お見舞い定番イベント
人生初の彼女を自宅に招くとなると、当然それなりの準備が必要だ。
掃除など基本中の基本だろう。
フローリングは隅々まで磨いたし、窓枠には埃ひとつない。
そう説明すると、小雪はますます憤慨したように眉をつり上げてみせた。
「あのねえ……そんなことしてたから、風邪が悪化したんじゃないの?」
「……あっ」
「熱があるせいかポンコツねえ……」
やれやれとばかりに肩をすくめられても、直哉はまともに反論できなかった。
全くその通りだと思ったからだ。お見舞いイベントのフラグが立ったのを確信して、ちょっと浮き足だってしまったらしい。
小雪はため息をこぼしつつ、持ってきたビニール袋をがさがさと漁る。
こいつを一人にしておくと絶対にマズい……と顔に書いてあった。立場がいつもと逆である。
「まったくもう。使えない病人は大人しく休んでてちょうだい。お昼は食べた?」
「いや……朝起きてちょっと水を飲んだだけで、あとはずっと寝てたもんだから……」
「ほんと世話が焼けるわね。おかゆを買ってきたから温めてあげるわ。台所使ってもいい?」
「ああ、うん。あっちだけど」
「わかったわ。それじゃあこれ。ゆっくり飲むのよ」
スポーツドリンクのペットボトルを、わざわざキャップを取って渡してくる。
直哉をこたつ机の前に座らせて、そのまま小雪はさっと台所へ消えていった。
そのまま少し待てば、台所の戸棚を開ける音などが聞こえてきて――。
(うわ、こういうのめちゃくちゃ良いな……)
自分以外の人の気配が本当に嬉しかった。
よく冷えたスポーツドリンクをちびちびと飲んでしんみりしていた直哉だが、ハッとして腰を上げる。よろよろと向かうのはもちろん台所の方だ。
「小雪……ちょっとストップ……」
「な、なによ。何か欲しいの?」
小雪が目を丸くする。置いてあったエプロンを引っかける姿は初々しくてとてもいい。
その手元にはまな板と細ネギが広げられていて……彼女の肩にぽんと手を置いて、直哉は諭す。
「無理に包丁を持とうとするな……刻みネギを準備するまでに、小雪だったら三回は指を切るからな……」
「うぐっ……い、一回で済ませようと思ってたもん! いいからじっとしてて!」
「彼女の悲鳴が聞こえそうだってのに、じっとしてられるかよ……」
お互いに介護が必要なお見舞いイベントだった。
キッチンばさみという神アイテムを小雪に授けて、あとはハラハラとリビングでおかゆを待つことにする。
十分ほど台所からはバタバタと慌ただしい音が聞こえてきたので、ちょこちょことアドバイスしていたが……最終的には、ちゃんとお椀に盛られた白粥が出てきた。
おかげで直哉は胸が詰まる思いだった。
「あの不器用な小雪が、俺のために頑張って料理を出してくれるなんて……感激だなあ……」
「レトルトを温めただけなんだけど……」
褒められているというのに、小雪は釈然としなさそうだった。
そんな彼女に、直哉は笑う。
「レトルトでも感激するに決まってるだろ。大事なのは、小雪が俺のために何かしてくれたってことだし」
「そ、そう?」
「ああ、ほんとにありがとな。助かったよ」
「……どういたしまして」
ほんのり頬を染めて、小雪はぽつりと言った。
しかしすぐに真面目な顔をして続けてみせる。
「でも、困ったときはちゃんと言ってちょうだい。『お見舞いはいらない』なんてつれないこと、今後なしよ」
「……うん。ごめんな、心配かけて」
「わ、分かればいいのよ」
照れ隠しでつーんとそっぽを向きつつも、小雪はお粥の入った器を取り上げる。
そのまま直哉の隣に座って、お粥をすこしだけすくってふーふー冷まし、レンゲを差し出してくる。
「ほら、冷めるからさっさと食べなさい。あーん」
「い、いや、いいって、自分で食べられるから」
「病人はつべこべ言わない。ほら、口を開けなさい」
「あ、あーん……」
大人しく口を開けると、おずおずとレンゲが差し込まれる。それを心して咀嚼して、ごくんと飲み込んだ。
「う、うまいです……」
「そう? だったらもっと食べなさい。ほら、あーん」
「あーん……」
小雪はちょっと嬉しそうに、またお粥をふーふーしてレンゲを差し出してくる。直哉も大人しくそれに従って、結局ゆっくりと時間をかけてお粥を全部食べさせてもらった。
まだ夕焼けには早く、リビングに差し込む日差しは暖かい。
その日差しに、小雪がお粥を冷ましてくれる唇が照らされて、直哉は無性にドキドキしたという。
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