風呂上がりの浴衣にぐっとくる
小雪が少しげんなりしたところで、ちょうどいい時間となった。
朔夜とクレアのふたりと別れ、直哉らは集合場所に移動することにした。
それからは怒濤の勢いで時間が進んだ。新幹線で移動したあとは、クラスごとにバスに乗っていくつかの名所巡り。初日のスケジュールは過密で、ホテルに着くころには皆疲れきっていた。
しかし学生の体力は無尽蔵だ。
夕食と風呂を済ませたあとは皆完全復活し、ホテルのあちこちを探索し始める。
直哉も大浴場でのんびりしたおかげで、今日の疲労はほとんど取れてしまった。すぐそばのロビーで浴衣のまま待っていると、やがて小雪がやって来た。
「直哉くん、聞いて! すっごく楽しいわ……!」
「お、おお。よかったな?」
小雪はやって来るなり開口一番そう言った。
目はキラキラと輝いているし、顔も艶々している。
どうやら最初に緊張がほぐれたのが良かったらしく、全力で修学旅行を楽しめているらしい。
そんな小雪に微笑ましく思うと同時、直哉はこっそりと生唾を飲み込んだ。
(風呂上がりの浴衣だあ……)
小雪も直哉同様、浴衣姿だった。
ホテルで用意された素朴なもので、飾り気などは一切ない。
それでも湯上がりで火照った肌、ちらりと覗く鎖骨を流れる汗、香り立つ甘い香り……。
五感に訴えかけるすべてが直哉に効果抜群だった。髪を高い位置でまとめたせいで、うなじが見えるのもたまらない。後れ毛がぴょんっと跳ねているのも最高に可愛かった。
風呂上がりの姿を見るのなんて何度目かも分からない。浴衣だって、この前のお祭りで拝むことができた。
ただ、その合わせ技がたまらなくグッときたのだ。
ぽーっと見蕩れていると、直哉の脳裏に危機感がよぎる。
(まずい……こんな可愛いの、他の男が見逃すはずない!)
おもわずそっとあたりを窺う。
幸いほかの生徒らは話に夢中で、こちらを見ている者は少なかった。それも直哉と目が合うとすぐにさっと顔を背ける。敵に回すと厄介なのが、すでに皆分かっているらしい。
直哉はほっと胸をなで下ろす。
(ふう……俺の知名度が上がったおかげかな。これなら悪い虫も付かないだろ)
文化祭などで悪名を轟かせた甲斐があったというものだ。
そんな影の攻防に、小雪はまったく気付かなかった。
興奮気味に今日の旅程であった出来事について語って聞かせてくれる。
「結衣ちゃんや委員長さんだけじゃなくって、クラスの他の子ともお話しできたし……! 同じ部屋になった子とは、連絡先も交換できたのよ! すごいでしょ!」
「へえ、仲良くなれてよかったじゃん」
「うん! あっ、でも……」
そこで、小雪の笑顔がすこしだけ曇った。
直哉のことを恨みがましい目で睨みながら、ため息をこぼす。
「その子、直哉くんにすっごく感謝してたのよ。このまえ相談に乗ってもらったおかげで、彼氏との誤解が解けてラブラブに戻れたんですって」
「はあ……それはいいことだろ」
直哉は肩をすくめてみせる。
あの恋愛相談窓口は今も不定期に開催しており、感謝の声をもらうことも多い。
だからこれは相変わらずの日常風景だ。
それなのにむすーっと膨れる小雪に、直哉は苦笑するしかない。
「何度も言ってるだろ。いくら女子に人気が出ても、俺は小雪ひと筋だって」
「分かってはいるけどモヤモヤするの!」
小雪は声を張り上げ、ぷいっとそっぽを向く。
直哉が人気なのは嬉しい。ただ、女の子から慕われるのは非常に面白くない。
そんな相反する気持ちを持て余しまくっているらしい。小雪は真剣な顔で考え混む。
「むう……いっそ直哉くんの悪い噂を広めてやろうかしら。そしたら女の子が寄りつかないわよね。性格が最悪で、人を弄んで楽しむような極悪人だって」
「たぶんそれ、もうみんな知ってるぞ」
「そっか……そうよね……今さらか……うん」
「納得するのが早すぎませんかね、小雪さん」
しみじみと悟られても困る。
そもまま、ふたりはロビーの椅子に座ってとりとめのない話に興じた。
今日はクラスごとの集団行動が多かった。そのためお互いの見たもの、面白かったこと、話したこと……そうしたものを語り合い、じっくりと思い出を共有していった。
気付けばロビーに来て一時間ほどが経過していた。
小雪もそれに気付き、大きく伸びをしてぼやく。
「あーあ、もうすぐ一日目も終わりかあ……あっという間でびっくりだわ」
「たしかに早いよな」
直哉も笑って時計を見る。
すでに時間は夜の九時を示している。十時が一応の消灯時間なので――もっとも、守る生徒は少ないだろうが――こうして会っていられる猶予は残り一時間だ。
「あと三日かあ……」
小雪は時計を眺めてぼんやりする。
その横顔はどこか寂しげで、直哉は明るく言う。
「まだあと三日あるんだ。明日からは自由行動もあるし、今日以上に楽しめるって」
「そ、そうよね。明日に備えて……あっ、そうだ」
やる気を出した小雪が、そこでふと何かを思い出す。
そして直哉はそれを察して、ぴしっと凍り付いた。
「…………今から小雪たちの部屋まで来いって?」
「うん。話が早くて助かるわ。段階をすっ飛ばしすぎだけど」
小雪は慣れた様子で軽くうなずく。
それでも一応とばかりに、きちんと言葉にしてくれた。
「今日ね、美味しいお菓子を見つけたの。それで、直哉くんの分も買ったんだけど……賞味期限が今日までなのよ。部屋の冷蔵庫で冷やしてあるから、取りに来て」
「もう一回聞くけど……女子の部屋まで?」
直哉はおずおずと問い返す。
もちろん男女で部屋は別れているし、行き来は禁じられている。ちゃんと棟は別々になっており、不貞が起こらないように先生たちが目を光らせていた。
そんな中、女子の部屋に行く。
男にとっては人生を賭けた一大ミッションになると言っても過言ではない。
大抵のことに動じない直哉でも当然緊張してしまう。
それが顔に出たようで、小雪はぷっと噴き出した。
「なんて顔をしてるのよ、大袈裟ねえ。取って戻ってくるのも手間だから、ちょっと来てもらって渡したいだけなんだから。そしたらすぐに帰ってくれていいわよ」
「いやでも、ほんとに行っていいのか……?」
「平気よ。同室の結衣ちゃんたちは、他の部屋に遊びに行ってるはずだし。誰もいないから気兼ねしなくていいわ」
そう言うと、小雪はるんるんと軽い足取りで歩き出す。
部屋に呼ぶのは確定事項のようだ。お土産を早く渡して感想を聞きたいらしい。
他の女子がいないのなら、たしかに直哉も気を遣わなくて済むのだが――。
(つまりそれ……部屋にふたりっきりってことでは?)
そうツッコミたいのをグッと堪え、小雪の後を追った。
美味しい展開を逃すわけにはいかなかったからだ。
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