最高の日に
こうして修学旅行はあっという間に終わり、本格的な冬が訪れた。
年内最大のイベントが終わって学生たちの気は一気に緩み、そこを狙い澄ましたかのように定期テストが襲いかかった。直哉も小雪に教わって勉強したためか、前より成績が上がった。小雪はもちろん今回も学年トップで鼻高だった。
それが終わったら友人たち皆でクリスマス会。
小雪は友達と過ごすクリスマスに感動し、プレゼント交換で大いにはしゃいだ。
そんな姿を微笑ましく見守りつつ、直哉はとある準備を進めて――気付けば、あっという間にその日がやってきた。
「あっ、来た来た」
いつも登校するときに待ち合わせる駅改札。
そこで直哉がぼんやり待っていると、改札の向こうに小雪の姿が見えた。
もこもこのコートを着込んでおり、その下からは黒タイツを履いた足がすらりと伸びる。
鼻歌でも奏でそうな上機嫌顔だ。だがしかし、それが直哉に気付いた瞬間に凍り付く。
今日は休日、しかもクリスマスということもあって、駅は数多くの人で溢れていた。みなどこかワクワクそわそわしていて落ち着きがなく、待ち合わせ相手を待っていたりする。
そんな人々の間を猛スピードですり抜けて、小雪は直哉のもとまでやって来た。
「よう。おはよ、小雪。早かったな」
「な、なんでもういるのよぉ……!」
片手を上げて出迎えれば、小雪は青い顔で直哉を睨んだ。
そうして指し示すのは、天井からつり下がる電光掲示板だ。
そこに記された現在時刻は十時半を示している。
「待ち合わせって、たしか十一時だったはずでしょ。だから余裕を持って来たっていうのに……あなたはいつから来てたわけ?」
「んー、たしか三十分前くらいかな」
「つまり待ち合わせの一時間前!? 早すぎるでしょ!?」
頭を抱えてしまう小雪だが、やけくそのように鼻を鳴らす。
「ふんっ、まるで『待て』のできない駄犬ね。この私に会えるのがそんなに嬉しかったなんてお笑い種だわ」
「あはは、そう言われても反論できないなあ」
直哉はおっとりと笑う。
やたらと早く着いたのは、準備が思ったよりスムーズに終わったからなのだが……それを今口にするのは野暮だろう。
だから別の本心で誤魔化しておくことにする。
「だって、今日は小雪の誕生日だろ。それをお祝いさせてもらえるんだから、これ以上の幸せはないよ」
「……ああそう」
小雪は肩を落としてがっくりとため息をこぼしてみせた。
ツッコミを入れる元気も、虚勢を張る気力も品切れらしい。
今日は十二月二十五日。
クリスマスかつ、小雪の誕生日でもある日だ。
そういうわけで直哉にとってはこの世で最も尊い日付である。
小雪にとっても特別な日なのは間違いない。そのはずなのに、小雪はまるで縁者がみな死に絶えた通夜の席のような、絶望的な表情を浮かべてかぶりを振った。
「今日は一日中これが続くのね……ねえ、もうお腹いっぱいだから帰ってもいい?」
「いいけど、今帰っても家に誰もいないだろ。誕生日にひとりで留守番なんて、寂しいんじゃないか?」
「くっ……なんで直哉くんがうちの家族の予定を把握してるのよ!?」
こうしてふたりは誕生日デートをスタートさせることとなった。
駅から続くいつもの小径を並んで歩く。
空は分厚い雲で覆われていて、木枯らしが地面の木の葉を巻き上げる。かなり身に堪える寒さだが、ふたりとも防寒はばっちりだ。
それが面白くないのか、小雪は直哉の首元を剣呑な目でじーっと見つめる。
「ここ最近、ずっとそのマフラーね……他のは持ってないわけ?」
「持ってるけど、これが一番あったかいし。重宝してるよ」
「ふうん……まったく物好きなひとね」
小雪は呆れたとばかりに肩をすくめる。
ほんのり赤らんだ鼻先が、寒さのせいばかりでないことは明白だった。
「小雪は今日もかわいい格好してるよな。そのコート、よく似合ってるよ」
「あら、美的センスが欠片もない直哉くんにも分かるのね。いいでしょ。この前、お爺ちゃんに買ってもらったんだから」
得意げにくるりと回って、簡易ファッションショーを披露してくれる小雪だった。
動くとコートが大きく広がって、その下に着た白いワンピースがちらりとのぞく。
黒いタイツと合わせて、彼女によく似合っていた。
しかし、小雪はぶすっと口を尖らせるのだ。
「そのお爺ちゃんも、パパもママも朔夜まで、みーんな予定があって夜まで帰ってこないんですって。私を放ったらかして、いったいどこに行くんだか」
「まあ、クリスマスだし仕方ないんじゃないか」
「結衣ちゃんや恵美ちゃんも用事があるって言ってたし……むう」
面白くなさそうにむくれる小雪だ。
先日のクリスマス会のついでに皆から小雪は誕生日を祝ってもらえた。
それでも当日に放置されるのは面白くないらしい。
直哉の鼻先にびしっと人差し指を突きつけて、居丈高に宣言する。
「だから、今日はみんなの分までしっかり私の誕生日を祝いなさい。そうじゃなきゃ許してあげないんだからね」
「分かってるって。ちなみに、許されなかったらどうなるんだ?」
「えっ、そうね。デートを途中ですっぽかして……暗い家の中で、ひとりケーキとチキンを食べてやるわ。どう、心が痛むでしょ?」
「胃がキリキリするなあ……」
万全の準備を整えたはずだが、強い不安に襲われた。
それを振り払い、直哉はどんっと胸を叩いてみせる。
「安心してくれよ。プランは綿密に考えてきたから抜かりはないって」
「ふーん。ま、期待はしてないけど」
小雪は気のない返事をしつつ、そわそわと辺りを見回す。
いつも通る小径は商店街へとさしかかっていた。
「じゃあ、これってどこに向かってるわけ? コースは任せとけって言ってたけど」
「ああ、そろそろ着くよ」
そうしてしばし歩いたところで、目的地に到着する。
商店街の外れに建つ、茜屋古書店だ。いつもはガラス戸の向こうに本棚がいくつも広がる店内が覗けるが、今日はシャッターが降りている。
「あら? 桐彦さんはお留守かしら」
「ま、あのひとも一応社会人だし予定くらいあるだろ」
「クリスマスだしね……で、ここが目的地なの?」
「おう。スタート地点だな」
首をかしげる小雪に、直哉は鷹揚に笑う。
とはいえ目的は茜屋古書店自体ではなく、その前の通りだ。店の軒先に春先つけた監視カメラのダミーが、じっと直哉らを見つめている。
「ここ、何があった場所か分かるか?」
「……私たちが初めて会った場所でしょ」
小雪は改めてあたりを見回す。
今年の春、ちょうど今ふたりが立っている場所で小雪が男に声を掛けられていた。
そこにたまたま直哉が助け船を出した。それがふたりの出会いだった。
それを久々に思い出したのか、小雪はほうっと小さく吐息をこぼしてみせた。
「なんだか、ずっと昔の出来事みたい……」
「まあ、あれから色々あったもんな」
春から冬にかけて、イベント事の連続だった。
最初のきっかけなんて思い出す暇もないほどに。
それでも改めて振り返ってみれば、鮮明に脳裏に蘇る。小雪も直哉と同じなのか、どこか遠い場所を見るように目を細めてぼんやりしていた。
「ちなみに、あのナンパ野郎は大学を休学して今現在故郷に戻ってる。心を入れ替えて、実家の店を手伝ってるみたいだぞ」
「どこ情報なの、それは……」
「あ、聞きたい? それならまず、俺があいつの大学を特定したところから――」
「もう十分だわ」
小雪はげんなりとかぶりを振った。
あの男はやはりたちの悪いナンパを繰り返していたようで、少し調べただけで余罪がゴロゴロと出てきた。二度やり込めたとはいえ、再び小雪の前に現れる可能性もゼロではなく――それとなく動向に気を配っていたのだ。
(まあ、偶然装ってちょくちょく出くわしたのが効いたかなあ)
男はそれですっかり震え上がってしまい、実家に逃げ帰ったらしい。
それはともかくとして。
「いい機会だろ? 今日は思い出の場所を巡っていこうかと思ってさ」
「ふうん、あなたにしては悪くない考えね。でも、誕生日にしては地味じゃない?」
「これは前菜みたいなもんだよ。メインのプレゼントは別に用意してあるって」
「前菜、ねえ……それじゃ、メインとやらを楽しみにしているわ」
こうして、ふたりはあちこちを回ることになった。
結衣たちと行ったクレープ屋。初めてデートしたショッピングモール。プール施設、学校、公園……などなど。目的地は近所に絞ったものの、それでも数多くの場所へと足を運んだ。
公園のベンチに腰掛けて、小雪はため息をこぼす。
真正面に広がる池で、ついこの間ふたりでボートに乗ったばかりだ。
「なんだか、どこもかしこも直哉くんとの思い出ばっかりね」
「だよな。俺もコースを考えてびっくりしたよ」
直哉もそれにうなずいてみせる。
けっして狭くはない地域の中に、小雪との思い出の場所がいくつもあった。
出会ってから、季節もまだ一周していない。それなのに市内を埋めん勢いだ。
それだけふたりが共に過ごした証拠だった。
じんわりと感傷に浸る直哉だが、小雪はじろりと睨みを利かしてくる。
「思い出巡りもいいけど……本当にプレゼントを用意してあるの? 考えつかなかったから、必死に時間稼ぎをしてるんじゃないでしょうね」
「まさか。入念に準備したよ」
疑いの目を向ける小雪に、直哉は右手を差し伸べる。
さながら姫をエスコートする騎士の気分だ。
柔和な笑みを浮かべて、決戦の地へ誘う。
「次が最後の目的地だ。ちょっと歩いたらすぐに着くよ。だからついてきてくれるかな」
「むう……仕方ないわね。もう少し付き合ってあげようじゃない」
小雪は不承不承といった様子で――それでも内心ワクワクしつつ――直哉の手を取った。
そこからふたりは手を繋いで歩いた。
直哉が言ったとおり、数分で特徴的な三角屋根が見えてくる。
「着いた。ここだ」
「え……教会?」
ふたりを出迎えたのは小さな教会だった。
三つの三角屋根が連なって、その奥には半円形のドームが見える。周囲を芝生に囲まれており、雲間から差し込む光が建物の白さを際立たせていた。
門が開け放たれているものの、直哉らの他に人影は見当たらない。
ぽーっと見蕩れる小雪の手を直哉は引く。
「さ、行こうぜ。外も綺麗だけど、中もすごいんだ」
「ええっ!? か、勝手に入ったら怒られない……?」
「大丈夫。ちゃんと許可は取ってるから気にするなって」
「本当……?」
真っ白な階段を上り、背の高い正面扉を開く。
すると、小雪は大きく息を呑んだ。
「わあ……綺麗ねえ」
左右にずらっと長椅子が並び、中央にはまっ赤なカーペットが敷かれている。
その奥には聖書台とパイプオルガン。巨大な十字架の後ろには煌びやかなステンドグラスがはめ込まれていて、色とりどりの影を床へと落としていた。
「えっ、ほんとに見てもいいの? なんか結婚式が始まりそうな雰囲気なんだけど……」
小雪は声をひそめて怖々と尋ねてくる。
長椅子には白い花が飾られているし、どこもかしこも花だらけだ。
照明も付いているしで、今にも荘厳な曲が流れてきてもおかしくはない。
しかし、直哉はあっさり言う。
「許可は取ってるって言ったろ。もっと奥まで見てもいいからさ」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
小雪は興味津々とばかりに、礼拝堂の奥へと進んでいく。
それを直哉はゆっくりと追いかけた。あらかじめ椅子の陰に仕込んでおいたものをこっそり回収し、後ろ手に隠して――準備は万端だ。
静まり返った礼拝堂内に、ふたりの足音だけが響く。
十字架の真正面に立って、小雪はそれをぼんやりと眺める。
その後ろ姿に、直哉は軽い調子で話しかけた。
「小雪、この間の修学旅行で言っただろ。誕生日で満足させてくれたら、プロポーズを考えてやってもいいって」
「う、うん……」
小雪がおずおずとこちらを振り返る。
その表情はいくぶん硬いものだった。緊張と期待と不安がない交ぜだ。
そんな彼女の前に、直哉は迷うことなく跪く。
「だから俺、必死に考えたんだ。小雪に贈る最高の誕生日プレゼントを。悩んで悩んで、ずーっと悩んで……それでようやく、これしかないってものを見つけたんだ」
後ろ手に隠したものをばっと差し出せば、小雪の目が大きく見開かれる。
大きな花束だ。包まれているのはどれも真っ白な花で、美しさを誇るようにして咲いている。
こんなシチュエーションで言うべきことなんて、ひとつしかない。
「小雪! 俺の残りの人生、全部やる! だから俺と結婚してくれ!」
「このおバカ!!」
大音量のツッコミが建物の中にわんわんと響く。
続きは明日更新します。
とうとう五巻は明日発売!あんなイラストやこんなイラストに加え、書き下ろしエピソードも収録!是非ともよろしくお願いします!