第十七話 狩人の理念と個人の倫理
「苦労をしますね」
「本当だな」
怪我人二人の部屋を出て、側に寄ってきた部下の言葉にアダマスは苦笑した。
「動機が同僚の姿で結果が魔物との戦闘なら責めづらいですね」
「……狩人の論理としても倫理としても、同じ狩人を助けようとすることと魔物を倒すことは基本の理念に沿っている、か。本人にも褒めるべきなどとは言ったが、とはいえ無謀な突撃をしたようにしか見えないから、そこはきちんと叱っておきたい。細かい事情を聞いてからになるが――」
ぶつぶつと言いながら歩く彼女は、ずいぶんと彼らを気に掛けているらしい。少女の境遇に思うところがあるからなのか、それとも今回虐殺された若者のことがあるからか。恐らく、両方だろう。
「――あなたがそこまで気にするほどでしょうか。彼らは実力者ですし、子供でもないでしょう」
「――十五を越えているという意味ではな」
眉間にわずかにシワを寄せながら、彼女はわざと踵を鳴らすようにして歩く。
「入れ込みすぎるなという意味の忠告なら受け入れよう。だが、彼らはどうにも危うい。私はただ、あまり若い命を散らすようなことになって欲しくはないんだ」
「ん……」
ネロが起きてからしばらくして、少女は小さく声を漏らした。
ぼんやりとした目で辺りを見渡し、声がする方のカーテンを引く。
『お』
「起きたか」
「ネロ……?」
フォティアは一人と一匹の姿を認め、幾度か瞬きをしてから、カーテンの端を握りしめた。
「……こっちの台詞だよ……」
脱力したような、それでいて泣くのを堪えたような、声。
「急に倒れて、びっくりしたんだから……」
「ああ、悪い」
それに少年は眉を下げた。苦笑めいた表情で彼は少女に向き直る。
「お前はもう大丈夫なのか」
「とりあえず調子が悪い感じはしないかな。ちょっとまだあちこち痛むけど」
「そうか――」
肩をすくめる少女から少年は目をそらす。
彼女は彼女でベッドに腰を掛ける形に体勢を直すと、どっちかっていうとお風呂に入りたいな、と髪を払う仕種をしてみせた。
『アダマスに言えば借りられるだろう』
「かな? 基地内だよね、ここ。誰か来たら言ってみよう」
そう軽く言って、少女は片目を閉じた。
あえて空気を軽くしようとした少女に、少年は一度膝に視線を落とし、やがてはっきりと目を合わせた。
「先走って悪かった」
「ん?」
「俺が最初に攻撃しなければ、逃げられたかもしれねえのに」
沈痛な面持ち、という言葉が似合う表情に少女は不意を突かれた。
「そんなこと。ネロがやらなかったら私がやっていたよ、多分」
別に、ネロのせいだとは思わなかったのだ。
自分があまり周りが見える方ではない自覚はある。だからそれはただの本心であり、事実だった。ただただ出遅れただけだ。
「先に自分より頭に血が上っている人を見ると冷静になれるみたいね。連絡手段とか考えられたのはそれが理由。私はそんなだから、謝られてもちょっと困るかも」
むしろ逆の立場になった可能性もあるし、と笑う少女は、結構な致命傷になりうる傷を負ったとは思えない態度だった。
「初めて会ったときに森で炎使ったり、私はわりとそういうタイプだよ。今回は結果的に私もカニスも無事だったし、彼らは――」
そうやって、明るく話していた少女が、一瞬言葉に詰まった。
ああ――こいつも知っているのだ。
先を告げようとする少女を遮る。
「あいつらのことは、聞いた」
「……そっか」
確認は、それで終わった。
少女は何かを迷い、結局ただ、頷いた。
「……だから、私のことは気にしなくて良いよ」
「ん。じゃあこの反省は、俺のためのものにする」
「うん、そうして」
素直に頷く少年の中には、きっと様々なものが渦巻いている。
後悔や不甲斐なさ、失ったものを考えての苦しみ、失ったかもしれないものを思い浮かべて生じる恐怖。
けれど少女は触れない。
触れようとしない少年の矜持を尊重する。
少女が応え、しばらく沈黙が降りた。
「そういえば、あの子供は……」
ふと、それに耐えられなくなったように、あるいは、ただ今思い出したというようにネロが辺りを見渡した。
「分からない。あの後、どこか行っちゃって」
ここにはいない、ということしか分からない。
そう告げた少女は視線を落とした。
「あの子――魔物だって言っていた」
自分達は狩人だ。
彼女が魔物なら、討伐対象である。自分達の手で殺さなくてはいけないのだ。
助けてくれた……見た目は年端をもいかない少女を。
実際に出来るかどうかはおいておいて、使命としてはそうなる。
敵わぬ相手と見て避けることも逃げることも問題はない。
けれどそれは、見逃すという意図によるものであってはならない。匿うなど持っての他――それが狩人の、あるいはこの世界の理屈だ。
その理論に徹せなかった想い人は死んだ。――だから、よく分かっている。
『実際――少なくとも、こちらの生き物ではなかったな』
そして事実として与えられたものに慈悲はなかった。
『感じる魔力が、こちらの生き物とは――少なくとも人間とは別の物だ。私のような半魔でもない』
ホールの向こうの魔物か、こちらの生き物か。
それが分かるというカニスの言葉に、フォティアは一度唇を噛む。
魔物なら、敵なのだ。
例え、助けられたのだとしても。
あの時は、そこを考える余裕などなかったけれど、落ち着いてしまえば、それを意識せざるを得ない。
「……なんで魔物が俺たちを助けたんだろうな」
『分からんが、あの女は、あの男の敵になるつもり、と言っていた。敵の敵は味方とは限らんが……向こうはそのつもりなのかもしれん』
疑問を溢せたのはネロで、カニスはただ推測で答える。
『もしくは、たまたまそうなったという可能性だ。あの男と戦うのにあたって、ああいう形になった。戦闘を有利にするためならそういうこともありうる』
そして、彼は琥珀色の目でネロを射抜いた。
『……現にお前たちはあの女を助けただろう?』
純粋な人間ではないと、分かっていただろうに。
人にはない角を見ていたのだから。
そういう意味を込めて突きつけられた言葉に、ネロは喉奥で唸る。
魔物を助けるのは、厳罰を食らってもおかしくはない。
魔物は全て討たなければならない。なぜなら、魔物が出るときに開くダークホールは、そこからでた魔物を全て殺すか、送り返さなければ閉じないからだ。魔物が生きてこちらにいる以上、ホールが空いたままになる。空いたままのホールはそこからさらに魔物が出易くなるのだ。
当人がどんな意思を持つかは関係なく、魔物がいる時点で驚異になる。
だから討つ。
それが魔物討伐に関わる組織全ての基本理念だった。
「それは……」
「見た目は魔物でも――味方っぽかったし、だったら、半魔なのかもしれないし……。まあ、相手とも知り合いっぽかったけど……」
口ごもったフォティアに対し、ネロは一応それなりの理屈を紡ぐ。
魔物はダークホールの問題から全て敵。
逆にいえば、魔物と、この世界の生き物の間に産まれた生物である半魔はホールを通ってこないから、半魔であるというだけで討伐対象になることはない。
とはいえ、純粋な魔物かそうでないかを見た目だけで判断するのは不可能だ。だからあまりその理屈は通らず、討たれることが多いのだが。
だから、助けてくれた相手をそう捉えるのは必然で――だがそれも結局は言い訳だった。
「……あのときは、そんなこと考える余裕なんてなかったからな」
その時の自分のことを考えて――一番正直なところはそうなる。
彼女が何なのかなんて考えられるのは今だからだ。
自分たちに味方をすると宣言して、戦う、恐らくは年下の少女を前に逃げ出すような精神性は持っていない。
ただ、それだけの話だった。
「……狩人の理念としては、共に戦うというなら助けようとなるのは当然。その方が、自分も相手も助かる可能性は上がるから。……カニスが言いたいのは、そういうこと?」
狩人は単独行動をする人間が多いが、だからこそ持ちつ持たれつ、互いに助け合おうという考えがある。というより、それができないなら狩人になるための試験で落とされる。
『そういうことだ。……深く考える余裕がないあの場で、お前たちはその通りの動きをしただろう。向こうの場合は種族関係なく、助け合いのつもりだったのかもしれない。あるいは、利害の一致か』
そこまで告げて、しっくり来ないという顔をした二人に、カニスは人間なら肩をすくめていただろう表情をした。
『可能性として高いものを挙げたまでだ。……こちらには及びもつかない理由かもしれんしな』
「だなあ。……これ以上は考えても仕方ないか」
はあ、とネロは力を抜き、ベッドに身を投げ出した。
だが、この話は終わってはいない。
『ところで、ネロ』
「ん?」
『余裕があったならどうしたんだ』
目を瞑ろうとした少年に、カニスはその問いを投げ掛ける。
『先程のは模範解答だろう。余裕があって、なおかつ魔物だと確定している相手だったら』
「……………」
『これは重大だぞ。つまり――次会った時にあの女を殺せるかということでもあるからな』
肩を揺らしたのは、フォティアの方だった。
ネロは再び体を起こすと、しばらく黙って俯く。
「もし、俺に余裕があって、目の前で自分に味方してくれようとするやつが戦っていたら。それも自分を助けてくれたやつなら。助けるだろ。例え魔物だとしても」
想像して、出てきた言葉はそれだった。
人と同じ見た目をして、幼い少女の形をして、自分達の敵に向かっていくものを、魔物だと切り捨てることはできない。
「次会った時も――いきなり攻撃したりは、できねえよ。そりゃ、恩を仇で返すってやつだろ」
自分を助けてくれた相手を、組織の理念に則って敵として見るのは難しい。
たったそれだけの、全うな感覚。
「その考えは、危険だよ」
そしてそれは、相手が魔物だというだけで通らなくなる理屈だった。
相手が魔物だということに、ネロよりよほど苦しそうな顔をしながら、フォティアは忠告する。
「私の好きだった人は、魔物を庇ったから死んだ」
彼女は魔物を庇うという行為には敏感だ。初対面でカニスを見て剣を向けようとしたように。
「ネロには――そうなって欲しくない」
その根底にあるものを伺い見て、ネロ自身に向けられた言葉を聞いて――彼は目を伏せる。
『狩人としてもこちらの住人としても、フォティアの方が正しいぞ』
「……分かっている」
けれど――そんな忠告は今更なのだ。
魔物を庇う人間がこの世界でどういう扱いを受けるかなんて、ネロは誰よりもよく知っていた。
「分かっているよ。俺は、こうなんだから」
無意識に頬を撫でる。
そこにあった鱗はもうない。けれど、こういう話では意識してしまう。
「お前、俺のことは聞かないのか」
ふと、そんな言葉が漏れた。
「え」
「だって見えただろう? これ……」
頬を指差したままフォティアに顔を向けるネロに、少女は少しだけ目を泳がせる。
「聞いていいのか分からなかったから……」
当たり前といえば当たり前な回答とともに、少女は一つ、核心に触れる。
「それに、魔物じゃないのは分かったから」
人ではない特徴があっても彼は“魔物”ではない。
そうであるかないかの違いは大きい。
二対の目に先を促され、少女はその根拠を告げる。
“魔物は心臓が無い”からだ、と。
心臓がないこちらの生き物はいても、心臓がある魔物は今のところ例がない。似たような見た目で、同じ色の血を流すのに、体の構造が大きく違うのだ。
心臓がない代わりに核、と呼ばれるものは、これは心臓みたいに動かず、脈もとれない。
ごく一部で、魔物の研究というのも行われていて、これはその研究結果の一つであった。
「だから……心臓の音がしたネロは、定義上は魔物じゃない」
それが少女の結論だった。
「どうだろうな。心臓がある魔物もいるかもしれないぜ」
「それはそうかもしれないけれど、未発見の希少例を考えるより、ここは自然に解釈するよ。……ネロは半魔なの?」
なぜかあえて自分の首を絞めるようなことを言う少年に苦笑し、少女は答えを告げる。
カニスと同じだ。半分魔物の血を引くこども。
それが、この少年の正体だ。
「……ああ」
ふっと力を抜いた少年は静かに頷く。
少女は立ち上がると、隣の――ネロのベッドに腰かけた。
「……ネロの話、聞いてもいい?」
あの嵐みたいな技の出所とか、なんでカニスを連れているのかとか気になるし。
そう軽く告げる少女は少年の顔を見ないようにしている。
その気遣いを組んで、少年は口を開いた。
「お前の言う通り、俺は半魔だ。母さんは人間で、父さんが魔物。服を来ていれば見えないけど、背中とか腕とか首の後ろとかには鱗があって、過剰に魔力を使ったり、父さんの術を使うと頬や手の甲にも浮かんでくる」
少年にとって、それを話すのは信頼の証だった。
「あの技も、そうだ。父さんは……何て言うんだろうな。蛇みたいに長くて、青くて、角と髭とたてがみがあって……」
なんとなく、この少女には、聞いて欲しかった。
「雨を降らすことが出来る魔物だった」




