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第二話 私に幸せは似合わない

 老後に向けた貯蓄というのは、人が決して手を触れてはならない禁断の果実のようなものだ。


 確かに気持ちは分かる。意識の片隅で自分の貯金額を把握している状態で、急にお金が必要だという事態に追い込まれると、つい貯金に手を付けてしまいそうになるのは人間として当たり前の心の動きだ。

 しかし、その気持ちにつけむ詐欺師だって少なくないのも事実である。そもそも老後の蓄えというのは、老後の生活を安定させるために貯めているものであり、目的外の使い方はすべきではないのだ。


「そんな風に、以前のマスターは言ってたけど……その大事な貯金の大半を切り崩して、悪女と名高い貴族令嬢を工房に連れ帰ってきたことについて、何か弁明はある?」


 リリィが穏やかな口調のまま、珍しく目の端を釣り上げているので、僕はいたたまれなくなってその場に正座をする。


 僕が「買い取ります」と言った直後から、アプリコット伯爵家の人々は一致団結して効率的な動きを見せた。

 おそらく僕の気が変わる前に取引を済ませてしまいたかったのだろう。あの後すぐに領主様ご本人が現れて、僕と一緒に錬金術師協会まで足を運ぶと言い出したのだ。あれよあれよと書類が用意され、契約書にサインをして、僕の口座残高から膨大な数字が引き算されるまで、もう一瞬の隙もない見事な連携プレーだったと称賛したくなるくらいだ。そして、領主様は春風のように颯爽とその場を去っていった。めちゃくちゃ良い顔してたなぁ。

 僕がちょっと騙されたような気持ちで領主館に戻る頃には、ルナマリアは出発準備をすっかり整えた状態で待機していたため、そのまま流れるように連れ帰ってくることになり……そして今、僕はリリィに正座させられているのである。


「あの……お初にお目にかかります。わたくしはルナマリア・アプリコット。いえ、今はただのルナマリアと名乗る方が適当でしょうか。ご迷惑をおかけしてすみませんが、よろしくお願いいたします」

「よろしくねぇ、ルナちゃん。私はジーン・シトロンの使い魔で、小人型錬金生物(ホムンクルス)のリリィだよ! ほら、こっちこっち、今私はテーブルの上にいるよ。よろしくぅ!」


 リリィは僕に対して辛辣な態度をとる一方で、なぜかルナマリアには最初から全開でフレンドリーだった。納得いかないなぁとは思うけど、まぁ二人の仲がギスギスしているよりはいいか。胃が痛くなる要素はできるだけ少ないほうがいい。


「私はこの工房の家事全般を担当してるんだ! 体が小さいから重い物を運ぶのは無理だけど、他のことはだいたいできるからね。ルナちゃんも困ったら何でも相談して?」

「わかりました。わたくしはこの通り目が見えませんので、お手伝いは出来そうにありませんが」

「そんなの全然気にしなくて良いよぅ! マスターなんて目が見えてるのに、家事なんかこれっぽっちも出来ないんだからさぁ。錬金術以外は全然ダメだからね」


 リリィの言葉に、ルナマリアは「あら」と小さく笑う。さっそく仲良くなってて安心したよ。僕はダシに使われてしまった感じだけれど。


「ルナちゃんは食べ物の好き嫌いはある?」

「いえ。貴族は基本的に出されたものを嫌な顔をせずに食べなければならないことが多いので……好き嫌いについてはあまり考えてはいけない、と教わるのです」


 それは窮屈だなぁと思う。でも考えてみると、パーティなんかで「トマトの好き/嫌い」を不用意に語ると、相手の領地がトマトの名産地だったりしたら、“貴方の好き/嫌い”みたいな意味に取られて変なことになりそうだもんなぁ。貴族ともなれば、そういう一つ一つの発言に普段から気をつけなきゃいけないんだろう。


「でもルナちゃんはもう貴族じゃないんでしょ? そうしたら、これから一緒にいろんなもの食べてさぁ、何が好きなのか探してみようよ!」

「まぁ、それは楽しそうですね」


 リリィの性格を考えれば問題はないだろうと思っていたけれど、予想していたより遥かに早く二人が打ち解けていくので、僕はかなりホッとしていた。ルナマリアからも正直、悪女っぽい印象は受けないからな。きっと大丈夫だろう。


 あと、僕はいつまで正座していれば良いんだろう。


   *   *   *


 新しい家族が増えたと言っても、僕の生活が何か大きく変わったわけではない。工房にルナマリアがいるということに慣れてしまえば、あとはいつもと変わらない平穏な時間が流れていくばかりだ。


 夏の蒸し暑さが限界まで極まったある日。

 珍しく自らの足で錬金術師協会を訪ねると、僕の担当窓口をしているベッキーはすぐに飛んできた。いつもながら無表情な彼女だけれど……少しだけ不機嫌そうにも見えるのは気のせいかな。いや、誤差の範囲だろうか。


「ジーン様。本日はどういったご用件でしょうか。てっきり工房に連れ込んだ盲目の美少女とイチャイチャするのに忙しくて、仕事のことなど忘れていると思っていましたが」

「言葉に棘があるなぁ」


 あれから僕は、ルナマリアの呪いに関して研究をしている。

 解呪用の魔法薬については、呪いの原理についていくつか仮説を立てることができた。今はそれを検証するための計画を作って、必要な資材や薬品の調達を行っていることろだ。多少の進展はあったのだけれど……順調に開発が進んでも、実際に薬が完成するのは十年単位で先の話になるだろう。


「とりあえず、取り寄せて欲しい魔物素材をリストアップしてきたから、協会の方で入手してもらえないか」

「はい。ひとまずメモを拝見します……そうですね、この近辺で入手困難なのは幻惑蛙(ミラージュ・フロッグ)でしょうか」


 蛙系の素材はすぐに腐ってしまうので、魔法薬や魔法道具の材料に使うとしても、近場で消費してしまうことの方が多い。ただ、今回の素材は作りたいモノの肝になる重要な要素だから、できるだけ鮮度の良いものを用意したかった。


「卵を入手してくれれば、僕の方で育ててみるが」

「いえ、協会で飼育しましょう。賢者ジーン様が研究している重要な錬金素材となれば、後で価格が高騰して乱獲される、などという事態も想定されますから」

「……その節は大変なご迷惑を」


 過去に何度かあったからね、そいういうこと。


「ところで、ルナマリア様はその後どうお過ごしですか?」

「どうって別に……最近はリリィと一緒に楽器の演奏にハマってるみたいだけど。昔は絵を描くのが好きだったらしいが、さすがに目が見えないとな」

「……そうですか」


 ベッキーの声色には何か含みがありそうだけど……ごめん。僕は人の心を汲むのがあまり得意ではないから、言いたいことははっきり言ってもらわないと分からないんだ。


「ちなみにジーン様。これは仮定の話ですが……もしもですよ? 将来的に、この私ベッキーのことを購入できるという機会があったら、ジーン様は買われますか?」

「買わないよ」

「……そうですか」


 僕がバッサリ切り捨てると、分かりやすく落ち込むベッキー。

 でもなぁ……いい加減ちゃんと言っておかないと、僕の存在が彼女の人生に悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。いつもより少しだけ、踏み込んで気持ちを伝えてみようか。


「ベッキーはさぁ。幼い頃からずっと苦しんできた病気が、せっかく治ったんだよ。素敵な女性に成長して、仕事でも認められて、優しい家族がいて……だから大丈夫。いつか君にぴったりの伴侶だって見つかるから。僕なんかのことは、早く忘れた方がいい」


 彼女に好かれている自覚はあるが、僕がその気持ちに応えることはないだろう。


 僕が人の心も考えず、自分勝手に研究してきた錬金術……その結果として生み出された魔法薬が、彼女のような人の命を助けることに繋がったのは喜ばしいことだ。

 彼女に感謝してもらえるのは嬉しいし、それをきっかけに彼女が錬金術に興味を持って、たくさん勉強して、錬金術師協会で働くようになったのは凄いことだと思う。

 だからこそ、彼女には僕のような人でなしに拘るのをそろそろやめて欲しいのだ。彼女を幸せにしてくれる素敵な男性はこの先きっと現れるから、それを逃してもらいたくない。彼女のようなちゃんとした人間には、ちゃんとした幸せが似合うだろうから。


 僕が拒絶の言葉をどれだけ並べても、ベッキーは涙を零さなかった。そんな芯のしっかりしている部分が、彼女の素敵なところだなと僕は思っている。


   *   *   *


 ルナマリアがこの工房にやってきて、初めての冬。

 前の晩からの大雪で、工房全体が冷蔵の魔法道具になってしまったかのような寒い日であった。


 今日の仕事を早々に諦めた僕は、リリィとルナマリアとともに火鉢を囲んでのんびりしていた。体を温めてくれる魔法の指輪も三人で着けてみたけれど、この寒波を前にすると原始的な火鉢の方が圧倒的に有能であると思い知らされるばかりだ。


「あの……ジーンさん」


 揺り椅子に腰掛けて毛布にくるまっているルナマリアは、はじめの頃より少し伸びてきた灰色の髪を触りながら、なんだか少し気まずそうに声をかけてきた。


「……良いのでしょうか」

「ん? 何が?」

「アプリコット家では“働かずして食事なし”などと言われておりましたので……このようにのんびりとした生活をしていても良いのかと、疑問になりまして」


 予想もしていなかったルナマリアの言葉に、僕はちょっとだけダメージを受ける。


「マスター言われてるよ。仕事しろってさ。やーいやーい」

「待ってくれ……そういう正論を二人がかりで言われるのは、けっこう心に来るから」

「そ、そうではありません! 誤解です!」


 ルナマリアは少し焦ったように早口で言葉を続ける。


「わたくしが……わたくしが、この工房に来て何の役にも立っていないことを言っているのです。リリィさんにお世話をしてもらいながら、ただここにいるだけで」

「そう?」

「リリィさんは家事全般を行っていらっしゃいます。ジーンさんはずっと研究を……わたくしの呪いを解くために努力なさっています。それなのに、わたくしはただの穀潰しですから」


 僕としては、リリィの話し相手をしてくれてるだけでも助かると思ってるんだけどな。錬金術の研究に没頭していると、どうしてもリリィをほったらかしにする時間が出来てしまう。そんな時、ルナマリアがリリィと会話をしてくれているだけでかなり安心できているんだけど。


「そうだなぁ……ルナマリアは何かやりたいことは?」

「いえ、今は特には。ただでさえ貴族としての無駄なプライドだけでのうのうと生きてきただけのカラッポの女です。魔法の才能はあるらしいですが、視力を失えば使いどころもなく……何かジーンさんのお役に立てるとは到底思えません」

「すごい勢いで卑下するなぁ」


 火鉢の中で、木炭の欠片がパチリと小さく爆ぜる。

 ルナマリアを慰めるような言葉を探すけれど、何も見つからない。そうしているうちに、リリィは静かに移動してルナマリアの毛布の中に入り込んでいった。これは僕にはできない慰め方だなぁ。


 そんなことを考えていると、ルナマリアは僕のいる方へと顔を向けて呟く。


「……そうですね。わたくしにできるのは、せめて身体を差し出すくらいでしょうか。てっきり、そういった役割を期待して私を購入されたのだと思っていたのですが……最初の何日かは、いつ夜這いに来るのか戦々恐々としていたのですよ?」

「えぇ。そんな下劣な男だと思われてたのか」

「下劣というか……賢者様は物好きの極みだと、アプリコット家の皆が囁いていましたが」


 酷い風評被害だ。

 僕が少し落ち込んでいると、リリィはからかうような目を向けてくる。


「ルナちゃん可愛いもんねぇ。マスターだって少しくらい期待したんじゃないの? えっちな展開」

「やめてくれ。あんまり男心を掘り下げるんじゃない」


 僕らのやりとりに、ルナマリアはクスクスと笑う。


「あらあら……失礼いたしましたわ。こういうことはあえて言及せずに、殿方を手のひらで転がして差し上げるのが淑女の作法というものでございましたね」

「お、ルナちゃんも言うねぇ」

「ふふ。これでも“悪女”で通っていましてよ?」

「ほんとぉ?」


 そうやって、ルナマリアはぽつりぽつりと、少しずつ自分の過去を話し始めた。


   *   *   *


 これはルナマリアという、一人の馬鹿な娘の話です。

 彼女はアプリコット伯爵家という名門貴族家の次女として生まれました。豊かな領地。優秀で人当たりの良い兄。美しく思慮深い姉……ルナマリアが天真爛漫な娘として十七年間も過ごしてこられたのは、そんな恵まれた環境があったおかげなのでしょう。


 いえ、天真爛漫というのは良く言いすぎですね。その実態は、人の心を察することのできない大馬鹿者。自分の感情を押し付けるだけのワガママ娘。狡くて汚い、救いようのない人間でございました。


 唯一兄姉に勝てるのは魔法とお絵描きくらいでしたから、親からは無意識に「優秀な兄姉と比べて一段劣る娘」という目で見られておりました。

 しかし、そんな当然の評価に対して、不満だと頬を膨らませるだけで勉強の一つもしてこなかったのも、ルナマリアの愚かなところだったのでしょう。


「ルナマリア。お前に婚約者を用意した」


 五年前。十二歳の時に父親に紹介されたのは、アプリコット伯爵家の寄子である木っ端のような貴族の息子でした。ふっくらとした顔と覇気のない様子は、どうにもルナマリアを苛立たせます。


 どうしても、兄姉の婚約者と比較してしまうのです。

 家の跡継ぎである兄に嫁入りしてきたのは、公爵家出身の完璧な貴族女性でした。また、姉の婚約者である第二王子は、パーティに現れただけで黄色い声援が飛び交うほどの美形です。それなのに自分の婚約者は……根拠もなく膨れ上がった自尊心が、幼い彼女の胸を掻き毟るように急き立てました。


「……第二王子は、わたくしが手に入れますわ」


 自分の醜い望みを叶えるため、ルナマリアは作戦を練りました。


 まずは婚約者の男を姉とくっつける作戦。

 彼が家を訪ねて来るたびに、ルナマリアは何かと言い訳を用意して、彼を誘導して姉のいる場所まで行きました。三人で過ごす場に無茶なワガママを放り込むだけで、姉も婚約者も面白いくらいに奔走してくれてますから……二人が長い時間を一緒に過ごしたという“既成事実”がどんどん積み重なっていきます。


 次に第二王子を手に入れる作戦です。

 彼が忙しい合間を縫って姉に会いに来るたび、ルナマリアは偶然を装って必ず会いに行きました。書斎の本を読んで必死に勉強した“紳士を転がす作法”を駆使し、彼を楽しい気分に乗せるだけ乗せて、堅物の姉にはできない方法で好印象を与えていきました。


 そんな日々が続くこと、約三年。


「お父様。折り入って相談がありますの」


 十五歳になったルナマリアは、父親に話を持ちかけました。姉と自分の婚約者を交換したい。自分の婚約者は姉に夢中であり、姉の婚約者は自分の方に気があるのだと。


「何を馬鹿なことを。お前は黙っていなさい」


 しかしその後、父親はルナマリアたちの様子をしっかりと観察していたようです。結局、彼女が十六歳になる頃には重い腰を上げて婚約者の交換に乗り出しました。


「ルナマリア……お前の婚約者は第二王子だ」


 爽快な気分でした。

 全ては思い描いた通りの展開でしたから。


 練りあげた策略を完遂し、美人な姉には地味な婚約者を押し付けて、自分は顔のいい第二王子を手に入れる。彼女は自らの悪女っぷりに満足しておりました。


 しかし、そんな愉悦は一ヶ月で終わります。


 第二王子はすぐに本性を現し、ルナマリアを殴るようになりました。なんでも「さんざん誘惑して、いざ婚約すると身持ちが固くなりやがって」というのが言い分のようです。

 しかし普通に考えて、家の都合で嫁ぎ先が変わるかもしれない貴族令嬢にとって、婚前交渉はご法度ではありませんか。ルナマリアは殴られながらも、それだけはのらりくらりと(かわ)し続けておりました。


 やがて第二王子は周囲にルナマリアの様々な悪評――抱く価値もない女、姉以上のクソ女、男を騙す詐欺師、貢がせるだけの傲慢女――を吹聴するようになりました。もちろん、彼が夜毎に違う女たちと浮名を流し続ける姿は、以前と何も変わりません。


 ルナマリアの悪評が広まるごとに、父親からの視線は厳しくなっていきました。友人だと思っていた者も去りました。家の使用人からも冷たく扱われるようになりました。そんな彼女に残ったのは……あれほど疎ましく思っていた姉、たった一人のみになっておりました。


「ごめんなさい、ルナマリア……ごめんなさい」


 姉はルナマリアの前で謝罪を繰り返します。

 自分は妹の婚約者を好きになってしまった。それを見抜いた妹は、文句を言うのではなく婚約者の交換を持ちかけてくれた。その結果、あんな横暴な第二王子を押し付ける結果になってしまった。酷い悪評の数々まで囁かれている。


 その全てが申し訳ないと、姉は涙をポロポロと零すのです。


 全然違うのに。全てはルナマリアが自分で招いた事態であって、姉が気に病むことなど、本当に何一つとしてないのに。

 ここに来て、彼女はようやく理解することができました。自分が姉に勝っているのは、せいぜい魔法の才能くらい。容姿でも負けて、頭脳でも負けて、性格でも負けているのだから……結果として幸福でも負けるのは当たり前のことでした。


 今さら、婚約を元に戻そうとは思いません。


 ガラス玉のように心が澄んでいる姉は、冬の毛布のように優しい男と結婚して、きっと彼女に相応しい幸せを手に入れてくれるでしょう。

 一方で泥団子のように心が汚いルナマリアは、綺麗なモノと一緒になっても相手を汚してしまうだけです。こんな簡単なことを理解するのに、ずいぶん時間がかかってしまいました。


――汚いルナマリアに、幸せは似合わない。


 単純にそういう話なのです。きっと神様は全てをお見通しだったから、自分と第二王子の縁を結んだのでしょう。ルナマリアはそう考えるようになっていました。

 尾ひれのついた悪評がどれだけ国中に広まっていっても、第二王子が変な女から悪い病気をもらったのだと風の噂で耳にしても、ルナマリアの心はまったく揺れ動きません。


 事件が起きたのは、姉の結婚式の日でした。


 神殿の中央祭壇の前で、将来を誓い合う二人。するとそこに、血走った目をした第二王子が乱入して来ました。誰もが困惑して動けなくなっている中……ルナマリアだけは、凪いだ心で冷静に状況を見ていました。


 第二王子が大瓶に入った魔法毒を姉に向かって投げつけるのと、ルナマリアが姉の前に割って入るのは、ほぼ同時のことでした。


「ルナマリア!」


 姉の叫びを聞きながら、ルナマリアの喉からは笑い声が漏れておりました。

 ガシャンと割れた瓶。毒のかかった皮膚からは、焼かれるような激痛。額には変な汗が浮かび、全身には悪寒が走ります。おそらく何かの呪いを受けたのでしょう、視界もどんどんボヤけていきました。それでも――


 自分の同類(こんなクズ)に、姉の幸せを奪わせることだけは、絶対に阻止しなければならない。


「邪魔しやがって、このクソ女!」

「あら。王子様はずいぶん綺麗な言葉をお使いになるのね。さすが育ちの良い方は違いますわ」


 ルナマリアは虚勢を張りながら、警護の騎士がようやく姉の元へ辿り着いたのを確認して安堵しました。


「なんで邪魔するんだよ! お前は姉のことが大嫌いだっただろう! 美しさも、頭脳も、何一つとして勝てないからって嫉妬してたんだろうが! だから俺を誘惑して来たくせに……この悪女め!」

「ふふ。犬のようによく吠えますのね……でも一つだけ訂正させてくださいませんか」


 彼女はニヤリと口角を上げます。

 そして、体中の魔力をかき集めると……。


 右手に、豪炎の塊を生み出しました。


「失礼してしまいますわ。何一つ勝てない? わたくし、これでも……魔法の才能だけは、姉より上ですの」


 この時のルナマリアは、全身の激痛から、もう自分は助からないだろうと確信しておりました。だからこそ、姉を不幸にする可能性は、今ここで摘んでおかなければ死んでも死にきれない。そんな風に思っていたのです。


 彼女は限界まで魔力を絞り出して、人生最後の全力の炎魔法を、第二王子の顔面に押し付けました。


   *   *   *


「――という感じでしたの」


 ふぅ、と息を吐くルナマリア。

 僕とリリィは顔を見合わあせて固まった。


「ルナちゃん……だいぶファンキーな人生歩んできたんだねぇ。想像してたよりだいぶすごかった」

「うふふ。そうですか? でもまぁ、ここで死んでいれば、そこそこの美談で終わったのでしょうが」


 第二王子が使った魔法毒は凶悪で、本来そう簡単に入手できるようなものではない。今となっては真実は分からないが……そこは王家の権力で押し通したのか、または後先を考えずに裏社会の錬金術師を頼ることにしたのか。いずれにしろ、僕としては良い気分ではない。


「わたくしの話はそんなところでしょうか……つまり今の状態になったのは自業自得ですの。このような性格の悪い女には当然の報いかと思いますわ」

「自分に対して口が悪すぎないか?」

「いえ、普通の感想です。ただ、ジーンさんに購入いただいてからは、身の丈に合わないほど幸福な日々を過ごさせていただいておりますから……どのようにお返しすれば良いのか分からなくて、ずっと考えておりますの」


 ルナマリアはそう話しながら、火鉢に向かって手を擦り合わせる。その指先は真っ白に冷え切っていて、とても辛そうに見えた。

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