第十二話 人型の魔物
そこは、森の中の開けた場所だった。
男は血の付いた手袋を放り投げると、新しいものに変える。
睨みつけるネロに対してスンとしていた彼は、ふと悪意に満ちた目を煌めかせると、尖った靴の先で倒れている青年の背中を踏んだ。
「てめえっ!」
――水の剣先。
ほとんど何も考えず、ネロは魔法をぶつけた。水を纏った魔力が剣先を伸ばし相手を斬るという技で、威力自体は弱いがとにかく速く、剣を振る感覚のまま使えるため扱いやすい、塞がれにくい技だ。
それでも、避けられる、防がれる、他の魔法で相殺される、といった方法で当てられなかったなら理解出来ただろう。
「かわいい技ですね」
「な」
男は、ただ片手を動かしただけだった。
新しい手袋をつけた手で、蠅でも払うような仕草だけで、ネロの魔法に対処してしまった。
「……っ」
『落ちつけ。無策で挑んで勝てる相手じゃあないのは分かっただろう』
引きつりながらも構え直すネロの足をカニスがあま噛みする。
『あの男は魔物だ。それも、かなり強い方のな』
「……分かっている」
奥歯を噛み締めながら、少年は相手を観察する。
男の背後に、人が通れるサイズのダークホールが一つ。
黒髪に琥珀色の目。色の組み合わせは珍しいが、ある一点を除いては普通の人間に見える男。その一点、長い尻尾をゆらゆら揺らしながら愉しげに目を細めるその男は、少なくとも純粋な人間ではない。
「……ネロは連絡系の魔法は」
ネロよりは冷静な少女が小声で尋ねる。
「使えねえよ。フォティアは?」
「私も。ってなると」
少女はさっと上を見上げる。
空の大部分は木の葉で覆われているが、見えないわけではない。
「狼煙か」
彼女を起点に、煙が上がる。
街からまだそう離れてはいない。あそこには討伐隊があり、まだ狩人たちも何組かは残っているはずだ。誰か一人でも気が付けば増援が来るだろう。
「おっと」
少しだけ驚いたように目を見開いた男は一歩踏み出す。
ネロとカニスが少女の前に立って構えるが。
「これ以上、ヒトが集まってきては面倒なのでね」
踵を鳴らす音一つ。
遅れて響く、ガラスを引っ掻くような音一つ。
それで、空へ上る煙は妨げられた。
それだけではない。
男を中心にネロ達のいる場所も含め、透明だが魔法を用いて戦う者なら確実に分かる――半球状の囲いが出来ていた。
「結界……!」
『ただ逃げるのも難しそうだな』
「ええ。出ることも入ることも、中の様子を認識することすら不可能です」
それを創り出した魔物は、余裕たっぷりの足取りで少年たちに近づく。
「人間のものとは違うでしょう」
涼やかな声。見せびらかすように開かれた腕。
それを認識した。そこまでで。
「……あ……」
少女の横腹に、薔薇の蔓が刺さっていた。
「……フォティア!?」
「おや、急所を狙ったつもりですが、外されましたか」
涼しい顔でふむ、と男は首を傾げるが、ネロにそちらを見る余裕はない。
「フォティア、おい!」
「だ、大丈夫……」
少女は苦しげにしながらも手を刺された場所に当てている。
「それより、地面!」
少女の叫びに、少年はハッとなって跳び退いた。
地面から小さな棘が飛び、少年の頬を掠める。
「……っ! 水球粘度マックス……!」
喉を引きつらせながらも少年の声は地面に向かって放たれた。
地面に球場の粘液がいくつも落ち、それが飛び出てくる棘を抑える。
「おや」
人の形をした魔物は、感心した様に顎に手をやる。
「これを抑え込めるとは。相当な力を練りこんでいますね」
「……そっちこそ」
憎々し気に血を拭うと無言で水で作った弾を浴びせたが同じ水の玉で相殺され、オマケとばかりに一発ぶつけてきた。
「がっ……」
腕でガードするも吹き飛ばされ、思い切り幹に激突する。
「クソ……」
『フォティア』
「大丈夫」
ネロの戦いの音を聞きながら、少女は苦しそうに息を整えていた。
『フォティア』
「ん、なに……」
言いかけ、少女は、え、と零した。
その足に、カニスが軽く噛みついていた。
「何、を……」
突然の行動に驚き。
『どうだ』
「……あ」
直後、それとはまた違う意味で再び目を見開いて――彼女は笑った。
「うん、行ける」
はあ、と一度大きく息を吐く。
「――結界魔法。“ここは今だけ私の領地に”」
その中に混ぜるように、零すように告げられた言葉と共に、地面に、宙に光を帯びる。
「さて」
呟きながらネロに近づく男はその光に僅かに眉を寄せた。続いて一つ、踵を鳴らし、芝居がかった仕草で頷く。
「そう来ましたか」
「私の結界を内側に張った。こんな攻撃は二度とごめんだもの」
少女はローブから取り出した小刀に魔力を込めて蔓を切り裂く。
そのまま手を腹に当て、もう片方の手で蔓を引き裂くと同時、今度は手に光を帯びる。
治癒魔法。知識と繊細なコントロールを必要とする、高度な魔法だ。
「面白いですね、あなた」
人型の魔物が、今度は少女へと矛先を向ける。
そこへ。
「水の剣先!」
少年の声が鳴り響いた。
「おや」
避けた男の体には傷一つない。
それでも。
それでも男は少年を“見た”。




