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天の聖女  作者: みど里
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40 ヒロイン逝去。普通の聖女

「亡くなった……」

 私はひとり、執務室のデスクにかけ呟いていた。リターはお使いに出していて今はいない。

「肥立ちが悪く、痩せ細っていたそうだ」

 端的に報告するのは、姿は見えないが確かに聞こえる低い声。聖女の影。


 大公邸の奥に監禁されていたロミが今朝方、産褥(さんじょく)の上で儚くなったらしい。


 そろそろ予定日だと知っていた私はイザークを向かわせた。

 別に無視してもよかったのだが、やはり気になる。せめて無事に子を産んだかどうかは知っておきたかった。

 最後にロミと会ったあの時。丈夫に、そして健康に生まれるよう胎児にだけおまじないのような軽い願掛けをしたのだ。だから子は無事に生まれた筈。

 それに。


 私は知っていた。ロミが肥立ちの悪さ故に死んだ、というのは嘘なのだと。彼女は恋しい人との間の子を宿していると思い込んでいる事を。

 故に。

 しっかり食べ、部屋の中で適度な運動をして、丈夫な子を産むのだと意気込んでいた事を。

 私は、知っている。


「イザーク。どちらが虚偽?」

 今まで彼に調査させたロミの状況。そして今朝方ロミが亡くなった原因。どちらかが嘘だった、という事になる。

「……聞くのか」

「内容云々よりも、貴方が私に虚偽の情報を伝えた事が問題なのだけど」

 押し黙るイザーク。見えないが、俯いてしゅんとしている様子が目に浮かぶ。イザークは『私のためになる』と嘘の報告をしつつ、敢えて矛盾を見せたのだろうと思う。

 ロミの死は、外部からの手が加えられたのではないか。


 大公邸に赴きロミと会い、デイヴィットと面会したあの日以降、大公とは会っていない。

 減俸と領地取り下げの処罰が公表される予定だった、その大公殿下が。

「妻子殺しの罪で去勢の上、幽閉……」

 ロミの死を知ったのは、つい先日。処分の決定が下されるのが早すぎる。最初から決まっていた事?

 イザークの声がやたら静かな執務室に響く。

「庇う気か」

「まさか」

 私はすかさず否定した。

 王族が聖女を軽視すると民衆もそれに倣う。示しがつかない。だから、これが王家の意向だという事。

「教えて。大公殿下は自ら?」

「王族の一員として許されないとずっと悔やんでいたらしい。そこで丁度いい人柱が立った」

 大公は一度『天罰』を、人的なものではなく天からの鉄槌を受けている。王家が聖女にその治療をさせたのも、このため。より分かり易い重罰を科すため?


「ねえ、これだけは嘘は無しで」

 もしかして、という思いもあり。でも真実なのだろうなとの考えの方が強い。

「ロミは本当に死んだの?」

「ああ」

 無機質なただの事後報告が返ってきた。

「子は……生きているのよね」

「ああ」

 予定通り、孤児として柵なく教会が管理する救児院に預けたのか。私は溜まった遺恨を全て溜息に乗せて吐き出す。

 もう、本当の意味で『(そら)の聖女』は終わってしまったのだと。主人公は、居なくなった。


「大公殿下が第一線を退くのは簡単な事ではない筈よ」

「準備してきたんだろ。このために」

「大公殿下が天罰を受けた時点で……?」

 イザークも随分口調が砕けてきたなと斜め上の思考をしながら、彼の言葉に内心では納得していた。

 第二王子が学園を一足早く卒業して、大公の元で勉強をしている。そう聞いたのは数ヶ月前。

 イザークの言う通りずっと準備をしていたのだろう。ロミを引き取る事も予定通りだったかもしれない。

「リター。先触れを」

 披露宴以降、増えた各国からの書簡を仕分けていたリターに指示する。

「どちらへ?」

 そう言いながらも王族用の上質紙を用意する辺り見当はついているらしい。


 私は執務机から離れ、次の予定のため一人で着替えようと衣裳部屋の扉を開けようとし。

 ふと、天井を見上げる。

「……覗きは駄目よ」

「…………」

 何故黙る。



 大公邸はすでに第二王子を主として機能しているらしい。

 ロミの遺体は縁を切った生家の伯爵家に送られる事なく、集合墓地に埋葬された、という事も知っていたが。

「そうですか」

 王城の離れ、幽閉棟に移った大公にそう教えられた。私が呼びかけたら見た事のない穏やかな顔で笑う。

 術後数日しか経過していないため、彼はベッドに横たわった状態のまま対面してくれた。

「こんな状態で済まない」

「いえ。むしろこちらが非常識でしたわ。もう少し……」

 ベッドの傍の椅子に座り、穏やかなその表情を見下ろす。周りは無機質とも言える程の清潔な壁に囲まれて。

 大公に施された去勢術は、先代聖女様がデイヴィットに行った魔術によるものとは決定的に違う。正真正銘、生殖器官の一部摘出手術だ。

「安定した頃でよかったのですよ」

 いつでもとは書いたが、大公は早い方がいい。と面会を許可してくれて今に至る。

「これからは恐らく……容易には会えない。王族、聖女であってもな」

「大公殿下……」


 色々、聞きたい事もあった筈だが、上手く言葉に出来ない。

 心配だとか大公を案じているのとはまた違う感情だ。やるせなさ、とでも言おうか。

「もう大公ではないがな」

 だが、何となく名前を呼びたくはない。

「では大公様、というあだ名で」

「ふっ、は……」

 大公は何かがうけたらしく噴出したが、すぐに痛みに顔を歪める。

「はは……あまり笑わせないでくれ」

 それでも困ったように笑う大公の心境を推し計るのは、私では難しい。去勢術を施すと気力が――主に性欲、生きる活力などが失われると聞いたことがある。

 私は大公の苦痛を和らげた。一時的に。

「痛みが、ひいて……君の仕業か」

 仕業と言い切る辺り、彼は痛みすらも罰だと甘んじて受けるつもりなのだ。怒っているようで何とも辛そうな顔をするから。

「今の痛みはわたくしのせいでありましょう?」

 そう免罪符としておいた。


 横たわる大公が私の知っている覇気のある彼とは噛み合わない。気の抜けた穏やかな雰囲気。

 これは手術によるものなのか、悔やんでいたという罪を償う機会に恵まれた故なのか。大公の爵位を手離したからなのか。

 自分で思いながら後者は無いな、と。

 大公は王弟としての立場に誇りを持っていた。


「大公様」

「ん?」

 ロミに呆れ怒りを抱いていたのは知っている。でも、彼女を愛していた気持ちは嘘ではなかった。その愛した少女を、その手で。

「ここまでする必要はあったのですか? 貴方は今、自棄になっていませんか……?」

 目を瞬かせていた大公だがその問いには、何だかんだ大人なのだと思わせる笑みで返された。

「俺は生きねばならないんだ。王家の戒めとしてな」

 私は訝しんだ。顔に出ていたかもしれない。

「君はいつか王家の子を産むだろう。ベルディウス殿下との愛の結晶たち……未来の王位継承者と……その予備(スペア)を」

 聖女の次男。

 王の予備として臣下として。これから王家に名を連ねる者たちのための、反面教師を引き受けようというのか。

 疑うべくもない立場にありながら聖女を憎んだ者がいたのだと。その結末を。


 どくどくと心臓が煩い。ずっしりと気分と覚悟が重く圧し掛かる。

『今なら完全に治せます』

 そう言って大公の決意を、王家の下した刑罰を失くすことは恐らく可能だ。

 膝の上で握り込んだ手が汗ばむ。言っては駄目だ。現に、大公はまるで私を見極めるように凪いだ目で見てくる。


 どれだけ見合っていただろうか。結局私は何も言わなかった。

 楽な方には――思考を停止して、全てを許し全てを治す選択は出来なかった。私への悪意だけを見逃し他は罰する聖女には、なれなかった。

 過去にはそんな聖女もいたかもしれない。これから先もきっと居るだろう。

 強い信念の上で、全てを許し全てを愛し、一貫して慈愛を失わない聖女が。

 その責任を負う覚悟は私には無い。

 罪には罰を。不敬には毅然とした態度を。弱き者には慈悲を。改心には余地を。敬意には敬意を払う、そんな普通の聖女でいい。

 私は、それでいい。


 大公の前を辞して幽閉棟を出ようとした際。同席していた侍従と、昔から大公に仕えていたという世話役のメイドに呼び止められた。

「聖女様。ありがとうございます」

 メイドがゆっくり、深々と礼をする。侍従は何とも複雑な顔をして、しかし同じように頭を下げた。大公の決意を無下にしなかった事の礼だろうか。

「シュバルツ様を悪夢から救っていただいた事、あの方の覚悟をお認めになって下さった事、感謝しています。これで……」

 目を細め、慈愛の表情を浮かべる少し年かさのメイド。

「あの女を苦しめて殺した甲斐があったというものです」

 少し、理解するのに秒を要した。私の背後に控えるリターの息遣いが鮮明に、この場に響いてしまう。


「そう。貴女が手を」

 理解してからは私の心は静かに、穏やかとも言えるくらいに凪いでいた。

「わたしが無理にその御役目を奪ったのです。彼のためと言いながら、わたしの恨みを晴らすために」

「彼を愛しているのね」

 その問いとも言えない言葉に彼女はうっそりと微笑んだ。

 そんなメイドをまるで無視するように、侍従は少し頭を下げた。

「聖女様。予め謝罪を。これから……不敬を働きます故、申し訳ありません」

「ええ、どうぞ」

 と頷く。

「聖女様ならシュバルツ様をあの毒婦から引き離す事も……最初から彼を守る事も出来たのではないですか」

 まだ続きそうだと私は黙っていた。

「私には、あなた様がシュバルツ様を……見殺しにしたように、しか……」

 我ながら一理あると思ってしまう。

 大公を愛しているというメイドも同じ気持ちかと様子を窺うが、彼女はむしろ侍従に呆れているようだ。嫌悪すら抱いているようにも見える。

「あんたのその言葉はシュバルツ様を馬鹿にしてるのよ? 分かってる?」

「わたくしは大公殿下の……保護者ではありません」

 メイドに次いでそんな決定的な言葉を投げかけると、侍従はがっくりと項垂れた。

 この侍従が大公への思い故、私を許さないという気持ちを持ったとしても致し方ない。

 自分の事ならいくらでも受け流せるが、リターにした仕打ちを許す事は出来ないのと同じだ。間に合ったから。ほっといても不幸にはならなかった。などという結果論など以ての外。


 当時、私の守備範囲の中に大公は入っていなかったというだけ。私がどうしても守りたかったトーマが、この人にとってはどうでもいい存在であるように。

 だから、この侍従は聖女を正当化しなくてもいいと思う。


 この二人は幽閉棟で大公の世話をするらしい。

 自ら望んで、生涯をかけて。



 王城に戻り執務室へ帰ろうと回廊を歩いている時、向かいから見知った青年が歩いてくるのが見えた。装飾が施された分厚い本を数冊両手に抱え――思わず、だろう。

 私を見て、条件反射に目礼をして体を斜めにしてしまい。

 本の上にのせていた書類が、さらりと流れるように滑り落ちるのは当然の物理だ。

「あっ」

 声で反応したのは後ろにいたリターだ。

「リター。手伝ってあげて」

「はい」

 若干食い気味に返事をしたリターは散らばった書類を拾いまとめた。青年は抱えた本をどうしようかと一瞬迷い、結局片膝をついて屈むにとどめたようだ。

「悪い」

「いえ。書面は見ませんから」


 リターが書類を拾っている間に、これ幸いと私は少し半身を屈め、彼に耳打ちした。

「貴方もうすぐ休憩に入るわよね? リター、少し顔色が悪いと思わない?」

 囁いたのはそれだけだ。

 青年は、じっとリターを見て、眉をひそめた。

「リター。丁度いいわ。今から30分休憩にしましょう。貴女も少し休んで」

「はい」

 戸惑いながらそれでも返事をしたリターの顔は、私を気遣うものだった。


 一連の事でショックを受けているのは、私よりもリターだ。

 私に付くよりも長くロミ付きの侍女だった彼女。何とも思っていない筈がない。仕事柄しかたない事と言わず、私よりも今は自分を見るべきだ。


 私は二人をその場に置いて護衛を連れ執務室へ向かう。

 廊下を少し進んだ所で振り返ると、連れ立つ二人の背中が見えた。

 隠している、というかわざわざ報告されないけれど、私は知っている。あの二人が最近とくに急接近しているという事に。

 聖女の侍女と、『天読みの書記官』ヴァリア青年。

 人の世話が好きで気遣いの天才、リター。口数が少なく不器用で、でも真面目なヴァリア青年。距離が近づくのも必然だったのかもしれない。


『お節介にお見合いを勧める親戚のおばさん』の気分になりながら頬が緩むのを感じた。

 こんな時だからこそ、癒され英気を養ってほしい。

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