謎の老人
その日、直哉はひとりで帰路についていた。
小雪は女子たちと遊びに出かけ、巽やアーサーたちも用事があった。そして今日は桐彦のところでのバイトもなくて、珍しくフリーとなったのだ。
「ひとりになるなんて、珍しいこともあるもんだよなあ」
ぶらっと立ち寄った公園で、直哉は吐息をこぼす。
家に直帰してもよかったのだが、なんとなく寄り道することにした。柵にもたれかかって、水面にぷかぷか浮かぶカモたちをぼんやりと眺める。
季節はもうすぐ冬だ。
刺すように冷たい空気が吹きすさび、茶色い葉っぱを木々から攫う。
公園で遊ぶ小学生はほとんどが長袖だが、ひとりだけ半袖半ズボンの少年がいたりする。
屋台で売られているタイ焼きの甘い香りが漂ってくる。
平和で、そして静かだ。
風の音に耳を傾けながら、直哉は頬杖を突いてひとりごつ。
(なんていうか……こういう静かさ、すっかり忘れてたな)
この春先に小雪と出会い、直哉の生活は一変した。
小雪のことを好きになって、彼女の心にずっと寄り添っていたいと思った。
そのために多くの人と関わることになり、必然的に賑やかな生活を送ることになった。
人付き合いを最低限にとどめていたころから比べれば、まさに人生が百八十度変わったことになる。
「ほんと、色んなことが――」
「があっ! があがあ!」
感慨深く吐息をこぼしたところで、池のカモがひときわ大きな声で鳴いた。
見ればオスの一匹が、メスの周りをくるくると回って、羽根をアピールしたり首を持ち上げたりしている。見るも分かりやすい求愛シーンだ。
メスは満更でもなさそうで、オスにすり寄り甘い声を上げる。
「があがあ♡」
「がああっ♡」
こうして見事にカップル誕生となった。
それを見て、直哉はぽつりとつぶやく。
「新婚さん、か……」
途端、脳裏に去来するのは今朝方見てしまった浮かれた夢で。
『おかえりなさい、あなた』
あのときの小雪の顔と、唇の感触も蘇った。
直哉はそっと両手で自分の顔を覆う。寒風の中、額や頬はすっかり熱を持っていた。
「たしかに付き合いだしたけど……あんな夢を見るほど浮かれているのか、俺は」
好きな子とひとつ屋根の下、新婚さん、さりげないキス。
まさに、男の欲望が詰め込まれたような夢だった。
裸エプロンとか、エロめの夢でなかっただけマシなのかもしれないが……これはこれで本気っぽくて、あまりの恥ずかしさで往来を叫んで走り回りたくなる。
直哉はかぶりを振って、頬をぺしんと叩く。
「ダメだ、俺がしっかりしないと。こんな邪念を抱いたままじゃ、お爺さんをどう説得していいか分かんないもんな」
先日、不意に訪れた小雪の許嫁問題。
その許嫁当人、アーサーは義理の妹のクレアと無事に結ばれた。
それゆえ問題は、彼を差し向けた小雪の祖父を残すところとなっていた。
近日中に来日するらしく、そこで直哉は小雪との仲を認めてもらわなければならない。
(小雪のお爺さんだし、どうにかなると思うけど……)
妙に白金家の人間から気に入られがちの直哉である。
ハワードのときのように、出会って数分で好感度がマックスまで上がる可能性も十分ある。
それでも心構えは必要だった。
直哉は気合いを入れるため、ぐっと拳を握る。
「よし。何としてでも、お爺さんに認めてもらって……うん?」
決意を新たにした、そのときだ。
風向きが変わって、池の対岸からの声を運んでくる。
見れば買い物帰りらしきお婆さんたちが、ひとりの男性を取り囲んでいた。
「あらまあ、やっぱりイケメンじゃない。あなた外国のひと? どこからいらしたの?」
「飴でも食べる? それともおミカンはいかが?」
「SNSは何をやってらっしゃるの? 私たち一通りやってるから、お友達になりましょうよ!」
「い、いや、すみませぬ、淑女の皆さま。わしは死んだ妻ひと筋ですので……」
「あらやだ、淑女の皆さまですって!」
「紳士だし口もお上手だなんて! うちのお爺さんとは大違いだわあ」
「だ、誰かぁ……!」
男性は完全にタジタジである。
そんな姿を、直哉は対岸からじーっと観察する。
年のころは六十ほど。帽子を目深に被り、灰色のスーツを身に纏っている。
手にした杖もメガネも、遠目に見ても分かるような一級品だ。そして、それらの品に霞まないほど男性自身の立ち居振る舞いも洗練されている。そばには大きなスーツケースが見えて、旅行者であることが一目瞭然だった。
「あれって、まさか……」
直哉は確信を抱きつつ、そっとその一団へと足を向けた。
彼の元まで向かう間、小雪や朔夜、ハワードをナンパから助けたシーンが頭の中でずっと再生されていたのは言うまでもない。
続きは四日後くらいに……!今書いているところなので!!
四巻絶賛発売中!コミカライズも連載中なのでぜひともご覧ください。






