表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天の聖女  作者: みど里
7/59

06 聖女は落第しても聖女

「君が聖女なのだろう?」


 一瞬、周りの音、環境音が消え去った感覚に陥る。疑問形だというのに確信に満ちた顔の殿下。

「それはわたくしがあの場にいなかったから、ですか?」

 聖女が選ばれないという前代未聞の出来事。

 その前に候補生の一人を落第させて退場させた事が、つまり私が聖女だったのでは、という結論に至らせたのだろうか。

「いや。君が聖女であると確信しただけだ」

 私は純粋な疑問から首を傾げた。

「では何故わたくしを落第としたのでしょう」

 今みたいなややこしい事にしかならないのでは。

 殿下は溜息を吐きソファに背を預けた。眉間には深い皺がよって、非常に不本意、と顔に書いてある。

「確信したのは……天から稲妻が落ちた瞬間だ。聖女の伴侶となる私はその時に天啓を得たのだ。密かに、な」

 私ははっとして、殿下をじっと見た。


 そうか。聖女が天啓によって自身がそうであると自覚するように、聖女を娶る事が決められている王家の後継者も、同じように自覚するのも当然の事と言えた。

「君はあの時から、いや、最初から自身が聖女であると知っていたのではないか? そうだろう?」

 私を責め立てるような殿下につられてしまい、つい、本音を吐露してしまう。

「だとしたらどうだというのでしょう。わたくしは自身が聖女であると自覚し、それを証明するために候補生として正しく振る舞い、結果を示してきたつもりです。くだらない噂についても再三否定してきました。それを言い訳だと断定し大勢の意見を尊重して、聖女を落第し捨てたのはこの国です。それならばもう、わたくしを放っておいてもいいではありませんか」

 溜まっていた鬱憤を吐き出すように、でも笑みは消さずに殿下に当て付ける。

 私だって候補生時代、かなり不遇な待遇を受けてきたのだ。候補生を平等に扱うはずの一部講師たちからの謂れのない罪の糾弾など。

 それでも腐らずにいられたのは、一人でも私を気遣ってくれた講師がいたからだ。もちろん表立って庇うような事は出来なかったが。

「耳が痛い話だ」

 殿下は真顔になって目を伏せる。

「君の言い分をそのまま受け取るに、聖女選定の儀や候補生を集め育てる事自体が無意味ではないか」

 目線を落とし考え込む殿下。

 私は、考えて導き出した結論を言ってしまおうと思った。彼がいない今が好機。

「選定の儀を終えてから彼女……ロミさんの様子はどうでしたか?」

 私の脈略のない質問の意味が分からなかったのか、殿下は眉をひそめたが一瞬だ。

「騒いでいたぞ。何故自分じゃないのか、と。選ばれる筈なのに、とな」

 嫌悪感を隠そうともしない殿下の表情を見て、私は心にひっかかりを覚えた。


 メインヒーローがヒロインを毛嫌いしている? 好感度が最低値でもここまで嫌われる事は無かったはずだが。

 逆に、私はあまり嫌われてはいないようだ。


 私も作り笑いはやめて真面目に接する。

「殿下。これはわたくしの見解、というよりも予想なのですが」

 そんな私の態度に殿下も僅かに姿勢を正した。

「彼女も聖女であったのは間違いないと思っています。わたくしと同じように……候補生になる前から自覚があったのではと」

「だがクラエンタール嬢はとても聖女とは思えぬ振る舞いだった。私は正直最初から彼女だけは無い(・・)と思ったものだが」

「ええ。自覚していた。だからこその慢心だったのでは、と。選ばれる筈だから大丈夫だと……彼女は努力を怠った。聖女になれる筈だった者を見極めるためにも、候補生を育てるのは必要だと思います」

「成程な。納得は出来る」


 茶番だと思っていた候補生育成だが、私は最終的にこういう結論に至った。

 自分が聖女だ、と名乗り出てそれを鵜呑みにする訳にはいかないのもあるし、私が最初から自分が聖女だと知っているのも異例だったのだ。

 実際、ヒロインであるロミは自身の力を磨いてこなかった。ゲームでプレイヤーが主人公のステータス上げを怠ると、ライバルのジェシカが聖女になるバッドルートになる訳だし。

 やはり育成は必要だ。聖女としての自覚を促すためでもあるのだろう。


「あくまでも予想ですわ」

 そして肝心な事を言って、いや、釘を刺しておかねば。

「そうは言っても、彼女の事をあまり表立って悪しき風に言うのは控えた方がよろしいですわ。何処で誰が聞いているのか分かりませんし。なにしろ彼女の信奉者は話が通じません。たとえ殿下といえど彼らは自分たちの、彼女の敵だと認識すればどんな手を使っても悪評をまき散らすでしょう」

 私たちの立場は噂に左右される事が多い。特に悪意のあるものはより大きく聞こえやすいのだ。

「誰が……な」

 殿下が目を細め神妙になっているのは、恐らくあの件だろう。


 王弟。シュバルツ大公がヒロインであるロミと親しくしているのだ。

 彼はゲームでは『隠しキャラ』の一人であった。

「あの方は再選定に賛成しているのですか?」

「いや。反対派だ。全く……いい歳して一回りも下の女に入れ上げ、あまつさえ陛下に直談判をしに行くらしい」

 敢えて名を出さずに問うてみたが、すんなりと該当の人物について返ってきた。王家も大公の素行は認識しているようだ。

 私は思わず眉を歪ませてしまった。職権乱用もいいところだ。

「まあ。大丈夫ですの?」

「案ずるな。陛下は取り合わない。そもそもクラエンタール嬢が聖女に祀り上げられたとして、あれに何が出来る? (そら)読みも出来ない。魔力も微妙。貴族としても半端。上辺だけの綺麗事しか主張しない。見目のいい若い男にだけいい顔をする……聖女どころか候補生としても不出来だ」


 随分と殿下はヒロインを嫌忌しているようだ。

 何かあったのだろうかと疑問に思うが、正直今は自分の行く先を考える事で精いっぱいだ。

「彼女の資質など問題になりません。彼らは彼女自身を神格化しておりますもの。彼女の障害となる者は敵でなければならない。正論など彼らの前ではただの悪口、陰口となるのです……どうか殿下もお気を付けください」

 ヒロインが白と言えば白。黒と言えば黒。

 彼女がつまずいた道端の石ころでさえ彼らにしてみれば悪しき物体となる。道の整備を怠ったとして業者までも悪く言うのが彼らだ。

 正直、狂っている。

 普通の思考では考えられない事だが、私はどうしてもロミをヒロイン(・・・・)として、世界の中心として見てしまっていたために、どこかしょうがないと諦めてしまっていたのだ。

 むしろ、攻略対象者が全員彼女の味方になっていない事が不思議なくらいだ。


 殿下は組んでいた脚を解く。皮張りのソファが鳴る。

「彼女とそれを擁護する男たち。更に他の候補生が口を揃え君を引きずりおろしたのは、君を脅威に感じていたから。君が聖女だと知っていたから、か?」

 私は首を振って否定した。恐らくそれだけはない。

 ロミはどうか分からないが、候補生として集まった彼女たちは真剣に聖女となるために教会に上がったのだ。私が聖女であると知ったら足をひっぱるなんて事はしないだろう。と思いたい。

「他の候補生はただ(そそのか)されて、一人ひとりがただ嘘の証言をしただけでしょう。ですがロミさんだけは最初からわたくしを目の敵にしていましたし、彼女だけはわたくしが聖女であると知っていたのかもしれません」


 彼女の様子を見ていて、もしや、と思ったけれど結局確証は得られなかった。

 彼女も私と同じ、『(そら)の聖女』の知識があるのかどうか。記憶があったが故にライバルである私、ジェシカを警戒していたのか。知識は無くとも、ただゲームのヒロインであるというだけで補正が働いたのか。


「君は彼女に思うところは無かったのか?」

「いえ、特に。妙に絡まれて辟易しておりましたが、彼女に何かするくらいなら自らを高めるほうが建設的ですもの。関わるだけ時間の無駄、と判断いたしました」

 それでも何とかトーマが彼女に近づかないよう、ヒロインがバッドルートに行かないよう気を配ってはいた。

 愛を知らなかったトーマの実質の初恋相手が彼女である。

 私自身は彼が推しであるが、ジェシカ()が恋愛をしたいとまでは思わないのだ。幸せになってほしい、不幸を見たくない、とは思うが。

 しかし、中身がどうあれヒロイン補正で好かれるのは正直羨ましいと思っているのは否めない。


「三年間の成績表を見たが、候補生が普段どう行動していたのかが上手く反映されている。君は本当に疾しい事はしていないのだろう」

「それでもそれを知っていた筈の講師たちはわたくしを落第としたのでしょう?」

「それが議論の肝になったのだと言っていた。特に素行に問題の無い候補生たちも、口を揃えて君を訴えた事が決定打になったのだと」

 多分、彼女たちはロミの信奉者たちに言われただけなのだろう。半ば脅し、という形で。ロミが私に苛められていると証言しろ、と。少女たちにしてみれば、後ろめたい事などなくても恐怖で委縮しても仕方がないと言える。

「それでもわたくしは彼女たちを責めようとは思いませんの。もう終わった事ですもの」

「終わっていないのだよ、ジェシカ嬢」

 少し前のめりになり両脚に両腕を置き指を組んで。殿下は私を視線で刺す。

「終わったのです、殿下。貴方がたは聖女をふさわしくないと見なした。後からあれは間違いでした、なんて通じません。今代聖女は存在しなかったとして処理するべきです」

「そうはいかない。私は君が聖女であると知っている。君を説得できないのならトーマに全てを話して離縁させる事も辞さない」

「そのような勝手をせずとも、わたくしを聖女に選定せずにおけばいいだけです」


 そもそも聖女とは。

 選定の儀とは、聖女を選ぶための儀式なのではなく、民衆に確かな聖女である証明をするための場でしかない。

 既に聖女は聖女としての力を得ているのだから。

「聖女はそれでいいだろう。だが、問題は聖女の血を取り込まなければならない王家の方だ」

 血を取り込んだとはいえ聖女は世襲制ではない。聖女が直接王家から誕生する事は過去にもなかった。確かに高位の貴族には遡れば王家の血は必ず入っているものだが、聖女が選ばれる基準になっている訳ではない。

 時には名も知られぬ村の少女。貧乏な田舎貴族の娘。世界を股にかける商人の娘。様々な血筋の少女たちが何故か候補生にならざるを得なくなる状況が生まれ、そして聖女に選定されてきた。

 今代の聖女である私は侯爵家の娘。家系図を遡れば王家に縁がある。

 ちなみにヒロインのロミは伯爵令嬢。


 王家は聖女を迎え入れなければならない。

 この世界、この現実のこの国では全国民が知っている程の常識で、私も幼い頃はそういうものかと認識していた。

 しかしこの設定、『(そら)の聖女』の設定には無かったものだ。なにかのっぴきならない理由があるのだろう。

 王家が聖女を欲する理由……。その疑問を口にしてみた。

「建前では、聖女保護のための盾を王家が受け持とうという事になっている」

「繁栄と安寧の象徴ですものね。好きにさせて、他国に渡ったり蔑ろにするような男性の元へ嫁ぐような事がないように、ですか」

「そうだ。まだ内情は明かせないが、私は聖女を娶り子を成さなければならない。これは王家の義務なのだよ」

「災難でしたわね」

「他人事ではないぞ」

 お互い一瞬仮面を外し苦笑いを交わす。


 しかし困った。王家の意向なら逆らう術はない。

 トーマが私と結婚したのだって、ヒロインのために私を監視しておこうという理由なのだから、王命であれば簡単に離縁に応じるだろう。

 聖女として王家に迎え入れられるのだから監視も必要ないと思うだろうし。

 だがそれを伝えるとトーマは、私がヒロインを苛めて蹴落としたという噂を疑ってしまう。彼の中にある不可侵領域が、崩れてしまう。


「殿下、ここは知恵を出し合いませんか?」

 無表情でじっと続きを促す殿下。

「わたくしとしましては散々振り回され更に、不満は無いとはいえ強制的に婚姻を結ばされました。籍を入れてから日も経たずに離縁なんて御免ですし、今更この状況に於いてトーマ様や世間に聖女だと知られたくない事情があります」

 ですが、と居住まいを正す。

「国の決定に逆う気はありませんし、聖女としての役目も果たす心積りです」

「私は次期王として今代の聖女、君を娶り、子を後継者として育てる責務がある。他は妥協するとしてもこれだけは譲れん」

 私はひとつ、提案をしてみる。

「……別人として婚姻の偽装は不可能ですか?」

 殿下は細めた目の奥に僅かに剣呑な光を宿らせた。それはそうだ。

 私の提案は犯罪行為に掠るようなものだ。

「仮の聖女を仕立て上げ……もしくは君が架空の人物になり聖女となって私と婚姻を結ぶ。そういう事を言いたいのか」


 二重生活。

 私としてはヒロインに幻滅したトーマに心の傷を負わせたくない。私自身がトーマに愛されたいとは強く思わないし、ファルシ夫人としては世間の噂もあるし、お飾りでいいとすら思っている。

 本来は聖女になる予定だったのだから殿下と夫婦になる事も特に抵抗はない。

「……随分回りくどい上に君の負担が大きいように感じるが」

「わたくしの噂を払拭したくない、というのがどうしても譲れない理由ですので」

 トーマに心の傷を負わせる事……。

 あるひとつのエンディングシーンが頭を過り、それを脳内で振り払う。彼の中に芽生えた愛を壊してはならない。


 納得してなさそうな殿下は尚も口を開こうとするが、扉のノックによってそれは遮られた。時間切れだ。

 入室してきた家令を見て、殿下は席を立った。私も続く。

「中途半端だがそろそろ帰らねばな。進捗は書簡にて報せる」

「吉報をお待ちしております」

 家令とエスタ、私の三人で、殿下を玄関先まで見送った。


「そうだ。最後にひとつ聞くが」

 馬車に乗り込む直前、私を振り返った殿下。その質問に私は素直に答え……。

「……そうか。ではな」

 殿下は一瞬何かを考え込んだようだが、直後颯爽と馬車で王城に帰って行った。


 その後私は地下部屋に戻り再度仮眠をとる事にした。ふっと気が緩むと、とたんに睡魔が襲ってくる。

 怒涛の一日だった。展開を知っていたとはいえ、理不尽に振り回され思いのほか精神に負担がかかっていたらしい。


 しばらく夢現で暗闇をふわふわしていると、ノックの音が部屋に響いてゆったりと覚醒した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ