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木苺とハーブの庭


「実は人手があるといいなって思ってたの。早速手伝ってもらおうかな」


 スカーレットはちょいちょい、と手の先でダニエルを呼ぶと、小屋の裏を指差した。木立の向こうは絶壁となっている。壁沿いにはうっすらと赤くそまった果樹がある。目を凝らすとどうやら木苺のようだ。


「あれを取りに行きましょう。ちょうど収穫どきなのよ」


 飛び石のある細い道をこんもりと茂った草が隠している。草をかき分けていくと独特の香りが漂った。雑然としているが雑草が伸び放題になっているわけではなさそうだ。


「これは?」

「全部ハーブよ」


(ハーブがこんなふうに生えるものか?)


 首を傾げつつ近づくと、溢れるくらいの量の木苺が生っている。赤い実、オレンジの実。数種類の木苺だ。甘い香りも漂っていて、ダニエルは驚いた。

 スカーレットが木苺を一粒摘む。そのまま口に突っ込まれる。

 驚いているうちに酸味と甘味が同時に口の中に広がる。あまりにも濃厚な味と香りにダニエルは目を見開いた。


(なんだこれ……!?)


 自分の知っているどんな果実よりも美味しかった。嬉しそうにスカーレットはカゴを渡す。


「潰さないようにそっと取ってね。あ、たくさんあるから摘みながら食べてもいいからね」


 頷く。イチゴ狩りなどいつ以来だろうか。


(だれかと、農園に行ったような)


 甘酸っぱい味に触発されておぼろげな記憶が浮かんでくる。誰かの手が同じように彼にイチゴを食べさせた。だがそれが誰なのか、思い出せない。

 思い出を掴みきれないのがもどかしい。ひどく重要な記憶に思えるのに。


 記憶を探りながらカゴいっぱいに摘み終わると、スカーレットは湧き水でそれを洗う。水は小川を作り、地面を潤したあと谷に落ちて小さな滝となっていた。

 雪解け水が伏流しているのだろうか。先ほど飲んだが、ものすごく冷たくて美味しかった。それだけでも良い場所に家を構えたものだと思うのに、裏の木苺もすごい。ハーブもすごい。


(偶然? 突然逃げ込んだにしては……すごいな)


 ダニエルは感心しながら隣で木苺を洗う。


「こんなにたくさん食べきれないだろうけど、どうするの」

「今日の分はジャムとシロップにするの。そうしたら日持ちするから」

「今日の分?」

「傷みやすいからいっぱいは取れないのよね」


 あっさり言うとスカーレットはかまどに大きな鉄鍋を置いた。そしてマッチを使って火を起こす。この程度の魔法も使わないのだろうか。


「魔法は?」

「苦手なの」

「でも魔女って言われて──」


 それは陰口だったと思いだして、ダニエルは口をつぐむ。スカーレットはマッチに集中しているのか、反応がない。


「あれ、あれ? 湿気ってるかな……買いに行かないと」


 マッチになかなか火がつかない。

 ダニエルは指先に力を入れる。すると熱が生まれる。

 あれからひと月、魔力は少しだけ回復の兆しを見せている。おそらく元々の魔力が膨大すぎるのだ。最大量が溜まるまでは相当な時間がかかるものだと思われるが、ささやかな魔法くらいは使えるようになっている。


「イーグニス」


 呪文を口にすると火がついた。スカーレットは目を丸くした。


「すごいのね。魔術師なの?」

「違う、けど……え、普通だろう?」

「普通じゃないわよ! 魔力が少ない人間がやるとそれすごく疲れるんだから」


 むうっと膨れるスカーレットが妙に幼く見えてダニエルは思わず笑う。


「あ、馬鹿にした!」

「いや、馬鹿にしたわけじゃ」


 つーんと顔を背けた彼女に焦ると、彼女はクスリと笑って薪をくべ始めた。

 ダニエルは、くるくると表情が変わるスカーレットから目が離せなくなっていた。


 こんな娘ではなかったはず。猫背で、いつも下を向いて、おどおどとしていて、言葉を極力発しない。

 とにかく印象の薄い娘だったはず。

 だが目の前の女性ははつらつとしていて生命力の塊に見えたのだ。



 スカーレットは鍋に木苺と水を入れると、煮立たせる。そして砂糖を入れて煮詰めていく。甘い香りが広がっていく中、彼女はテーブルで何か作業を始めた。

 バターを溶かし、砂糖と小麦粉を混ぜている。手際よく粉類を混ぜ合わせると、タネに木苺を投入する。小さな容器に分けると突然小屋の外に出た。

 そして表にある大きな岩の前に行くと火を入れる。どうやら菓子を作っているのだが……。


「オーブン?」


 岩をくり抜いて、石窯が作られている。

 渓谷に建てられたこんな小屋にそんなものまであるのかと驚く。どう考えても、用意周到すぎないか?


「いいでしょう? なんでも作れるようになってるの」


 笑顔がキラキラしていて眩しい。目を細めると同時になにかおかしいと違和感を抱く。


(そうだ)


 てっきり辺境の地でひっそりと修道女のような質素な生活をして、悲しみに暮れているのだと思い込んでいた。だからこそ、ダニエルとマリアを恨んで悪い魔女になるのだと。

 そのイメージとまったく噛み合わない。


(あれ? それってどういう……)


 深く考えずとも、その事実に行き当たってしまう。


(もしかして。スカーレットは、ここでの生活、ものすごく楽しんでないか……?)


 もしそうならば、帰りたいなどと言わないだろう。

 そして、楽しんでいるのならば、ダニエルを恨むことはないのではないか。復讐など企まないのではないか。


(それにドラゴンはまだ手に入れてなさそうだし。それならば、このままそっとしておくのがいいのかも……)


 思考が楽観に偏りかけたとき、スカーレットがオーブンの中に生地を入れて立ち上がった。

 小屋の中に向かうと甘い香りが漂ってくる。


「さあてと、次はジャムにしましょう」

「ジャム? 鍋に入ってるのは何」

「あれはシロップ。もうできたかしら?」


 鍋を覗き込むと中にはルビーのような綺麗な液体ができていた。瓶に詰め替えると鍋を洗う。そして今度はザルで裏ごしした木苺を鍋に入れた。


「種が邪魔だからね。あとはシロップと同じ手順なの」


 とにかく手際が良すぎて驚いてしまう。公爵令嬢といえば、令嬢の中の令嬢だ。自分の靴紐さえ結ばないはず。それがこのように料理をこなしている。ここに来てからひと月しか経っていないというのに。


 別人ではないのだろうかと思えるほどだった。




 その日の夕食は思っていたよりも随分と豪勢だった。

 ハーブで香りづけされたチキンのソテーに、サラダに、自家製のパン。さらに木苺のマフィン。それにミントの浮いた木苺サワーだ。


「このサラダは?」


 みずみずしい生野菜はオイルとビネガーで作ったシンプルなドレッシングがかかっている。野菜の味が濃いため、余計な味付けは不要だった。


「東側には畑があるのよ」

「じゃあ、小麦粉とか肉はどうやって手に入れるの?」

「月に一度町に降りるからその時に。その時にお肉とかも分けてもらうの。さすがに狩りは荷が重くって」


 クスクスと笑って答えていたスカーレットの表情が少し陰った。思わず尋ねる。


「ご両親は心配しない?」

「政治で忙しい人だし、あんな風に妃の地位を奪われたことを怒っていらっしゃるのよね。お前がしっかりしていないから、って叱られたわ」


 淡々と言う彼女が悲しいと思う。


「だからといってこんなところに一人で引きこもる必要はないんじゃないのか」

「いいのよ、これで」


 その表情が、ひどく寂しげで。


「こうするのが一番いいの」


 ダニエルは悔いた。こんなところで一人。幸せだとか、彼だけは思ってはいけなかったのに。


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