ふたりきりでのハプニング
おもわずごくりと喉を鳴らしてしまいそうになるが、直哉はそれをなんとかやりすごし、包丁でゴボウのささがきを行う。単純作業で心を鎮める作戦だ。
そのついで、爽やかな笑顔を浮かべてみせる。
「ま、まあ料理なら俺が教えるし。またこうやってバイトを手伝ってくれたら覚えるんじゃね?」
「そ、そうね。いい考えだけど……邪魔になったりしない?」
「そんなことないって、桐彦さんも大歓迎だろうし。一人暮らしだから、家が賑やかになると嬉しいんだってさ」
「へえ……それじゃ今度はお菓子持って遊びに――」
「白金さん?」
そこで小雪がふと黙り込んだ。
ピーラーを持つ手も止まってうつむいて、やがてぽつりとこぼす。
「店長さん、この家で一人暮らしなのよね?」
「え、うん。そうだけど」
「そうなると、今……」
ごくり、と喉を鳴らしてから、小雪は声を震わせる。
ゆっくりと上げた顔は茹で蛸のように真っ赤に染まっていた。
「この家に私たち、ふたりっきりってこと……?」
「…………ソウデスネ」
ついに気付いてしまったらしい。
小雪はびくりと肩を震わせて、一番近くの壁までささっと逃げる。まるで野良の子猫だ。
「いやあの、なんでそんな逃げるわけ……?」
「だ、だって……」
小雪は視線をあちこちにさ迷わせ、蚊の鳴くような声でぽつりとこぼす。
「朔夜が『ふたりっきりになった瞬間に男は狼になるから、気をつけてね』って……」
「とんだ偏見なんですけど!?」
「そ、そうなの?」
小雪はほっと胸をなで下ろす。
「じゃあ笹原くんは、私にえっちなことしたいとかカケラも思ったりしないのね?」
「うぐっ……!」
「何その反応!?」
したくない、と言えば嘘になる。
だが、そこを正直に言ってしまうには、まだちょっと覚悟が足りなかった。
こんな風にして真っ赤になって狼狽える小雪にだって無理だろう。
「や、やっぱりえっちなことをするつもりなのね……!? 朔夜が見せてくれた薄い本みたいな、あんなことやこんなこと……するつもりなんでしょ!」
「いや待って誤解だから!? つーか朔夜ちゃんからいったい何を吹き込まれたんだよ!?」
「そ、そんなの私の口から言えるわけないでしょ! 笹原くんのえっち!」
「そっちの方がよっぽどえっちじゃないかなあ!?」
本当にこの姉妹、家でどんな話をしているのだろう。
しかしこれでは埒があかない。直哉は大きく息を吐き出して、弁論にかかろうとするのだが。
「とりあえず落ち着いてほしい。そんなつもりは毛頭な――っ!」
そこで、指先にピリッとした痛みが走った。
あわてて包丁を置こうとして、刃先が掠めてしまったらしい。ほんの二センチほどの赤い傷跡からは、じわじわと血の雫が浮かびはじめる。
「い、いってえ……」
「ちょっ、大丈夫!?」
警戒していたはずの小雪が慌てて駆け寄ってくる。
直哉の怪我を見て、真っ赤だった顔が一瞬で青く染まった。
「あ、あわわ、血……血が……! わ、私が変なこと言ったせい……!?」
「いやまあ、これくらい別にどうってこと――」
縫うほどの怪我でもないし、洗い流して絆創膏を貼れば終了だ。
そう続けようとした直哉だが、次の瞬間言葉を失った。
「あむっ!」
小雪が直哉の手をがしっと掴み――そのまま指を咥えたからだ。
そうして、乳飲み子がするように指先をちゅうっと吸われる。白昼夢のような光景を前にして、直哉は凍りつくしかない。
小雪は指をくわえたまま、上目遣いで問いかけてくる。
「ふぁ、大丈夫……?」
「いやあの、ごめん。それはちょっとえっちすぎるっていうか、なんていうか……」
天を仰ぎ、直哉は平常心を保つのがやっとだった。指の痛みなんか一瞬で吹き飛んだ。






