普通のお昼
こうして密着取材が開始となった。登校中は小雪が手をつなぐのを拒否したために並んで歩くだけだったが、文乃はそれでも満足そうに何枚もの写真を撮っていた。
彼女は授業中も小雪と直哉の様子をメモったりして、とうとう昼休みとなった。
「よし。頑張るのよ、小雪。ここが挽回どころなんだから」
小雪は決意を込めて、ぐっと拳を握る。
三人で移動したのは中庭だ。春先ということもあってあたりは生徒たちで溢れている。ベンチはもちろん満席だし、芝生もほとんど埋まっていた。
レジャーシートを広げつつ、直哉は小雪に苦笑を向ける。
「貴重な昼休みなんだし、もっとリラックスしろよ」
「無理に決まってるでしょ。私はなんとしてでも、私たちが普通のカップルだってことを証明しなきゃいけないのよ……!」
ふんっと鼻を鳴らして、レジャーシートにでんっと腰を下ろした。
「そう固くならなくても大丈夫ですよ、白金さん」
そんな小雪に、文乃が朗らかに笑いかけてくる。
文乃も文乃で小さなシートを持ってきていて、それをふたりの真正面に敷いていた。
もちろんカメラとメモ帳もしっかり準備している。
「自然なおふたりでも十分撮れ高があることが分かりましたから。授業中に撮影できなかった分、ここで巻き返さないと」
「そんな意気込みはいいから……だいたい、授業中なんて撮っても仕方ないでしょうに」
「またまたご謙遜を」
文乃はカメラのレンズを磨きつつ、ほうっと微笑ましそうに目を細める。
「白金さんってば、頻繁にぼんやりと笹原くんを見つめていたじゃないですか。アレこそまさに恋に恋する女の子って感じで……何度カメラを構えるのを我慢したことか!」
「違うし! どうやったらこの人の手綱を握れるのか考えてただけ!」
「またまたあ。完全に乙女の顔でしたよ」
「ぐぐぐ……!」
たしかにじーっと睨んで作戦を立てるうち、気付いたらぼんやり見蕩れていた。
何だかんだ悪し様に言っても、直哉のことは大好きだ。その大好きな彼氏が同じクラスにいるのだから、ついつい見つめてしまうのは仕方のないことなのだ。
口ごもる小雪をよそに、直哉はのほほんと笑う。
「今日は特に俺のことを見てたもんなあ。特に三時間目なんか、ほとんど授業を聞いてなかっただろ」
「あ、やっぱり誰に見られているかも分かるものなんですね」
「そりゃまあな。あと、好きな彼女の視線だから余計に突き刺さるっていうか」
「きゃーっ、愛ですね! 重要証言として使わせてもらいます!」
「や、やめてちょうだいよぉ……」
羞恥に震える小雪の抗議に耳を貸すことなく、文乃は喜々としてメモ帳を開く。
この展開は非常によろしくなかった。
(こうなったら、お昼休みを無難に終わらせるしかない……!)
小雪は決意を新たに、直哉が敷いたばかりのレジャーシートに腰を下ろす。
小さめの一枚なのでふたり並んで座ればそれだけでいっぱいだ。
隣の直哉に鋭い眼光を飛ばし、シートの端ギリギリまで逃げる。ついでにしっしと片手で払っておく。
「それ以上は近付かないでちょうだいね。接触は最小限にしておきしたいの」
「お、今朝ので学んだな?」
朝は恋人つなぎを自然に披露してしまった。
この上、くっついてお弁当を食べるなんて、羞恥プレイもいいところ。
だから接触を減らそうとしたのだが、直哉は感心しつつも小雪が稼いだ距離を指で測る。
「これでだいたい十センチってとこかな。密着と言っても過言じゃない距離だぞ」
「明らかにふたり用ですもんね、そのシート。やっぱり白金さんは笹原くんのことが大好きなんですね!」
「私が好きなのはにゃんじろーよ!」
お尻に敷いたにゃんじろーを指し示し、小雪はキリッとして言い放った。
お子様用のキャラクター商品なのでサイズが小さいのはご愛敬だ。
ふたりを順繰りに睨み付けてから、小雪はつーんとしつつ弁当を開いた。
「もういいから早くご飯にするわよ。淡々と食べて、あとは事務的な会話に徹しましょ」
「恋人なのになあ。赤の他人同士でも、もう少し血の通った昼休憩になるぞ」
そうはツッコミつつも、直哉も弁当を準備する。
正面に座る文乃は購買の焼きそばパンだ。それを片手でかじりつつ、ふたりの弁当を覗き込んでくる。
「ふむふむ、おふたりとも今日はお弁当なんですね。笹原くんのコロッケ、とっても美味しそうです」
そう言って指さすのは、直哉の弁当箱に鎮座するコロッケだ。
からっときつね色に揚がった小ぶりなひと品で、断面からはとろっと溶けたチーズとコーンが覗く。他にも小さめのおかずがいくつも詰め込まれた、玉手箱のようなお弁当箱だ。彩りにも気を使っているので、見ているだけでも楽しい。
目を輝かせる彼女に、直哉はこそばゆそうに笑う。
「あはは、ありがとう。ちょっとした自信作なんだ」
「自信作……まさかこれ、手作りなんですか!?」
「ああ。俺は両親が家を空けがちだから自分で作ってるんだよ」
「すごいです! 読心系能力者なだけでなく料理上手とか、笹原くんはハイスペックなんですね!」
文乃は興奮気味にメモしていく。
すっかり直哉に興味津々である。そんな文乃に対して――。
「……ふふん」
小雪はつんつんしたまま、こっそり口角を持ち上げてにんまりと笑った。
(そうなのよ! 意外といろいろ出来ちゃうんだから、直哉くんは!)
大雑把に見えて細やかな気遣いができる方だし、正義感も強い。
そういうところも小雪は大好きなのだが、他人にはなかなか理解されない点だ。日頃の行いが悪いのは十分承知しているものの、大魔王にもいいところはちゃーんとあるのだ。
彼のいいところを知っているのは自分だけ……みたいな特別感があるものの、直哉を褒められるのはやっぱり嬉しかった。
おかげで先ほどの苛立ちがすーっと消え去った。
そんなことには気付かず、文乃は小雪の弁当にも興味を示す。
「あれ、ひょっとして白金さんのお弁当もお手製ですか?」
「へ? ええ、そうよ。最近毎朝早起きして作ってるんだから」
小雪はキリッとして胸を張る。おにぎりと卵焼き、その他茶色いおかずが多めの弁当だ。
ほんの一年ほど前まで、野菜の皮むきもへっぴり腰だった。
それに比べればかなりの成長ぶりだと自負している。
とはいえまだまだ道は遠かった。小雪は眉をきゅっと寄せてお弁当を見つめる。
「直哉くんには負けるけどね。もっともっと上達しなきゃ」
「そんなことはありませんよ、すっごくお上手です。特にこの卵焼き! 芸術品のような焼き加減です!」
「へ、そう?」
「もちろん。私は料理とかからっきしですし、尊敬しますよ」
目を瞬かせる小雪に、文乃は力強くうなずいた。
「さすがは白金さん。勉強だけじゃなくて何でもできるんですねえ」
「ふ、ふふ、当然でしょ。卵焼きは一番練習したし、この私に不可能はないんだから」
小雪はふんぞり返る勢いで鼻を鳴らす。
お友達からの忌憚なき意見をもらって、すっかり自信を取り戻せた。
その上機嫌のまま――。
「だから心して食べなさいよね、直哉くん」
「はい……?」
直哉にずいっと弁当を差し出した。
なぜか文乃がきょとんとするが、直哉は気にせずそれを受け取る。
「もちろんありがたくいただくよ。俺のもどうぞ」
「はいはい。どーも」
「……はい?」
そのまま自然な流れで弁当をトレードすると、文乃がますます目を丸くして固まった。
(あら? 二ノ宮さんったらどうしたのかしら)
小雪は首をかしげるしかない。
その間に、直哉は受け取ったばかりの弁当を見つめてへにゃっと相好を崩してみせる。
「今日も俺の好物ばっかりだなあ。卵焼きにきんぴらに……すっかり料理上手じゃん、小雪」
「ふふん、直哉くんもいいチョイスだわ。このチーズとコーン入りのコロッケ、とっても美味しいのよね……!」
先ほど話題に上がったコロッケに、小雪も目を輝かせる。
しかしふっと直哉に渋い顔を向けるのだ。
「でも……コロッケを手作りする男子高校生ってどうかと思うわ。このまえ作り方を調べたんだけど、びっくりするくらい工程が多いじゃないの」
「そりゃ面倒だよ? でも小雪が喜んでくれるから、はりきって作っちゃうんだよなあ」
「他のおかずも私の好きなものばっかりだし……やっぱりあなた、自分の子供は際限なく甘やかすタイプだわ」
そんなことをぶちぶちぼやきつつ、小雪は手を合わせて宣言する。
「それじゃ、いただきま――」
「ちょちょちょっ、ちょっと待っていただけますか!?」
「はい?」
そこに文乃が声を上げた。当然、小雪は目をぱちくりさせる。
文乃はごくりと喉を鳴らしてから、恐る恐る口を開いた。
「なんですか、今の」
「何って、何が?」
「今、お互いのお弁当箱を交換したように見えたのですが……」
「交換したけど……それが何? っていうかもう食べていい?」
小雪は首をかしげつつ、コロッケに箸を伸ばす。
ぱくっと口にすると幸せがあふれ出した。
芋とコーンの甘みと、チーズの塩気と油分。カロリーを気にする女子にとっては大敵の組み合わせだが、これ以上に美味しい組み合わせなんて存在しないと思えるほど、完璧なハーモニーを奏でていた。
しばし大事にもぐもぐして、名残惜しくもごくんと飲み込む。
「うーん、やっぱり美味しいわ! でもなんだか、前のとちょっとお味が違うかも……?」
「お、気付いたな。今回は隠し味を入れたんだよ」
「ええっ、いったい何かしら……勿体ぶらないで教えなさいよ」
「言ったら隠し味の意味がないだろ。ちょっと考えてみろって」
「ぐぬぬ……性悪め。それより私のお弁当はどうなのよ」
「うん、美味しいよ。こっちのハンバーグは初めて挑戦したわりに上手に焼けてるじゃん」
「その裏でいくつもの失敗作があったこと、直哉くんなら分かるでしょうに。やっぱり性格が悪いわ……」
「素直に褒めてるのになあ」
お互い似たようなペースでのんびり食べ進め、あーでもないこーでもないと議論する。
それを、文乃はあんぐりと口を開けたまま見つめていた。
ご自慢のカメラを構えることもすっかり忘れているようだった。
やがて彼女はぐっと拳を握り、万感の思いを叫んだ。
「もう完全に夫婦じゃないですか!」
「へ……え?」
おにぎりの梅干しが思ったより酸っぱくて口をすぼめていた小雪だが、その大声で目を瞬かせることになる。
直哉をちらっと見てから、こてんと小首をかしげる。
「夫婦って私たちのこと? いったいどのあたりが……?」
「お互いの手作り弁当を交換する高校生カップルなんてそういません。これはもう夫婦の領域です」
「ええええっ!?」
文乃がやけに力強く断言したものだから、小雪は裏返った悲鳴を上げた。
そのままあたふたと弁明をはじめるのだが――。
「こ、これは違うのよ。私が料理の練習中だから彼に味見してもらいたくって……!」
「それで俺もレパートリーを増やしたいから、交換してみないかって持ちかけたんだよ」
「そう! そういうこと、なんだけど……」
セリフは尻すぼみとなり、小雪はあごに手を当ててじっと考え込んだ。
弁当トレードはかれこれ一ヶ月ほど続いていた。
最初は段取りが悪くてわたわたしていたが、今では前日に下ごしらえをするなどしてコツを掴めてきたところだ。料理の腕も上がってきたし、毎日直哉のご飯が食べられる。
つまり得しかない取り引きだった。
これまでそう思い込んでいたのだが……小雪はやがて顔を上げ、か細い声で文乃に尋ねる。
「ひょっとしてこれ……変なの?」
「いいえ。変ではありません」
文乃はゆっくりと噛みしめるように首を横に振る。
そうして小雪の肩に手を置いて、きっぱりと言い切った。
「変ではなく、愛なのですよね。この二ノ宮文乃、よーく理解していますよ」
「ち、違うし……! 愛とかじゃなくて、その……ただの練習だってば!」
「それじゃあ、私がかわりに笹原くんからのお弁当をいただいても?」
「ダメに決まってるでしょ! 直哉くんのお弁当は私だけのものなんだから!」
悪戯っぽく身を乗り出してくる文乃に対し、小雪はガルルと牙を剥いた。
直哉の特製弁当を胸に抱いて死守することも忘れない。
「建前もこうなってくるとグダグダだなあ」
直哉はそれを微笑ましーく見守りながら、小雪お手製の卵焼きに舌鼓を打つのだった。
続きは明日更新。