第一話 僕が貴女を買い取ります
本作は全ジャンル踏破「恋愛_異世界」の作品です。
詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。
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――精霊とは、神様の下請け業者である。
幼い頃にそう言った僕は、母親から強烈なゲンコツを頂いた。実は今でもその考えは変わっていないのだが……そう興奮する前に、まずは僕の話を冷静に聞いてみて欲しいのだ。
神官によると、神様は全知全能。やろうと思えば何でもできる。それなのに、あえて精霊なんてモノを用意して、世界を間接的に運用しているのは一体なぜなのか。簡単だ。
『神様は、面倒な業務を精霊に外注してるんだ』
そう力説した三歳児の僕は、早々に教育を諦めた両親によって神殿に通わされることになった。
でもそのおかげで、同い年の子どもたちが涎を垂らして積み木細工で遊んでいる間に、僕は読み書き計算を概ねマスターすることができたし、その早熟さを武器にして錬金工房の門を叩いて、気難しいと有名な錬金術師に弟子入りすることもできた。
「……そんな僕が、今や同い年で一番の怠け者だからなぁ」
春の陽気の中、自分の工房の中庭という完全なプライベート空間で惰眠を貪っていた僕は、少しだけ昔の夢を見ていた。
まだ無垢な子どもの頃。無邪気に「正しいことを発言するのは正しいことである」と疑いもしなかった、どうしようもなく未熟な自分の記憶。
今眠ってしまったら、あの夢の続きを見てしまうのではないか……そう考えると、今までゆるゆると頭に纏わりついてた眠気がスッと晴れてしまう。なんだか少しもったいない。
そんなことを考えていると、小さな人影がピョコピョコと跳ねながら、僕の方へ来るのが見えた。
「あ、マスター起きた? お昼ごはんにする?」
錬金生物のリリィは、身長三十センチほどの小人型の使い魔である。バナナ色の髪をポニーテールに束ねて、メロン色のツナギを身に纏い、この工房内を縦横無尽に走り回りながら家事全般をテキパキこなしてくれる凄い子だ。
「そうだな、準備を頼むよ。リリィ」
「了解だよぅ! 楽しみに待ってて、美味しいサンドイッチが出来てるから、すぐ持ってくるね☆」
僕は生活力が壊滅的だからなぁ。
リリィがいなければ暮らしていける自信がない。
二十歳にして自分の工房を構えている僕は、錬金術師としては成功者の部類なのだろう。錬金術師協会には僕の開発した魔法薬や魔法道具なんかが数多く登録されているから、研究奨励金と技術使用料による収入だけでもかなりの額になる。老後を派手に遊び倒しても、ビクともしないくらいの貯金は既にあった。
本来なら、工房を大きくして商品の量産体制を整え、弟子を取って技術を伝えながら、錬金術師として名を上げていくのが正しい道なんだろうけど。
「でもなぁ……僕はたぶん、他人とまともに関わって生きていくのには向いてないだろうからなぁ」
思い返せば、僕は幼い頃からそうだった。
周囲の人々がどんな感情を持っているのか……それを汲んで行動するという、人間として当たり前の資質が、僕には生まれつき欠けてしまっていたのだろう。
良く言えば自由。
悪く言えば人でなし。
十二歳にして錬金術師の資格を与えられ、会う人みんなから“神童”と持て囃された黄金時代の僕は、調子に乗っていて気付かなかったのだ。
近所の人が僕の家族に冷ややかな目を向け、陰湿な嫌がらせをしていたことを。僕の新技術によって食い扶持を失った多くの錬金術師から、強い恨みを買っていたことを。そして、親友だと思っていた奴が、実際は僕に殺意を抱いて刃を研いでいたことを。
「マスター、見て見て! 今日のお昼ごはんはデラックス・サンドイッチ☆リリィちゃんスペシャルだよ」
「うわー……ベーコンがすごいはみ出てる」
「そこが大事なポイントなんだよぅ。零れ落ちそうなベーコンを見てると……ついつい口でパクッと受け止めたくなるでしょ? そうすると、燻製にしてあるベーコンの香ばしさが口いっぱいに広がってね――」
リリィの早口の解説を苦笑いで聞きながら、穏やかな春の陽気に包まれて、僕は少しずつ胸の中の冷たいものを融かしていこうと……残りの人生をそうやって過ごしていこうと、静かに思っていた。
* * *
午後になると、珍しく僕の工房に来客があった。
応接間の対面には、僕より二、三個ほど年上の綺麗な女性が静かに腰掛けている。
「ジーン様。お仕事の相談があるのですが」
錬金術師協会の職員ベッキーは、いつもの無表情を全く崩すことなく僕にそう告げた。
彼女の服装は、タイトなシルエットの小豆色のローブに、魔法薬の小瓶をモチーフにしたブローチ。それは錬金術師協会の中でも、各錬金工房との交渉窓口を担当している職員だけが身につけるものである。
自家製のハーブティーを淹れてきたリリィが、応接室にいる僕たちの前に静かにカップを置いた。
「なぁベッキー。このハーブティーはうちの中庭で採れたものを使用しているんだ。爽やかで、なかなかいい香りだとは思わないか?」
「そうですね。それで、お仕事の相談なのですが」
話題を逸らそうと試みるが、ベッキーにはそうそう引っかかってくれない。たぶん辞書で勤勉という言葉を引くと、ベッキーの名前が書いてあるんじゃないかな。
「でもまぁ、そんな風に真面目なのがベッキーの素敵な所だもんなぁ……うんうん」
僕だって別に、全く仕事をしないわけではない。今日みたいな来客がなければ、だいたいは工房の作業場に籠もって何かしらの研究をしているのだ。
新しい魔法薬や魔法道具を考案してみたり、錬金術師協会から発行される機関誌を読んで新技術を試してみたり、その改良案を練って発案者に手紙を送ってみたり。
そのおかげで、何人かの錬金術師とは手紙のやり取りをする仲になったし、なんというか……引退した老錬金術師のような、充実した時間を過ごせていると思う。
「それでは、仕事の相談を始めても?」
「……僕に務まる内容かなぁ」
「御冗談を。ジーン・シトロン。史上最年少で賢者の称号を与えられた天才錬金術師。貴方一人で錬金術の歴史を何百年進めたとお思いですか。貴方に務まらない仕事なんて、他の誰にも務まりません」
なるほどね。そうやって持ち上げられるってことは……この後の仕事の相談っていうのは、相当厄介な案件なんだろう。嫌だなぁ。
「ジーン様はすごい人なのですから、もっと自信を持っていただかなければ」
「まぁ……ありがとう。そんなに褒めても僕に出せるのはデザートくらいだけど。プリンってまだ残ってたっけ?」
「あるよマスター、今持ってくるね☆」
僕はハーブティーで喉を潤し、窓の外に目を向ける。
この工房は小高い丘の上に建てたので、日中の賑やかな職人街を一望できるのだ。行き交う人々はみんな忙しそうに働いていて……ボーッと眺めていると、まるで僕だけが世界に置いていかれてるような、不思議な気持ちになるんだよなぁ。
そんな風に現実逃避をしていると、ベッキーが「んっんん」と咳払いをするので、仕方なく視線を戻す。
「あぁ、えっとプリンの話だったかな」
「いいえ、仕事の話ですが」
「そうだったか」
やはりベッキーは手強い。
話を逸らすのはどうやっても無理そうだ。
「……ジーン様は、ルナマリア・アプリコット様のことはご存知でしょうか。アプリコット伯爵、つまりこの地の領主様の次女にあたる方なのですが」
あぁ、その名前には聞き覚えがあるな。
悪女ルナマリア・アプリコット。
この国の第二王子の婚約者。男を手玉に取ってだまくらかすのが得意技で、数多の男にプレゼントを貢がせまくっている高慢ちきなお嬢様……だったっけ。その噂がどのくらい信頼できるのかは、だいぶ怪しいと思っているけれど。
「そのルナマリア様が先日、婚約者である第二王子を魔法で焼き殺したそうなのですが」
「ん? んん?」
「……第二王子を焼き殺したそうなのですが」
「大丈夫、聞こえてはいたから」
聞こえてはいても、理解はまだ追いついてない。
え、焼き殺したって……怖すぎないか。
「幸いにも王家とアプリコット伯爵家の間では、高額な慰謝料を支払うという条件で和解が成立したようで」
「……それは良かったね」
「はい。なのでルナマリア様は、どこかの金持ちに身売りをすることで慰謝料を稼ぐつもりなのだとか」
なるほど。まぁ、もしこれで王家とアプリコット伯爵家の内戦にまで発展したら、隣接している帝国は大喜びで領土を切り取りに来るだろうからな。金で和解するのは妥当な選択か。
それにしても、身売りね。
「しかし……事件の際にルナマリア様は何かしらの魔法毒を浴びてしまい、今も呪いが残っているようです」
「じゃあ、身売りは?」
「今のままでは無理です。まずは呪いを解かなければ」
つまり、彼女の呪いを解くのが今回の依頼かぁ。
まずは彼女がどんな種類の魔法毒を受けたのか、調べるところからだろうけど……こればかりは、どうなるかなぁ。解呪方法が分からない呪いなんて世の中にごまんとあるわけだし。
「ジーン様を含めた数名の錬金術師を呼び寄せ、まずはルナマリア様の病状を診ていただきたいというのがアプリコット家からの依頼になります。資料はこちらに」
「分かった。まぁ、やれるだけやってみるよ」
そんな風にして、僕はこの妙な事態に巻き込まれることになってしまったのだった。
* * *
領主の館に呼び出されたのは、それから数日後のことだった。
豪邸の門は数百年も昔に流行った華美な建築様式で、一目見ただけで「あぁ、お貴族様に逆らうなんて無謀だなぁ」と思わせてくれる。
そこから進む道中も驚きの連続だ。なんてことない廊下ですら美術館のようで、余裕を持って配置された絵画や彫刻の一つ一つが、その時代の芸術家が心血を注いだ作品なのだろうなと静かに感動させられるものばかりであった。
応接間には軽めのアルコールや軽食が置かれていて、僕が着いた時には既に数名の錬金術師やその弟子たちが雑談に興じていた。
「おや、君はどこかのお弟子さんかね?」
「いえ。ジーン・シトロンと申します」
「君が……いや、今代の賢者は若いと聞いていたが」
まったく知らない錬金術師から話しかけられ、あいまいに返答する。どうもこういう場は苦手なんだよなぁ……この人も別に悪い人ではないと思うんだけれど。
簡単に挨拶を済ませた後は、部屋の隅の方で目立たないように周囲の会話を聞く。
どうもルナマリア嬢は、この場にいる全員から嫌われているらしい。不思議だよなぁ……直接面識があるわけでもないのに、人づての噂話だけでどうしてそこまで彼女を嫌ってしまえるんだろう。
僕がそんな風に思うのは、僕自身が“大衆”とかいう正体の分からない集団から批判されてきた過去があるからだろう。
家族や知り合いから「人の心をもっと考えろ」と叱られるのは受け入れられる。でも、見ず知らずの人から「天才というのはやっぱり、人間としてどこか欠けてものなんだな……」なんて訳知り顔で批判されてもね。なんだろうな。この人はそういう発言をする自分自身に酔ってるんだな、くらいの感想しか浮かばないのだ。
しばらくして、頭の禿げ上がったネズミみたいな顔の使用人が少々上から目線の態度で現れ、僕らを先導して別の部屋へと向かう。
「……この部屋には、アプリコット伯爵の次女であるルナマリアお嬢様が待っておられます。くれぐれも無礼な言動は慎んでくださいませ」
そう言われて入った部屋には、中央にぽつんと一つだけ置かれた椅子と、そこに腰掛けている女の子の姿があった。彼女をよく見てみれば、たしかに事前にもらっていた資料そのままの姿をしている。
ルナマリア・アプリコット、十七歳。
灰を被ったようなくすんだ色の髪は、肩までで切りそろえられている。どうやら、かつては銀糸のようにキラキラと輝く長い髪が自慢だったらしいのだけれど、今は見る影も無い。
そして。
「……目が見えませんので、失礼ながらこのように座ったままの挨拶になってしまうこと、ご容赦くださいませ。ルナマリアと申します」
そう挨拶をした彼女の瞳は、色素が抜け落ちて薄紅色になっている。
資料によると、髪や瞳の色が変化してしまったのは魔法毒の影響らしい。彼女を実際にこの目で見るまでは確証を持てなかったのだが……。
まさか“野衾の毒”とは。
ずいぶんと強烈な害意を向けられたものだ。
この呪いを解く方法は現状存在しない。この場にいる錬金術師の全員が、即座に「無理だ」と判断しただろう。彼らの弟子たちもまた、小さな声で事態の深刻さを語り合っている。
そんな中、先ほど案内をしてくれたネズミ顔の使用人が前に立ち、ふんぞり返って説明を始めた。
「ルナマリアお嬢様は、我が国の第二王子を焼き殺してしまわれました。しかし王家と戦争をするなどという愚かな選択は取れませんからな……アプリコット家は高額な慰謝料を支払うことと引き換えに、王家に矛を収めていただくことになりました」
使用人は嫌味ったらしく、ねっとりとした語り口調で身振り手振りを大きくする。
「当然。そう、当然のことながら、そんなことでアプリコット領の財政を傾けるわけにはいかない。慰謝料を捻出するべきはルナマリアお嬢様ご本人であるべきだ。それがアプリコット伯爵家の総意であります。しかし――」
皆の視線の先には、ルナマリア嬢がいる。
「この通り、お嬢様は呪いを受けておられる。少なくともこれを解呪しなければ……悪女と名高いお嬢様を、わざわざ高値で買い取ってくださるような物好きな方は現れないでしょう。皆様にはこの呪いを解いていただきたい」
そんな言葉に、錬金術師全員が押し黙った。
呪いの中には他者に伝染するものもあるから、よほどの好事家でも呪われた女に手を出そうとする人物は稀だ。まぁ、彼女の呪いは伝染する類のものではないのだが、一般人にはそんなこと分からないからな。
その上、彼女には第二王子を焼き殺した前科がある。王家に支払う慰謝料は、おそらく王族殺しの対価として相応しい額になるだろう。彼女はそれを賄えるほどの高値で身売りをする必要があるのだ。
正直、誰が買うのだろうという話である。
重苦しい沈黙が続く中、ルナマリア嬢はすっと椅子から立ち上がると、堂々と胸を張った。
「やはり、現在の錬金術の知識ではわたくしの呪いを解くことは不可能、ということでございますね。状況は理解いたしましたわ」
そう話す彼女の立ち姿は、凛としている。
「錬金術師の皆様。ご足労いただき感謝いたしますわ……ボイル、みなさまに足代をお渡しして」
「しかし」
「これ以上わたくしに恥をかかせないで。専門家が解呪は不可能だと言っているのです。身売りして稼ぐのが不可能なら、また別の手段を考えなければなりません。王家への支払いまで、猶予はあまり残されていないのですよ」
本当に彼女は、噂のような悪女なのだろうか。
僕には人を見る目がないし、長い時間をかけて彼女を観察したわけでもない。
だけど、どうも僕の目にはルナマリア嬢が……なぜだろうな。荒れ狂う感情を押し隠して、気丈に振る舞っているような、健気で誇り高い貴族令嬢にしか見えなかったのだ。
そんな風に考えていたからか、ふと気がつけば僕は一歩前に出て、手を挙げていた。
「あの、もし良ければ……ですが」
「はい……? 何でしょうか」
不思議と、僕に迷いはなかった。
人でなし。人の心が分からない欠陥品。大切だと思っていた人たちからそんな風に言われ、他人と関わって生きていても傷つくだけだと工房に引き籠もっている怠け者。錬金術以外は不器用で、日常生活すら使い魔に頼りきりな、どうしようもない僕だけれど。
「……僕が貴女を、買い取ります」
僕はそう宣言した。