女子部屋でのベタ展開
こうしてふたりは女子の部屋がある棟に向かい――数分後。
あっさりたどり着いた扉の前で、小雪は渋い顔を直哉に向ける。
「直哉くんなら大丈夫だと思ったけど……こうもあっさり先生たちの目をかいくぐるとは恐れ入ったわ」
「えっ、これくらい簡単だろ? 行動パターンを読んで、死角を通ればいいだけなんだから」
「ほんとに簡単なのかしら……躊躇なく進むから、こっちがビクビクしたくらいなのに」
見回りの背後を音もなく歩いたり、小雪を先に行かせて視線を向けさせたり。
そんなちょっとした小細工で侵入ミッションは完了した。
不可解そうに考え込む小雪をよそに、直哉はふうっと吐息をこぼす。
(今のでだいたいの見回りスケジュールも読めたけど……それは言わないでおくかな。余計ドン引きされるし)
しかし、小雪はふと閃いたとばかりに顔を上げる。
「ひょっとして、さっきので先生たちの見回りスケジュールも読めちゃった?」
「……小雪も鋭くなったなあ」
「こんな鋭さ不必要よ。直哉くんのせいで、私まで色物になっていくじゃない」
「いやあ、小雪も元からわりと色物……なんでもないです」
「ちょっと手遅れ気味だけど、よろしい」
満足げにうなずいて、小雪は部屋の鍵を開けて入っていった。
中でごそごそと荷物を整理してから、外の直哉に声を掛けてくれる。
「もう入ってもいいわよ。ただし、静かにね」
「お、お邪魔します……」
おずおずと扉を開くと、土間と上がりぶちが出迎えてくれる。
その向こうには開け放たれた障子があった。
棟が違うとはいえ同じホテルのため、直哉らの部屋とほとんど同じ和風な間取りだ。
障子の向こうは畳敷きで、女子らの荷物が隅に置かれている。すでに布団が敷き詰められていて、就寝準備は万端だ。
そして、部屋には小雪と直哉の他には誰もいない。
制汗剤や化粧水などの甘い香りが鼻腔をくすぐり、直哉はますます身を固くした。
「……お邪魔します」
「なんで二回言ったの?」
場違い感に押し潰されそうになりながらも、覚悟を決めて部屋へと上がる。
小雪は部屋の隅にある冷蔵庫を漁っていたが、やがて小さな紙袋を取り出してくる。
「はい、どうぞ。これが言ってたお菓子」
「水まんじゅう……?」
袋に入っていたのは、青い水まんじゅうだった。
プラスチックの容器の中でぷるぷると震えるそれをのぞき込み、直哉は軽く目をみはった。
「へえ、変わってるな。まんじゅうの中で金魚が泳いでるんだ」
「そうなの! とっても可愛いし美味しいしで……私が見つけたんだから!」
小雪は大興奮で顔を輝かせる。
今日、小さな和菓子屋さんを見つけたらしい。結衣と恵美佳に知らせたところ、あれよあれよという間にクラスの女子にも広まって皆で買って食べたという。
小雪がポットでお茶を入れてくれたので、その場でいただくことにする。
よく冷えた水まんじゅうは口当たりがよく、甘さ控えめでさっぱりしていた。温かいお茶との相性は抜群だ。小さなまんじゅうを大事に平らげ、直哉はほうっと息を吐く。
「うまかった。ありがと、小雪」
「ふふん、そうでしょ。みんなも美味しいって言ってたわ」
胸を張って、小雪は得意げに笑う。
よっぽどクラスの皆とはしゃげたことが嬉しいらしい。
「ほら、見て。他にも可愛いお菓子がたくさんあったんだから」
「どれどれ?」
小雪は目を輝かせて、今日撮った写真をスマホで見せてくる。
結衣たちとの自撮りにまぎれ、他の商品を写したものがいくつもあった。
「へえ、猫のお菓子もあったんだな。買わなかったのか?」
「賞味期限が早いから、今日は諦めたのよね」
小雪は残念そうにかぶりを振る。
店の場所を地図で確認すると、ますますその眉間にしわが寄った。
「明日からの予定だと、このお店を回る余裕もなさそうね……お土産に買えないのは残念だわ」
「それじゃ、また今度だな」
「今度……?」
小雪は目を瞬かせる。
それに、直哉はさっぱり笑って言う。
「そう、今度。次はその……ふたりで来ようぜ」
「……うん。また計画しなくちゃね」
小雪は照れくさそうにしながらも、ふんわりとはにかんでみせた。
自分もお茶に口をつけてから、直哉の顔をいたずらっぽく覗き込んだ。
「今日はとっても自然体で楽しめた気がするの。朝、直哉くんと話せたからかしら」
「お役に立てたのならよかったよ。でも、今の小雪なら俺が何か言わなくても大丈夫だったと思うけどな」
「当然よ。私は完全無欠の美少女ですもの。クラスの子たちと談笑するくらい、なんてことないんだから。まあ、ちょっと緊張はしたけどね……」
小雪は頬をかいて、眉をすこしだけへにゃっと曲げる。
まだ人見知りを克服するには至らないらしい。
それでも、こうしてクラスメートのやり取りを笑顔で振り返ることができるのが、たまらなく嬉しいようだった。
「直哉くんのせいで、他のひとたちとの思い出も増える一方なの。今年だけで、もうパンクしそうだわ。いったいどうしてくれるのよ」
「あはは。これで音を上げちゃ、これからやっていけないぞ。俺がずーっと全力で、小雪に思い出を提供し続けるんだからな」
「ふふ……言ったわね」
小雪がくすりと笑い、そこでふとふたりの間に会話が途切れた。
静寂が部屋を満たす。窓の外から小さな風の音が聞こえる他は、何の気配もしない。
他の部屋も静まり返っており、まるでこの広い世界の中でふたりっきりになったような錯覚を覚える。
やがて、小雪が口を開いた。頬はほんのり朱色に染まっている。
「ね、直哉くん。その……」
「う、うん……」
言葉は少なく、互いに意識してぎこちない。
それでも直哉に小雪の気持ちは手に取るように分かったし、小雪は小雪で察されていることを知っている。ふたりの心はひとつだった。
そっと直哉が顔を近付ければ、小雪はまぶたを閉ざす。
かすかな緊張が長いまつげを揺らし、こめかみを小さな汗の粒が流れ落ちた。
(ベタな展開だなあ……)
修学旅行で、みんなに隠れてキスをする。
浮かれたカップルとしては押さえておきたいイベントだった。
しかし、唇と唇が触れる寸前で――。
「あはは。それでさぁ」
楽しげな声が廊下から響き、小雪が大慌てで目を見開いた。
「ま、まずい……! ちょっと直哉くん! 隠れて隠れて!」
「へ!? 待て待て! 無茶があ――」
異論を無視し、小雪は直哉の上にばさっと布団をかぶせてしまう。
自分はそこに足を入れて、隠蔽工作は完了だった。
次の瞬間、ガチャッと部屋の扉が開かれた。いくつもの足音が聞こえ、女子たちが帰ってきたのだと分かった。声から察するに、中には結衣や恵美佳もいる。
(ベタな展開だ……!)
女子の部屋に侵入して、布団の中に匿われる。
キスのチャンスは逃がすことになったが、これはこれで浮かれた定番イベントだ。
布団の中は真っ暗だが、そこは直哉だ。気配だけで外の様子が手に取るように分かった。
帰ってきた女子のひとりが、小雪に明るく声を掛ける。
「たっだいまー。あれ、白金さんひとり?」
「え、ええ。そうよ」
「ふーん?」
小雪はガチガチに固くなりつつも、そう言って誤魔化してみせた。
女子生徒もそれ以上は何も追及することなく、他の子らと話し始める。
部屋が一気に賑やかになった。直哉もさすがに黙ってはいられずに、小雪の足を突いて小声で訴えかける。
(おい、小雪。さすがにこれは無茶だって……)
(仕方ないでしょ! 彼氏を連れ込んだなんてバレたら、恥ずかしすぎるんだもの!)
布団を少しめくってのぞき込み、小雪は真っ赤な顔で猛抗議する。
あたりをそっと窺って、ドスを利かせた声で言うことには――。
(隙を見て逃がすから。しばらく大人しくしてて!)
(はあ……)
直哉はそれに、曖昧な返事をすることしかできなかった。
かくして女子の園で、息を殺しての潜入ミッションがスタートした。
相部屋の女子生徒らは明日の準備をしたり、だらだらお喋りしたりと、それぞれ自由に過ごしている。もうすぐ消灯時間のはずだが、誰も眠る気はないらしい。
「小雪ちゃーん、こっち向いて。はい、チーズ」
「ち、ちーず……」
結衣にカメラを向けられて、小雪はぎこちなくピースする。
いつ布団の中がバレるかヒヤヒヤしているらしい。
そして、直哉は直哉でのっぴきならない事態に陥っていた。
(ゆ、浴衣がはだけてるぞ、小雪……!)
直哉の隠れた布団に、小雪は足を突っ込んでいる。
それゆえ、目の前に艶々した素足があった。無駄な毛は一切なくてしみひとつない。
布団で蒸れたせいで、ふんわりと汗の香りもする。その足を視線で辿れば、浴衣がはだけて露わとなったピンクの下着部分もちらっと見えた。
そんな折。
「あはは、やったな! それ!」
「ぶふっ!?」
「あっ、白金さんごめん!」
女子のひとりがふざけて投げた枕が、小雪の顔に直撃した。
それに驚いて布団の中の足がびくんと跳ねた結果、直哉が抱き付くような形になる。
めちゃくちゃ柔らかかったし、いい匂いがした。
「ひっ……きゃああっ!?」
「ふぶっ!?」
その幸せな時間は一秒も続かず、直哉は布団から蹴り出される羽目になった。
畳の上をごろごろと転がって、打った頭を押さえて呻く。
「いってて……隠れてろって言った癖に、自分から追い出すのかよ……」
「ご、ごめんなさ……って、そんなこと言ってる場合じゃ……!?」
あたふたした小雪だが、すぐにハッとして背後を振り返る。
そこでは女子生徒一同がきょとんとして直哉たちを見つめていた。
小雪が『終わった……』と顔面蒼白になる。
しかしそんな憂慮に反して、女子たちは――。
「それで明日の予定なんだけど、あたしたちはここに行くつもりなんだ」
「あっ、それいいかも。うちらも真似しない?」
「賛成ー! いいとこ知ってるじゃん、委員長」
「えっへん。入念なリサーチの結果だよ☆」
何事もなかったように会話を続けたのだった。
小雪は一瞬だけぽかんとして、すぐに顔を真っ赤に染めてツッコミを叫ぶ。
「なんでみんな何も言わないの!?」
「えっ?」
それに結衣たちが顔を見合わせる。
部屋になんとも言えない沈黙が落ちてから、結衣はバツが悪そうに頬をかいた。
「だって……直哉がいるのは分かってたし」
「……へ?」
「そーそー。玄関に男子のスリッパがあったからね」
他の女子生徒も、軽い調子でうなずいてみせる。
「布団だって、それだけ大きく盛り上がってたら誰かいるって普通分かるって」
「じゃあ……私が誤魔化そうとしたのって、全部無駄だったわけ!?」
「うん! 面白そうだから、みんなで黙ってたよ!」
ハキハキと言ってのけるのは恵美佳だった。
「っ~~……!?」
その途端、小雪の顔色が赤を通り越してどす黒く変化する。
怒りの矛先が向かうのはもちろん直哉だ。枕を手にして、ぼふぼふと殴打してくる。
「なんで言ってくれなかったのよぉ! 直哉くんなら、バレてるのなんて最初から分かってたはずでしょ!?」
「いやその、最初は言おうとしたんだけど……」
バレバレなのは分かっていたし、忠告しようとしたのは本当だ。
それをせず、ただ黙って布団の中に隠れていたのは――。
「布団の中の光景がたいへんよろしくて……堪能したかったんだよ。ごめん」
「バカ! えっち! 出てけぇ!」
「はーい。お邪魔しましたー」
手当たり次第に投げつけられる枕をかわしつつ、直哉は部屋を後にした。
背後からは小雪の怒声に混じり、女子たちの感心したような声が聞こえてくる。
「やっぱりすごいねー、白金さん」
「うん。あそこまでイチャイチャされるといっそ微笑ましいもん」
「旦那と末永くお幸せにね~」
「だっ、だんなじゃないし!!」
小雪は泣き出しそうな悲鳴を上げた。
続きは明日更新します!五巻発売間近!よろしく!






