未来との約束
それから三人は小さな公園をたっぷりと楽しんだ。滑り台やジャングルジムといった遊具を制覇して、小さな池で鯉を眺めた。
三十分ほどかけて遊んだあと。
「たのしい!」
「うふふ、よかったわねえ」
ぱあっと笑う少女に、小雪はニコニコと破顔した。
どちらも力いっぱい遊んで息が上がっているものの、とても満足げだ。
そんなふたりを横目に、直哉はくすりと笑う。
(やっぱり子供だなあ。完全に目的を忘れてら)
直哉と小雪のキューピッドになると宣言したものの、少女はすっかり忘れて遊びに夢中だ。
察しのいい幼女とはいえ、そのあたりはまだ年相応らしい。
微笑ましい気持ちで眺めていると、小雪が水面を指し示した。
「あっ、見て! 今、綺麗な鯉が跳ねたわ!」
「ええっ、こはる見えない……どこどこ?」
少女は池をきょろきょろするものの、目当ての鯉が見つからないらしい。
そのすぐそばにしゃがみ、直哉は池を指し示す。
「ほら、あのあたりだ。よーく見てみな」
「わあっ、いた! しろと赤のおさかなさん!」
「ねー。綺麗よねえ」
「うん!」
少女と小雪は顔を見合わせて「ねー」と笑い合う。
それを見ていると、直哉の胸はますます温かくなるのだった。
(なんでこうなったのかは分からないけど……こういうの、いいもんだなあ)
先日見た新婚生活の夢もかなりグッときた。
だが、少女を挟んだ家族めいたやり取りの方もまた、甘くあたたかに感じられた。
ほのぼのしていた直哉だったが、ふいに現実へ引き戻されることになる。
「へ、へ……へくちっ」
「あら」
少女が小さくくしゃみをしたのだ。
いつの間にか、晴れていたはずの空を雲が覆い始めていた。日差しが弱まった上にビル風が吹くため、体感温度は下がる一方だ。
小雪は心配そうに少女の顔をのぞきこむ。
「ちょっと陰ってきたし、寒くなっちゃった? 大丈夫?」
「さ、さむくないもん。こはる、つよい子だし」
少女は鼻をすすりつつ強がってみせる。
それでも体は震えているし、顔色もすこし青白かった。
小雪はいそいそと制服を脱ごうとする。
「ちょっと待ってね、私の服を――」
「待て待て、それじゃ小雪が風邪を引くだろ」
直哉はそれを制し、いそいそとカバンを漁る。
目当てのものはすぐに出てきた。濃紺色の、ほつれが目立つふわふわのマフラーだ。取り出したそれを少女の首に巻いてやる。
「ほら。これなら暖かいだろ」
「これって……」
マフラーの手触りを両手で確かめ、少女はわずかに目を丸くする。
すぐにその頬に赤みが戻りはじめた。
直哉がホッとしたところに、小雪が剣呑な目を向けてくる。
「呆れた。そのマフラー、持ってきていたのね。まだ使うには早いのに」
「でも、出番はあっただろ?」
「そうだけど……こう見るとほんっと納得いかない出来だわ」
小雪は渋い顔でマフラーの端を摘まむ。
直哉の誕生日から一週間は経ったものの、未だに受け入れられないようだった。
そんな小雪に、少女はまっすぐな目を向ける。
「これって、おねーちゃんが作ったの?」
「え、ええ……でもその、あんまり上手じゃないから恥ずかしくって……」
「そんなことないよ! すっごくあったかいもん」
目を逸らしつつ言う小雪に、少女は食い気味で言う。
マフラーを抱きしめるようにして、得意げに続けることには――。
「こはるのパパも、こんなマフラー持ってるんだ。ママがむかし作ってくれたんだって」
「あら、微笑ましいわね」
「でも、パパがそのマフラーを使ってるとママがすっごくおこるの。『もっとキレイなのもあげたでしょ! さいしょのしっぱい作なんてすてなさいよ!』って」
「……聞けば聞くほど、他人とは思えないわね」
小雪はしわの寄った眉間を押さえて苦悶のうめき声をこぼす。
未来の自分の姿を悟ったようだった。
そんな小雪に、直哉はぐっと親指を立てて宣言する。
「もちろん俺も一生大事にするから、そのつもりで」
「けっこうです。新しいのが出来る度に古いの回収していくからね」
ジト目で返す小雪だった。
そんな小雪を見て、少女はくすくすと笑う。
「おねーちゃん、うちのママとおんなじこと言ってる。ママもそう言うけど、ほんとは大事にしてもらえてうれしいんだよ。すなおじゃないの」
「な、なんでママさんが喜んでるって分かるの……?」
「だってママ、パパのマフラーはていねいにお洗たくするもん。ひとりでいるときなんか、ぎゅーってしてニコニコしてたりするし」
「子供はよく見てるもんだなあ」
「うぐぐ……わ、私はそんなことしないし!」
真っ赤な顔で否定するものの、小雪自身ちょっと自信がないのか声に勢いが足りなかった。もごもごと言葉を濁しつつ、あさっての方を睨んでいる。
少女はそんな小雪を見てニコニコするばかりだった。
直哉の方を向いて、小首をかしげてみせる。
「これ、こはるが来なくてもよかったんじゃない? もとからすっごく仲よしじゃない」
「だからそう言っただろ」
「何の話?」
怪訝そうにする小雪だった。
それでも別のことに興味が勝ったらしい。
ワクワクとした顔でこっそり少女にたずねてみる。
「それにしても……小春ちゃんのパパとママはラブラブなのねえ」
「うん! みんな、見てるとむね焼けするってほめるんだよ」
「それ、褒めてるのかしら……」
小雪は苦笑しつつ『そういえば私たちもよく言われるわね……』なんて顔をしていた。
そんなことにはおかまいなしで、少女は嬉しそうに続ける。
「パパはママのことが大好きで、ママはパパのことが大好きなの。それで、こはるはどっちも大好き!」
「ふふ、いいわね。それで、ふたりとも小春ちゃんのことが大好きなのね」
「うん。こはる、しってるよ」
少女は屈託なく笑う。
そうして小雪の顔をのぞきこみ、無邪気に尋ねることには――。
「おねーちゃんは、おにーちゃんのこと好き?」
「……えっ?」
予期せぬ質問だったのか、小雪が目を白黒させる。
しかし、すぐにハッとして髪をかき上げ冷笑を浮かべてみせた。
「何を言い出すかと思えば……この私がこんな地味なひと、好きになるわけないでしょう。今日はたまたま一緒にいるだけで――」
「そうなの……? こはる、おねーちゃんたちには仲よしでいてもらいたいのに……ぐすん」
「ええええっ!? ご、ごめんね小春ちゃん泣かないで!?」
少女の嘘泣きにあっさり騙され、クールの仮面は一瞬で剥がれ落ちた。
狼狽する小雪に、直哉は雑なアドバイスを送る。
「小雪ー、素直になった方がいいんじゃないかー?」
「あ、あなたは他人事だと思ってぇ……!」
まっ赤になってぷるぷる震えるものの、それしか道はないと悟ったらしい。
大きく息を吸って、吐いて――覚悟を込めた小声を絞り出す。
「すっ……好き……いえ……だ、大好きよ!」
「そっかー」
少女は嘘泣きをやめて、けろっとして笑った。
「それじゃ、おにーちゃんとずっと仲よしでいてね」
「え、ええ……なんで?」
「なんででも。やくそくできる?」
「…………いいえ」
しばし逡巡したあと、小雪はゆっくりと首を横に振る。
少女の目を見つめ、まっすぐに告げた。
「約束するまでもないわ。だって、ずーっと仲良しに決まっているもの」
「うん。こはる、それもしってるよ」
少女は満足そうにうなずいてみせる。
「でも、よくを言えばもっともーっと仲よくしてほしいなー」
「ええっ、い、今以上に……? どうしたらいいのかしら……」
「それはねー……あっ!?」
いたずらっぽく笑って続けようとした少女だが、目をまん丸に見開いて声を上げた。
まっすぐ指さすのは、雑踏の向こうだ。
「パパとママだ!」
「えっ!? ど、どこにいるの?」
「あそこ!」
「見えないけど……?」
小雪だけでなく直哉も目をこらして通りを見つめるものの、それらしい人物は見当たらない。
(いや……あれか?)
行き交う人々の向こう側に、立ち止まったふたりがいる。
姿は不明瞭だが、大人の男女で、こちらをじっと見つめている気がした。
少女はマフラーを外し、小雪に手渡す。
「それじゃあ、こはるもう行くね! ココアとマフラー、ありがとう!」
「え、ええ。気を付けてね?」
そうして次は直哉ににっこり微笑みかけた。
「それじゃ、がんばってね!」
「ああ。頑張るよ」
直哉は片手を振ってみせると、少女は一目散に駆け出した。
その姿はあっという間に雑踏の向こうに消えてしまう。
やがて人々の壁の向こう側に、肩車されてはしゃぐ少女が見えた。
それが遠ざかっていくのを、直哉はぼんやり見送って――。
「ちょっとちょっと、きみたち大丈夫かい?」
誰かに、肩を揺すって起こされた。
「……はい?」
「むう、あと五分…………えっ?」
直哉に続き、小雪もぱちっと目を覚ます。
ふたりの顔を覗き込んでいたのは初老の男性だった。のりの利いた袴姿で、いかにも神社の神主といった出で立ちだ。
男性はきょとんとする直哉らを見て、ホッと胸をなで下ろす。
「よかった、起きた。ずーっとベンチで眠ってるもんだから、心配になっちゃってね。風邪を引いても可哀想だし、声を掛けさせてもらったよ」
「そ、それはどうも……ありがとうございます」
直哉はおずおずと頭を下げることしかできなかった。
改めてあたりを見回す。そこは神社の境内で、直哉らは隅のベンチに並んで腰掛けていた。
神社は老若男女の参拝客で賑わっており、熱心に拝む者、わいわいとおみくじを引く者、絵馬に願い事を書く者など様々だ。
活気に溢れていたせいですぐには分からなかったが、そこはどう見ても直哉らが参拝した縁結び神社だった。
「あの……ここって神社ですか? 縁結びの……」
「そうだよ。夕方になったら社務所を閉めるから、お参りは早めにね」
男性はあっさりとうなずいた。
「それじゃ、もう行くよ。今日はいつも以上にお参りのひとが多くてねえ。朝から大忙しなんだ」
「は、はあ……お疲れ様です」
直哉はぎこちなく笑い、男性を見送った。
それからもう一度あたりを見回して、大きくため息をこぼす。
「なんだか俺……変な夢を見てた気がするよ」
「……私も」
小雪も目を擦りながらしきりに首をかしげてみせる。
それから察するに、どうやら直哉と同じような夢を見ていたらしい。
(夢オチかー……さすがにそれは読めなかったな)
いったいどこから夢だったのか。
それすら分からないし、未来の娘がやってくる夢なんて不可解にもほどがある。
(ま、いい夢だったのは確かだけど)
たとえ夢だったとしても、胸に残るあたたかさは本物だった。
それを噛みしめてから、直哉は大きく伸びをする。
「まあいいや。早くお参りしようぜ」
「あっ……ま、待って!」
立ち上がりかけたそのとき、小雪が慌てて直哉の袖を掴んだ。
ベンチに座ったまま、うつむき加減でぼそぼそと言う。
「あの、直哉くん……その、ね……ちょっと聞きたいことが――」
「俺も小雪のことが大好きだけど?」
「……なぁっ!?」
直哉が即答すると、小雪は一拍遅れて奇声を上げる。
あっという間に、耳が熟れた果実よりまっ赤に染まった。頭から湯気を立ち上らせて、直哉へ目を吊り上げる。
「私が聞く前に答えるんじゃないわよ! そこは質問を待つのがマナーでしょ!?」
「ごめんごめん。なんか無性に言いたくなったから」
「まったくもう……」
小雪は口をへの字に曲げてそっぽを向く。
見る限り不機嫌そのものだが、頭から立ち上る湯気はすっかり失せて、かわりにぽやぽやとした幸せオーラがあふれ出た。
(自分は言ったから、今度は言ってもらいたくなったんだよな。夢だけど)
直哉はほのぼのするばかりだ。
そんな折、小雪がそっぽを向いたまま口を開く。
「来月……私の誕生日でしょ」
「へ」
「私の誕生日、もしも満足させてくれたら……あの話、考えてあげてもいいわ」
参拝客たちのざわめきにかき消されそうなほどに、小さな声。
それを直哉はしっかりと聞き取った。
聞き取った上で理解するのに数秒を要した。
そうして、小雪同様直哉も頬を赤らめることとなる。
「急だなあ……あれほど嫌がってたのにさ」
「悪い!? ちょっと気が変わっただけなんだから」
小雪はつーんとしてベンチから立ち上がる。
顔を伏せたまま、足早に直哉の隣を通り過ぎ――。
「もっと仲良くするって、約束した気がするし……」
すれ違い様に、そんなことをぽつりと呟いた。
直哉はぽかんとしてしまい、少しばかりその場で立ち尽くす。
しかしすぐに己の成すべきことに気付いた。
あれがたとえ夢だったとしても――。
(あの子がくれたチャンスを、無駄にするわけにはいかない!)
慌てて小雪を追いかけて、力強く宣言する。
「わかった。それなら俺、頑張るよ。死ぬ気で小雪の誕生日を祝って、結婚相手として認めさせてみせるからな」
「そ、そこまで気負わなくていいから……ほどほどで、ね?」
「うん。俺と一緒に温かい家庭を築こうな、小雪」
「ひいいっ! どこまでも目が本気だし……! そんなことよりお参りするわよ!?」
「はあい」
こうしてふたりでもう一度、神社にお参りすることになった。
賽銭箱の前で財布を開いた途端、小雪は目を丸くする。
中から取り出して見つめるのは一枚のレシートで――。
「あら? 私、今日はココアなんか飲んだかしら」
「……さあ?」
直哉はそっと視線をそらし、深く考えないことにした。
続きは明日更新します。次回誕生日兼プロポーズ編。
とうとう五巻発売が近付いて参りました!ぜひともよろしくお願いします。
コミカライズも絶賛連載中!YouTubeのCMなどもあるそうなので見れたらラッキー!