07 天罰(side:シュバルツ大公)
兄である陛下へ進言するために謁見した帰り道。
城の廊下から中庭へ続く扉をくぐり、空を見上げる。……奇妙だ。
夕方から夜へと変化する空色にはすでに星がちらほら見えて、雲一つない。
それだというのに俺の耳には、雨雲が雷をはらんだ地響きのような音が僅かに聞こえているのだ。更に大雨が降っている時のような湿気が身体を纏う。
そのちぐはぐな感覚が不快なのと、先程の兄王との会話を思い出し舌打ちする。
何故ロミが聖女に選ばれない?
それだけでなく、何故あの性悪女ジェシカを候補生に戻す、という話になっているのだ。
ふてぶてしくもシラを切り通すあの女を思い描いた瞬間。
『 』
「何だ……?」
遠く声が聞こえた気がして思わず声が漏れる。
『聖女の系譜である王家に属しながら……愚かな』
どこから聞こえたのかも定かではない声。
清らかな澄んだ少女のような声でありながら、足元から這い上がる底冷えした声。
周りを確認しようとするも、動けない。眼球の僅かな動きすらも許されない。流れる冷や汗が肌を伝う不快感など取るに足らない恐怖。
『聖女から産まれながら聖女を憎む者に天罰を』
その場に縫い付けられて動けない俺が唯一動かせた首を咄嗟に上へ捻り……自らに堕ちる一筋の稲妻を見た。
意識が戻るが目が開かない。
いや、身体も、指一本すら動かせない状況に心臓が激しく鳴った。動かせないというよりは……感覚が無い?
周りに誰かいるのは慌ただしい足音と衣擦れ、気配で分かる。耳は正常に聞こえているようだ。
ああ、俺は恐らくかろうじて生きているのだなと理解した。
「……どうだ?」
この声は、兄、陛下か。
「意識は戻らないようですが……生命維持は出来ている状態です」
これは医師であり治療術士のホリーだな。
意識はある。だが今の俺はそれを伝える術はない。
何故か妙に頭がすっきりとしている。
こんな、今の自分の状態が正確に把握できていない不安な状況であるというのに、冷静に周りを窺う事ができた。
気配は……俺の枕元辺りにいるだろう一人、少し離れたところに一人、その傍にもう一人、大分離れたところに一人。
ホリーに陛下、一番遠くにいるのは恐らく護衛兵だろう。あと一人は誰だ?
「この外傷は治療術では治せないという事か?」
ああ、この声はベルディウス第一王子……甥っ子か。
普段淡々とした口調である彼が、苦渋を滲ませた声色を発するほどに俺は酷い状態なのだな。
「陛下、ご説明をお願いします。これ、が、本当に叔父上なのですか」
成程。よほど原型をとどめていないのだろう。そして彼が今しがたここにやってきたのだという事もわかった。
「ああ。最初に発見した者によると、中庭に一人立ち尽くすシュバルツを見かけ、怪訝に思いしばらく見ていたそうだ。その後突然雷に打たれた」
「雷……それは」
「報告にある聖女選定での出来事が思い起こされる事態だ。お前は直に見たのだったな」
俺はその場にいなかったが報告で知っている。
聖女に選ばれると思っていたロミではなく誰も選ばれない、という結果を。その時に一筋の稲妻が落ちたのを。
「今日は一日雲一つない晴天でしたのに、何故雷が……」
ホリーの疑問は当然だ。だが俺は意識を失う前に確かに感じた。得体の知れない空気、力。
そして、あの声。
俺の母、王太后は50年前に選定された先代聖女。その聖女から産まれた俺が聖女を憎んでいるから、天罰だ。と。確かにあの声はそう言った。
「天罰……か」
まるで俺の心を読んだような甥の声に心拍が上がった。
「どういう事だ?」
「叔父上が何故か候補生のロミ・クラエンタールを信奉しているのは陛下もご存じの通り。そして、聖女筆頭であったジェシカ・ノースクラインを目の敵にし、虐げています」
「……成程。ベルディウス、お前は聖女が誰なのか、天啓を得たのだな?」
どんどん鼓動が早まるのを感じる。聞きたくないと耳を塞ぎたいのに身体が動かない。
「陛下。報告が遅くなり申し訳ありません。先程本人に会い確認を取りました」
そう前置きした甥の決定打を俺は聞かなければならないのか。
「我々が落第させたジェシカ・ノースクラインが、今代聖女で間違いありません」
暗闇に浮かぶ、愛しい、愛しい少女の姿が瓦解し、崩れ落ちていった。
茫然とする俺の傍らで、三人はこの状況をなんとかしようと話している。聖女の助けを得るつもりのようだ。
ロミが聖女に選ばれず、尚且つ誰も選ばれないどころかあのジェシカが聖女だと? 信じられない、信じたくない。
だが、誰であろう第一王子、聖女の伴侶となるベルディウスがそう確信している。
先代王。俺の父もそうやって、選定の儀の際に母が聖女であると天啓を得た瞬間に、自身も確信を得たのだと語って聞かせてくれた事がある。
思い込みでもなんでもなく、確信だと。神託を王子自身も授かるのだと。
疑えない。
俺は聖女の子で、王家の血を引く者だ。疑える筈がない。
ならば聖女であるジェシカが何故、一候補生であるロミを虐げたのか。危険視していた? ただ気に入らないという理由?
そもそも、聖女を母に持つ俺は聖女という存在が私怨で誰かを憎むなどとは考えたくない。だがそうなると。
本能が思考を拒む。考えたくない想像に辿り着けないようにぼやけていく。
「叔父上」
その思考を払ったのは甥の呼びかけ。
勿論俺は返事も出来ないし意識がある事すらも意思表示できないが。
「聞こえていなくとも構いません。これから貴方の幻想を砕き、更にジェシカが聖女であると証明してみせましょう」
容赦無いな。
早まる鼓動とは裏腹に頭は冷え切っていた。観念した、ともいう。
そんな俺の傍らで、兄、陛下は指揮を執る。
「ホリー。これにかけた生命維持の術はまだ持つな?」
「はい。私の魔力が尽きるまでならば、今から半日ほどでしょうか」
「ジェシカ・ファルシ夫人とロミ・クラエンタール嬢を城に召喚する。二人を鉢合わせさせないようにな」
扉付近に待機していた護衛が短く返事した後、退室の音が響いた。




