Prologue: Do Cosmos Dream of Purple Thistle’s love?
「ねぇ。エリンジウムの花言葉って知っている?」
夕暮れの校舎。
斜陽が煌びやかに照らしている教室。
日暮れの速さがほんの少し、速くなったように感じる秋口に栗色の髪をした少女は口を開いた。
何をもってその花を持ち出したのか、そんなことは簡単だ。ひとえに彼女はそのエリンジウムという花が好きなのだ。彼女との付き合いは一年にも満たない。それでも彼女の好きな花だけは知っている。
一度、彼女の口から説明を受けたことがあるのだ。
「え、エリンジウムってどんな花?」
教室に残っていた二人の男子生徒の内、私の幼馴染である男子が口を開く。その反応をするのは尤もなことだ。実際、彼女から説明されるまでエリンジウムがどんな花なのか知らなかった。
清涼感を与える青色の花々が主軸にあり、無数の花が一つの珠を演出するような花。光沢を持っていて、それは金属を思わせる程だ。遠目から見ると青い野イチゴみたいだと言ったのは友人だったか。
「これだよ。私の一番好きな花なの」
彼女の口にする、一番好きな花。その言葉には重みがある。実家が花屋であり、幼少の頃から様々な花を見てきたのだろう。そんな中、エリンジウムが一番であると豪語するのはそれだけ大きな想いがあるに違いない。
「分からないな。花言葉はそこまで詳しくない」
「…俺も知らない」
口々に男子生徒たちは降参する。幼馴染は兎も角、本が好きな男子生徒ですら知らないのだ。
「瑠璃ちゃんは分かる?」
彼女は聞いてきた。
僅かに口角を上げ、光と影のコントラストが彼女の笑顔をより際立たせている。その笑顔はとても柔らかく、暖かいモノだった。
「瑠璃ちゃん?」
思わず見惚れていたのか、質問への回答が一歩遅れてしまった。
「いや、なんでもないよ。……花言葉は、ちょっと分からないかなぁ」
笑顔はうまく作れているだろうか。
なぜ、質問に答えられなかったのか悟られてはいないだろうか。
「んふふ。正解はね。〝光を求める″だよ」
「…案外、普通というか。あー…。独特っていうわけではないんだな」
そう言ったのは、本好きの彼だった。
もともと、言うことは言う性格の人だからか、思った感想をすぐさま言ってくれた。これでも、言葉を選んでの発言なのか、すんなりとは出てきていない。
「うん。そうなんだよね。……ほら、うちって花屋でしょ?だからね、いっぱい見てきたの。一般的な花、それこそ薔薇とかガーベラとか、逆にマイナーな花も、そんな中にエリンジウムもあったんだ。それで花言葉を見た時に衝撃を受けたの。あれは言語化もできないと思う」
「ひとめぼれしたってことか」
「うん。それが近いかも」
「…偏見だけど、花屋の娘の部屋とかって、それこそ好きな花をいっぱい飾っているイメージなんだけど。そのエリンジウムってやつ?は飾ってるのか?」
「んーん。私以外はどうか分からないけど、私は飾っていないよ」
「え、そうなの?」
思わず突っ込んでしまった。
幼馴染と同じで、私も偏見を持っていたらしい。
「うん。だって―――」
「枯れるところを見るのが嫌だから。じゃない?」
そう言ったのは、教室の入口からこちらを見ている黒い髪を後ろで一つにまとめていた女生徒だった。
「すまん、待たせた」
もう一人、体格の良い男子生徒も顔を出してくる。
「お、委員会は終わったか?」
「ああ。悪かったな、オフだっていうのにこんな時間まで待たせて」
「大丈夫。いま話が盛り上がっていたところだから」
「うん。今はエリンジウムについて話していたの」
「それより、どう?私の答えは正解?」
「さすがだね。大正解だよ」
「「おお」」
私と幼馴染は似たような反応を示す。
「あんたは分からなかったの?推理小説たくさん読んでるじゃん」
そんな私達とは反対に、やって来た黒髪の彼女は本好きの彼へと突っかかる。
「……お前、推理小説を読んでいれば誰でも探偵になれるとでも思っているのか?」
「そこまでは言わないけど、君ならできるでしょ」
「結果論で言えばできた可能性はあるが、結果論で物事を語らないでくれ」
「落ち着け、二人とも。特にお前。大体、待たせていたのはこちら側なんだから、そう喧嘩を吹っ掛けるな。この前のテストで一教科負けたぐらいでかみつくのは少しダサいぞ」
「うぐ…。はーい」
黒髪の彼女は大柄な彼の言ったことが正解だったのか、バツの悪そうに口をすぼめる。
「そっちも、分かっていて応対するな。冷静が取り柄だろう。お前は」
「…わかったよ」
本好きの彼も、それが事実なのが分かっているのか、素直に従う。
こういう時の彼はとても強かった。言うべきことは言い、どちらがより悪いかを論じるのではなく、双方に等しく対応する。
二人が軽い言い合いをし、それを一人が諫める。これはそれほど珍しいものでもない。別に、彼らの反りが合わないわけでは無いし、本気で嫌っているわけでもない。いわば、彼らなりのコミュニケーションなのだ。
「………話は終わった?じゃあ、行こ。暗くなるのも速くなってきたし」
「それもそうだな、行くか」
終わったのを見て、私と幼馴染は席を立つ。
もう外には太陽は見えない。
あとは夕暮れが細くなっていくだけだった。
6人の足音が廊下に響く。
男子はよくやっているゲームの話を、女子は今日のドラマの話を。それぞれ適当に会話をしている。この空気感が私は好きだった。自身の趣味を曲げずとも、誰かとは話せるし、それによって強要もしない。
遠くからゴムの擦れる音が聞こえる。桜陽学園の運動部は今日も盛んだ。体育館の方からは何やら声が聞こえている。会話も途切れ、女子生徒が話しているのを上辺だけ聞いていたが、体育館の方で聞こえる声は判別できない。バスケ部か、バトミントン部のどちらかだろうか。廊下の窓から見えたグラウンドでは『残り三周!』と校内でも有名な体育教師が声を上げている。ユニフォームに身を包んでいる野球部が走り込みをやっていた。
外に出てみると、さっきまで見ていた斜陽は残光だけなのか、校舎の影が長く、薄くなっていた。なんのためにあるのか分からないが、下駄箱と正門の間には時計台がある。見ると、五時十五分を少し過ぎていた。
日の入りの時間までもう少しとなった宙は本来の蒼さを取り戻し、すぐさま夜の空へと移り変わりつつある。「一番星だ」と一人が言った。見てみると、宙に悠々と浮かんでいる小さな恒星があった。「ほんとだ」ともう一人が同意する。続けざまに「雲とのバランスがきれいだね」と、そう言いながらスマホのカメラ機能を宙へと向けている。
「そういえば、今日はどこ行く?」
先を歩いていた男子生徒は後ろを確認しながら口を開いた。
「決めていなかったのか」
「会話に盛り上がってたからな。それこそ、エリンジウム?だっけ?」
「そうか。まあそれなら…いつも通りだが、ワックにするか」
「さんせーい」
「いいね。私も賛成」
「オッケー」
三者三様の快諾を見せていると、視界の端に映っていた靴紐が、ほどけていることに気が付いた。先に行っていて、と言った後に急いで結び直そうとする。
どうやら、ただほどけているのではなく、絡まった後にほどけてしまっていたらしく、早急の回復は見込めない。
これじゃあ、思ったよりも遅れそう。急がないとと、心の中で呟きながら手を動かすと、視界の中には一人の足元が見えた。
「…先行っててもいいんだよ」
誰の靴なのかは顔を視なくても分かった。
「ううん。私が残りたかっただけだよ。あの娘もゲームの話をしたがっていたしね」
彼女はそう言ってしゃがみ込む。
視線の交錯、突然の展開に驚き、瑠璃の手は止まる。
「…そう?」
「うん」
どれほどの想いを持っているのかを彼女は知る由もない。誰が見ても、それは分からない。そう思えるほどの自信はあった。おぼつかない手にイラつきを覚えながらも、一つずつ丁寧に絡まりをほどいていく。
いつもならばもっと速く結べている靴紐も、この時間を伸ばそうとしているのか、思うように動かせない。
決して緊張はしていない。
けれど、感情は大きなものになっている。
アレはきっとひとめぼれだった。
その雰囲気、その話し方、その性格、その姿、その声、その呼吸に至るまで。どうしようもなく、好きだった。性別なんてものは二の次だ。それほどまでに彼女への好意は重い。
「できた?」
「うん。お待たせ、行こっか。自転車置き場でしょ?」
立ち上がりながら、というよりも視線を合わせながら、こんな表現の是非なんてモノはどうでもよいが、今は思考の流れを激流にする。
彼女との時間が終ってしまう。
それだけが激流の中を走っている。
「――が今日は自転車だって言っていたよ」
瑠璃がどれだけ、思考を早め、言い訳を探し、時間を伸ばそうとしていても、彼女から見ては分からない。
ふと、“光を求める”という言葉が頭をよぎる。光は誰かに触れられて、初めて光になる。私の光は私にしか見えないし、彼女の光もまた私には触れることができない。けれど、彼女にとっての光が私だと考えるのは少し、傲慢だろうか。
太陽はとっくに沈んでしまったのか、これまでのオレンジ色の斜陽風景はもうそこには無い。これからの空は、黒く、深く、数多の星々を映し出す天盤になる。それはまるで、主役を失った物語のように、まっすぐなモノではないが、白く、細く、淡い星光が世界の広さの証明かのように照らしていた。
次話は2026/1/2 0:00を予定




