第二話 “半魔”
魔物を庇うのは重罪だ。
個々の性質に依らず、魔物はこの世界にいるというだけで、次の脅威が来る可能性は上がるのだから。
「その理由は、そりゃそうなんだけど、ならただこいつらを殺すだけじゃ何も変わらないと思うんだよ」
かつて、そう言って笑った人がいた。
「あるべきものを、あるべき場所へ。そのために、オレはここに来たんだ」
その表情も、その声も、少女に焼き付いて離れない。
――もう五年近く前の話だ。
少女の手は剣を握ったままだ。
狩人が魔物を庇っていいはずがない。魔物を倒すのが、狩人の仕事だ。だから――魔物を見た反応として、それは正しかった。
「許可は取っているぜ」
頬に汗を伝らせながら、ネロは純然たる事実としてそう告げる。今は下手なことを言うべきではないと、直感が告げていた。
「許可?」
「狩人の、というか騎士団の上の方? 最終的な印は第三王子のものになっていたけど」
「アレス殿下の――」
訝し気な表情を浮かべていた少女は出てきた名前に何かを思い出すように唇に手を当て、やがてネロ、と少年の名を呼んだ。
「ん?」
「ネロ・ドラクーン――“獣魔使いのネロ”」
『ああ、それは確かにこいつの名前だな』
少女の呟きにネロが何かを返す前に、答えたのは黒犬だった。少女はちらとそちらを見ると、静かに少年と目を合わせる。
「……一ヶ月前の狩人試験の合格者の中に、犬の半魔を連れた男が合格したって聞きました。それが、貴方?」
「そうだけど、その呼び方はなあ」
その視線から居心地悪そうに逸らし頭を掻く。半魔――というのは名の通り半分は魔物の、半分はそれ以外の生き物の血を引くものの総称だ。なお、そもそもの魔物の定義はダークホールと呼ばれる、空間に突如できる黒い穴から出てくる生き物である。
それを従えた存在、という意味を込めた二つ名は、ネロにとってはあまりにも複雑な感情を抱かせるものだったが、ただ間違いなく彼自身を指す“名”である。
「けど、まあそうだ。半魔は直接害をなさない限り狩人の討伐対象じゃない。だから連れていても問題ない、だろ」
だから肯定で返し、胸元に手を伸ばした。取り出したのは、首にかけられた銀のチェーン。その先には、薄いプレートが付いている。
軽くつま先を鳴らしてから、フォティアは改めてネロに近づいた。その流れのままそっとプレートの先を持ち上げる。
「……ああ、確かに本人ですね」
そこには所持者の名前と、そして小さな青い石が埋め込まれていた。
彼が見せたのは、狩人であることを証明する身分証だ。そして、そこに埋め込まれた石は通常赤色でそれ以外の色には特別な意味が込められている。
例えば、青に半魔を扱うことを許可された人間であるという意味がある様に。
しばらくそれを眺めていた少女は、やがて一歩下がって剣を収めた。
「……重ねて、申し訳ございません。失礼な態度を取りました」
「いや。構わねえよ。慣れているし……」
『狩人が魔物を見たら構えるのは当然だからな』
「お前自分で言うんだ」
改めて頭を下げる少女にネロとカニスはそれぞれ首を振る。そのまま掛け合いが始まりそうな二人に、少女は少しだけ頬を緩めた。
「お詫びとお礼と言っては何ですが、お昼でもご一緒しませんか。もちろん、私の奢りで」
「え?」
唐突な誘いに、少年はきょとんとした後、少々困ったように眉を下げた。
「いや、そこまでのことしていないし……」
助けた相手から何かをもらう事はあるが、今回は狩人同士で少し手を貸しただけ、というのがネロの認識である。ある程度持ちつ持たれつな狩人同士で口頭を超えたきちんとした礼を出されると戸惑いが勝つ、というのは彼に限った話ではない。経験は極めて浅いが一月でその辺りの狩人たちの感覚を知ったネロからすれば少女は妙なくらい律義な人物として映る。
素直に受けていいのか迷う少年に助け船を出したのはカニスだった。
『どちらかと言えば、街までの行き方を教えて欲しい。こいつは行き当たりばったり過ぎる』
「んな」
ただその口調は、少々相棒を馬鹿にしたようなものだったのだが。
『今も特に目的なく歩いていただけだからな。道が分かるだけでも助かる』
膨れて見せたネロだったが言い返せる言葉は特にない。
「では、一番近くの街までご一緒しましょうか」
「いいのか?」
「もちろん」
クスクスと笑った少女は大きく頷き、先程倒した鳥の方へ足を向けた。
「そうと決まれば、さっさと処理をしてしまわないとですね。そのまま持っていくのは邪魔ですし、首だけ切って後で回収してもらいましょうか」
『そのまま持っていくことも出来るのか』
「まあ、魔法なら。でも一人ならともかく、他の人と歩くには大きすぎるので」
フォティアは何てことのないように言うが、四メートル近い大きさのものを運ぶには相当な魔力を有する。それだけの魔力量があってのあの炎かと、ネロは身震いした。
魔力は誰でも持っている。魔法自体は誰でも使うことが出来る。
だが魔物と戦えるだけの魔力量を持ったものは希少で、その中で狩人になろうという者はさらに少ない。
彼女の剣は綺麗に怪鳥の首を落とし、同時に薄い膜で覆う。恐らく、血が流れ出ることと腐ることを防ぐためのものだろう。
これもまた高等技術。
「では、行きましょうか」
そう笑う彼女はきっと、狩人の中でも際立った存在だ。