修学旅行へ
その日は天気予報通りに、朝から青空が広がった。
それでも朝六時という早い時間帯では、日差しも弱くて寒さが厳しい。県内で一番大きな駅でも行き交う人はまばらである。みな着込んだ上着の首元を押さえ、足早に歩いていく。
そんな駅ビルにあるファーストフード店の一角に、直哉らは集合していた。
小雪に朔夜、結衣に巽、アーサーにクレアといういつもの顔ぶれだ。二年生メンバーはそれぞれ旅行カートなどを携えて、旅立つ準備は万端である。
そんな集合した面々を見比べて、恵美佳がごほんと咳払いする。
「それじゃ、みんな揃ったところで始めよっか。じゃーん、これが今日から始まる三泊四日の修学旅行のしおり完成版でーす」
喜々として取り出すのは、コピー紙を束ねて折った冊子である。
手際よく配られたそれを開くなり、結衣と巽が目を丸くした。
「うわ、予定表と見所が完璧にまとめられてあるじゃん……」
「しかも何だよ、このオススメお土産特集は。タウン誌か何かか」
ざわつくふたりを横目に、直哉も全十六ページの冊子をめくる。
そこには本日これから出立するはずの修学旅行について、細かくびっしり書かれていた。
単純なスケジュールだけでなく、訪れる予定の名所に関する情報、施設の入場料、お土産特集から簡単なコラムまで……驚きの充実ぶりである。
「さすがは委員長さん。このまえの文化祭同様、イベントごとには全力投球だな」
「あはは、そう直球で褒められると恥ずかしいなあ」
恵美佳は満更でもなさそうに胸を張る。
冊子をひとりで執筆、編集したはずだが、疲労の色を一切感じさせない。顔色はむしろ艶々していて、達成感に満ち満ちていた。
小雪もそれをぱらぱらめくって、感嘆の声をこぼすばかりだ。
「すごい完成度ね……大変だったんじゃないの?」
「ううん。全然」
恵美佳は冊子を撫でてうっとりと笑みを深める。
「だって、推しと行ける修学旅行はこれが初めてだもん。しっかり準備して思い出を作らないと。そうでしょ、白金さん!」
「お、推しって何?」
きょとんとするばかりの小雪である。
先日白金会の存在は露呈したが、そこに恵美佳が所属しているのはまだ知らずにいる。
「あ、ちなみになんだけど……」
恵美佳はにやーっと笑い、わざとらしく直哉を見やる。
「白金さんが、だーい好きな笹原くんと修学旅行を回れるように、予定を調整してあげたからね。全力でイチャイチャしてくれていいからね!」
「は、はあ!? みんなが目の前にいるっていうのに、イチャイチャなんてしないけど!?」
「またまたぁ。デートコースも色々調べてまとめておいたから、巻末参照ね☆」
「ちょっ……! 大きなお世話ですけど!?」
小雪は顔を真っ赤にして怒るものの、興味津々なのかパンフレットをちらちら見る。
おかげで直哉はニコニコしてしまい、小雪にべしべしと肩を叩かれるはめになる。
「直哉くんもニヤニヤしない! 集団行動なんだからデートなんかダメなんだからね!」
「大丈夫だぞ、小雪。『このまえは家族旅行だったけど、今回は修学旅行! 家族の目もないし、見知らぬ土地だし、ちょっぴり大胆に誘ってみてもいいわよね……! きゃー!』とかなんとか小雪が舞い上がってることくらいお見通しだから」
「私の周りには敵しかいないの!?」
頭を抱えて突っ伏す小雪だった。
そんな小雪の完敗っぷりに恵美佳はほうっと熱い吐息をこぼして悦に入る。
「いやあ、このやり取りは何度見ても美味しいよねえ。ライブの定番トリ曲みたいな味わいがあるよ……」
「全面同意。さすがは鈴原先輩、よく分かっているね」
朔夜がそれにうんうんと力強くうなずいた。
朝からトリプルバーガーとコーラLにポテトLという、育ち盛りの男子高校生ですらちょっと遠慮したくなるようなメニューを淡々と平らげている。
けぷーっと満足げに鳴いてから、拭った右手を恵美佳にそっと差し出した。
「修学旅行中は写真撮影よろしくね。楽しみにしてるから」
「もちろんだよ、会長……いや、朔夜ちゃん」
恵美佳はその手をがしっと握る。
目をキラキラと輝かせ、もう片方の手でサムズアップ。
「約束通り、撮った写真は共有のクラウドサーバーに随時アップロードしていくからチェックしてよね。あとでアルバムにするから、一緒に厳選しよ!」
「もちろん。四六時中張り付く所存」
「ふたりで何を結託してるわけ!?」
突っ伏していた小雪だが、ツッコミを入れるために復活した。
そのまま渋い顔で妹のことを睨み付ける。眼光こそ鋭いものの、ふたりの勢いに押されたせいかどこかタジタジだ。
「っていうか……なんで朔夜とクレアさんまで一緒にいるのよ。あなたたちの修学旅行は来年でしょ」
「私はお見送り。このあと先生を叩き起こしてから学校に行くの」
「さすがの押し掛け女房兼アシスタントぶりだなあ」
「はあ……それじゃあクレアさんは?」
「わたくしも見送りです。それと……野暮用が少々」
クレアはやんわりと微笑んでみせる。
その隣では、アーサーが夢中でしおりを読み込んでいた。
「キョウト……日本の古き良き文化が根付く場所……いいな……楽しみだな……はたしてニンジャには会えるだろうか」
日本オタク気味なので、ベタな修学旅行先にいたく興奮していた。
そんな兄へと棘を孕んだ視線を投げてから、クレアは恵美佳へと微笑みかける。
「たしか……エミカ先輩でしたっけ。お話があります」
「うん? なあに、クレアちゃん」
恵美佳は小首をかしげてみせる。
その軽さとは対照的に、クレアの方はピリピリしていた。
微笑みの形に細めた目からは、薄い殺気が迸る。
ただならぬ空気がふたりの間に満ちて、小雪もおもわず口をつぐんだ。朔夜は朔夜で、その隙にトリプルバーガーのおかわりを注文しに行く。
そんななかでクレアは居住まいを正し、険しい顔で恵美佳に向き合う。
「みなさんで修学旅行を楽しむ……それはいいでしょう。メンバーはナオヤ様カップル方とユイ先輩カップル……あとはうちの兄様と、エミカ先輩。そういうことでいいんですよね」
「うん。それがどうかした?」
「……兄様はわたくしのものですからね」
クレアはムスッとして、兄の腕にするりと抱き付いた。
これにはアーサーも仰天し、目を丸くしてあたふたする。
「クレア!? きゅ、急にどうしたんだ……!」
「兄様は黙っていてください」
ぴしゃっと叱りつけ、クレアは淡々と畳みかける。
「旅行という非日常空間で、余った男女がいい雰囲気になる……定番の展開です。ですが兄様には、すでにわたくしという者がいるのです。それをゆめゆめお忘れなきように」
「あー、そういうことね。大丈夫、大丈夫」
あからさまな牽制に、恵美佳はぱたぱたと軽く手を振る。
「このまえの文化祭であれだけ情熱的な一幕を演じたカップルだよ? そこに割り込んだって得るものがないでしょ。そもそもアーサーくんは私の好みじゃないし」
「むう、本当ですか……? いかがでしょうか、ナオヤ様」
「安心しろよ。フラグが立つことは一切ないから」
直哉もあっけらかんと断言する。
恵美佳とフラグが立っている相手は他にいるからだ。
「後でもうひとり来るんだよ、竜太ってのが。そいつが委員長さんの相手だから」
「りゅーくん朝は犬たちの散歩があるからねえ……って、相手って何? ただの幼馴染みですけど!?」
「な、なるほど……」
恵美佳の慌てように、クレアも何かを悟ったらしい。
見るも分かりやすく胸をなで下ろしてみせた。
「なら大丈夫ですわね。申し訳ございません、エミカ先輩。失礼なことを言ってしまって……」
「う、ううん。気にしないで、当然の心配だと思うしさ。ほんとにただの幼馴染みだからね……?」
「分かっております。どうかお幸せに」
「分かってないし!?」
そんなわけで空気も和み、あとはめいめい集合時間までを自由に過ごすことになる。
「あ、兄様。わたくし、このナマヤツハシというお菓子を食べてみたいです!」
「分かった分かった。メモしておくが……種類が多いなあ。委員長くん、オススメはどれだい」
「そうだねえ。個人的にはお芋味なんていいと思うけど。ところでクレアさ~ん、いつまで兄様呼びなの? もうお付き合い中なんでしょ?」
「えっ、そ、その……急に変えるのも気恥ずかしくって、つい……」
「ぼ、僕も名前で呼ばれるのは心の準備が……」
お土産談義と恋バナに花を咲かせたり。
「ねえねえ、巽。京都でどっか行きたいとこってある?」
「別に。特にないからおまえに任せるわ」
「そう? じゃあこの、三時間待ちのお洒落カフェとかに並んじゃおうか!」
「やっぱ今のなしで。ちょっと時間をくれ、必死に何か考えるから」
行き先を相談したりで、まったりした時間が流れていった。
小雪もまたワクワクとしおりをめくる。
少し読み進めただけで、その目にぱあっと光が宿った。
「わっ、見て見て直哉くん。良縁祈願の神社ですって。縁を結ぶだけじゃなくて、今の良縁をがっちり補強してくれるとか。絶対一緒に……」
……と、そこまで興奮気味に口にしてから、小雪はハッとして黙り込む。
ごほんと咳払いをひとつして、何事もなかったかのように澄まし顔を作ってみせた。
「直哉くんなら行きたがるわよね、仕方ないから付き合ってあげるわ。光栄に思いなさい」
「どうせすぐにメッキが剥がれるんだから、無理して強がらなくてもいいのに」
直哉は苦笑するしかない。
大きなイベント前は定番の光景だ。
小雪も重々承知らしく、顔を赤らめながらぼそぼそと言う。
「だって、修学旅行中、直哉くんやみんなとずーっと一緒にいるんでしょ……?」
「そうだなあ。自由時間がバカみたいに多いし」
しおりの予定表を開けば、日程表のほとんどが自由時間なのが分かる。
大月学園は自由な校風が売りなので、修学旅行の行き先もそれぞれの生徒に任される。
直哉らは京都方面を選んだが、ハワイや沖縄だったりも選択可能だ。
団体行動もあるにはあるが、ほとんどは自由行動となる。集合時間さえ守れば、名所を回るも、テーマパークをはしごするのも何でも許される。
そういうわけで、クラスの違うメンバーでこうして集まって行き先を相談しているのだ。
早朝に集まったというのに、みなの盛り上がりぶりは留まるところを知らない。
小雪はごくりと喉を鳴らしてから、直哉だけに聞こえる小声でこそこそと言う。
「今から楽しみすぎて、どうにかなっちゃいそうだから……テンションを抑えようかと思ったのよ」
「小雪は慎重派だなあ。そんなの気にせず楽しめばいいのに」
「だってだって、こんな楽しみな修学旅行は初めてなんだもの……! 小中のときはぼっちだったし……!」
小雪はわっと顔を覆う。
テーマパークのベンチでひとり読書して時間を潰したり、お寺の休憩所でぼーっとしたり……小雪にとって、修学旅行というのはそんなふうに、とにかくただひたすら虚無いイベントだったらしい。
「だから今から自制しておかないとダメなの。失敗は許されないのよ……!」
「言いたいことは分かるけど大袈裟だなあ」
もともと真面目な性格なので、余計思い詰めつつあるらしい。
(さっき委員長さんをからかってたけど、小雪も同じくらい真剣に向き合いすぎているんだよな……)
とはいえ、それもこれも楽しみすぎるがゆえだ。
顔を強張らせる小雪に、直哉はその緊張を和らげるべくふんわりと笑いかける。
「そもそも、何をもって修学旅行の失敗って言うんだよ」
「えっと……みんなで集合時間に遅れて怒られたり……?」
小雪は真っ青な顔で、思い付く可能性を指折り数えていく。
「行きたかった場所がお休みだったり、道に迷ったり……? うううっ、考えれば考えるほど嫌な想像ばっかりしちゃうじゃないのよ……」
ますます思い詰めていく小雪だ。
だが、直哉は変わらず軽く言ってのける。
「安心しろよ。それはそれで思い出になるからさ」
「えっ。そ、そうなの?」
「そういうもんだよ。ほら、こないだの家族旅行でも、そんなことがあっただろ」
避暑地に向かう道中、直哉と小雪は家族らとはぐれて別行動となった。
小さな駅で降りてお弁当を食べ、海を見て――そして、大雨に降られた。
最後は散々な展開だったが、とても鮮やかに心に刻まれた思い出だ。
しかし、小雪は眉を寄せてごにょごにょと言う。
「でも……今回は結衣ちゃんたちみんなに迷惑がかかるじゃない。家族のときとは違うのよ」
「みんな迷惑なんて思わないって。なあ、そうだろ」
「えっ、何の話?」
話を振ると、結衣がきょとんとした顔を向ける。
ざっくり説明してやれば、すぐにぱたぱたと手を振って苦笑した。
「あー、そんなことで悩んでたんだ。小雪ちゃんらしいっちゃらしいけどね」
「そ、そんなこと!? 集団行動で大事な心配じゃない!?」
「そうかもだけど、そこまで深刻にならなくても」
結衣はにっこり笑って、小雪の手をぎゅっとにぎる。
「その程度のことで迷惑なんて思わないよ。だって私たち友達じゃん」
「ほ、ほんとに……?」
「もちろんだよ」
不安そうな小雪に、恵美佳もまた力強くうなずいた。
結衣の手にそっと自分の手を重ね、優しい目をして訥々と語る。
「お目当てのお店がお休みでしょんぼりの白金さん……道に迷って涙目の白金さん……そんな貴重なシーンを間近で激写できるんでしょ? 私としてはむしろ大歓迎だから、じゃんじゃんやらかしてくれていいからね!」
「結衣ちゃんはともかく……委員長さんはちょっと付き合い方を考えさせて」
額を押さえるが、ともあれそれで心にかかっていたもやが晴れたらしい。
少し表情がゆるんだ小雪に、直哉はさっぱりと告げる。
「ま、そんな感じだな。どうやったって、大事な思い出がまた増えるんだ。だから変に気を張らなくてもいいんだよ」
「そっか……」
小雪はふうっと小さく息を吐く。心配と不安が、それで一気に消えたらしい。
そうかと思えば先ほどまでの思い詰めた表情から一転、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「ふふ、直哉くんもたまにはいいことを言うのね。褒めてあげるわ。でも……私のエスコート係としてはまだまだね」
「じゃあ、どうしたら満点がもらえるんだ?」
「うっ……」
答えは分かりきっていた。
直哉がニヤニヤと問いかけると、小雪はすこし言葉に詰まってから――頬を赤らめ、直哉の袖をそっとつまむ。
「修学旅行で、私とたくさん思い出を作れば……満点をあげなくもないわ」
「それじゃ頑張らなきゃな。期待しててくれよ、小雪」
「……うん」
小雪は素直に小さくうなずいて、袖を握る手に力を込めた。
おかげでメンバーはそっと顔を見合わせるのだ。
「こいつら、もうすでにアクセル全開だな……」
「私たち、これを修学旅行中ずっと浴びることになるんだね……」
渋い顔の巽と結衣。
その一方で、恵美佳は感極まったように身もだえする。
「はわわ……私ったら、供給過多で旅行中に死んじゃうかも……! そのときはアーサーくん、かわりに撮影係よろしくね!」
「えっ!? このふたりを間近で観察するのは、ちょっと遠慮したいかな……」
「わたくしの兄様を虐めないでください。こう見えてメンタル弱々なんですわよ」
アーサーとクレアが、それにやんわりとツッコミを入れた。
ちょうどそこで朔夜が戻ってくる。ハンバーガーをむしゃむしゃ食べながら、ぺこりと直哉に頭を下げた。
「それじゃ、お義兄様。うちのお姉ちゃんをよろしくお願いします」
「あはは、任されたよ。なんせ許嫁候補だしな」
「その話、まだ続いてたんだ……」
続きは明日更新します。
昨日は修正に手間取って間に合わなかったので、その分今日は増量しております。
五巻発売は12/14!もうあとわずか!ご予約していただけると、さめは飛び跳ねてよろこびます!ぜひに!