物語が続く条件
『あなたがラスボ――いえ、悪い魔女になるのを防ぎに来たんです!!!!』
彼がやってきたのをなぜ偶然だと思ってしまったのだろう。
ラスボス。
聞き違いだろうと思った。だけど、もうちょっと早くその事に気がついていれば。対策も立てられたというのに。
そして彼はレイと名乗り、その名はじわじわとスカーレットの身体に染み込んで、記憶の底にしまい込まれた思い出を引きずり出した。
最初懐かしいと思ったのは勘違いではなかった。
どうして忘れていたのだろう。
あれほど大好きだった人の名前を。
『りあさあ、ここの展開、都合良すぎない? ヒーローが聖女に惚れた理由全くわかんないんだけど。傷の手当てで惚れるとか、簡単すぎるし』
『ここはこれでいいの! なによ、そんなこと言っても一目惚れとかだって都合がいいっていうの? ハードル上げすぎないで!』
『そんなだからいつまで経ってもアマチュアなんだよ』
『なんですって!?』
『あとヒーローの造形がうすっぺらすぎ。なに? 王子で、武術に長けてて、魔力も強くてそれから美形? スペックとか盛りに盛ってるけど、中身空っぽだろこの男』
『少女漫画だからスペックが一番重要なのよ!』
『一番大事? それって現実でも?』
『……さすがにそんなことないわよ』
スカーレットは鮮明に思い出した。そうだ。この場面は多分一生忘れることがないと思っていた場面だ。
りあは言った。目の前の男の子を見つめて、彼の好きなところを口に出した。
『誠実なのが一番……だと思う』
『たとえば? りあってさ……好きなやつ、いるの?』
おれの名を言ってくれ、りあには、彼がそう懇願しているように思えた。
『おれ、とかはどう? おまえのヒーローにはなれない?』
彼は気恥ずかしそうに――だけどどこまでも真剣な顔で言った。
りあは、そのまなざしに射ぬかれた。
それは、名前のついていない感情に、恋という名前がついた瞬間だった。
彼の目は、ダニエルの目ととても良く似ていた。いや、大好きな彼をモデルに、話を書き換えたのだから当然だ。
つまり、鹿島梨亜は『聖女とドラゴン』の作者だった。そして自分を主人公に投影した物語を書いた。自分に都合よく、自分が幸せになる話を。
だから、スカーレットがこのような目にあっているのは、りあ――作者である自分のせいだった。
「私がここにいる意味、あるじゃない」
スカーレット――りあはもう一度呟いた。
「どういうことだ? りあ」
「覚えてる? 夏休みのこと」
「夏休み……って」
ダニエル――レイは、顔をじわじわと赤くした。そしてすぐさま青くなった。その時のことを思い出したのだろう。
りあとレイは付き合い出して、一年後の夏、二人きりで旅に出た。海に行ったのだ。実家暮らしのりあとレイが一線を越えようと計画した旅行だった。
だがそれは果たせぬまま今こうしてここにいる。
りあの最期の記憶は水の中で、彼の手を離すまいとしていたときのものだった。
彼を助けたい。彼だけは助けたい。そう願いながらりあは意識を失った。
今だって同じ気持ちだ。むしろ思い出した直後からどんどん強くなっている。
「ダニエル様――いえ、レイ。あなたを守るためにわたしはここにいるの」
「は?」
レイは虚を突かれた顔をした。
「悪役ってなんのためにいると思う?」
「なにを言って……」
レイは片目を細める。りあは笑った。この表情は見たことがある。彼はいつもこの顔をして言った。――意味がわからない、と。
りあが描く物語に彼はよくツッコミを入れた。そしてそれはいつも的確だった。りあは彼の賢いところも大好きだった。
「前にあなたが言ったのよ」
「おれが?」
「私の書く話は『山無し谷無し』で『タイクツ』だって」
「言ったか?」
どうやら覚えはないらしい。
「『主人公がなんの障害もなく普通に過ごしていく物語なんて、エンタメにはなりえない。エンタメになるためには、障害が必要だ』」
だが、りあはレイのアドバイスをはっきりと覚えている。
一言一句違えずに口に出すと、レイは目を見開いた。
りあは微笑む。だからこそその次の作品――この『聖女とドラゴン』では意識して障害を大きくした。特に、恋のライバルとなるラスボスを強力に作ったのだ。
だが今となってはそれが功を奏している気がしてならない。
「『悪役』がいないと物語は転がらない。物語が転がらなければ、物語は終わり、世界はそれ以上広がらない」
つまり、悪役が強力であればあるほど、物語は終わらないのだ。彼の生きる世界がどこまでも広がっていくのだ。
りあは誇らしさから胸を張る。
「――だから、わたしはむしろ悪役でいいのよ。悪役を全うするわ」
ここに悪役令嬢として存在していることが誇らしく清々しい気分だった。




