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第1章 水の少年と炎の少女
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第二十話 出会いの日1(過去編③)

「これくらいの子はまだ風邪もひきやすいし、夜の山道にいたらそりゃあ風邪もひくでしょうね。熱は高いけど心配ないわ」

「そうだね」

 初めての患者を診る両親の言葉は淡々としていたが、そこに何かしらの含みを感じて仕方なかった。

(……にしても初めて見たな。こんな――)

 その患者の、頬や腕をちらりと見る。

 そこには、うっすらと鱗が浮き出ていた。

 瞼が張り付いているような感覚に、手の甲で眼を擦る。少しずつ開いた視界の先に映ったのは、見覚えのない天井だった。

「……?」

 真昼間の眩しい陽射しがネロの顔を照らす。

ぼんやりとしたまま体を起こそうとして、続く痛みに布団に沈んだ。今まで経験したことのない、全身に電撃が走ったような感覚がし、打ち付けた時の感覚と肌が引き攣る感触が体を縛り付ける。熱っぽさだけは理解して、ゆっくり瞬きをした。

 おかあさん。

 呼ぶ声は掠れて大した音にならない。

 喉は引きつって、痛みを訴えていた。

 どこ。

 心の中で呟いて――思い出した。

 自分と母はあの家から離れたのだ。そして――。

(逃げなさい)

 今度こそ跳び起きた。

 痛みなど凌駕する感情に揺さぶられ、ベッドから転がり降りる。

(そうだ。お母さん、どこ。ボクがいるのは、どこ。追ってきたあいつは、何。どうなってるの。かくにん、しなきゃ……!)

 床に膝をつけ、立ち上がるために力を入れる。震える体を無理に起こして、少年はぐっと前を見据えた。

(お母さんまもるって、お父さんに言った……!)

 ゆらゆらと立ち上がり、一歩、二歩。

 辿り着いた壁越しに歩いて、ドアノブに手をかける。

「おわっ!? お前、起きたのか」

 だが、それを開けたのはネロではなかった。

 急に空いたドアに腕を引っ張られ態勢を崩した子供を受け止めたのは、彼よりも幾分か年上の、赤い髪をした少年だった。尤も、同年代との関わりというものがないネロに、少し年上等という概念はなかったが。

 目の前にネロがいたことに少年も驚いたのか、目を丸くしていた彼は我に返ると慌てて「母さん!あいつ起きた!」と大声を上げる。

 そのままわずかに首を傾げるとネロの額に手を動かした。

「いや、……っていうかお前まだ熱下がってねえな? まだ寝ていろよ」

 言われて、だがネロは首を振る。

「――いかないと」

「あ?」

「かえらないと。 ボクは」

「よく分かんねえけど、そんな体で何しようってんだよ。まずは休めって。お前森の中でぶっ倒れていたんだぞ?」

 グイグイとネロをベッドの方へ押す少年に、ネロは首を振って抜け出そうとする。

「ソルの言う通りよ」

「うわっ!?」

 その抵抗を、抱きあげることで封じたのは一人の女だった。

「ほら、寝ていなきゃダメ。医者の言う事は聞くものよ?」

 ベッドに戻し、女はネロの顔を覗き込む。

 なんとなく、その顔に覚えがある気がして、動きを止めた少年はぼんやりと相手を見返した。

 どことなく涼し気な印象をうける女だった。怜悧な瞳を少しだけ和らげて、短い髪を耳の後ろに掻き上げる白衣の人は、ネロはそうと認識してはいないが、彼の母と同じ年頃の女である。

「初めまして、ネロ君。私はナナ―シャ。シーナ――お母さんから聞いたことあるかしら?」

 その名乗りに、少年は、あ、と小さく零す。

 そう、確かに見たことはあったのだ。――会ったことはなかったが。

 それはそう、家に置いてあった、古い写真の中にあった、夫婦の写真。

 母が友達だと言っていた――まさしく会いに行く予定だったその人だ。

 何か言おうとして咳き込むネロを上半身だけ起こさせ背中をさすった。

「水、飲める?」

 弱弱しく頷き水差しから注いでもらった水を受け取ると、体は思っていたより水分を求めていたらしく一気に飲み込んではむせてまた咳き込んでしまった。

「ああ、こら、慌てない」

 また落ち着くまで支えられ、その後はゆっくり寝かされて布団を掛けられる。流れるように額と頬に触れ、まだ高いと口に出した。

「怪我は良くなってきたけどねえ。とりあえずもう少し水飲めるかしら。後は薬と――」

「お、母さんは……?」

 その手を掴んで、少年は縋る様に聞く。

女性は、一瞬だけ息を呑んだ。

「……ここにはいないわ」

 彼女は、嘘をつくことはしなかった。

「ここには来ていないけど。けど、きっとすぐ会えるわよ。色々なことから生き延びてあそこで暮らしていたやつなんだから」

 事実と、気休めのような言葉は――少年の救いにはなり得ない。

「薬飲む前に何か食べて欲しいけど、食べられそう? 食べられるなら何か作るし、無理でも果物くらいなら食べられるかしらってところだけれど」

 そう言われ――ネロは急に空腹を自覚した。最後に食べてからは相応に時間も経っているだろうから、それも当然だろう。

「……いい」

 けれども、出てきた言葉はそれだった。

「ボク、いかないとだから」

 ぐ、と上を向き、女性の顔を見つめ返す。その人は、少し迷うように目を閉じ、顔を横に振った。

「気になっていることが色々あるのでしょうけど。ここは診療所であなたは病人。だからここから動くことは許可できません」

 きっぱり言い切りながらも、幼い少年を撫で立ち上がる彼女は少しだけ悲しそうな顔をしていた。

「あなたが持っていた手紙、私と主人宛だから読んでしまったわ。シーナ曰く、この村に住まわせて欲しいってことだけど、あなたその状態だし、“しばらくは”ここにいなさい」

 最後にポンと叩いて、ごはん用意するわね、と彼女は部屋を出ていった。

「ボクは……」

「あ、だから出ようとするなって。お前丸三日も寝ていたんだぞ」

 それを追おうと布団から足を出そうとしたネロを、少年が抑え込む。

「でも」

「でもも何も、そのまま出たってどうせろくに動けねえだろ? 大人しく寝ていろよ。ったく、母さんも言葉選びが下手っつうか、ごまかしたりできないっつうか……」

 言い募るネロの頭に濡れた布を張り付けるように置きながら、彼は変に賢し気にため息をついた。

「何するにしたってまず治さなきゃいけないんだよ。ここに来たときは熱だけじゃなくてあちこち擦り傷だらけだったし……」


「ボク、約束したんだよ」


 少年の言葉などまるで聞こえないかのように、ネロは抵抗しながら言った。

「お母さんをまもるって、お父さんと約束したんだよ……!」

 

 少年の腕を掴んで涙を滲ませる幼子に息を詰まらせた少年は、それでもその手を取って、真摯に言葉を繫ぐ。

「まず、探すのは、もう父さんや父さんの友達がしてくれている。おばさんのことも知っている人たちだから、きっとすぐ見つかると思う。また会える。だから、お前の仕事はその後なんだよ」

「後?」

「見つけて、会えたなら、お前が母さんを守らないといけないだろ? そのために、まず体を治すんだよ」

 わかるか?

 少年は真っ直ぐネロのことを見ていた。

「守るためには強くならないといけないだろ。そのためにはまずバンゼンじゃないといけないだろ。ていうかお前の母さんに会っても心配かけるだけだろ? だからまずは寝るんだよ」

 彼とて、十にはならない子供なのだ。うまく人を説得するなんてことには慣れていないし、言いくるめはむしろされる側だ。それでも、動き通しているうちに熱を出して、森の中を歩き回ったが故に傷だらけになっていた少年を、下手に向かわせてはいけないことは分かるし――親とはぐれてしまったことに不安になっていることも理解できた。直接話されたことではないが――両親たちの会話を漏れ聞く限り、今ここではぐれているのは彼の母は子どもを庇った可能性が高い――なら、よりいっそう心配だろうことも、推測できた。

 だから、ただただ思ったことを言う。 

「そん変わり、動けるようになってもまだ会えなかったら――その時は、オレも一緒に行ってやっから!」

 その真っ直ぐな目に、ネロは揺らいだ。

 この人がまた会えるというなら、信じていい気がした。

 そして叶わなかったとき、それでも一緒に行ってくれるなら、自分ひとりよりもずっと、どうにかなるような――。

「ほんとうに?」

「?」

「ほんとうにいっしょにいってくれる?」

「ああ! 約束するぜ」

 念押しすれば、少年は笑顔で頷いた。

「……分かった。約束だよ?」

 ネロはようやく力を抜く。

 その様子を見て、少年の方も安堵を零し、ふと手を伸ばした。

「自己紹介していなかったな。オレはソル。ソル・イリオス。ネロって言うんだっけ? よろしくな」

 何だか今更な気もする挨拶をする少年に、ネロはぱちくりとその手を見やる。

 絵本で、そういうシーンは見たことあった。仕草も、母に教わった。

 ただそれを、誰かにしたことは、そういえばなかった。

 恐る恐る手を伸ばし、握り返す。

「ネロ・ドラクーンです。よろしく、ソル」

「おう!」

 名前を言って、握手をする。

 物語で、友達や仲間を作るのに行うステップ。

 何となく気恥ずかしさに似たものを感じながら、子供はようやく笑った。

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