今度は小雪が風邪をひく
それから生乾きの服を着て、ふたりは鈍行列車に飛び乗った。
結局寄り道もせずにまっすぐ目的の駅まで向かい、タクシーを拾ってくだんの別荘地へたどり着いた。
別荘は聞いていた以上に閑静な場所にあり、隣の家との距離もずいぶん離れている。
通りかかるのは大型犬を散歩する近所の人くらいで、とても落ち着いた場所だった。それでも徒歩十分の場所にコンビニがあるという。
先に法介たちが着いていたので、別荘の準備は万端だった。
夕飯は近くのイタリア料理店から買ってきたピザで、この地域でも評判の味はたしかに美味かったが……直哉はろくに喉を通らなかった。
楽しいはずの旅行に、暗雲が立ちこめ始めたからだ。
「へくしゅんっ!」
すっかり日も落ちたころ、別荘の広々としたリビングに特大級のくしゃみが響き渡った。
それとほぼ同時にピピッと電子音が鳴る。
小雪から体温計を受け取って、白金家の母、美空は眉をひそめてみせた。
「七度六分。見事に風邪を引いたわねえ」
「か、風邪じゃないもん……」
ブランケットでぐるぐる巻きになりながら、小雪は鼻をずずっとすすって反論する。
そうは言っても鼻は真っ赤だし目はとろんとしていた。夕飯前からぼんやりしていたので直哉は心配していたのだが、予感は的中したらしい。
(まず間違いなく、昼間のあれのせいだよな……)
雨に降られて、服を脱いで、あたため合った。おまけにキスしていいか聞いてしまった。
冷えてドキドキしすぎて、温度差で体調を崩したらしい。
直哉は小雪の両親に向かって、誠心誠意頭を下げるしかない。
「すみません、お義母さん、お義父さん……俺がついていながら……」
「何を言うか、直哉くん」
それにハワードが重々しくかぶりを振った。
真剣な顔で直哉を見据えて問いかけることには――。
「きみはうちの小雪を、児童誘拐未遂事件やら宝石窃盗未遂事件に巻き込んだかね?」
「い、いえ……?」
「では、乗客のひとりが列車の乗り換えを巧妙に利用し、傷害事件のアリバイ工作を行っている最中であることを見抜き、大捕物を演じたりなどは?」
「あるわけないです」
「だったら上出来だ。きみに小雪を預けて良かった……!」
「そっちは大変だったみたいですね……」
どうやら今言ったとおりの事件の数々に出くわして、それを法介が未然に防ごうとして……いろいろあったらしい。
格闘技は一通りマスターしているし、機転も利くので複数人をあしらうくらいは朝飯前だ。
そこに法介がにこやかに口を挟む。
「いや、そうは言いますが今日はまだ平和な方だったでしょう、ハワードさん。何しろ銃を向けられなかったので」
「本当に、ここが日本で良かったと心底思う」
法介を睨みつけるハワードのこめかみには、絆創膏が張られていた。大捕物になし崩しで協力したらしい。
その隣で、美空と朔夜が顔を見合わせてきゃっきゃとはしゃぐ。
「噂に聞いていた以上だったわよね。年甲斐もなくなんだかワクワクしちゃったわ」
「同感。まるで映画の世界だった。先生へのお土産話がたんまり増えた」
「ああ、朔夜さんは桐彦くんのところでアシスタントをしているんですね。私の話で良ければ好きに使ってくれていいですよ」
「おまえはうちの家族とこれ以上接点を持つな! というか……キリヒコとは誰だ!?」
「私の将来のお婿さん」
「聞いていないぞそんなこと!?」
朔夜の衝撃発言にハワードは白目を剥いて絶叫する。心労がとどまることのない彼に、直哉もちょっと同情した。
そんな家族を横目に見ながら、小雪はブランケットで口元を隠しながらもごもご言う。
「ううう……明日までには治すもん……」
「いや、無理するなって。まだここに十日くらいいるんだし、一日くらい寝ててもいいだろ」
「だってだって、直哉くんと一緒に遊ぶんだもん……いっぱい遊べるところ調べてきたのに……」
そう言って持ち出すこの辺りのガイドブックには、付箋が大量に貼られていた。
その数が直哉との旅行に対する期待度を如実に表していて――さすがにかなり不憫になる。
弱っているせいか、いつも以上に素直で甘えん坊だし。
直哉はそんな小雪の顔をのぞき込む。
「じゃあ……俺が看病するって言ったら、大人しく寝てるか?」
「へ」
きょとんと目を瞬かせる小雪に笑いかけ、頭をぽんぽん叩いてみせた。
「風邪引いたの、俺のせいだろ。だから明日は俺がつきっきりで見てるよ」
「えっ、で、でも……」
「あら、それはいいわね」
小雪は戸惑いの声を上げるものの、直哉の母、愛理はにこやかに首肯する。
「私たち、明日は海の方を見に行く予定なの。でも直哉たちはもう遊んできたんでしょ? だから小雪ちゃんはその分しっかり寝ていなさいな」
「でも、直哉くんに悪いですし……」
「俺は小雪と一緒にいれたらなんでもいいよ」
「……ほんとに?」
「うん。ほんと」
その言葉に嘘はなかったし、小雪にもそれが伝わったのだろう。
小雪は視線をそらしつつ……それでも小声で、しっかり言った。
「じゃ、じゃあ……お言葉に、甘えよっかな」
「よろこんで」
続きは明日更新!
ブクマあと500ほどで一万ブクマです。多くの方に読んでいただけて大変嬉しいです!
書籍も来週発売予定なので、お見かけしたらよろしくお願いいたします!
ちなみにリクエストで『直哉が風邪を引く』と『小雪が風邪を引く』両方いただいていたので、今回順々にクリアしました。