05 殿下が追い詰めてくる
私を交えて、再度選定の儀を。
これはちょっとまずい。
聖女があの場にいなかったのだから誰も選ばれなかった、というのは想定の範囲内だ。けれど、一度落第させた候補生を戻してまで、再度選定の儀を行うとは思わなかった。正に前代未聞。
あんなにも悪評が広まっていた私が聖女であるとは誰も思わないだろう。という思惑もあったというのに。
私は一見慌てたようには見せずにずっと微笑みを携えていた。そのままちらりと横に座るトーマを見ると、彼も何故かこちらを見ていて一瞬目が合った。
私は内心慌てて目線を殿下へ戻し。
「殿下。わたくしは一度不合格の烙印を押された身。更に既に婚姻を結び人の妻となってしまい聖女の規定から外れてしまいました」
聖女、というからには清い身である事が求められる。
独身の十代の娘。それが教会が提示した聖女候補生の選抜基準らしい。それでいて、純潔である事は重要ではないらしいからよくわからない。
「聖女に選ばれるのは独身の少女。しかしそれは微妙に間違って伝えられているのだ。要は、王族に籍を入れるのに相応しくない素行の娘は選ばれない、というだけの話だ」
何かを探るような殿下の双眸が私を射抜く。
それを落第した私に伝えて、一体どうしろと言うのだろうか。見えない何かに絡め取られていく感覚だ。殿下は私から視線を外さない。
なんなのだ、この王子は。こんなにじわじわ相手を追い詰めるような腹に一物抱えたキャラだっただろうか。
私は背筋を伸ばし表情は変わらないままにはっきりと告げた。
「王命でないのならわたくしはその言を聞く訳にはまいりません。特に教会が黙っていないのではないですか?」
「我々王家は君を交えての再選定に概ね賛成。候補生講師の一部と教会の約半数は反対。最終的に議会に持ち込む案件になるだろうが結果は見えている」
多数決、という訳だ。
「こういう場合は、反対派である教会の意見を尊重するのが定石では?」
「これほどの異例が起きているのだ。頭の固い教会が半数でも賛成した事が、むしろ再選定を行う理由としては十分だと思うがな」
それに、と続ける殿下。
「教会側は規定を覆すべきではない、という主張だが……一部の講師は再選定自体必要ないと言い張っている」
「……ああ、彼らですか」
講師という立場でありながら、恋に目を曇らせた不公平な人たち。流石に目の敵にしている私の成績をいじるなんて事まではしなかったようだが。
「愚かな事だ。特に秀でたところの無い一人をやたら持ち上げていたな。理解に苦しむ」
私は思わず眉間に力を込めてしまった。だって、隣にその彼女を想う健気な人がいるのだから。正直彼には聞かせたくない。
ゲーム内のベルディウス王子は聡明でありながら人の心情のようなものに疎かった。
自分に向けられるただの純粋な好意も、他人が他人に抱く恋慕にも気が付かない、という鈍感キャラだった筈だ。
しかしこの目の前にいる王子はどうか、と言われると自信がない。
トーマの恋を分かっていそうで、全く興味無さそうにも見えるから知らないようにも感じる。
(何とかトーマ様を追い出してこれ以上彼女の話を聞かせないようにしたいけど……)
扉付近に待機している一人の執事へ目線を送る。彼は私を地下に案内した時に一緒にいた若い執事だ。
(彼はまだわからないわね)
そのまま、地下からここまで私を案内してくれたメイドへ目を向ける。彼女は一見無表情で、しかし気遣わしげに自らの主を見ていた。
ここに来るまでに打ったひとつの布石。
果たして彼女は上手く動いてくれるだろうか。
メイドは私へそっと近づき、背後からこっそり囁く。その囁きを聞いて私はゆっくりと立ちあがる。
杞憂だったようだ。
「殿下、旦那様。申し訳ありませんが離席をお許しください。すぐに戻ってまいりますわ」
私は一礼して、訝しげな視線を送るトーマと執事を見ずに、まるでメイドに先導されるように部屋を出た。
部屋から少し離れた廊下で私たちはこそこそと話す。
「あなたの……奥様の仰る通りになりました。このまま旦那様を連れ出せばよいのですね?」
私は頷く。
来客というのが殿下で、私に会わせろと言ったのをこの迎えに来たメイドから聞いて、聖女に関する話題を持ってきたのだと予想した。
「出来ればあの応接室にいる執事にも事情を話してほしいわ。彼も旦那様を案じているのでしょう?」
頷くメイドに私も一つ頷いてみせる。
要は、利害の一致。使用人たちが私をよく思っていなくとも、主であるトーマの心の平穏、安寧を願っている筈なのだから。
真にトーマを案じている古参の使用人たちほど、トーマがどれだけ危ういのか分かっているはず。真実の愛に目覚めた彼が失意に陥るのを見たくはないだろう? と、半ば脅しに近い文句でこのメイドを説得したのだ。
もしも殿下の口から、主が愛するロミを罵るような言葉、悪女である筈の私を少しでも擁護する言葉が出たら、すぐにでも私かトーマを部屋から連れ出すように、と。
「先程お茶を用意する際、家令のオーステッドにも簡単にですが話を通してあります。私の一存では決めかねる事でしたので」
(あら、優秀じゃない)
私は上出来だと笑みを浮かべた。
メイド越しに廊下の奥から家令と思われる初老の執事が歩いてくるのが見える。私の前で礼をして自己紹介をした家令のオーステッドは、じっと私を見極めているようだった。
「私は彼を不幸にはしたくないだけ。望むのは彼の心の平穏のみ」
そう強く見上げて私は部屋に戻った。
家令のオーステッドが上手くやった。
三人そろって部屋に戻ってきた私たちに一瞬面食らったトーマが、家令に何やら耳打ちされてしばらく逡巡した。その後いつもの笑みを湛えて立ちあがる。
「殿下。申し訳ありませんが緊急事態が発生しまして。俺は席を外させてもらいますよ」
家令が何と言ったのかまでは分からないけど、執務の事だろうというのは予想がつく。私を娶ったせいでほうぼう手を回し、未だ対応が間に合っていない部分があるのだろう。これからより忙しくなるのでは。
殿下はといえば、この展開を予め知っていたかのように表情を変えずに頷く。
「忙しそうだな。気にせずに行け。私も勝手に寛いで勝手に帰るとする」
一礼したトーマは一瞬私へ目を向け、そのままオーステッドと若い執事と共に部屋を出た。
ゆっくりと閉まりきった扉を見届けて、私は元いたソファに座る。
殿下と私を二人きりにさせるわけにはいかないので、メイド――先程名前を聞いたエスタ――が壁際に控えている。
「上手くやったものだ」
口の端を吊りあげて私に綺麗な御尊顔を向ける殿下。
「さて、なんのことでしょう」
私は淹れ直された紅茶をゆっくりと口に含みしれっと言ってみる。
「君が動かずとも私がやるつもりだったがな」
「まあ。友人の妻と内緒の話でもあると?」
「ジェシカ・ノースクラインに話がある」
ずっと笑っている殿下に違和感を覚える。皮肉な笑みとはいえ、こんなに表情が変わるキャラだっただろうか? と。
その殿下が壁際に控えているメイドのエスタにちらりと目線を送る。聞かれたくない事か。
私が見たこの屋敷の使用人たち。
家令のオーステッド、先程の若い執事、そしてこのエスタ。
とりあえずこの三人は問題ないと思っている。これでも人を見る目はある。聖女の資質のせいだろうか。
「……彼女は大丈夫ですわ。どうぞお話しになって」
じっと彼女を見ていた殿下は大丈夫だと判断したのか、私に視線を戻して……。
「君が聖女なのだろう?」