お宅訪問の朝
その週の土曜日。
休日のゆったりした空気が流れる駅に、直哉は降り立った。まだ昼前の時間ではあるものの、住宅街からほど近い駅のためか人通りはそこそこ多い。
ロータリーに出れば、バスを待つ人たちがいくつもの列を作っている。
「うわー……ついに着いちゃったな」
初めて降りる駅なので、直哉はあたりをキョロキョロと見回す。
ここは、白金邸への最寄り駅だ。それを改めて自覚すると、直哉は身が引き締まる思いがした。
「うう、緊張してきた。手土産もこんなのだし、本当にいいのかなあ……」
提げた保冷バッグには大きめのタッパーが入っている。
中身は筑前煮や、里芋の煮っ転がしといった茶色いおかずたちだ。
手料理が食べてみたいと小雪に言われたので、昨日の夜に作ってみた。
好きな子の家へ持っていくメニューでもないと思うが、一番の得意料理をリクエストされたのでいたしかたない。
よろこんでもらえるかなあ、と天を仰ぎ――直哉はため息混じりにこぼす。
「それにしても、白金さんのお父さんか……気に入ってもらえるかなあ」
お誘いを受けたあの日、白金姉妹から聞かされた話をぼんやりと思い出す。
ふたりは神妙な面持ちで、父親についてまずこう切り出した。
「パパは親バカならぬ、ただのバカなの」
「過保護っていうかなんていうか……」
「は、はあ……」
姉妹揃って渋い顔をするので、直哉もおもわず居住まいを正してしまう。
ふたりが――特に超弩級のシスコンである朔夜がそう言うのなら、よっぽどなのだろうと見当がついたからだ。
「うちのパパは、海外旅行中のママに一目惚れしちゃった人なの。それで猛アタックして、ママを追いかけて日本に移り住んじゃったんだから」
「え、ひょっとして白金さんたちのお父さんって外国の人?」
「そう。でも今は日本人。帰化してママに婿入りしたの」
「何それ映画みたいだな……」
「今でも夫婦ラブラブよ。娘の私たちが見てもどうかと思うくらいには」
そんなわけで、白金父は妻とふたりの娘たちを溺愛しているのだという。
家族のアルバムは書斎の棚ひとつを埋め尽くすくらいの分量があるし、酒に酔った夜はまだ見ぬ娘たちの結婚相手に呪詛を漏らすのが常らしい。
最近は仕事が多忙を極めていて、国内外を飛び回り、家を空けることも多い。だが、そのせいでますます家族への愛着は深まるばかりだという。
「お姉ちゃんの彼氏とか、八つ裂きにされてもおかしくないかも」
「い、いや……まだ彼氏とかでもない、けど……うん。たしかにマズいかもしれないわね……」
小雪は肩を落とし、申し訳なさそうな目を向ける。
「どうする? 来週ならパパも出張中だから、来てもらっても大丈夫だと思うんだけど」
「……いや」
それに、直哉は首を振った。
溺愛する娘に手を出そうとする男に対し、白金父が快く思うはずはない。だがしかし、どのみちいずれは対面する相手だ。ここで逃げるわけにはいかなかった。
「せっかくだし、ちゃんと挨拶しておきたいかな」
「…………そう」
軽い調子で言ってのけると、小雪はほっとしたように表情をゆるめてみせた。
「だったら来てもらおうかしら。ふふ、うちのパパにコテンパンにされたら、ちょっとは慰めてあげてもいいんだからね」
「え、マジ? だったら尚更楽しみになってきたんだけど。具体的にどう慰めてくれる?」
「えっ……え、えーっと……頭を撫でたり、とか……?」
「オッケー。全力でコテンパンにされるわ」
「はわ……推しカプが目の前でイチャついてる……最高……これは会員たちに報告しないと……」
朔夜は無表情のまま、携帯カメラでぱしゃぱしゃと記録を残したのだった。
回想終了。
「とは言ったものの、上手くやれるかなあ……おっと?」
賑わう駅前で肩を落としたところ。
ふと、視界の隅で気になるものが見えた。
「ええー。ちょっとくらいいいじゃないですかー、おじ様ぁ♡」
「あたしらとお茶しましょーよー♡」
「き、君たちやめたまえ……! 私には愛する妻と子供がいるんだ!」
身なりのいい紳士が、女子大生っぽいふたり組に逆ナンされていたのだ。