41 台詞じゃない言葉
一定の間隔で刻まれる音。壁にかかる時計の秒針の機械じみた音が静かな部屋に響いて、鼓膜に触れる。
グラスを持ったまま、その揺れる琥珀色を見下ろすベル様。
伏せた目線は憂いを帯びて、氷を鳴らしグラスを揺らすその扇情的な指先。湯上りで普段よりしっとりした鮮やかな金の毛先。
――酔う。
成人の祝いとして一緒に寝酒しよう、とベル様の私室に誘われた。もちろん喜んで了承して、厨房に頼んで作ってもらった肴を持参し今に至る。
20の成人を迎えたのは大分前だったりするのだが、あの頃は色々多忙だったのだ。
一応、王城で開催された成人式の夜会には顔を出したが、本当に『顔を出した』だけだった。初めて口にする予定だったお酒を嗜む事も無く。同年の貴族たちと交流する事も無く。
それでも何とか顔を見せて、全員とはいかずとも存在を認識してもらったと思う。殿下の婚約者として、侯爵家として、聖女として。
と、こんな調子だったために、自分が成人したという実感も特に感じないまま。こうして成人を理由にお酒を勧められてようやく。そうか、と。
そして、そんな風に素直に納得した様子を、ベル様に見せてしまったのが悪かった。
彼は、目に見えて落ち込んだ。
「本当に、不甲斐ない。婚約者の成人祝いすら満足に出来ていなかった……」
私は首を傾げたかった。
「いいえ、ベル様。素敵な贈り物をいただいたわ」
そう。確かにベル様は忙しい中、成人祝いとして『春風の訪れ』というピンク系統でまとめた花束を贈ってくれた。
私の誕生日が春だから、という理由での選択らしい。
「花は枯れ落ちてしまう。もう少し形に残る物を選べばよかった」
「お花は加工保存しました。ずっと残しておきたくて」
するとベル様は意外そうに目を瞬かせた。口元が若干緩んでいるのは嬉しいからなのか。
「ドライフラワーか」
「はい。ああ、そうだわ。まだお見せしてなかったですね」
この世界にドライフラワーの概念はあるが、そこから更に加工する方法は確立されていないようだ。
私の場合、グラスや硝子のケースを用いた観賞用。そして半永久的に保存できる加工を施した。
案の定、その辺の専門知識はない。どのような過程を通って加工がなされるのかさっぱりだった。合成樹脂を使い固める方法は知っていたが、結局過程を飛ばし魔術で出来上がりを作り出したのだ。
部屋が鮮やかになり、満足の出来だった。
「小さいものは押し花にして栞に……。重宝していますわ」
さすがにそれくらいは幼い頃に作った事もあり、魔術を使わずとも出来る。
「そう、か。何だ……嬉しいものだな」
すっと微笑んだ彼のその儚さ、美しさ。
照れを誤魔化すためなのか、ぐっとお酒を煽った時の、その露出したのどぼとけが上下する様を見て。
何だか熱が上がったようだ。
私もグラスに揺れる桃色をちびりと飲んだ。
飲み易くてお勧めだと、ベル様が手ずから注いでくれたのは桃の混合酒。果実の甘味と、とろっとした喉越しでどんどん進むのだが――。
初めてお酒を口にしながら、私は前世の知識のせいか『酒に酔う』という感覚を知っていた。故に。この、飲み易いとお勧めされたお酒が――かなり度数が高い事も、分かってしまった。
まさかとは思うが、ベル様、私を酔わせようとしている、なんてことは。彼が私の様子を窺うようにじっと見ているのは、そういう事なのかと内心気が気でない。
「あ、あの」
「ふむ。肌が白いから赤みは目立つな。酔ったか?」
話の途中であるのに彼は立ち上がり、私の隣に座る。その足取りはしっかりしていたように見える。
冷えたグラスを持っていたために冷たくなった指が、私の頬を撫でる。火照った肌に心地良く指が滑っていく。
「目は、しっかりしているな……これは予想外だ」
酒に強いのだな。と、そう言ったベル様の色づいた唇が弧を描く。
「酔わせよう、と……?」
更に口角を上げたベル様の意図を疑うべくもなかった。ああ、これだから私は可愛くないのだ。
「違うぞ、不埒な思惑は少ししかない。これから社交に出る時の立ち回りを考えるために試したまでだ」
そんな事を言いながら手に触れて指を絡ませたり、髪を梳いたり、指先で唇をつついたりしてくる。
酔っていてほしかったんだろうな、と自分に落胆する。
しかし至近距離で見た彼はひどくご満悦なようだ。こんなに熱が上がってくらくらするのは、知らず酔いが回っているのかもと思ったくらい。
それなら少し大胆になっても、仕方ない、だろう。
更に身を寄せ、そっと頭を傾け彼の肩に乗せた。
「酔った振りをしてしなだれかかる女はお嫌いですか」
「君なら大歓迎だ」
渦巻く熱を閉じ込めた声が密着して体を伝う。少し目線を上げたら彼ののどぼとけが嚥下を主張して、咄嗟に目を逸らした。
こういうのは一度目についたらずっと気になってしまうものだ。
何となく気を逸らしてみる。
「ベル様は、お酒は強いのですか?」
「ああ、そうだな……多分、家系だ。それに王族は成人したら酒に慣らすよう訓練を受ける」
確かに彼の顔は赤みを帯びておらず、かなり飲んでいるにも拘わらず素面に見える。
私は口が緩んで、思わず笑いが零れた。
「これもその一環だと?」
自分の持っているグラスを少し持ち上げて、見せる。
「義務半分、下心半分」
噴き出したように抜ける熱い息が私の髪にかかった。
『不埒な思惑は少ししかない』とは何だったのか。下心の割合が増しているではないか。
「この量、普通なら泥酔するぞ。これなら披露宴でも問題は無さそうだ」
――結婚披露宴の事だ。
「……あと、三日」
「はい」
少ししんみりと。それでいて口に残る甘味よりずっと甘く空気が色づく。
三日後には私は王族籍に入る。ベルディウス殿下の婚約者の立場から、正式に妻になる。
忙しい故に、結婚前にありがちな『マリッジブルー』なんてものに縁はないが、むしろ、違う事に気を取られがちであった。
ベル様との結婚が目の前に見えてくるにつれ、妙な感覚と共に夢を見るようになったからだ。別に不穏であったり不快な夢では決してない。只々、不思議な夢。
真っ青な空の下立つ私から、何かが昇華していく。という意味深な夢だ。
最初はぼんやりしたその形が最近はだんだん判別して、それでも謎に首を傾げる。私の中の『何か』がふたつ、天に昇って消える。
夢の中の私はそれを見上げて、満足そうに、すこし憐愛の情を込めて見送るというはっきりした夢に変わっていったのだ。
これが何を意味するのかは正直分からない。
「ジェシカ」
しっかりした声色で私を呼ぶ。何かを察して体を少し離し、私は彼と同じ目を返した。
「前の俺は、背負った重圧を見て見ぬ振りをしていた。分かったように見せて」
アルコールが入っているなどと思えないくらいの真剣な、明確な意志が宿る瞳。
私は黙って頷く。
「誰にも関心が無く、自分の立場も……聖女の立場も。今ほど真剣に考えないようにしていた」
初めてベル様の口から聞く過去の心情は、私にとっては既知の言葉であった。
『俺は背負った重圧を見て見ぬ振りをしていた』
ベルディウス王子が、ヒロインに向けて心境を吐露する場面。何でもない顔をして。初めて他人に、ヒロインに心を見せた、トゥルーエンドの台詞――。
だから、知っている。この後の言葉。
『初めて、思った。君には……君に、この荷を共に抱えてほしいと』
こう続くのだ。だから私は身構え、待った。
しかし。
「だが今は違う」
「えっ」
私は不自然に驚いてしまったが、ベル様は特に気にしないでくれたようだ。
「どうしても、ジェシカ、君に。隣に居てほしいと願った。聖女である君の名に恥じないよう、私は」
待って。変わった――?
途中で、台詞が。
急に焦りと不安で動悸がする。
「……この重圧も、悪くない、と。この重みが、君と共にこれからを生きていく糧になるのだと思うと……」
私の戸惑いが目に入っているであろうに、ベル様は力強い目を愛おしそうに緩めた。
「愛着すら湧くようになった。この重みを背負える立場で、良かった、と」
「っ……」
目の奥が熱い。視界が歪む。
ああ――。
ああ、これは、ベルディウス王子がヒロインに向ける言葉ではない。
ベル様が、私を想って出た言葉なのだと、ようやく――。
ごめんなさい。ごめんなさい。
キャラではない、と思いながら。その通りの言葉が出ると疑ってすらいなかった。
涙を見せないよう俯く私を優しく、でも強く抱き留めるベル様。止まらない涙が彼のローブに滲み広がる。
「わ、たしっ、も……」
駄目だ。全然声が出ない。
口からは嗚咽しか出ない。
私も、聖女でよかった。
そう言葉にならない言葉で告げたら、縋り付くように顔を擦り付けるように、掻き抱かれた。
私は自分で思っているよりずっと酔っていて、しっかりマリッジブルーになっていたのだと自覚した。




