識の弱い睡眠時、重力への抵抗は僅かに弱まっている。
端的に言ってしまえば、頭が肩に乗っかった。
途端に全身は硬直する。
時間にして一瞬の出来事、しかし、その一瞬があまりに長い。
「ん?…あっごめん!」
「あっ」
少しばかり残念だと思いながら、取り繕う。気になって、寝ぐせはついていないかと自身の髪の毛をなでる。車での寝落ちだ。よっぽどのことが無い限り、できるとは思えないが、それほどの思考は今の瑠璃にはできはしない。
「そろそろ、着くよ」
前方から声が聞こえた。
窓を見ると、Solisのある道の一つ手前の交差点だった。
「あ!本当だ。すみません。寝てて」
「あはは、大丈夫だよ。瑠璃ちゃんと同じこと言うね。いいことだ。…本当に彩芽は良い友達を手に入れたよ」
そう言いながらアクセルを踏む。ゆっくりと、寝ている人を起こさないような緩やかな加速。この運転に慣れてしまうと、他の人の運転では物足りなくなりそうなほど熟練とした技術だった。
Solisは大通りから一つ奥に入った場所にある。
車を店前に止め、サイドブレーキを上げる。待ってましたと言うように、薊はいそいそと車から出る準備をしている。
「彩芽ちゃんは、…寝てるね。うーん、瑠璃ちゃん、彩芽ちゃんが起きたら伝えといて、楽しかったって」
「おっけ、まかせてよ」
きっと、長居するのは彩芽の姉に迷惑だと感じたのか、残りの荷物はトランクに入っているリュックだけになっている。
「…」
なぜか、何を言えばよいか分からなくなった。
けれど、そんなことを薊は知らない。彼女は元気よく口を開け、
「またね!」
そう言って
松笠瑠璃の求めた光は笑顔を浮かべていた。
次話は2026/1/4 0:00を予定




