予行演習
ステンドグラスにヒビが入るんじゃないかと心配になるほどの声量だった。それを至近距離で浴びたせいで、直哉は耳がキーンとして思わず額を押さえてしまう。
しかし直哉のダメージは軽微なものだった。
ド直球の言葉を浴びたせいで、小雪の顔は見たこともないほどにまっ赤に染まっている。体中の血液が全部沸騰したかのような茹で上がりっぷりだ。
そのまま小雪は目を吊り上げてガンガンと吠え猛る。
「誕生日プレゼントが自分の人生って……何をどう考えたらそんなとんでもない結論に至っちゃうのよ!? 私が直哉くんにあげたのは不恰好なマフラーひとつよ!? どう考えても釣り合ってないでしょーが! 等価交換って言葉、知ってる!?」
「小雪が心を込めて作ってくれたプレゼントだろ。俺の人生を賭けるに相応しいじゃん」
「バカに付ける薬がほしい……!」
「それより返事は? このポーズ、けっこう腕が疲れるんだぞ」
「し、知ったこっちゃないわよぉ……」
最初の勢いもどこへやら、そのころにもなれば小雪は完全にたじたじだった。
追い詰められて最期を悟った小動物の目である。
うっすら涙が浮かんでいて、鼻の先まで赤い。
それを追い詰めている犯人が自分であることに、直哉はたいへん満足した。ぞくぞくとした高揚感が背中をのぼっていく。
小雪はがっくりと肩を落とす。
「ほんっともう、手の付けようのないバカなんだから……」
そこで言葉を切って、肺の空気を全部吐き出すように長いため息をついた。
礼拝堂の静寂を、小雪の吐息が塗りつぶす。
それから小さく息を吸って、諦めたようにぽつりとこぼした。
「でも……そんなバカを好きになっちゃったのが、運の尽きなのよね」
「それじゃあ小雪……!」
「ああもう、分かったわよ」
小雪はヤケクソ気味に、直哉の手から花束をむしり取った。
それを勇ましく肩で担いで、ぶっきら棒に言い放つことには――。
「そこまで言うなら結婚しようじゃない。あなたの人生、もらってあげるわ」
「小雪……!」
直哉は勢いよく立ち上がり、小雪の手をがしっと掴む。
自然と涙が湧き上がり、声も上ずって震えてしまったが、それでもなんとか感謝の言葉を絞り出した。
「ありがとう! 小雪! 俺、今日は人生で一番嬉しいよ……!」
「大袈裟ねえ……ただの口約束なのに」
小雪は呆れたように笑う。
吹っ切れたのか顔の赤みは少しだけマシになっていた。
ほんのり桜色に染まった頬を膨らませて、怒ったように言う。
「あなたがそこまで言うから、惨めに思っただけなんだからね。分かってる?」
「うん。もちろん。ほんとに嬉しいなあ、小雪と結婚の約束をしちゃったんだ」
「まったくもう……これじゃどっちのプレゼントなのか分からないじゃない」
小雪はくすりと微笑んで、大きな花束をそっと抱えた。
ひとしきりその匂いを楽しんでから、はっと思い出したように顔を上げる。
「あっ、それより直哉くん。私がOKしたってこと、誰にも言い触らさないでよね」
「え、誰にも? 家族とか友達もダメなのか?」
「当たり前でしょうが。学校の噂になるのだけは絶対避けたいの。結衣ちゃんたちに知られたら、何を言われたもんだか分からないしね」
「そっかー……」
直哉はしみじみと言う。
小雪がそう言い出すのは分かっていたし、他に誰もいないこの場だからプロポーズをOKしてくれたのは明白だった。だから――直哉は軽く頭を下げて謝罪する。
「ごめん。もう遅いんだ」
「へ……?」
小雪が目を瞬かせた、その瞬間。
ぱーーーん!
「おっめでとー!」
「きゃあっ!?」
左右に繋がるドアが開かれて、盛大にクラッカーが鳴らされた。
小雪は驚いてしゃがみ込んでしまうものの、すぐに乱入者の正体に気付いて息を呑んだ。
「っ……ゆ、結衣ちゃんと恵美ちゃん!? それに夕菜ちゃんまで!?」
「お誕生日と婚約おめでとー、小雪ちゃん」
「うううっ……よかったねえ……推しが幸せになった……!」
「呼んでくれてありがとねー、小雪ちゃん!」
満面の笑みの結衣と、滂沱と涙を流す恵美佳。そしてきゃっきゃとはしゃぐ夕菜。
三人の両手にはクラッカーが握られていて、さらにパーティドレスに身を包んでいる。
そして、それを合図に後から後から人々が礼拝堂の中に入ってきた。
「ご婚約おめでとうございます、コユキ様! コユキ様の勇姿、しかと拝見させていただきましたわ!」
「まさか本当に、わしが生きている間に小雪が幸せを掴むとは……やはりまだまだ死ねんなあ」
「なーう」
「驚かせてごめんなさいねえ、小雪ちゃん。うちの直哉ったら、言い出したら聞かなくて」
ずらずらと入ってくるのは友人一同、白金家一同(飼い猫のすなぎももペットケージに入って参加)、笹原家一同。おおよそ身内と呼ぶべき人物たちがそろい踏みしていた。
おまけに全員、正装で着飾っているときた。
「な、な、な、なぁっ……!?」
そのとんでもない光景を前にして、小雪はぶるぶると震える。
半開きになった口からこぼれ出るのは、壊れたラジオのようなノイズのみ。
しかし怒りと羞恥のボルテージが限界を突破したと同時、鬼のような形相で怒声を上げた。
「直哉くん!? これ全部あなたの仕業ね!?」
「はい。もちろん俺が仕込みました」
直哉はあっさりと犯行を自供した。
そのまま小雪の肩をぽんっと叩いて、にこやかに告げる。
「ま、そういうわけだからさ。小雪はとっとと準備してきてくれ」
「は!? なななっ、何の準備!? これから何が始まるの!?」
「お姉ちゃん、OKしたんだから覚悟を決めて」
「小雪、皆さんを待たせちゃ悪いでしょ。早く衣装室に行きましょうね」
「ちょっ、だから……いったい何の準備なのよおおおぉ!?」
妹と母に両脇を抱えられ、小雪はあっという間に連行されていった。
それから約一時間後。
準備を終えた小雪が仏頂面で戻ってきた。
「何、これ」
「何ってウェディングドレスだけど」
「見りゃ分かるわよ!!」
荒々しく吐き捨てる小雪は、純白のドレスに身を包んでいた。
肩周りを大きく露出させた大胆なデザインで、腰から足下にかけてバラの刺繍がふんだんにあしらわれている。スカート部分はふんわり大きく膨らんでケーキのようだ。
頭にはきらきら輝くティアラを頂き、そこからヴェールが垂れ下がる。
その姿は、おとぎ話のプリンセスも霞むほどに美しかった。
「本当に綺麗だ。よく似合ってるよ、小雪」
「そんなのはどうでもいいから質問に答えろ!」
直球の賛辞も、混乱した小雪にはまるで効果がなかった。
直哉も白のタキシード姿に着替えていたのだが、遠慮なく胸ぐらを掴んで揺さぶってくる。
「なんでウェディングドレス!? なんでサイズがぴったりなの!? しかも……なんだか妙に私の好みにドンピシャで可愛いんだけど!」
「そりゃ、そういうのを厳選したからな」
スリーサイズくらい見れば分かる。
おまけに小雪の好みも完全に把握済みだ。
ぴったりのドレスを選ぶのなんて、直哉にとっては朝飯前である。
そんなことをあっさり言うと、小雪は青ざめた顔であらためて尋ねてくる。
「えっ……本当に、なんでなの……? これは何……悪い夢?」
「だって婚約したじゃん、俺たち」
直哉は悪びれもせずに言ってのける。
誕生日に婚約OKをもらう計画を考えて、確実に勝てると踏んだ。それならいっそその場でみなに祝ってもらおうと準備したのがこれである。
「善は急げって言うしさ。記念に一回式でも挙げとこうかと」
「そんな気軽さで挙げるものでもなくない!? 結婚式は人生一回きりなのよ!?」
「あ、安心してくれよ。ちゃんと結婚するってときは、また別で式の計画を立てるからさ。今回はお試しってことで小規模にしたんだ」
「教会を貸し切って、家族と友人全員呼んで、それでも小規模なの!? 本番ではいったい何をやらかす気!?」
金切り声で叫ぶ小雪である。
今にもウェディンググローブを投げつけて、決闘でも申し込みそうな勢いだった。
そんな小雪を見て、直哉の母・愛理が申し訳なさそうに声をかける。
「ごめんなさいねえ、小雪ちゃん。ほんっと法介さんといい直哉といい、うちの男たちは我が強くって困っちゃうわ」
「おば様……」
小雪はそんな愛理に、渋い顔を向ける。
「謝るのとシャッターを切るの、どっちかにしてもらえますか……?」
「だって可愛い義理の娘の晴れ舞台ですもの。撮らなきゃ勿体ないでしょ? あ、美空さんこっちに来てちょうだい。小雪ちゃんと一緒に撮ってあげるわ!」
「あらあら、愛理さんありがとうございます。それじゃ、小雪。ピース♪」
「ぴーす……」
ノリノリの母と並んで写真を撮られ、小雪の表情筋が完全に死に絶えた。
他の招待客らもわいわいはしゃいでお祝いムード一色だ。
その空気に当てられたのか、小雪はどかっと長椅子に腰掛けて天井を仰ぐ。
「ツッコミ疲れた……もうなんか、どうでもいい……」
「うん。誕生日おめでとう、小雪」
「はいはい、どーもありがと」
ぱたぱたと手を振って、小雪は投げやりに言う。
しかし何かに気付いたとばかりに、真っ青な顔を直哉に向けた。
「待って、こういうのってかなりのお金がかかるんじゃないの。あなた、こんな茶番のためにいったいどれだけつぎ込んだのよ……」
「いや、実質タダみたいなもんだったぞ。なあ、親父」
「その通りです。小雪さんはどうかお気になさらずに」
法介はやんわりと微笑んでみせる。
教会を押さえ、ドレスと服を借りて、さらに飾る花まで手配するとなると、とてもじゃないが高校生には手も足も出ない額となる。
それが可能となった理由は簡単なものだ。
「実はこの教会、私の知人がオーナーでして。事情を話したら喜んで協力してくれたんです」
「衣装のレンタル料金も負けてもらえたしなあ。持つべきものは親父の人脈だよ」
「はっはっは。情けは人のためならずとはよく言うが、人助けは回り回ってこういうときに自分の身を助けるんだよ。覚えておきなさい、直哉」
「おう。さっそくこのまえオーナーさんの会社の入社面接を手伝ってきたぞ。喜んでもらえたし良かったよ」
「こ、このチート親子がぁ……!」
珍しく法介にまで怨念を飛ばす小雪だった。
そんなこんなで、高校生でも賄えるような挙式代となった。
入社面接でビシバシと就活生の能力を見抜いてみせたため、オーナーも直哉のことをすっかり気に入ってくれて、足りない分は冬休みや春休みにまとめてバイトに入る約束だ。
「だから、小雪は気兼ねなく式を楽しんでくれ」
「バカを言わないでちょうだい……急に結婚式だなんて言われて、受け入れられるわけないでしょうが」
「でも全部小雪好みだろ? 芝生に囲まれた小さな教会で、キラキラしたステンドグラスとたくさんの花。それで青空の下で、みんなに祝福されるってシチュエーション」
「好みだから無性に腹立たしいのよぉ……!」
小雪は歯ぎしりしながら地団駄を踏んだ。
幸せからかけ離れた花嫁のムーヴである。
だがしかし、参列者たちはどこまでもほのぼのとしていた。
母親コンビはほのぼのとしたおしゃべりに興じているし、父親たちも似たようなものだ。
「おまえと親族になるのか……覚悟はしていたが、こう……胃がますます荒れそうだな」
「あはは、そうおっしゃらずに。ところでジェームズさん、あなたの検査を行った病院について調べて参りましたが……とある組織がジェームズさんの会社を乗っ取ろうとして仕掛けた罠だったようですね。もう潰したのでご安心を」
「なん、じゃと……?」
そうかと思えば、桐彦と朔夜がきゃっきゃと盛り上がっていて。
「きゃっー! 綺麗よ、小雪ちゃん。こっち向いてちょうだい!」
「先生、次巻はヒロインが無理矢理モブと結婚させられそうになる展開でいかがでしょう」
「それいいわねえ! よし、それならあとで小雪ちゃんにインタビューよ!」
「了解です。こんなこともあろうかと、ボイスレコーダーも持ってきておりますので」
友人一同はそこから少し距離を開けて、わいわいと談笑していた。
「ねえねえ、兄様。わたくしもいつかこんな温かい式を挙げてみたいです」
「そうだなあ……そのためにも、一度実家に戻ってきちんと報告しておくか」
「あのさ、巽。私はまだ当分先でいいからね」
「当たり前だろ。んなのわざわざ言わなくても分かってるっつーの」
「あうう……綺麗すぎるよ、白金さん……こんなのタダで見ていいの……?」
「すずはらのおねーちゃん大丈夫? 夕菜のハンカチかしたげよーか?」
礼拝堂内は和気あいあいとしたムードが漂っている。
おまけに待ち合わせたときは曇っていた空が、今ではすっかり一面の青空となっていた。燦々と降り注ぐ陽光が、ステンドグラスを通してあたたかくふたりの頬を撫でる。
これで舞台は整った。
ぐったりと疲弊した小雪の手を取って、直哉は柔和に笑う。
「さて、小雪。そろそろ本番やっとくか」
「本番……って、まさか……!?」
最初はきょとんとしていた小雪だが、すぐに察しが付いたらしい。
さあっと顔が青くなり、次の瞬間にはまっ赤に染まる。
勢いよく腕をクロスさせて、勢いよく叫ぶ。
「無理無理! それだけは絶対に無理!」
「そっか……」
お手本のような拒絶ぶりに、直哉は小さく肩を落とす。
「俺は小雪を幸せにしますって宣言したいだけなのに。あーあ、せっかくこの日のために、寝る間も惜しんで準備したのになあ……」
「あなたねえ……! いつか私に刺されるわよ!?」
小雪は肩を震わせながらも、捨て鉢気味に立ち上がった。
そのままずんずん歩いて礼拝堂の真正面――聖書台の前へと向かう。
本来ならバージンロードを歩いたり、賛美歌を斉唱したりといった行程があるのだが、今日はお試し版ということで大胆に省略だ。頭から執り行った場合、小雪が耐えきれないのは明白だったし。
直哉もその後に続けば、参列者たちが一斉に口をつぐんだ。
みなカメラを用意しはじめて、ワクワクと熱い視線を向けてくる。
小雪の前に立って、直哉はごほんと咳払いをして切り出した。
「それじゃあ小雪。病めるときも健やかなるときも……俺は小雪を愛すると誓う。小雪はどうだ?」
「はいはい誓ってやるわよ! 誓います! だからほら、さっさとやりなさいよ!」
小雪はブチギレ気味にまくし立てる。
花嫁姿だというのに、その身から立ち上るのは武士のような殺気だ。
とはいえお許しはいただけた。
直哉は少しの緊張と高揚感を持て余ししつつも、小雪の肩にそっと手を置く。
びくりと体が震えものの、小雪は身を委ねるようにしてまぶたを閉ざしてくれた。ステンドグラスを通した光が小雪の顔を照らし出し、いつも以上にキラキラして見えて――。
「……ほんとに、ずーっと愛してくれるんでしょうね」
「もちろん」
小さな声での問いかけは、直哉の耳にしか届かなかった。
それに答えを返してからそっと唇を重ねる。きゃーっという歓声とシャッター音がいくつも連なって、礼拝堂が一気に騒がしくなった。
ゆっくり三つ数えてから唇を離す。たいへん名残惜しかったが、この辺りが頃合いだった。
茹で蛸のようになった小雪に、直哉はにっこりと笑いかける。
「これからよろしく、小雪……いや、未来の奥さん?」
「やっぱりここで息の根を止めてやるぅ……!」
その瞬間、目を吊り上げた花嫁さんが全力で襲いかかってきた。
参列者たちが大いに盛り上がったのは言うまでもない。
続きは明日更新します。
明日で年内の更新はラストになります。やりたいこと全部詰め込んだ!
本日五巻発売!とはいえ入荷時期はまちまちなので、書店で見つけられない場合はお問い合わせください。






