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天の聖女  作者: みど里
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35 渦巻く会場

 そして。宣言通り衣裳部屋に私を迎えに来たベル様。

 式典用のマントを取り外すだけに留めた彼は、端正で優美な立ち姿のまま発した。

「可愛い、な」

 と。それから。

「二の腕……」

 だ。


 確かに肩は隠しているが腕は露出している。しかし肌色が目立たないようにと、サテンのオペラ・(ロング丈)グローブをつけているのに。これでも駄目か。

 ベル様曰く。

「逆に目を引く」

 のだそうだ。

 私の前世萌え知識が掘り起こされる。ああ、これが絶対領域か、と。遠い目になった。

 だがそこを注視するのは、私を想ってくれるベル様に限った話だと思うのだ。そして様々な思惑に晒されるのはお互い様で。むしろベル様のほうが好意、疾しい目を向けられる事の方が多いだろうに。


 しばらくじっと私を見ていたベル様に居た堪れなくなり話しかけようとするが。

「では、行こう」

 さっと感情を切り替え、差し出された白い手袋に包まれた手。ほっそりとして繊細に見えるがその手袋の下の手の節ばった感触を知っている。

 私だけが、という優越感、独占欲を自覚した。

「はい」

 そこに彼の色に包まれた手を乗せる。



 アナウンスに促され私はベル様と会場に入る。

 そこにいる全ての人間の視線が突き刺さるのが分かる。痛いほどに。好意と、若干の悪意と、見定めるような無機質な視線。

 様々な感情が入り混じって混沌とした会場には、当然だが見知った顔も多い。

 だが私は真っ直ぐ、手袋越しの熱に支えられ。真っ直ぐに前を向いて、仄かな笑みを心がけて壇上に向かうべく歩く。

 しなやかに背筋を伸ばし、少し顎を引いて。

 幼い頃からの淑女教育、候補生時代の妃教育の教えを胸に反芻する。固まらず、でも気を抜きすぎないように。

 壇上に上がり振り返るその瞬間に、ある一点を見る。その先で目を細め微笑む貴婦人を目に入れて、ほっと一息吐く。

 合格点を貰えたようだ、と。


 壇上より高い位置、玉座におわす両陛下が立ちあがり挨拶をする最中。

「子爵夫人……カリッジ女史か。妃教育の講師だったな」

 口を動かさずにそう呟くベル様の手を強く握って返事とした。

 聖女として何の含みもない、と示すために今日は口元を隠す扇は持って来ていない。読唇術を警戒して安易に口を開けない。

 今は皆、陛下へ目を向けているとはいえ、だ。


 陛下が挨拶を締め、こちらに振る。ベルディウス王子殿下が一歩前に出るのに合わせて私も進み出た。

「各位ようこそお越しくださった。紹介しよう。我が婚約者――聖女ジェシカ」

 ベル様が重ねた手を僅かに持ち上げ、わたしの手袋越しに口付けを落とす。

 洗練された、優美で雄々しい所作で『王』の重圧を背負いながらそうは見えない、見せない王子殿下、王位継承者だ。

 両陛下が見守る中、私は膝を曲げ国賓に目礼した。そして、ゆっくりと噛みしめるように、抑揚をつけて。

「ジェシカ・ノースクラインと申します。第56代目聖女として祖国の繁栄と安寧を保障し、諸外国の皆様と友好を紡ぎ続けて()ける事を望みます」

 再度膝を曲げつつ礼をして、ベル様に手を取られ一歩下がる。

 会場から溢れ零れるのでは、と錯覚しそうなほどの拍手に包まれた。

 私は密かにゆっくりと、深く息を吸って、吐く。人生で未だかつてない緊張感。だがここまでは何とか成功しているようだ。

 本当に、真面目に講義を受けていて良かった……。

 今一度ニコ・カリッジ先生に心中で感謝を捧げよう。まあ、この後挨拶に来るだろう彼女に直接お礼を言うつもりだが。


 次々と挨拶にやってくる各国要人、国内の有力者たち。

 今宵の主役である聖女と王子殿下の婚約を認知させるという思惑もあり、真っ先に私たちのところに来るのが常識なのだが。

 若輩と侮り、先に両陛下を目指そうと進む者たちは少なからずいる。陛下はそんな彼らには一切目を向けず返答もしなかった。

 堂々と、笑顔で挨拶をする私たちと、どっしりと着席したままの両陛下を見比べ――すごすごと謁見待ちの列に並ぶという光景が何度か目に入ってくる。

 王家の席に居並ぶのは両陛下は当然の事、第二王子たちベル様の弟君方も静かに座り周りを見定めているようだ。

 ベル様が幼い頃はこんな風だったのだな、と思わせる弟殿下方。

 王家の血筋は尊い。様々な意味でだ。


 そして。

「お久しぶりです、聖女殿。そしてベルディウス王子」

 私たちの前に現れた微笑みのレオンハール王子。当然最初に出会った時のように、街に紛れる恰好ではない。

「ジェシカ殿。聖女への就位、おめでとうございます」

 いつだったか見た時と全く同じように、胸に手を当て礼をする王子。その後、座り控えている王族たちへ向けて。

「そして第一王子殿下と聖女殿の婚約が相成りました事、実に喜ばしい」

 そう。他国としてはこれが正しい挨拶の仕方だ。

 この夜会において最優先は聖女のお披露目。新たな聖女に自分たちの国を認識させ、友好という名の縁続きを願う国の代表たちの顔を覚えてもらう事だ。


 聖女、という存在の大きさ、その保有する力を知っている国は聖女を蔑ろにしたりはしない。

 例えば、過去に戦争を吹っ掛けた記録のある国などは特にそうだ。『聖女には逆らうな』という格言が伝うところもある。

 そして、このレオンハール王子の国は、聖女を欲している側だ。

「今日はより一層美しいですね。着飾らないあなたも素敵ですが」

 少し声を上げたレオン王子の思惑は恐らくこんなところ。聖女と顔見知りで、素の私を知っている。と周りに誇示しているのだ。

 まさか聖女を口説いているのでは、と邪推する者はいない。むしろ自分たちへの牽制だと受け取られる。もしくは私への不信。

 私も定型文で感謝の意を示す。また後で、と含みを言い残し彼は去って行った。

「直接の対面は数年ぶりだが……随分染まったものだ」

 ベル様が無機質に呟く。

 数年ぶり、という事は、まだレオン王子が幼い少年の頃に二人は会った事があるのだ。


 化かし合い、騙し合い、身内同士での命のやりとりを余儀なくされる王位継承問題の只中に身を置く、まだ若い王子。

 周りがどこまで信用できるかという中、自分自身を守る術を身に着けた結果。

「隣同士だというのに、これ程までに情勢は変わるのだな」

 遠くを見て平坦に、だがどこか哀愁を滲ませたベル様。

 この国だってぬくぬくと平和を享受しているだけではない。ベル様はじめ王家だって常に平和を維持するために奔走しているのだ。決して現状に甘んじているのとは違う。

 平穏というのは、作り出すよりも維持する方が難しい。とは誰が言っただろうか。歴史から得る教訓というものは国も世界も――何処の次元も変わらない、と思う。


 そしてやってきた父。ノースクライン侯爵は定例通りの挨拶をこなし、私もまるで他人のようにそれを返す。

 だがこれはお互い意図してやっている事であり、聖女の身内だからと無心する事は無い、と証明するためである。

 その挨拶を終えると。

「ジェシカ。息災か」

 すっと気を抜いたように見える侯爵――お父様。

 気を抜くと言っても若干目を細め口元を緩めただけだ。父はこの顔が標準らしいと知ったのはついこの前の事。

「はい。皆様にとても良くしていただいています」


 この数ヶ月の間、一度里帰り、というか実家に顔を出した時に教えてもらったのだ。父の古くからの部下、側近たちから。

 里帰りの際、ぽつぽつとだが。ちゃんとお父様と腰を落ち着け話をした。

 お父様は決して、私に無関心でも嫌っているわけでもなかったという事を身に染みて思い知らされた。


 だから私も、もう娘として自然に接する事ができた。向かい合った父と同じように気を抜いて笑う。

「何かあれば帰ってくればいい。あそこはお前の家だ」

 目線だけをベル様に向けている父の発言に私の方がハラハラする。

 里帰りする旨をベル様に伝えた際、少し、一悶着があった事を脳の片隅が思い出したために。

 ベル様がするっと、やんわりと横から私の腰に手を回した。それを父は眉間に皺を作る事で心情を表して見せている。我が父ながら、何ともスマートで美しい人だ。

「そうだな。たまには(・・・・)里帰りするのもいい息抜きになるだろう」

「そうですわね」

何時でも(・・・・)待っている。何も無くともな」

 ほんのり笑むベル様と無表情を貫く父。

 その間に入る私の事をだれか称えてほしい。

「それでは、ご健康の程を。お義父上」

「まだ早いのではないですかな。それは」

 苦笑いを押し殺す私を、だれか褒めてほしい――。


 身内との邂逅だと言うのにやたら精神が疲弊した。それを癒すかのように現れた影にほっと息を吐く。

「聖女様。この度は――」


 騎士の礼で祝辞を述べるのは、トーマ。

 元、ファルシ家当主だ。

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