ふたりっきりのお昼ごはん
書籍版五巻、十二月発売決定!
ひとまず直哉はお茶をすすりつつ、いただいたばかりの菓子折りを開ける。中には個包装されたバームクーヘンが詰まっていた。お茶請けには最高の品だ。
小雪にもひとつ手渡してもそもそ食べつつ、肩をすくめる。
「まあほら。普通のお泊まりなら、さすがにお義父さんたちも難色を示したと思うけどさ?」
白金家の直哉への信頼は、ほぼ最高レベルだ。
それでも間違いが起こる可能性はゼロではない。
みながいる家族旅行ならまだしも、ふたりっきりのお泊まりなんて、よほど特別な事情がない限り許してもらえるはずがない。
それなのにこんなにあっさり許可が出たのは、前提条件に理由がある。
直哉は遠い目をして微笑を浮かべる。
「俺が小雪に手を出さないってことを証明するためのお泊まりなんだし……そりゃみんな平然と送り出すって。何も起きないって分かってるんだから」
「ううう……でもでも、直哉くんが嘘を吐いたらどうするのよ。私にエッチなことしても、しらばっくれたらいいだけじゃない」
「それは無理だって。なんせ明日、海外出張から親父が帰ってくるんだし」
直哉が耐えきったかどうか、正解率百パーセントの人間嘘発見器に判定してもらおうというわけだ。
ちなみに小雪の祖父、ジェームズも法介のことを知っていた。
以前、どこかのパーティで会ったことがあるらしく、その性能と人柄をよーく理解していた。
『あの男なら、たとえ息子といえど容赦せんだろう。きっちり見定めてもらうから覚悟するといい!』
そういうわけで、このお泊まり会が決行することとなったのだ。
小雪はがっくりと肩を落としてしまう。
「たしか、おば様も今日は留守なんだっけ……」
「ああ、田舎の爺ちゃん家に行ってるよ。親父と一緒で、明日帰ってくるってさ」
「ちなみにふたりとも、私が泊まりに来るのは知ってるの?」
「そりゃ連絡したし。『好きにしたら?』だってさ」
「信頼感が憎い……!」
「この場合、信頼されているのは俺の人柄なのか、親父の性能なのか。どっちなんだろうなあ……」
直哉はお茶をすすってぼやくしかない。そのついでに報告しておくことがあった。
「あ、そうそう。そのお爺さんだけど、さっきここに来てたぞ」
「えっ!? アーサーくんたちと話し合いをするんじゃなかったっけ!?」
「その前に寄ったんだとさ」
許嫁の件と、留学の件。
その両方を今日はハワードを交えて話し合うらしい。
クレアも同席するということで、そちらはそちらで波乱だろう。
それはともかくとして、ジェームズは玄関に出た直哉を睨み付けて開口一番こう言った。
『いいか、明日朝一で小雪を迎えに来るからな。くれぐれも手出しするんじゃないぞ』
『もちろんです。ちゃんとおもてなしして返しますから』
『ふんっ、どうだかな。わしはまだきみのことを信用したわけじゃない』
ジェームズは冷たく言い放ち、ずいっと真っ白な紙箱を差し出した。
『ところでこれは餞別だ。小雪と一緒に食べるがいい!』
『わー、ケーキですね。わざわざありがとうございます。ここのは甘すぎなくて好きなんですよ』
『何? そうなのか。ならば次もここのを買ってきてやろう。有り難く思え! ふんっ!』
そんな捨て台詞を残し、ジェームズは肩で風を切って去って行った。
小雪は渋い顔でこめかみを押さえて呻く。
「お爺ちゃん……何だかんだ言っても、やっぱり直哉くんのこと気に入ってるじゃない」
「疑い半分、信用したい気持ち半分ってところかなあ」
そういうわけで、今は完全なツンデレ状態だ。
(小雪は最初っからデレデレだったから、これはこれで新鮮だよなあ)
直哉はのほほんとするものの、小雪の顔はますます渋いものとなった。
しゅんっと肩を落として申し訳なさそうにする。
「ごめんなさいね、直哉くん。お爺ちゃんとのゴタゴタに巻き込んじゃって」
「いやいや、いいって。そもそも俺だって当事者だし」
それもこれも、このお泊まり会を決行したのはジェームズを安心させるためだ。
直哉が誠実な男だと分かれば、きっと彼の不信感はあっさりと氷解するだろう。
「さくっとこの試練を終わらせて、俺たちの仲を認めてもらおうぜ」
「う、うん……」
直哉が笑って言うものの、小雪の顔は晴れないままだ。
自分が蒔いたタネなのは自覚しているし、その上で直哉を巻き込んだのを反省しているらしい。とはいえ、そんなことは直哉にとって予想済みの展開だった。
「おっ、そろそろお昼の時間だなあ」
落ち込む小雪をよそに、わざとらしく時計をちらっと見やる。
話し込んでいる内に、針は正午を指そうとしていた。
「それなら私が何か作りましょうか? せめてものお詫びに」
「いいっていいって。もう用意してあるし」
小雪を制して台所に向かう。
手にして戻ってくるのは、ふたつのお弁当箱だ。
「お弁当……?」
「うん。でも、ただのお弁当じゃないぞ。せっかく泊まりに来てくれるんだし、もてなそうと思ってさ」
いたずらっぽく笑い、直哉はぱかっと蓋を開く。
中に詰まっているのはオーソドックスなおかずたちだ。
卵焼きに、小さなハンバーグ、ブロッコリー、などなど。それ自体は目新しいものではないのだが、小雪の目が一気に見開かれる。
そこに直哉はとどめを刺した。
「にゃんじろーのキャラ弁。気に入ってもらえたかな?」
「ひいいっ……!?」
人間、あまりにツボすぎるものを前にすると悲鳴を上げるものらしい。
小雪はわなわなと震えながら、弁当箱をそっと両手で包み込む。
おかずに囲まれた中央には、薄焼き卵で包まれたおにぎりが鎮座している。
海苔で作った目やヒゲが、気の抜けた猫の顔を形作っていた。他にもニンジンを星形にくり抜いていたり、卵焼きがハート型になっていたりと、細かい造形にも手を抜いていない。
隅から隅までじっくりと凝視しながら、小雪はごくりと喉を鳴らす。
「すごい再現度だわ……! こんなことできたの!?」
「この前、遊園地で猫のオムライスを食べただろ。あれを参考にさせてもらったんだよ」
「すっごく時間がかかったんじゃ……」
「そんなことないって。昨日の夜から仕込みをして、トータル三時間くらいかな」
「さ、さんじかん……」
小雪は完全に絶句してしまう。
しばしじーっとキャラ弁に向き合ってから、直哉の顔をおずおずとうかがってくる。
「もうすでに私のことを攻略済みなのに、この上さらに落とそうとしてない……? 本気度が怖いんだけど」
「あれ、喜んでくれないのか? そっかー……頑張って作ったんだけどなあ」
「うぐっ……! 直哉くんなら、私が感激してることくらい見て分かるくせに!」
悔しそうに歯を食いしばりつつも、小雪はスマホを取り出す。撮影会を始めるつもりらしい。
しかし待ち受け画面のにゃんじろーと弁当を見比べて、小さく首をかしげる。
「あら? よーく見るとちょっとお顔が違うわね……?」
「うっ……これでも上達したんだからな」
本家と比べて、直哉の作ったにゃんじろーはやや不恰好だ。
顔のパーツはどこかバランスが悪いし、おにぎりの形自体も少し凸凹している。
料理自体は得意だが、こういう細かい作業には練習が必要だった。何度も失敗を繰り返して、ようやく出せる形になったのがこれである。
直哉は頭をかきつつ苦笑する。
「次までにもう少しレベルアップしておくから。今日は目をつむって食べてくれよ」
「……そんな勿体ないことしないわよ」
小雪は少しムスッとしてから、弁当をぱしゃりと撮影する。
その写り具合を確かめると、その口角が自然と持ち上がった。
小雪は微笑みながら声を弾ませる。
「これはこれで可愛いし。何より、直哉くんが私のために作ってくれたんですもの。だから大事に食べるわ」
「そ、そっか」
素直な言葉に、試行錯誤の苦労がすべて吹き飛んだ。
直哉は頬を赤くして黙り込んでしまう。
その間に、小雪は小雪でなおも撮影会を続けるのだ。
「うふふ、可愛い。このままコレクションに加えたいくらいだけど、食べないといけないのよね……悩ましい限りだわ」
角度や光源をあれこれ変えて、何枚も激写していく。先ほどまでの落ち込みようはどこへやら、狙い通りにすっかり元気を取り戻してくれたらしい。
そんな無邪気な姿を見ていると、直哉の心はますますぽかぽかと暖かくなって――。
(好きだなあ……うん)
そこで急に、ふたりっきりのこの状況が無性に恥ずかしくなってしまった。
直哉は慌てて席を立ち、台所へと向かう。
「そ、それじゃ少し早いけどお昼にするか。お茶とか準備するな」
「あっ、私も手伝うわよ」
「いいって、お客さんなんだし。そのかわり、夕飯のときは手伝ってくれよ」
「はあい。ふふ、それにしても可愛いお弁当だわ。結衣ちゃんたちに自慢しようっと」
小雪はキャラ弁にすっかりご満悦で、直哉の動揺には気付いていないようだった。
そのことにホッとしつつ、また時計をちらっと見る。
長針の進みはのんびりしていて、窓の外にも爽やかな秋晴れが広がっていた。一日はまだまだ長い。
直哉はこっそりと天井を仰ぎ、胸中でぼやくしかない。
(おもてなしで煩悩を誤魔化す作戦……前途多難だなあ)
ふたりっきりのお泊まりなんて初めてだ。
こんなお遊びでも全力で取り組まないと、煩悩が爆発しそうだった。
書籍版五巻、十二月発売決定です!
表紙はページ下に。季節はめぐり、とうとう冬の小雪です。
発売が近いため、ぼちぼち更新再開します。どうかお付き合いください。