2つの作戦
スカーレットが以前の記憶を取り戻したきっかけは、些細なことだった。
父親の頭を何気なく見ていて思ったのだ。どうしてこんな変な頭をしてるのかしら、と。
こめかみには髪の毛がある。頭頂部の三本以外ほぼ髪がないため、その三本が妙に目立ってしまう。いっそ切ってしまうか剃ってしまうか抜いてしまえばいいのにと考えて、このフォルムを知っていると気がついた。
国民的人気アニメ『サザエさん』のあの有名なフォルムだと。
それから数珠つなぎのように記憶が蘇った。
自分がかつて鹿島莉亜という女子大学生であったこと。
この世界が漫画『聖女とドラゴン』の世界であること。
そして自分が悪役令嬢スカーレットで、聖女への僻みと恋人を奪われた恨みで悪い魔女──ラスボスと化してしまうこと。
冗談じゃないと思ったし、未来を知っているのならばそれを利用して未来を変えようと思った。
スカーレットはフラグを折るべく邁進した。
最初に考えた案は、王子を奪われないようにする作戦。
スカーレットを復讐に駆り立てることになる王子との婚約破棄イベントは数年後。それまでに自分を磨いて奪われないようにするのだ。
──と考えてみたけれど、初めて聖女マリアを見たスカーレットは簡単に諦めてしまった。
その時のマリアは孤児院での奉仕活動を行っていた。まだスカーレットと同じく幼かったけれども、世の男性の好みを凝縮したような容姿をしていたのだ。砂糖菓子のように甘くて、柔らかそうで。
だがそれだけではない。
さらには体を張って人を救うという、聖女としての気高さを生まれ持っていた。子どもたちに向ける笑顔はひだまりのようで、皆を常に魅了していたし、スカーレットも例外なく魅了された。
ダニエルは誠実で真面目な男性だったけれど、マリアに傾いても仕方がないと思えた。むしろどうしてスカーレットと婚約させたのだろうと作者を恨みもした。スカーレットの役割は、どう考えてもマリアの引き立て役。というより、マリアとダニエルの恋を盛り上げるための舞台装置と言ったところだった。
マリアに張り合うのをやめるならば、残る手は一つだった。
作戦その二。
つまり、来る日にダニエルを奪われても悲しまなければいいのだ。そうすれば恋に狂ってラスボス化などしない。
(恋をしないのなら、とにかく接触を断てばいいのよ)
腹を決めたスカーレットはダニエルを徹底的に避けるのと同時に、婚約破棄イベント以降、快適に暮らすための準備をはじめた。
辺境の地で不遇な生活をすればそれは心も病むだろう。逆に言うと幸せに過ごせれば、恨みもしない。二人を祝福してあげられると思ったのだ。
「お嬢様、また土いじりですか? それにその格好……メイドが嘆きますよ」
スコップどころか小さな鍬を持ち出したスカーレットに家庭教師は呆れている──いや珍獣を見る目で見ている。だがいくら変人扱いされようが、目的を果たすためだ。しょうがない、と十歳のスカーレットは思った。
「きれいなドレスを汚したほうが嘆くわ」
今日の服装は汚れても良いような綿のシャツとズボン。足元はしっかりと長靴だ。だがそんな姿も懐かしい。
スカーレットは前世では農学部の学生だった。確か好きな漫画の影響を受けてとかそういうミーハーな理由だったが、その知識を生かせるだけ生かしてスローライフに備えるつもりだった。
ひとまず果樹の苗を手に入れ、ハーブを育て、調理しやすそうな馴染みのある野菜の種を手に入れた。特に玉ねぎじゃがいもは必須。だがこの世界で手に入れるのはなかなか難しかった。
しかも人里離れていてかつ作物が育ちやすい環境も必要だ。子供の頃のスカーレットはよく屋敷を抜け出しては将来の安住の地を探していた。
暇さえあれば領地を視察し、耕しては土を調べていた。大人は皆、スカーレットが土いじりを好きなのだと思いこんでいたけれど、立派な土壌調査だ。
「あー疲れた」
木陰に座って足を投げ出した。そしてゴロンと地面に横になる。広い範囲を耕すにはどうしても力が足りない。魔法が使えればと思ったけれど、悪役令嬢になる運命の女に強大な力を与えるとストーリーに差し支えるのだ。スカーレットには中途半端な力しか持たされていなかった。
(だからこそ竜に頼るんだけどね……)
竜はもうずっと昔に絶滅したと言われていて、前の世界で言う恐竜みたいな存在だった。
(竜なんてこの世の中にいないのに……これからどうなるの)
不思議に思った直後のことだった。スカーレットは何気なく見上げたりんごの木になにか丸いものを見つけた。まだ実がなる時期ではないというのに、なんだろう。
手を伸ばして触れるととたん、それは虹色に輝き始める。
「な、なに!?」
驚いたスカーレットが飛び退くと、ぱりん、と音を立てて丸いものが割れる。中から現れた爬虫類を見たスカーレットは悲鳴を上げた。
いや、元リケジョだしトカゲくらい平気だ。だけどそのトカゲには小さいけれどしっかりと羽がついていた。
自身の未来──ドラゴンを飼いならし王国に復讐する──と重なって見えた。
逃れられない運命が現れたかのよう。スカーレットは踵を返して逃げた。だがそれはついてくる。
「ついてこないで!!!!」
だが竜は刷り込み──最初に見たものを親と思う習性を持っていたらしく、いくら追い払ってもついてきた。
草原を駆け抜けて家に向かう。だけど生まれたてとは思えない機敏さで竜の子はついてくる。覚えたてだろうに、懸命に、羽を動かして。
「きぃいぃい、きぃいいい」
甲高い声が、
『お母さん、お母さん!』
と言っているように聞こえた。胸がきりりと痛み、立ち止まって振り返ると少し潤んだ目が「どうして? 僕を置いていくの?」と訴えてくる。
スカーレットはとうとう降参した。
「ごめんね。あなたが悪いわけじゃなかったのに」
竜を手にしたとしても自分がラスボス化して悪用しなければ大丈夫だと言い聞かせる。そして腕を伸ばすと竜の子はスカーレットの腕の中に飛び乗ってきた。
ひんやりと冷たい肌をしている。トカゲに似ているけれど、鱗は固く、よく見ると玉虫色に輝いている。
「あなたの住む場所を探さないとね」
過ぎたる力は悪用されやすい。父に見つかったら政治利用されるに決まっていた。
スカーレットはひとまず竜を森に隠すと言い聞かせる。
「準備してくるから、ここから出ちゃだめよ。言うこと聞ける?」
竜はうなずく。人の言葉を理解するらしい。
スカーレットは家に戻ると「お腹が空いた! お肉がいいわ!」と訴えて食べ物を確保する。こういうとき金持ちで良かったと思ってしまう。
そうしてこっそり残した食べ物を竜の子に与えた。勝手に肉食だと思っていたけれど、フルーツを好んで食べた。かと思うと虫を素早く捕まえて食べている。どうやらタンパク源は虫らしい。
うわあとげっそりしつつもホッとする。ガッツリ肉食だと餌の確保が大変だ。虫ならそのへんにたくさんいる。
(そういえばカナヘビも生きた虫しか食べないから大変だったんだよね)
昔家で飼ってみたことがあるが、虫の確保にげんなりして元いた場所に戻した覚えがあった。
「じゃあ餌は大丈夫、と。あとは住処ね。人目についたらまずいから……」
スカーレットはふと顔を上げた。そしてそのまま空を仰ぐと覆いかぶさるような山が二つ。
「あぁ。あの場所なら絶対大丈夫」
竜の谷。山と山の間にある渓谷の名を思い出した。由来から言って、竜が住みやすい場所であることに間違いないだろうし、何よりあの険しい場所には人がいない。
「あのね」
呼びかけようとしたスカーレットは竜に名がないことを思い出した。
少し考えて名をつける。漫画の竜には名がなかった。愛情を持って育てれば、万が一ラスボス化しても、彼を復讐のために使役しようなどと思わないだろうと思う。
覚悟も込めて名を呼ぶ。
「アイザック。あなたの名前はアイザックにするわ」
ニュートンの名だ。りんごの木から落ちてきたから、という安易な名付けだけれど。
竜はきょとん、としたあと、羽をパタパタと羽ばたかせた。本当に賢い子だ。
「アイザック。あなたの家はね、この森を抜けた谷にあるの。わたしの足じゃたどり着けないから、好きなところに住んでちょうだい」
「きいぃい」
アイザックはだがその場から動こうとしない。スカーレットの服の袖をくわえて、一緒に行こうと引っ張る。
「あなたが大きくなったら、わたしをおうちに招待して?」
そう言って嗜めるとアイザックはしょんぼりとする。かと思うと急に残していた餌を食べ始める。まるですぐに大きくなるよとでも言っているようで微笑ましくて笑っていると、むくり、とアイザックの身体がふくらんだように見えて目を瞬かせた。
「え」
アイザックは食べ続ける。草を食べ、樹木の葉を食べ、虫を食べる。
スカーレットは呆然とそれを見つめていたが、夕方になった頃、アイザックは力尽きたように食べるのをやめるとそのままぐうぐうと眠り始めた。
スカーレットは困惑したが、その日はそのままアイザックを森に置いて家に戻った。「明日また来るからね」と言い残して。




