結婚疑惑
「まったくもう……ほら、これ。あげる」
結衣はこめかみを押さえつつ、手にした紙袋をずいっと差し出した。
中身は大量のサツマイモだ。形は悪いが、皮の色が鮮やかで艶がある。
「田舎から届いたから、今年もお裾分け。おばさんかおじさんいる?」
「今日はどっちも留守。言付けておくよ」
「相変わらず忙しくしてるんだねえ。ま、いつも通りっちゃいつも通りか」
夕菜は苦笑を浮かべてみせる。
十年以上も家族ぐるみで付き合いがあるため、直哉の両親とも顔見知りだ。如何に法介が常識離れしているかも重々承知で、長い不在にも疑問を抱かない。
そんな話をしていると、夕菜がキランと目を光らせてふたたび直哉にしがみつく。
「じゃあ直哉おにーちゃん、今日はお暇なの? それなら夕菜たちとあそぼ! 今日はこれからエリスちゃんが来るんだよ!」
「ああ、それはいいかもね」
結衣もうなずき、いたずらっぽく笑う。
「来月の一大イベントについても、今から話し合っておきたいし。暇なら来なよ」
「魅力的なお誘いではあるんだけどなあ……」
直哉は頬をかいて、ちらっと背後をうかがう。
「今日は無理だ。のっぴきならない事情があるんでね」
「じじょー?」
夕菜が首をかしげた、ちょうどそのタイミングだった。
「ちょっと直哉くん!」
家の奥からバタバタと足音が近付いてきて、ほどなくして小雪が現れる。
掃除のためか腕まくりして、髪もまとめてポニーテールにしていた。
片手に持つのはスプレー型の掃除用洗剤だ。直哉を見つけるなり目を吊り上げるのだが――。
「お風呂の洗剤が切れそうなんだけど。まったくもう、人に掃除させようっていうのなら、前もって準備して……あっ」
「……小雪ちゃん?」
「っ……結衣ちゃんに夕菜ちゃん!?」
のけぞらんばかりの綺麗なリアクションだった。
凍り付く小雪をよそに、夏目姉妹は顔を見合わせる。
そうして、結衣が頬に手を当てて困ったようにぼやくのだ。
「両親不在の彼氏の家で、お風呂掃除中……? えっ、ふたりとも、いつの間にそこまで進んでたの?」
「ち、違うから! ゲームに負けたせいなの!」
小雪は真っ赤になってあたふたと否定する。
他人から見て自分の姿がどう映るのか気付いてしまったらしい。どう考えてもいかがわしい展開待ったなしである。
一方で、お子様の夕菜はどこまでも無邪気に小雪へ笑いかける。
「そっかー。小雪ちゃんと直哉おにーちゃん、結婚したんだね!」
「けっ、結婚んんん!?」
「だって、そうじゃなきゃお風呂掃除なんてしないでしょ?」
「夕菜は鋭いなあ……」
直哉は灰色の空を仰ぐばかりだ。
いたいけな夕菜の目から見ても新婚さんなのは明らかなようだ。
そんな妹へ、結衣はゆっくりとかぶりを振る。
「違うよ、夕菜。結婚はもうちょっと先」
「なーんだ。じゃあお式には夕菜も呼んでね、とびっきり可愛いドレスで行くんだから!」
「し、式なんてしません! 何言ってるのよ、夕菜ちゃん!」
「うんうん、最近は家族だけで式を挙げるのも多いっていうよね。いいと思う! だったらあとでお写真見せてよね、小雪ちゃん!」
「妙に詳しい……! キラキラした笑顔で言わないでちょうだい!」
小雪の顔は、もはや茹で蛸を通り越してマグマのように真っ赤だ。
このまま無駄なツッコミを叫び続ければ酸欠で倒れかねない。
そのため、直哉はさらりと真実を打ち明ける。
「実は今日、小雪が泊まることになっててさ」
「はあ……?」
「ちょっ、ちょっと直哉くん!?」
怪訝そうな結衣と、大慌ての小雪。
直哉はおかまいなしで、ことのあらましをかいつまんで説明してみせた。我に返った小雪が掴みかかってくるころには、謀ったように――実際、時間を計ったのだが――説明完了する。
胸ぐらを掴まれて、直哉はぐわんぐわんと揺さぶられる。
「なんでバカ正直に言っちゃうのよ!? バカなの!?」
「だってヘタに誤魔化したら、変な誤解をされたままになるだろ。なら素直に喋った方がいいっての」
「うぐうっ……ど、どのみち行き着くところはあんまり変わらないと思うんだけど!?」
小雪は梅干しを口いっぱいに頬張ったような渋面を作る。
それはそれとして、結衣はふむふむと顎に手を当ててしたり顔だ。
「なるほどねえ、お爺さんを納得させるため……か。ほんっと相変わらずふたりは二段三段飛ばしのスピード感でお付き合いしちゃってるね。いやはや、私みたいな凡人には真似できないから尊敬しちゃうよ」
「あはは。そう褒めるなっての、結衣」
「直哉くんなら百パーセント分かってると思うけど……皮肉よ、絶対に」
小雪がジト目で直哉を睨む。
そんな高校生組をじーっと見守ってから、夕菜はこてんと首をかしげてみせた。
「小雪ちゃん、今日は直哉おにーちゃんのおうちにお泊まりなの?」
「え、ええ、そうよ。だから結婚とかそういうのじゃないの。分かった?」
「分かったけど、うーん……」
小雪に説き伏せられて、夕菜は一応の納得を見せた。
しかし困ったように首を揺らし、不安そうな上目遣いで尋ねてくる。
「おうちのひと、いないんだよね。小雪ちゃんたち、ふたりだけで大丈夫?」
「へ?」
「えっ……?」
小雪がぽかんとする横で、直哉はさーっと血の気が引いた。
灰色の空をゆっくりと仰ぎ見て、顔を覆う。
「マジかよ……それは気付かなかった」
「直哉くんはひとりで納得しないで。なんでダメなの、夕菜ちゃん」
「だって、今日の夜はおっきな嵐が来るんだよ。テレビでいってたよ」
「へ」
きょとんと目を丸くする小雪に、結衣も気の毒そうに補足する。
「そうそう。進路を急に変えたとかで、停電の可能性もあるんだって」
「えええっ!?」
どんより曇った空の元、小雪の声が響き渡る。
肌を撫でる風も湿っていて、土の匂いがする。雨の気配が濃厚だ。
そろって呆然とする直哉たちに、結衣が肩をすくめてみせる。
「ふたりとも知らなかったんだ。テレビとか見なかったの?」
「いやその、キャラ弁を作るのに夢中になってたから……」
「私もお泊まりの準備で忙しくて……」
「あはは。ふたりとも、お互いが絡むとほんっとポンコツになるねえ」
結衣にくすくすと笑われて、ふたりともまるで反論できなかった。
いつもの直哉なら、天気予報など見ずともだいたいの天候が予想できるのだが、今日はそんなことに気を配っていられる余裕はなかったのだ。
黙り込むふたりを案じたのか、結衣がにこやかに提案する。
「心配なら、小雪ちゃんは家に帰ったら? それともいっそふたりとも私の家に泊まる? そっちの方が安心じゃないかな」
「そうね……それもありだと思うけど」
小雪はあごに手を当てて、少しの間考え込む。
その横顔は真剣そのものだ。嵐の中の外泊ともなれば、当然不安にもなるだろう。
しかし小雪がゆっくりとうなずいたとき、その目には強い決意が宿っていた。
かぶりを振ってから、結衣にきっぱりと告げる。
「せっかくだけど、どっちも辞退するわ。だって、またとない機会だもの」
「おおっ、小雪ちゃんったら大胆だねえ。嵐だろうと何だろうと、愛しの彼氏とのお泊まりを邪魔できないと……そういうこと?」
「へ……ちっ、違う! そうじゃないから!」
キリッとした表情も長くは続かず、小雪はあたふたとしてしまう。
そこに直哉が補足するのだ。何を考えついたかくらい、手に取るように分かるので。
「手を出さないばかりか、嵐の中で小雪を守り抜いたってことになれば……お爺さんも俺を認めざるを得ないだろ。乗り越えるべき試練だってこと」
「なるほどねえ。彼氏との愛を証明するために、あえて危険へ飛び込む……情熱的な女だねえ、小雪ちゃん!」
「結衣ちゃん、もうわざとやってるわよね……?」
サムズアップで賛辞を送る結衣に、小雪はジト目を向けた。
「とは言ったものの……直哉くんは大丈夫そう?」
「たぶん平気かな。非常用の持ち出し袋も、こないだ中身を新調したばっかりだし」
主に法介のせいで、様々なことに巻き込まれがちな笹原家である。
そのためそういった防災意識は非常に高く、保存食や非常灯などの準備は常に万端だ。
そう説明しつつも、小雪に苦笑を向ける。
「俺は大丈夫だけど……小雪は? 雷の音と光、苦手だろ」
「うぐっ……へ、へーきだし。たぶん……」
後半の「たぶん」はかなり小声だった。
けっこうな怖がりなので、やっぱり雷も苦手らしい。
小雪は青い顔をしつつも、直哉の袖をきゅっと握ってくる。
「何があっても直哉くんが守ってくれるんでしょ。じゃないと許さないんだからね」
「もちろん。全力で守らせてもらうよ」
そんなことを言われてしまえば、誠心誠意頷くしかなくて。
ナイト役を買って出ると、小雪だけでなく結衣の表情も和らいだ。
なんだかんだ茶化しつつも、ふたりのことを案じてくれていたのだ。
「そういうことなら一安心かな。でも、何かあったら電話してよね」
「う、うん。ありがと、結衣ちゃん」
話はまとまったものの、夕菜はどこか不満顔だ。
むすーっと顔をしかめて口を尖らせる。
「ちぇー。小雪ちゃん、今日は来ないんだ」
「ごめんなさいね、夕菜ちゃん。また今度お誘いしてくれる?」
「うん。このまえね、にゃんじろーの新作DVDを買ってもらったんだ。しかも限定版。一緒に見ようね!」
「えっ!? それってひょっとして、このまえ出たばっかりのSGP財団入社編!? じ、実はまだ見てないのよね……あの、夕菜ちゃん。今日これから今すぐお邪魔しても――」
「揺れるな揺れるな」
誘惑にぐらぐらする小雪を制するべく、がしっと肩を掴んで引き留めた。
続きはさめが生きていたら明日。死んでいたら明後日とかに。
五巻発売間近!絶賛予約受付中なのでよろしくお願いいたします。
秋から冬にかけてのイチャイチャをお贈りします。