幽霊の正体見たり
小雪の部屋はマンションの八階だ。
部屋は広いし、置かれている家具もハワードが会社から融通した一級品。窓から見える眺めも抜群で、まさにお嬢様の城だ。直哉のアパートと比べると天地の差がある。
取るものも取りあえず家を飛び出したらしく、部屋には間接照明が付けっぱなしだった。広いベランダに通じる窓が開け放たれており、生ぬるい夜風がカーテンを揺らす。
そんな居城に足を踏み入れて、直哉はぽんっと手を叩く。
「よし、分かったぞ」
「へ……?」
おっかなびっくり背中に隠れていた小雪が気の抜けたような声を上げる。
そちらはひとまずおいておき、直哉はずかずかと現場へ踏み入った。
ベランダはリビングから繋がっていて、その隣には引き戸で仕切られた寝室がある。
「小雪が見たベランダの人影は、この姿見だ」
寝室には大きな姿見が置かれていた。
以前直哉が部屋に来たときと、少しだけ位置が変わっている。
「このまえ模様替えで移動させたんだろ? で、ここに置いてある間接照明のせいで、カーテンに姿見の影が映った。こんなふうにな」
他の電気を消せば、影がカーテンにぼんやりと映し出される。ちょうど人間の背格好と変わらない大きさだ。しかしその影は姿見を移動させると途端に消え失せた。
言うなれば『幽霊見たり枯れ尾花』というやつである。
不審者の可能性も十分にあったが、ベランダには小雪以外の人間が立ち入った形跡はまったくなかった。つまり、見間違いで確定だ。
「そういうわけでお化けでも不審者でもない。安心してくれよ」
直哉はそう結論付けて、小雪の肩をぽんっと叩く。
これで完全解決だ。そのはずなのに――。
「無理よぉ……」
小雪はくしゃっと顔を歪めてかぶりを振った。
顔は青白いままで、わなわなと震えながら訴えかけてくる。
「直哉くんの推理が間違っていないのは分かるわよ。でも、だからって……本物がいない証明にはならないじゃない!」
「それは悪魔の証明ってやつだからな。無茶を言うなよ」
直哉はため息をこぼすしかない。
一筋縄でいかないことは予想していたが、思ったよりも厄介だった。
こめかみを押さえる直哉の横で、小雪の狼狽ぶりはますます激しくなっていく。
「よくあるでしょ。最初の怪奇現象を軽んじたせいで、そこからどんどんエスカレートしていって最終的に取り返しが付かなくなるパターン! ホラー映画あるあるだわ……!」
「なんで怖いのが苦手なのにそんなパターンを知ってるんだよ」
「苦手だから知ってるのよ!」
ぼそっとつぶやいたツッコミには、掴みかからん勢いの抗議が返された。
ちなみにこのマンションは防音も優れているので、多少騒いだところで問題はない。
近所迷惑にならないことに安堵しつつ、直哉はベランダの窓を閉めてしっかりと施錠した。
不安がる小雪の頭を撫でながら、なるべく穏やかな声を努めて言う。
「ともかく大丈夫だから早く寝ろって。明日も朝から授業だろ」
「うー……」
小雪は口を尖らせてぶすーっとする。
そのまま少しうつむき加減で、ぽつりと言うことには。
「……泊まってってくれなきゃ、やだ」
「やっぱりそういう展開か……」
この流れも読めていた。読めていたところで、直哉にはどうしようもない。
軽く天井を仰ぎつつ、とりあえず抵抗の意思を示してみる。
「あのな、分かるだろ。それはさすがにダメだって」
「どうしてよ。お泊まりなんてこれまで何度もしてきたでしょ」
「これまでと今回はシチュエーションが全然違うだろ」
家族と一緒に別荘に泊まったり、互いの家に泊まったり。
受験期はあまり機会がなかったが、それでも一般的な学生カップルと比べればお泊まりの経験はかなり多い方だ。慣れたと言っても過言ではない。
それでもこの場合はかなり事情が変わってくる。
「家族もいないし、ふたりっきりだし……ダメな要素しかないだろ?」
「それは分かっている、けど……」
小雪はごにょごにょと口ごもる。
自分でも無茶を言っているのが分かるのだろう。
親元を離れた下宿先、彼氏を部屋に泊めるなんてどう考えてもまずい。
しかし小雪はそのまずさと恐怖心とを天秤にかけて、結局また上目遣いでお願いしてくるのだ。
「このままだと怖くて眠れなさそうだし……だめ?」
「……分かったよ」
直哉は両手を挙げて降伏のポーズを取った。
泣く子と小雪にはめっぽう弱い。
泣きそうな小雪は、合わせ技で致命的だった。
「ひとまず泊まるのはいいけど……」
直哉はちらっとリビングの隅へ視線を向ける。
先ほどから極力見ないように心がけていたのだが、泊まるとなるとそうも言っていられない。
なるべく目を伏せつつ、おずおずと人差し指を向ける。
「まず、あそこに干してる洗濯物をどうにかしてくれませんかね……」
「うわわっ!? い、今すぐ片付けます……!」
小雪は大慌てで、パンツやブラジャーが吊された物干しハンガーを回収していった。
他にも細々した片付けなどを手伝って、十分後にはリビングのテーブルでお茶をいただくことになる。実家から持ってきた直哉のこたつ机と違って、特注のダイニングテーブルだ。
小雪は満面の笑みでニコニコしている。
「でも、直哉くんが近くにいてくれてよかったわ。ひとりだったら私、コンビニで夜を明かしたかもしれないし……」
「それなら俺も助かったかなあ……危ないことはしてほしくないし」
受験勉強を頑張った甲斐があるというものだった。
ホッと胸をなで下ろす直哉と同様に、小雪もすっかり安堵したようだ。
ここに来るまでかなり及び腰だったし、ずっと半泣きだった。すっかりその涙も引っ込んで、お茶菓子をもりもり頬張っている。
そんな小雪に目を細めつつ、直哉はちらっと部屋を見回す。
いいマンションなだけあって、ひとつの部屋が広々しているし天井が高い。ただ、引っ越してきてまだ数ヶ月だ。家主の私物が少なくて、どこかがらんとした印象を受ける。
(たしかにここでひとりぼっちだと、寂しくなるのは仕方ないかなあ)
お化け(?)を見てしまったのも結局は気の持ちようだ。
日中は大学で忙しく勉強したり直哉と過ごしたりする分、余計に夜は心細くなるのだろう。
そう分析していると、小雪がはっと気付いたように顔を上げる。
「あっ、うちに泊まったのはパパやママには内緒よ。分かってるわね?」
「もちろん口外しないって」
友人たちにももちろん内緒だ。からかわれるに決まっている。
「ただ……親父には次会ったときにバレるだろうけどな」
「法介おじ様はどうしようもないわ。神様に嘘が通用しないのと似たようなモノだから」
「うちの親父を何だと思ってるんだ。いや、気持ちは分かるけど」
さっぱりと割り切る小雪に、人生の伴侶としての頼もしささえ覚えた。
小雪はいたずらっぽく笑いかけてくる。
「うふふ、それじゃ共犯ね」
「不本意ながらな……」
直哉はさっと目を逸らすしかなかった。
こうなることは予想済みで、とうに心の準備はできていた。
(小雪は寂しがり屋だもんなあ……遅かれ早かれ、泊まれっておねだりされてたはずだし)
しかし実際そういうシチュエーションに置かれて、平静を保っていられるかどうかはまた別の問題で。
ふたりっきりなんて慣れたはずなのに、妙に尻が落ち着かなくてそわそわしてしまう。
続きは明日更新。






