31 妬み嫉み
後日、リターを伴って大公邸の正門に降り立った私。
今回私は聖女として、ロミの同期として。ふたつの肩書を携えての訪問だ。
「さて、行きましょうか」
通された応接間で寛いでいると、大公殿下が顔色悪くやってきた。私は立ち上がる。
「お顔の色が優れませんわね。問題でもありましたの?」
苛立ちをぶつけるように体をソファに投げだして、足を組む大公。それを見て私も着席する。
「問題……いや、そうだな。問題しかない。どいつもこいつもロミと関係を持った事は吐いたが、頑なに自分の子じゃないと言い張りやがる」
「お口が悪くなっていますわ」
何とも気苦労が態度に見えるではないか。お疲れ様と労いたい。
サッシュも含め候補に挙がったのは四名。内訳は、若い講師、神官、教会付きの騎士、そしてサッシュ。四人ともロミの元取り巻きだ。
「一人くらいは、お腹の子が誰の子であろうと構わない。と獄中結婚宣言をするような男気溢れる方はいませんの? あれほどロミさんを」
言いながら虚しくなってきて、途中でやめた。
「ロミが演じてた『純真な少女』に惚れてた奴らだからな。所詮そんなもんだ」
片方の口端だけを上げて嗤うのは自虐も入っていそうだ。
すると、大公が懐から封筒を出してテーブルの上に置いた。すっと差し出してきたところを見ると。
「拝見しても?」
「ああ。実質、君宛てのようなものだ」
どういう事かと首を傾げながら、すでに封を切られている封筒を裏返す。
差出人は、なんと。
「デイヴィット神官……」
一枚の簡素な便箋に神経質そうな角ばった文字が並ぶ。何というか、ものすごく、らしい文字だというのが第一印象。
内容は大公への先触れ、そして聖女と面会したい旨がつづられその橋渡しを頼む事、更に。
私は便箋から目線を剥がして大公を見た。
「認めるのですか? 彼が……」
「ああ。どうせ元取り巻きたちは全員責任を取る気がないし、産まれた子は教会に預けるつもりだった。奴を……後見人にしてもいいと思っている」
私は再度手紙を見る。
私、聖女は一度、意趣返しと称して彼の秘密を知っているように匂わせてしまっている。
『聖女と内密に面会したい。私の出生の事について』
そう書かれた一文を何度も視線でなぞる。聖女としての公務とはこれの事か。
ああ、やらかした。私、自ら面倒事に足を突っ込んでいないだろうか。
「どうした?」
「いえ」
遠い目もしたくなるというものだ。
というかこんな意味深な事を書いて、大公に勘付かれたらどうするのだ。いや、わざわざ聖女に内密に、出生の秘密を、と話を持ちかけているのだから察しているに違いない。
彼がやんごとなき身分であると。
デイヴィット神官が訪問するのなら早々にロミと会っておきたいが、そこで問題になるのは彼女の精神状態と体調か。
「ロミさんはあれから目を覚ましたのだそうですね。様子はどうですか?」
「ああ。子を孕んだ事は知っていた。一人で街の寂れた診療所に行ったんだと」
ひとりで、街に。私は頭を抱えそうになって、ぐっと堪えた。妊娠を自覚し、誰にも知られないよう内緒でひとり街の診療所に――。
それか! そのせいでレオン王子出現のフラグが立ち、二人の出会いイベントが発生してしまった訳だ。
本当に何をしてくれているのだろう。これもある意味ヒロイン補正なのか。イベントの強制力なのか?
深呼吸をして落ち着こう。
「母体の健康状態はどうです? そろそろつわりが始まる頃だと思うのですが」
ミリエンヌ様にお会いした際、妊婦の症状や段階を詳しく教えてもらった。
「食欲が無く酸味のある果物しか口にしないようだ。精神的に参ってるらしくてな、つわりも酷いと」
「一度、実家に戻してみては? このままでは子が流れてしまいますわ。子に罪はありません」
大公は厳しい顔だ。そこには良くも悪くも私情は微塵も含まれていない。
「……ああ、そうだ、子に罪は無い。それは確かだ。だからこそ、ロミには心穏やかにここで出産をしてほしいのだが、な」
罪人に例外はない、という事なのだろう。
「彼女の気の休まるような方との面会などは?」
果たしてそんな人物がいるのだろうか、と脳内の人物相関図を眺め――考えるのをやめた。
私の思考を共有したのか、向かいに座る大公は眉間を指の関節で押さえている。この人、そろそろ胃に穴があきそうだ。
「ロミは……ベルディウスに会わせろ、と喚いている。あまり君に言いたくはなかったが」
「いえ、お気遣い感謝いたします。そもそもわたくしの心情云々ではなく、今のロミさんに殿下を会わせてしまったら、彼女、壊れてしまうのではとそちらの方が心配ですわ」
「ああ。俺もそう思う。容赦ないからな、あいつは」
「ご家族は面会に来られたのでしょうか」
「クラエンタール伯爵夫妻は一度呼んだのだがな」
長く息を吐いて天井を仰いだ大公。その様子だけで思わしくない結果となった事は分かるのだが、一応聞いておこう。
大公は私の背後に静かに控えるリターに一瞬だけ目線をやって。
「侍女リターの事があってから伯爵は度々ロミを叱っていたようだな。それに反発したのか、面会しに来た伯爵にロミは」
なんという事か。ロミは直接自分の父に向かって言ったのだ。
『アリスに誘惑されたくせに!』
と。
この発言のせいで伯爵夫人は蒼白になり気を失って。伯爵は一切の情を切り捨てたのだそうだ。これからは娘ではなく罪人として見る、と。
話を聞いているだけで頭痛がして私はこめかみを押さえる。
カッとして暴言を吐いたロミもロミだが、彼女は初産を控えた妊婦で、不安定な状態だ。ここは伯爵が大人になるべきだったのでは。
ここで、はて、と首を傾げる。
「ロミさんには外の情報を与えていないのですか?」
「新聞なり面会なり逐一与えてはいるんだがな。どうも君と聖女アリスが共謀している、という固定概念が消えないんだ」
「何故そんな勘違いをしたのでしょう。最初に彼女から出た嘘だと思っていたのですが」
本当に謎だ。
あれか、確か――周りに真実だと錯覚させるために、無意識に自分をも騙すようにさらっと嘘を吐く人がいるらしい。そういう人間なのだろう、彼女は。
「そこは分からんが、ロミは未だ自分が聖女だと思い込んでいる。面倒な事にな」
嘘を嘘だと思わずに発言している。思い込みから虚言癖へ、自己暗示に陥っているのだと思うしかない。
でなければこの状況で嘘を吐き続ける意味がわからない。
ただ、聖女だと思い込んでいる、その根本の原因には思い当たる節があるにはある。
「面会の許可をくださいませ」
ロミに会おうとする私に、大公がソファから立ち上がらんばかりの勢いで半身を乗り出してきた。
「本気か? 何を言われるか分かったもんじゃないぞ」
「お疲れの大公殿下のお手は煩わせませんわ。わたくしもそろそろきっぱりと彼女との縁を切りたいと思っていましたの」
今日はそのつもりで、ケリをつけるつもりで訪問したのだ。聖女ではなくジェシカとして。
目線を扉に向け大公を促す。彼は渋々といった態度だったがゆっくりと動いてくれた。
応接間を出て、扉脇に待機していた大公の従者と共に廊下を行く。
「何かあれば割って入るぞ」
「彼女を刺激するような事は致しません。妊婦とは繊細なものですから」
頭に『多分』が付くが。
「いや、君の……まあいい。とにかく、聞くに堪えない暴言を吐く虞がある」
暴言だけなら可愛いものだ。彼女のやっかいなところは、それを表に見せないところなのだから。
まあ、猫を被る必要のある相手はいないだろうし問題はない。――と、思っていたのだが。
質素だった部屋には妊婦を気遣ってか、座り心地のよさそうなソファが二脚、その間に果物籠の乗ったテーブル。ベッドを囲う衝立が増えていた。
ぐったりとソファに体を預けていたロミは私が入室してきた途端、まるで百面相をしてみせた。
まず私を睨み、それから大公に見せつける様に怯えたような表情をする。そして十八番の、目に涙を湛え留める技を披露した。
ロミの反応は想定内だったのだが、意外だったのは、彼女の傍にあの解雇されたというファルシ家のメイドがいた事だ。
彼女はロミと違い私から逃げるかのように俯いていた。最後に見た時よりもずっとやつれている。
「シュバルツ様っ……どうして、この人を!?」
まだお腹は目立っていないが、ゆったりとした妊婦着を身にまとっているロミ。愛らしい顔は憔悴して、大公にすがろうと手を伸ばすが、大公は。
「名を呼ぶな。不愉快だ」
何度目だ、と続けて呟く大公の様子に私は本気で驚く。
見誤っていた。もう情などない、だって? そのような生易しいものではなかった。可愛さ余って憎さ百倍、とはよく言ったものだ。
「お前は今やただの罪人、俺はその監視。俺たちがやらかした事はそういう事だ。現実を見ろ」
するとロミはキッと私を睨み上げた。いや、まだ演技の只中であるから、可愛らしくまるで巨悪に立ち向かう乙女のような風貌で。
「ひどい……わたしを嫌うのはいいです、でもっ! シュバルツ様は関係ないじゃないですかっ!」
このブレなさ。いっそ感心すら覚える。
溜息を隠しもせずうんざりとした様子の大公に心の中で手を合わせる。合掌だ。大公の手は煩わせないといいながら、この数秒で老け込ませてしまった気がして申し訳ない。
「……まあいい」
そして、そうだ。と私を振り返った大公。
「君は不快かも知れんがあのメイドを置いてある。同性の世話役が欲しかったからな」
「構いませんわ」
話の途中であのメイドの方に顔を向けると、びくりと肩を震わせていた。
余計な事を言うな。とでも言わんばかりにメイドを睨むロミを横目に、どうせ情緒不安定が故に彼女にあたっていると簡単に予想がつく。
私が進言せずとも把握しているだろうが。
「ではロミさん。そろそろ決着をつけましょう」
「けっちゃく……?」
本気で怯えたように顎を引き、目に涙を溜め、上目できょろきょろを辺りを見て。大公とその後ろにいる従者、一人の監視員に狙いを定めた。
「いや……怖いっ……助けて、シュバルツさ……大公様っ」
途中大公が舌打ちしたためにさすがのロミも名を呼ぶ事はやめたようだ。
やはり、このままでは埒が明かない。
「大公殿下。少し外してくださいませ」
大公だけじゃなく、メイドにも、従者にも、監視員にすらも順々に目を向ける。リターは扉の外で待機させているのでここにはいない。
予め大公には二人きりで話がしたいのだと言い含めてあった。なので。
「えっ」
戸惑うロミを尻目に彼らは、どことなく安堵したようなメイドを促し退室していく。
静かな、二人だけが残った部屋に、扉が閉まる音が響いた。
「さて、ロミさん」
「……なによ」
不貞腐れて私を睨み上げるロミは外面を取り繕うのをやめた。
「ずっと聞きたかった事があるの。貴女は何故わたくしを嫌っているの?」
迷惑な話だ、と心底思う。
俯くロミ。歯を食いしばって、ドレスごと両膝を握りしめるその姿に心底解せない。そこまで恨まれるような事をした覚えはないのだから。
だが、こういうのは得てしてやった方は忘れている――というより、気にもしていない場合が多いものだ。
「……初めて、教会に上がった日」
ぼそりと呟かれた言葉に、私は驚きながらも必死で脳内を回し当時を思い出そうとするが。頭を振り回す勢いで顔を上げ、憤怒の表情で睨み上げてくるロミ。
「王子が……! ベルディウス様があんたを見てたからっ!」
「は?」
その気の抜けた声は私の口から出たのだろうか。と疑問を抱く程に情けない声だったと思う。
「ずっと憧れてた! 挨拶をする殿下を見てもっと好きになって、でも……っ! 彼はずっとあんたを見てたのよっ!!」
私を――?
いや、そんな事は有り得ない。ロミが言っているのは、集まった候補生たちに王子殿下が宣誓をした時の事だろう。
だがあの時は、殿下が特別誰か一人に目線を向けていたとは思えない。候補生を見渡し、その覚悟の程を表情から伺っていただけではなかったか。
「何でもないような顔をして……! ずっとあんたを気にしてた!」
愛らしいヒロインの顔が、般若のように私を見上げている。
私は本人から聞いている。選定の儀での落雷時に逆行した事を思い出し、それから私を強く意識するようになったと。
そこに嘘は無かったと断言できるし嘘を吐く必要もない。私はロミの主張が腑に落ちなくて、首を傾げるしかない。
視察として教会に度々訪れていた殿下とは、会話らしい会話などしたことはなかった。
視線が合った事も何度かはあったかもしれないが、それは私に限った話でもないだろうし、どう考えてもロミの思い込みとしか。
もちろんベル様が無意識に私を気にかけてくれていたなら、当然嬉しいに決まっているが多分違う。
というかロミは初日――ゲームのオープニング時点で、明確な理由を以て私に目をつけていた訳か。
「わたくしは貴女の行動だけが不可解だった」
何となくだが、このロミの言葉に嘘はない。つまり、嫉妬。しかもほぼ一方的な勘違いに近い嫉み。
「理由を聞けて満足だわ」
「何が満足なのよっ!?」
とことんまで苛烈に、敵意を隠さないロミ。
どうしてここまで主人公が歪んでしまったのだろう。要因を辿ろうとするなら、逆行前に人格を歪に形成する何かがあって――。
今更それを確かめる術はないのだが。
まだ色々本人から聞きたいところだが、これ以上神経を逆撫でしてはならない。
「ロミさん。貴女は疲れているのよ。お腹の子に障るわ」
ゆっくりとロミに術をかけていく。穏やかに、心を落ち着け、頭も体も休まるように。
静かに眠れるように。
「おなか、の、こ……」
大きな目がとろんと半分ほどに沈んでいく。
「いや……いら、ない……ベルディウスさまの、子じゃなきゃ……いや」
完全に目を閉じたロミの発言に、胃の裏側が引っかかれた。
「ベル様の御子を産むのは私よ。貴女は貴女の子を大切にしなさい」
静かに眠りに落ちたロミを見下ろし、はっきりとその言葉を叩きつけてやった。
この時私は、初めて彼女に嫉妬という感情を抱いた。




