04 殿下の来訪(side:トーマ)
「何か、思ってた反応と違いますね」
俺が幼い頃から家で見習いをしていた執事のナディが呟く。
そもそもこっちがあらかじめ計画していた事で、ジェシカには全く知らせていない。というか知られないよう注意を払っていたはずだ。それなのに。
聖女選定の場での急な『落第』。
直後に特に親しくもない男へ輿入れ。
その先では地下室を私室として宛がわれるという不当な扱い。
何故、あんなにも平然としていられる? それどころか何処か浮き立っているようにも見えた。
斜め後ろから溜息が聞こえる。
「どうした? ナディ」
「いや、なんか、自分たちが苛めをしてるみたいで気分悪いです」
「……自業自得だろ。ロミの負った心の傷に比べたら……」
初めて他人を愛しいと感じさせてくれた、あの少女。聖女候補生のロミ。
大きな目に涙を溜めながらも一生懸命健気に微笑み、苛めなどに負けない前向きさを見せた。そんなロミを目の敵にし、苛め、嫌味をぶつける女だ。このくらい生温いのではないか。さすがに女に手を上げる事はしたくないが。
「すみません。自分は旦那様の愛しのロミ様を知らないもので」
噂と実際に目の前にした本人。何も知らない人間からしてみればどちらに重きが置かれるのか。ナディの言う事も当然だろう。
そう、だからこそ俺はロミを信じて、愛した。
表情豊かで朗らかに笑い、悔しい事があっても決して人前で涙を流さない彼女。殿下を、切ない目で見ている彼女。
彼女の為なら俺はどんな事も我慢してやる。この想いも墓まで持っていく覚悟だ。
応接室で待っている殿下に、へらりと笑ってみせた。
「どうしました? 殿下。聖女選定は終わりましたか?」
足を組み腕組みをして目を伏せていた学生時代の同級生であり友人、ベルディウス第一王子殿下は俺の登場にゆっくりと目を開けた。
俺が向かいに座るのを見届けると、一息吐いて何の感慨も無く言い放った。
「聖女は選ばれなかった」
「は……?」
一瞬真っ白になった脳裏に、愛しい少女の笑みが浮かんで、消えた。
「ロミ、嬢が聖女じゃないんですか?」
殿下は感情の見えない目でじっと俺を見て、目線だけを流すように窓の外を見た。
「誰も選ばれなかった。代わりに天からの授かりものが降ってきたぞ」
まるで無表情なその御尊顔の口の片端が僅かに吊り上がった。少しでも興味を引かれたものに向けるその独特の癖、表情に俺は目を見張る。
「トーマ」
俺へ視線を戻した殿下は無表情に戻っていた。
「成績も素行も資質も下から数えた方が早いロミ・クラエンタール嬢が、本気で聖女に選ばれると思っていたのか? お前は」
「え」
俺は気の抜けた声を発した。
成績も素行も資質も……下から数えた方が早い? ロミが?
今日も頑張った、前よりいい成績だった、と朗らかに笑っていたロミを思い出す。
「候補生の成績は極秘だ。本来なら、な」
とある一人の講師が疑念を抱き殿下へ相談したのだそうだ。
「成績優秀、聖女筆頭だったある候補生が、可も無く不可も無い候補生を蹴落とすような真似をするだろうか、とな」
不思議な事もあるものだ。そう独特の楽しそうな表情で殿下は鼻を鳴らした。
殿下の言葉が耳に入る。だが、何故か脳にまで行き渡らない。
「ああ、そうだ。彼女はどうしている?」
「は。彼女、ですか」
俺は必死で脳内を回した。碌な返答が出来ていない俺に殿下は特に関心を示さなかった。
「会わせてはくれないのか? お前の新妻に」
新妻、の部分で僅かに声が低くなった事に俺は気付かない。
至急。と呼ばれて、メイドのエスタに連れられ応接室に現れたジェシカ。
最後に見た候補生の制服ではなく、しっとりとした色合いの地味なドレスを着ていた。どこかぼんやりとしているように見えるのは寝ていたからだろうか。
殿下を見て一瞬無表情になったジェシカは、その後取り繕うように仄かに微笑みを浮かべた。
「これは第一王子殿下。ようこそいらっしゃいました」
優雅に、一分の隙もないカーテシーを披露したジェシカ。王族の前に出ても遜色ない、完璧な侯爵令嬢がそこにいた。……地味な服装に目を瞑れば。
「このような部屋着で申し訳ありません」
「いや、構わないからすぐに来るように言ったのはこちらだ。気にするな」
殿下は口の端を上げながら俺の座るソファへ顎で促した。一見行儀が悪いのにこの男がやると絵になる。俺の隣に座るジェシカ。
「先程ぶりだな、ジェシカ嬢。君にも聖女選定の結果を伝えておこうと思ってな」
「まあ、それで殿下自ら足をお運びになられたのですね。わざわざありがとうございます」
何故だろう。ただ二人向かい合って談笑しているように見えるだけなのに。なんだ、この張りつめたような空気は。
「前代未聞の……面白い事が起こったのでな」
くっと喉の奥で笑った殿下は目を細め、先程と同じように今度は顔ごと窓の外へ向けた。教会の方角だ。
「まあ、聖女はどうなりましたの?」
と、隣で微笑む女は静かに聞いた。それに殿下は若干楽しそうに返す。
「司教の声に天は答えを返さず、代わりに稲妻が落ちた」
俺の喉から息が抜けた。そんな馬鹿な話は聞いたこともない。
つい口を出しそうになるのをぐっと堪えるが隣の女は。
「まあ」
何とも気の抜けた、まるでどうでもよさそうな声色で相槌を打っただけだった。
「怪我人はいませんでしたの?」
すると殿下は、その双眸をすっと細めた。
そこに一瞬、熱が宿ったように見えた……のだが、瞬きの間にすっかり普段の殿下の目になっていて。
「負傷者はいない。祭壇の中心にある水晶目がけて一筋の稲妻が落ちただけだ。天井が少々破損したが近くにいた司祭も無事だ」
俺の思考が追い付かない間にも二人の応酬は進む。
「それはようございました。……50年に一度の聖女が選ばれなかったのですね。確かに前代未聞ですわ」
しばらく彼女をじっと見た後、殿下はゆったりとソファの背もたれに体重を預け、僅かに顎を上げてみせた。
「我々も教会も……困っているのだよ。まさか聖女が選ばれないなどとは思わない。そこで」
前代未聞には前代未聞を、と言わんばかりに、殿下の提案は耳を疑うものだった。
「君を候補生に戻し、もう一度選定の儀を執り行おうという話が出ている」