赤ずきん戦記
私は沢山間違えた。
幼く無知だった私は、狼の獣人にそそのかされるままに祖母の家を教えてしまった。そしてその所為で祖母はそいつに食べられた。
更に祖母に変装した狼の獣人に私も食べられた。
狼の獣人に殺される直前私は無知な自分を恨んだ。
助けられなかった祖母を思い後悔し、残した母に懺悔した。
そして神に願った。
どうかこんな辛い結末を変えてくれと。
気がつけば私は、狼の獣人に食べられる五年前に時間を遡っていた。
◇◆◇◆◇◆
はっ?!
食べられたと思った次の瞬間、目を開ければ私は自分の家のベッドの上にいた。
バクバクと痛いぐらい鳴る心臓の音を聞きながら、胸に手をあてる。さっきの狼の獣人に食べられたのは夢だったのだろうかと。
しかしそうではないことは、起き上がった時に見えた自分の手の小ささで気が付いた。
あの時の私は十歳だった。しかし今の私はどう見ても十歳ではない。全く筋肉のなさそうな細い腕、紅葉のような小さな手、体型は少女ではなく幼児……。
「お、おかーさん?!」
悲鳴のように母を呼び、混乱しながら色々確認するが、母は怖い夢を見たのねと流してしまった。たしかに狼の獣人に食べられた未来から過去に戻ったと言われても、素直に納得はできないだろうけれど。
でも私は確かにこれから五年後の未来で、狼の獣人に食べられたのだ。
「でも、まだ食べられていない……」
私も、祖母も。
祖母は今から四年後の未来で、腰を悪くし、あまり動けなくなってしまった。だから五年後のあの日、私は母に頼まれるまま、お見舞いとしてりんごのパイを祖母の家に持っていったのだ。
「今なら、未来を変えられる?」
そう。
まだ祖母が食べられる未来は起こっていない。
何故このような事が起こったのかは分からないけれど、神の思し召しと思い、私はあの最悪の未来を回避するべきだ。
「私は……狼の獣人などに負けない」
私は今をもって狼の獣人に打ち勝つ事を誓う。
絶対、祖母は食べさせないし、私も食べられる気はない。食べられる前に食べてやる。
私はベッドの上で復讐を誓った。
◇◆◇◆◇◆
憎き狼の獣人に、このままおめおめと食べられるわけにはいかない。
そして食べられない為にはどうしたらいいか。
答えは簡単だ。やられる前にやる。食べられるぐらいならば、返り討ちにして私が狼鍋にして食べてやる勢いが大切だ。
「お母さん、狼をやっつけるにはどうしたらいいと思う?」
「狼? そうね。猟師なら狼を仕留めたりするけれど、狼は危険なんだから彼らの縄張りに入ってはいけないわよ。危険な時は家で鍵をかけて閉じこもりなさい」
「なるほど、銃ね」
私は早速近所の猟師の叔父さんに銃の扱いを聞いた。
しかし叔父さんは笑って、私が銃を使うのは無理だとすぐに却下した。
「何で? 世の中、女でも自分を守る力が必要なのよ!」
「いや、それは分かるが、それでいきなり銃とか物騒だな。ただ赤ずきんちゃんみたいな子供では銃は難しいぞ。まず玉をつめて発砲するというのは、小さな爆発が銃の中で起こしているということだ。だからその爆発の威力を抑え込めるだけの力がいる。それがないと、銃がブレて獲物に当たらないどころか、肩が脱臼するからな」
「なるほど。まずは鍛えなければいけないのね」
十歳までにムキムキに。
でもそれは銃を使う使わないにかかわらず必要な能力だ。もしもの時、最後に私を守るのは筋肉だ。狼の獣人を殴るのも蹴るのも、筋肉が必要となる。鍛えた筋肉は、鍛えただけの威力を発揮できるはずだ。筋肉は裏切らない。
「狼をやっつけるには、銃以外では何がいいと思う?」
「えっ? そうだな。確実に狼がいるのなら、俺なら罠を張るな」
「なるほど。罠ね。それは大切だわ」
攻撃は最大の防御。筋肉も銃も大切だけれど、そもそも襲われないよう、先手必勝で罠を張るのは大切だ。やられる前にやる。
その日から私は日中は筋肉を鍛え、夜は罠を考え試作品を作る時間に当てた。
「最近の赤ずきんは積極的にお手伝いをして偉いわ」
「えへへ」
足と腕にに重石をつけ、井戸の水くみ。
一日十キロ走り込みをしながら、買い物や木の実の採取。
スクワットをしながら窓磨きをし、斧を大きく振りあげ腕を鍛えながら薪を割る。
「一本割っては、狼鍋、二本割っては、焼き肉にし、三本割っては、しゃぶしゃぶ肉~」
良質な筋肉作りには良質なたんぱく質、つまりお肉がいいそうだ。
最近憎き狼を思い浮かべると、お腹が減る。
それからしばらくして祖母にあった。
一人暮らしの祖母。既にもう危険な気がする。
油断してはいけない。一寸先は狼だ。
「おばあちゃん。長生きするには運動と休養、そしてしっかり栄養を摂ることが大切らしいの」
私、おばあちゃんに長生きして欲しいのと訴え、祖母にも筋トレに参加してもらう。しっかりとした筋肉があれば、少なくとも腰を痛める可能性は減る。
ただしいきなりは飛ばせない。怪我の元だ。少しづつ、確実に筋肉をつけてもらい、筋肉を自分から育てるようになってもらい、筋肉を賛美してもらえる域に到達してもらわなければ。
そう。筋肉は自分をすくうのだ。
筋肉は裏切らない。
おばあちゃんにも狼の獣人が来たら、最低で彼より早く走って逃げられるようになってもらい、最高で腹パン一発でKOできる力をつけてもらわなければ。
ビバ、筋肉。
「おばあちゃん。強靭な肉体は健全なる魂と、新鮮なお肉が大切なのよ」
私は殺されたことにより、健全な魂ではなくなってしまっただろう。
それでも大切なものを守りたい。そして筋肉を育て、美味しいお肉を食べたいという強い意志がある。狼の獣人などには負けない。
「おばあちゃん、凄いよ! どうしてそんなに重たいものをもてるの?」
「おばあちゃんのスタイルが綺麗で、私とても自慢なの」
「おばあちゃん。おばあちゃんの腹筋、とっても綺麗だわ。上腕二頭筋も、ほれぼれする」
私は祖母をおだてた。
人は褒められると、のびる。
特に祖母は孫娘の私に弱い。一緒に走り、一緒に鍛え、時に山の命を狩り、ありがたくいただく。祖母はどんどん若返った。
そして四年経ってもぎっくり腰になる事はなかった。
運命は変わった。
山の命をいただく中で、私は狼の獣人も生きるために必死だったのだと気が付いた。
獣人は迫害にあいやすく、人間社会では定職しづらい。それどころか、売られ奴隷となってしまう事もしばしばある。
だからといって、食べられるつもりはない。
食べようとするものは、食べられる覚悟のあるものだ。
新鮮なお肉を手にするのは私だ。
◇◆◇◆◇◆
運命の日が来た。
私は祖母の家に母にお願いされた新鮮なお肉を届けに行く。祖母は怪我をしていないけれど、山で狩をしたお肉をおすそわけに行くことになるなんて、運命というのは大きく変わらないのかもしれない。
あの日私はゆっくり歩いていた為、狼の獣人に声をかけられた。
最近は祖母の家までぐらいは全力で走って往復している。祖母の家ぐらいまでは五キロ程度しかないので余裕だ。
しかしここで狼の獣人を仕留め損ねたら、いつ襲われるか分からない。
ならば私は囮となろう。
猟銃を持っていたら警戒されるので、私はポケットに小石をつめ、ガータベルトでナイフを太ももに隠すだけにする。
小石を全力でなげれば、鳥ぐらいなら打ち落とせるようになった。狼の獣人でも目つぶしぐらいはできるだろう。
「ふふふ。子供だからきっと油断するわ」
私は絶対負けないと思いながら、花畑を歩いて行く。
いつもよりかなり遅い。逆にちょっと疲れるぐらいの遅さだ。
それなのに、狼の獣人が声をかけてこないのはどうしてだろう?
おかしいな。まだかな? そろそろじゃない?
そう思っても結局、狼の獣人に声をかけられることはなく、私は祖母の家にたどり着いてしまった。
「こんにちは、おばあちゃん。狼の獣人とかきてないよね?」
もしかしたら、狼の獣人が私に声をかける日を間違えていたのかもしれない。となれば、これから祖母の家に行く日は、毎回ゆっくり歩かなければいけなくなる。どうしよう。それでは筋肉を育ててやれない。全力で祖母の家までの走り込みは、筋肉へのご褒美だ。
「ああ。森で、罠にかかってたから連れて来たよ」
……は?
連れて来た?
家の奥を見れば、縄に縛り上げられた狼の獣人がぶるぶると震えていた。
「えっ?」
私は現実が信じられず、ごしごしと目を擦った。
生きるか死ぬかの地獄の死闘を繰り広げなければいけなかったのでは?
もしかして狼の獣人違いだろうか?
うーん。食べられたあの日、狼の獣人はとても大きく恐ろしく見えた。しかし今居る獣人はどうだろう。
……とても貧相だ。
筋肉がまったくなっていない。
「ねえ、この辺りに狼の獣人は貴方以外にいる?」
「……い、いない。俺だけだ」
嘘をついている可能性はあるけれど、ものすごく怯えている。
尻尾を足の間に挟んでブルブルしている。……それにしても細い足ね。ご飯食べていないんじゃない?
着ている服も破れがあり、碌でもない生活しかできていないように見える。
あの日、私はとても恐ろしかった。
おばあちゃんが食べられて悲しかった。
だから、こっちを食べようとするならば、食べられる覚悟があるのだと思い、出会ったらこっちが食べてやろうと思った。
なのに、狼の獣人は弱者だった。骨と皮しかなくて、食べられる場所はほぼない。
あの日の彼もきっとどうしようもない弱者で……最終手段で私達を襲ったのだ。
私は家から持ってきた肉をドンと机の上に置いた。
その音に狼の獣人がビクリと怯えた。
「今日は焼肉パーティーよ」
健全なる肉体は健全なる魂が宿る。でも健全でなければ、損なわれる。
つまり筋肉がなければ、心は荒む。筋肉を育てるには、健全なる食事――肉だ。
もしかしたら狼の獣人がある日こちらを襲ってくるかもしれない。しかしその時こそ、鍛え抜かれたこの筋肉で返り討ちにしてくれよう。
「姉御、美味しいです。お婆様、美味しいです!!」
涙を流して焼き肉を食べる狼の獣人の皿の上にこんもりと肉と野菜をのせる。うん。肉(タンパク質)は大事だけれど、野菜も筋肉には大切な栄養だ。
その後狼の獣人はうちに住み込み一緒に筋肉を育てる仲間となった。
「赤ずきんの姉御! 畑で美味しそうなトマトが取れました!」
「赤ずきんの姉御! 見て下さい。指一本で腕立て伏せができるようになりました!」
「赤ずきんの姉御! 赤ずきんのスポーツジムにまた弟子入り参加者が来ました!」
私の村では獣人たちが受け入れられるようになり、そして皆ムキムキになり外敵はやってこなくなった。
うん。筋肉は偉大だ。
「さあ、皆今日も山まで走って湧き水をとってくるわよ! 上質なミネラルも筋肉には必要よ!」
こうして、赤ずきんは幸せに暮らしましたとさ。