第十話 少女の夢
『避難民が戻ってきたようだな』
「ああ、討伐隊の人たち、呼びに行っていたのか」
ネロが頬を揉んでいる間に、周囲は騒がしくなってきた。
フォティアの方を見れば、流石に囲む者は減っていたが、それでも何人かに掴まっている。
「すごい人気だな、あいつ」
『ああ――。だが、そろそろ』
「ほら、君達、すまないがそろそろ人が来る。話は中でお願いしたい」
カニスの言葉と同時に、パンパンと手を叩く音がした。アダマスに促された狩人たちは、ハッとしたように頭を下げて散っていく。
「ありがとうございます、アダマス様……」
「気にするな」
それを見送り、礼を述べたフォティアを手で制すると、彼女は颯爽と去っていく。討伐隊の部下に声をかけていあたり、まだ仕事があるのだろう。
全身に疲労を覚えながら、少女はゆらりと辺りを見渡した。そのまま目的の相手を木陰に見つけ、横に腰を下ろす。
「ふう……」
「あー、お疲れ?」
「……助けてくれてもよかったんじゃないの」
思わず漏れた息に、少年は少しだけ申し訳なさそうに応じる。恨み言には苦笑で返ってきた。
「人気者なんだな」
「色々あって、ちょっと知名度はあるからね」
座り直した少女は、くるりと自分の髪を指に絡ませる。
「戦闘に慣れていたり、ちょっとした人脈があったりが重なってそれなりに大きな活躍もしたことがあるから、それで覚えてくれていた人とかいるみたい。後は――」
『アリシア・フォアティネーラ』
ぽつぽつ、と話し始めるフォティアの後を引き継ぐように、先程から上がっていたその名をカニスが口にした。
『先程聞くのが途中になったが――この名前は、基地の中で聞いた名だ。一等貴だと話している者がいた』
じ、と琥珀色の眼を揺るがさずに見つめてくるカニスに少女はこだわるなあ、と呟く。
「うん……。まあ、そういうことです。私の本名はアリシア・フォアティネーラ。一応貴族です」
「一等貴って、王族の血を引かない貴族の中の最高位だっけ」
『一応ではないな』
名乗る時だけ背筋を伸ばした律着な少女の言葉に、一人と一匹は顔を見合わせた。
この国の身分制度ではまず王族があり、次いで王位継承権こそないが王族の血を引く高家と呼ばれる家がある。その後は一等貴から五等貴まである貴族、その下は名目上一律で平民となっている。貴族は数字が小さいほど地位が高い。――つまり剣を振り回しまくっていたこの狩人は、実際は相当高貴な家のお嬢様なのだ。
『貴族は、余計に半魔を嫌うものだと思っていたがな』
カニスの低い声に、少女はただの名にしつこく反応された意味を知った。
貴族は血を大事にする。
高貴な一族である、という言葉にこだわるためであったり、才能を色濃く引き継いでいくため、という主義の下であったりするが、その感性ゆえに異形のものである魔物の血を引く半魔を、一般人以上に忌み嫌う傾向にあった。尤も魔物の血を嫌うのは大半の人間に当てはまることではあるし、他の魔物と同様に狩られることも少なくない。ただ、より警戒するのは当然だろう。――貴族の方が魔力が高い傾向にあり、すなわち狩られる可能性も高くなるものだから。
「許可を出したのがアレス殿下だって聞いたから。あの人のことは昔から知っていて、信頼しているの。あの人の判断なら大丈夫って思うし」
その上で、彼女はそう告げる。そもそも彼らを通したのはその上である王族であるという事実と、その相手に対する自身の信頼を。
「それに前にも言ったけど、私自身、半魔にはちょっと思うところがあって。でも何より今は――二人のことを知った上で、二人を信じているから」
その表情に、言葉に、きっと嘘はない。
そうか、とカニスは下を向き、何かを噛み締めるように頷いた。
「そういえば、フォティアっていうのは――?」
気にしていたカニスと違い、その辺りに無頓着なネロが一番気になっていたのは、そこではない。
「苗字をもじって火、って意味を付けた偽名」
彼女が最初に名乗った、ネロが呼んでいた名を問いかけたその答えは、極めてシンプルだった。
「…………」
「だって本名名乗るとさっきみたいになっちゃうから。狩人としての登録は本名だし受付の人とかは気づいて何も言わないでいてくれるけど……。同じ狩人の人に知られるとすごく嫌われるか逆にさっきみたいに囲まれるかの二択みたいな時が多くて……」
『そういえば、とりあえず、とかとでも呼んでくれればとか言っていたな』
「うん。とりあえずでそう名乗る様にしているんだけど」
そこまで言って、彼女は少しだけ悩むような素振りを見せる。
胸の前で手を握り締め、小さく息を吸った。それでも足りなかったらしく、折り曲げた膝に頭を乗せて、一拍。
「――でもこの名前、なんとなく私らしくて気に入っているし、何より狩人としての私って感じがするから、今後もそう呼んでくれると嬉しいかな」
抱えた膝で顔を少し隠すようにしながら、少女は少年を窺い見る。
翡翠の目は、揺れていた。
貴族に生まれた以上、貴族として扱われるのは当然で。
名の分、人が集まりやすくも厭われやすくもあって。
だけど今は同じ立場での「狩人」でしかない。
――だから。
「ああ。分かった」
気負いなく返された言葉にフォティアは目を丸くして。
「……何だよ」
「ううん」
ありがとう。
変わらず「フォティア」でありたかった少女は、幸せそうに笑った。
『討伐隊は上位貴族がいてもあまり気にしていなさそうだな』
話が一段落し、カニスはふと気が付いたことを言った。仕事のある彼らはそれどころではなかったのもあるだろうが、「アリシア」に注目していたのは狩人ばかりだったのだ。
「狩人よりは貴族も多いからね。特にここの人たちは気にしないでしょ。アダマス様も一等貴だもの」
それに対しフォティアはさらりと返す。だがあまりにもさらりとしすぎた言葉に、カニスは反応が少し遅れた。
『一等貴で討伐隊か。騎士団ではなく』
「うん。会ったことはなかったけど、貴族の中では有名だから。私もお父様やお兄様に許されたのも先例があったからっていうのはあるかもね。それでも第二子の――お兄様に何かあったら継がなければならない私が、王族付きの侍女でも騎士団でもなく狩人にっていうのは反対されたけど」
『なぜ、狩人に』
つらつらと話す少女に、カニスは根本的な疑問をぶつけた。
貴族なら、特にその身分なら王族の側に仕えるような役割になるだろう。直接政治に関わる役職に就くか、戦闘職だとしても宮廷に仕える騎士団に入る方がよほど自然だ。そもそも貴族の第二子なら家を継ぐ可能性がある以上家の仕事をするか、その可能性が無くともどこかの家に嫁ぐのが通常だ。
「初恋の人が死んじゃって」
あまりにも。
あまりにも変わらない声色だった。
え、というネロの声の方がかすれた程度には。
「魔物に殺されて――。でも単純に襲われたとかでもなくて――。その時いろいろ思うところがあったから」
「いろいろ」
「いろいろ。本当に、色々」
膝を引き寄せる少女の目は、しかし強い光が宿っている。
「貴族は貴族にしかできない仕事があると言われればそう。だけど、私は、私にしかできない仕事をしたい」
「フォティアにしかできないこと……?」
「魔王討伐」
端的に答え、少女は立ち上がった。
そして、その指は北を指す。
「カレンのような力も、“彼”のような特異体質も、アレス殿下のようなはっきりとした思想もない」
歌うように唇を震わせて、いつの間にか、少年たちを自分の言葉に引き込んでいく。
「それでもできると彼は言ってくれた」
そういう力が、彼女にはある。
「国境のあの大きな、閉まることのないダークホール。あそこにいると言われている、最初に現れた魔物。私はいつか――魔王の正体を掴んで、倒して、あのダークホールを閉じる」
少女は紡ぐ。幼い頃誰もが聞く御伽噺のような夢物語を。
「それでこの世界の何が変わるかは分からない。そもそも変わらないのかもしれない。――けれど、それが私の夢なんだ」
十話にしてようやくこれを出せました。
フォティアはギリシャ語で火や炎という意味だそうです。




