32 デイヴィットの聖女信仰
大公が指示を出す。寝静まったロミを監視員がベッドに運ぶその様子を、私は見るともなしに見る。
「精神を安定させました。次に目覚めてからしばらくは穏やかになると思いますが……」
「十分だ。少しの間でも静かに自分と向き合う時間があればいい。どれだけ周りが気を配っても実際に赤子を産むのはロミだからな」
その通りだ。
もしも、このまま子を産む事に消極的で、介助する周りに当の本人が非協力的な態度を貫くのなら。それが原因で子が流れてしまったら――ロミは更に子殺しの罪が加えられるのだ、と。大公は言う。
彼女は自らの首を絞めるような事はせず、割り切って子を産むことに専念するしかない。結局子は離され教会に預けられるから、母親の自覚を持て。というのは酷な話かもしれないが。
そして私はここで覚悟を求められている。
もし、だ。もし、ロミが原因ではなく子が流れたら。外部からの要因があったとしたら。ロミとその子に同情して守り庇うのは今しかない。
「先触れのあったデイヴィット氏がお見えです」
従者が大公にそう報告するのを、私は心頭滅却して聞いていた。こちらを見る大公に頷く。
結局私は、母体には何もしなかった。
ロミに情状酌量の余地は与えない。これからどんな境遇に置かれても私はもう、彼女と会う事は、無い。
さて、これから会うデイヴィットは私を蛇蝎の如く嫌う彼のままなのか。
それとも。
こじんまりした部屋を指定し、リターと共に入室すると既にデイヴィットは一人掛けソファに座って待っていた。
立ちあがり胸に手を当て礼をするデイヴィット。
「聖女様。この度は私めの面会を受理していただき恐悦至極に存じます」
「硬すぎませんこと?」
思わず突っ込んでしまった。
候補生時代、微笑みながら侮蔑の目線を向け私を丁寧に罵倒するという、器用な事をしていたデイヴィット。彼らしからぬ態度に微妙な気持ちになるのは当然だ。
「過去の罪は償っても償いきれるものではありません。誠心誠意感謝と謝罪をしたいと思っています」
デイヴィットはいつもの高位を表す神官服ではない。
聖女へ不敬を働いたため謹慎処分。更に神官の位を取り消され下働きに降格したらしい。
「まず頭をあげましょうか」
これ以上舐められてはいけないと少し尊大に、未だ下がる頭にそう声かけた。
長い髪が滝のように流れ落ちている様はまるで風流だ。と現実逃避したくなる。はっきり言おう。態度が気持ち悪い。
ゆっくり顔を上げたデイヴィットは眉をさげて。
人の良さそうな標準装備の微笑みを完全に消し、無表情に近い。それだというのにその細めた目はなんとも嫌な感じに爛々として。
――やはり気持ちが悪い。
デイヴィットが大公の伝手を頼り聖女の面会を望んだ時に、たまたま私が大公邸を訪れていたのは運が良かった。本当に、切実に。
言い方はあれだが、ロミと会いケリをつけたついでに、デイヴィットの面会に応じる事が出来てホッとしている。どうせなら後始末は一気にやってしまいたいという訳だ。
「座りましょう」
着席を勧め一人掛けソファに向かい合って座る私たち。この配置も少し嫌だ。
さすがに密室に二人きりという訳にもいかないので、リターを控えさせている。
しかし彼女も彼らの被害者。いい気分はしないだろう。後で二人だけの慰労会でも開催しようか、などと画策する。
さて、話を遮断しなければならない。
「リター。今からわたくしたち内緒の話をするから、防音の結界を張るわ。そこで待機していてね」
「かしこまりました」
深々と礼をした彼女に頷き、さっと私とデイヴィットだけを小さな結界で囲む。
辺りを見渡して、不思議そうに首を傾げたその彼の仕草が、あの人と被った。少しでも似ているなど認めたくない。
「これで音を遮断できているのですか」
心底疑問そうな声色を発する彼に不気味さを覚えるのは不可抗力だ。散々嫌味を言われ慣れていたせいだ。
「完全防音ですわ。遠慮なくお話しをどうぞ」
別に効果のほどを信じられなくてもいい。それで話は終わり、とこちらから打ち切ってやればいい。しかし彼は全く疑心を抱いておらず、まるで純粋な顔をする。
薄く淡いステンドグラスのように視覚化した防音の結界。
「何とも奇妙な……。いえ、これが聖女様の尊いお力」
「気持ち悪い」
目を見開いてばっと私を見た神官――下働き僧侶に、しまったと咄嗟に口を噤む。つい本音が。
「今のは幻聴ですわ。お気になさらず」
手のひらを差し出して、どうぞ、と話を促した。早く本題に入ればいいと。
彼はしばし目線を落としていたが、またあの笑みを張り付けた。
「では、単刀直入に。聖女様は私めの事情はどこまでご存じでしょうか」
また何とも難しい質問を。
「ロミさんのお腹に宿る子の……父親ではないと知っていますわ」
極めて無機質を心がけて返答する。
「私に種が無い事も、王家の子……聖女の血を引いている事もご存じでいらっしゃる、と」
私は押し黙ったまま不動を貫いたが、目の前の彼はより笑みを深めた。
「とまあ、そんな事情ですから。私も自分の子ではないと理解しています」
「……なのに貴方が赤子の後見人になると?」
「はい。気持ちは変わりません」
その張り付いた仮面と思われた笑顔はなんとも凪いでいるではないか。清々しいくらいに。
「私の事情がどうであれ、クラエンタール嬢と体を重ねた事実は消せません。それに……あの子は私と同じですから」
あの子、とはロミの子供の事だとは分かるが。
目を伏せて静かになったデイヴィット。
「聖女様。私は生涯謝罪のため神と貴女に祈りを捧げるでしょう」
「子を引き取り正しく導く事が贖罪になりますわ。わたくしに祈る必要はありません」
行き場のない子の後見人になるのは十分慈善になるだろうけれど、祈り云々はただの罪悪感の押し付けだ。どうしてもやりたいのなら不言実行でお願いしたいところ。
正直、この空間が苦痛で仕方がない。いくらリターが控えているとはいえ、もう帰りたい。要件はこれで終わりだろうか。
デイヴィットはおもむろに立ち上がり、座る私の傍に片膝をつき見上げてきた。その目の何とも言えない気味悪さに肌が粟立つ。
「聖女ジェシカ様。貴女を崇めます。生涯貴女を愛しこの身を捧げます」
「っ、貴方。ロミさん、は……」
肌が粟立つどころの騒ぎじゃない。私自身が害される恐れなどないというのに、体の芯から震えが来る。
私の言いたい事が分かったのだろう。跪く彼は目を細めて――見た事のある顔で笑いかけた。
「ロミ・クラエンタールは聖女ではなかった……とんだ期待外れでした。ああ……3年という短くない時間を無駄にしてしまいましたよ」
甘く囁くようにして蕩けるような笑みを、私に。いつもロミに向けていたあの、笑みを。あろうことか私に――。
気持ちが悪い。この震えは精神が害されるかもしれない、という予防本能によるものだろうか。人間の体とは凄いものだと思う。
「アリス……あの時にアリスが聖女だと思ったのでしょう……?」
「ええ。ですがあれも結局は貴女だった」
「そう、だけれど」
早く。立ち上がって、話はもう終わりだと部屋を出てしまいたい。部屋の空気が薄くなったような錯覚。
「ロミさんを愛していたのではないの?」
辛うじて平静を保っているように見せる私を見上げたまま、全く視線を外さないデイヴィット。
「彼女の人柄は、聖女であるからこそ良く見えるのだと思いませんか」
彼の表情も口調も、何かがどろりと溶け出すような粘着質を感じる。
ああ。結局、この人の全ては。
ロミへの愛情も私への憎悪も。全ては彼の信じる天秤の動きで簡単に変わる。
乙女ゲーム『天の聖女』。
隠しキャラを除く6人の攻略対象者にはそれぞれ【テーマ】がある。良くも悪くも、彼らの今を形作る要素のようなものだ。
ベルディウス王子は【重圧】
騎士トーマは【愛】
魔術師ハクスは【劣等感】
講師オズワルドは【後悔】
執事サッシュは【信頼】
そして、このデイヴィット神官は【信仰】。
それぞれのテーマがルートのシナリオに関わり、トゥルーエンド攻略ヒントにもなっている。
例をあげるなら。
トーマはひたすら一途に、他キャラの好感度を一定以上にしない事。ハクスは劣等感を否定し褒めるのではなく、その劣等感ごと肯定してあげる事。などだ。
デイヴィット神官という人は、信仰第一。
主人公が聖女にならずに迎える個別グッドエンドは、それぞれのキャラに必ず一つはあるのだが。このデイヴィットに限ってはそれがない。
個別ルートに入ってから聖女になれなければ――もれなくバッドエンド確定だ。
私はあくまでもここは現実だと、キャラは人だと。血も涙も感情も伴う人間だと思っていた。
それなのに、あんなにも愛を捧げていたロミが聖女ではないから、と。この人はあっさり見限った。
あれだけ嫌忌し、塵を見るような目を向けていた私が聖女であると知った途端、愛を告げたのだ。聖女信仰の名のもとに。
いや、違う。宗教を重んじる血の通った人間だからこそ――。
――ぞっとした。
私は立ちあがり、跪く彼から距離をとる。
「話は終わり、でよろしいですわね。後見人の件はわたくしの方から大公殿下に打診しておきます」
畏まるその頭頂部を見下ろし不安に駆られるが、デイヴィットが直接子育てに関わらないよう大公にそれとなく言っておけばいい。
真っ新な赤子にこの人の思想を植え付ける訳にはいかない。せめて、子供が物心つく年頃までは切り離しておく必要があるだろう。
逃げるように部屋を出る。
全身に蜘蛛の糸がまとわりついて取り払えないような感覚に身を震わせながら、待機していた従者に案内され大公の元へ向かう。
応接室で待っていた大公には顔色が悪いと心配されたが、その原因を言うのは躊躇われた。私は大丈夫だと薄く笑っておこう。
改めてロミの精神力に感心する。
約3年間、あの感情を向けられていてよく平常でいられたな、と。愛されていると思い込んでいた彼女は、幸せだったのかもしれない。




