いまくるおしいほどにかきたい
今、狂おしいほどに書きたい……
なんでもいい
どんなかたちでもいい
胸のうちを
想いを
形にしたい
正しくなくてもいい
正しい必要などない
胸のなかの
ほとばしる想いを
あふれてくるこの気持ちを
ここに出したい
ただそれだけだ
私だけのもの
私だけの何か
私だけが書ける
私だけの到達できるものを
それを表現したい
それを手にしたい
形にして
それをずっと残したい
そんな想いが
くらやみの奥底にある
目を背けていても
ふと気がつくと
こんこんとわき上がっている
そんな圧し殺す心に気づくことがある
くだらないと吐き捨てつつ
その想いにすがる
それを抱えて進み
出来ることをして
そして想いをはなさずに
進み続けるのだろう
絶対に離したくない想いだけ持ち
それ以外を振り捨てて進み続ける
倒れるまで
この吐き出された
打ち捨てた想い
放り捨てた石ころのようなもの
最後まで抱えて進んだ
想いの石のような固まり
いつか
誰かが目に止めて
手にしてくれて
なにかを
幾ばくかのことを
たとえ微かにだとしても
感じてくれたのなら
それだけで
それだけで幸せだ
きっと
それでいい
それは価値のあることだ
-蛇足-
画狂葛飾北斎。
TVの番組を観て、
ふと自分の奥底を覗き込んだときに見つけた、
凝り固まった石ころのような想いに気づいたのでした。
自分のなかに、モザイクのように凝り固まっている、
希望と、愛情と、憎しみと、絶望と、
普段はそんなものが堆く重なりあっている穴には蓋をしているのですが、
人の激しい、純粋な想いを感じたときには、時おり開いてしまうことがあるようです。
人は生きてきた分だけ、堆く降り積もるものを抱えている。
そんな風に感じています。
北斎の想いは、そんな気持ちを覗き込むきっかけとなりました。
そこにこの頃の感じていた、いろいろな気持ちを足しつつ書き出してみました。
気持ちを弛めつつ、道を下っている自分ですが、
そのなかには、ぎゅっと固めてほぐすことの出来なくなっている想いがあります。
取るに足りない石ころのようなそれ。
何かを作り出すには、
それは、宝石のように価値を持つこともある。
ふと、そんなことを思いました。
江戸の頃に90まで生きて絵を描き続けた葛飾北斎の、
石のような想いは、どんな輝きを持っていたのか。
いつか、見てみたいものです。
さぞや大きくて美しいのでしょう……。