第十五話 一つの戦いの終わり
「結界に気が付いて良かったよ」
少女はトン、と一歩前に踏み出す。
ぬかるんだ地面にブーツのつま先が沈むのを見て、少女は、あ、と声を上げた。
いつの間にか、地面に残しておいた結界が消えている。
そして雨も――止んでいる。
あの男への大きな対抗手段が二つ、消えていた。
それが示すのは、維持するための魔力切れ。そろそろ本当に限界だ。
「まあ、正直わたしがいて何が変わるかは分からないけど、とりあえず、あなたちが逃げるために手を貸すよ。一つくらいなら切り札もあるし」
そんな中現れた少女は、希望というにはあまりにも不確かだった。
歩む少女からフードが落ちる。そこにあるのは桃色の髪と、人にはあり得ない、山羊の――男と同じ、彼よりは小ぶりな、角。
「……何故あなたが……」
呆然としていたのは少年たちだけではない。
明らかに頭に血が上った様子だった男すら、目を見開き、少女を見ていた。
問われた側は、指を頬に当て、少しだけ首を傾ける。
「何でかって言われれば――」
そうして、何でもないことのように、気軽な口調で。
「わたしがあの人たちの味方をしたいからかな?」
「――ふざけるな!」
返答への返答は、棘の雨と共に放たれた。
「っ!」
「っ、突風!」
ネロとフォティアが慌てて魔法をぶつけ凌ぐ中、少女もまた風で薙ぎ払い、踵を鳴らす。
それだけで男に肉薄し、拳を振るった。
男はその攻撃は避けず、頬に受けながらもそのまま腕を掴む。
「おおっとお!?」
ぐるり、とそのまま捻られ、もう片方の腕で体を貫かれる――その光景が少女の脳を過ぎる。
笑顔にも見えるような引きつった表情に汗を浮かべたところで、そこに水の矢が二人の間に飛んだ。
「わ」
手が離され、少女の体が浮く。
「――貴様……!」
男はその矢を放った人物の方へ――ネロの方へ向く。
相棒と防御をフォティアに任せた少年は息を荒くしながらも剣を構えて、男の方を睨んでいた。
「ああ、そっち行っちゃダメだって!」
ネロの方へ腕を向けた男の裾を、地面に落ちた少女が掴む。
その身から、電流が流し込まれた。
「この程度で――!」
男はそう言いながらも明らかな苦痛で顔を歪める。そのまま、足を思い切り振った。
「濡れているからよく響くでしょ!」
少女は蹴り飛ばされながらも、に、と口角をあげていた。
「水の剣先!」
「雷撃!」
水と、雷。
ネロの方の技こそ異なるが、討伐任務の時と同じ組み合わせで放った攻撃は、男に直撃した。
少年たちが限界のように、男も相応に傷を負い、体力を削っているのだ。
加えて今の彼は冷静ではない。
これだけの条件が揃えば、彼らの攻撃も通る。
「……っ!」
体の表面を削る痛みとはまったく別種の痛みとしびれに顔を歪め、それでも男は何かを放とうとした。
「ねえ、ところで、サーヴァンディア」
そこに投げかけられた少女の言葉。
名を呼ばれた男は肩を揺らす。
「わたし、良いところに蹴り飛ばされたなーと思っているんだけど」
言われるまでもない。
それが男の思ったことだ。
少女の方へと振り向く。
片膝をつき、泥まみれになっている少女は、そのまま腕を後ろに伸ばしていた。
そこにあるのは、男が通ってきたダークホール。
「……あなたも帰れなくなるのは嫌なんじゃない? これは特別な門でしょう」
不敵に笑う少女の言葉に、男は冷や水を浴びせられたような気分になりながら、一歩前へと踏み出した。
体を強張らせる少年たちを見ることなく、彼は帽子を拾う。
「……それを閉じられてもどこか開いたままの門を見つければどうにでもなりますよ。けれどまあ――そこまでするだけのうまみはない」
「でしょう」
言葉遣いが戻った男はすっと帽子を被り、ダークホールの前に立った。
「……あなたのことは報告させていただきますよ」
「もちろんどうぞ?」
「それと――そっちの男のことも」
それだけを言い捨て、男は暗闇の中へ足を進める。
完全にその姿が消えた時、ダークホールの入り口は消滅した。
「助かっ、た……?」
沈黙の中、フォティアが呟いた。
その横で、少年の体が崩れ落ちる。
「ネロ!」
『大丈夫だ』
横に膝をついた少女の腕の中で、低い声がした。
目を覚ましたカニスが身じろぎしたため、そのまま地面に下ろしてやる。
空いた手で、少年の手首に指を触れさせた。
「脈、ある」
『ああ――』
とん、と胸に耳を置く。
「……生きている」
『呼吸もある。大丈夫だ。それに初めてのことでもない』
相槌を打った大型犬は反対側に回ると、ネロの腕を噛んだ。
「それ、魔力を分けてくれているんだよね。――私の時も」
無言のまま目を伏せるカニスを見ながら、自分の足を擦る。
結界を張る時に噛まれて気が付いた。カニスは魔力を人に流し込むことが出来る。それも、その魔力を相手が使用できるくらい馴染ませた形で。
治癒魔法としても聞いたことが無い。相当特殊な魔法か、あるいは、半魔としての彼個人の固有能力なのか。
少女の手が少年の肩を擦る。治癒魔法なら少女も使えるが、もうそれだけの魔力が無い。
『私は、与えることも、奪う事も出来る』
ぼんやりとしているうちに、ふいにそんな言葉が耳に入った。見れば、カニスが腕から口を離している。
『君やネロを噛んだのは与えるためで、あの魔族を噛んだのは奪うため。私の意志で調整できる。……だが私もそろそろ限界だ。すまないが、君に与えるのは難しいな』
その場に伏せた黒犬に、フォティアは首を振った。
「大丈夫だよ。私は……」
『魔法もかなり使っていたし、傷が多い。なにより、最初に腹に受けた傷も完治したわけではないだろう』
「う……」
言われてつい腹を抑えた。
その場で動ける程度には傷を塞いだものの、本来なら死んでもおかしくない傷だ。戦闘で忘れていただけで、今になって痛みが来ている。
『いずれ人が来るだろう。それまでは出来る限り体力を使わないことだな』
「うん」
大人しく頷き、倒れこんだままのネロを眺める。目は覚まさないが、少しだけ顔色がよくなっている気がした。そっと髪をよければ、いつの間にかあの鱗が消えている。
そのまま、少女はそっと頬を撫でた。
『嵐を起こすあの技は相応に魔力を使用する上、本人曰く、普段魔法を使う時とは全く別の感覚らしい。消耗した状態で使えばこうなることもある。――子供の頃はよく倒れていたな。だから、まあ、大丈夫だろう』
「……そっか」
完全に安心できたわけではないが、少女はほっと息を吐いた。
狼煙はきちんと上がったのだ。誰かが来れば、きっとどうにかなる。
もう誰かを運ぶだけの力どころか、自分が街に辿り着けるかも分からない状態では、そう信じるしかない。
思考を固めて落ち着いたのか、周囲を見渡す余裕が生まれた。
「あなたたちは大丈夫みたいだね」
だから、自分たちより幼い少女のことも、ようやく目に入った。
「……助けてくれてありがとう。あなたは……」
「わたしはティアラヴィル」
桃色の髪の少女は端的に名乗って、自分の頭を、その角を指さす。
「まあ見ての通りなわけだけど。ワケあってさっきの人たちの敵になるつもりなので、あなたちの味方として介入しに来た、あなたたちが言う魔物です。聞きたいのが最後に何をしようとしていたかならちょっと教えられない。わりと自分の都合だし助けに来たのに途中助けられちゃったし感謝とかはいいよ。助けられたのあなたたちだけだったみたいだし」
つらつらと話された、最後の言葉に肩を揺らす。鎮痛の面持ちになった黒犬が、そっと目をそちらに向けた。
『フォティア。あちらは――』
「うん……分かっている」
ティアラヴィルの言葉が意味すること、カニスの視線の意味。
「浮かせた時の感覚で――分かっていた」
『――魔力を与える能力故か、私はこちらの生き物と魔物を見分けたり、その生死が分かる。――来た時には、死んでいた』
そもそも発端は彼らだった。
倒れていた、あの男に踏みつけにされた青年たちはとうに死んでいた。――だからあの戦闘の場で呻き声一つ出さず、ただフォティアの魔法で運ばれるままだったのだ。大量に出血した状態の彼らを治癒しようとしなかったのも、つまりはそういうことだ。
そちらを見ない少女を眺めていたティアラヴィルは、やがてローブの裾を翻し、足を森の外に向けた。
「じゃあ、わたしはもう行くね」
「え」
「ヒトが来ちゃうとマズイの。だから、また会えたら!」
待って、という間もなく、少女はその場から姿を消した。それと入れ替わるように、複数の気配が近づいてくる。
「君達!」
その中に、一際響く声の女性がいた。
「あ……。アダマス様……」
知った顔に力が抜ける。
そのまま、フォティアの意識も完全に落ちた。




